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第3章 延長戦は何回までですか?

彼女の傷

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会話が止まって、俺がヘマをしたことを自覚する。人の写真を取らないのか。何気無い質問のつもりだった。しかし、朝霞さんの返事はぎこちなく、きっと俺は彼女が触れて欲しくないところに触れてしまったんだと感じた。
どうやって会話を再開させればいいか分からず、ただただ車を走らせる。沈黙が胸に痛い。

さっきまで、すごく上手く行っていた。まるで本当の恋人同士のように、デートを楽しんでいた。それは朝霞さんだって同じはず。でも、やはり俺たちは本当の恋人じゃない。彼女のことなら大体のことは分かっているつもりになっていた。だけど、それは見当違いだった。自分の暗所恐怖症のように、彼女にだって触れて欲しくないことがあってもおかしくない。悪気があったわけじゃないし、彼女をすごく傷つけたわけでもない。でも、自分が傷ついたように痛かった。

「夕飯何か食べたいものある?」
気まずさを誤魔化す為に、彼女に聞く。
「横浜色々あるから、迷っちゃうなあ。五十嵐くんが好きなものでいいよ。」
彼女はありきたりな答えを言った。まるでテンプレートにあるような。

結局、適当におしゃれそうなイタリアンに入る。彼女は美味しいと言ってくれるが、自分が空回りしていることは分かっている。きっと朝霞さんが本当の彼女だと錯覚していたからだろう。事実、今日は擬似デートだと言うことをすっかり忘れていた。このままいけば、彼女に告白すらしてしまっていたかもしれない。それくらいいい雰囲気だったと思う。

「美味しい。こういうお店よく来るの?」
彼女がスパゲティをフォークに巻きながら聞いてくる。
「まあ、たまに。」
余裕がなく素っ気ない返事しかできない自分にもモヤモヤする。
「そうなんだ。女の子喜びそうだもんね。他に知ってるお店あったら、教えてよ。」
彼女が聞いてくる。そんな女の子なんているわけがない。
「うーん、あんまり詳しくはないかも。ごめんね。」
こうやって会話が止まってしまう。

それから何度かやりとりがあったが、会話が続かず、周りの楽しそうな恋人たちと比べると惨めだった。


夕食を終えて彼女を家まで送る。楽しかった擬似デートもこれで終わってしまう。次いつ二人きりで会えるか分からない。そう思うと急に彼女との距離が遠くなってしまったようで、寂しくなった。
引き止めたい。しかし、その術が自分にあるか分からない。


彼女の家の前に着く。
「今日は楽しかったです。ありがとうございました。運転お疲れ様でした。」
定型文に則って彼女が言う。

「ねえ!またこうやって擬似デートしてくれないかな?」
去ろうとする彼女に慌てて声を掛ける。

「何でですか?」
彼女が立ち止まって聞く。
「今日楽しかったから。」
本当は理由はもっとたくさんある。でもそれだけしか言えない。
「本当の彼女さんとデートした方が楽しいんじゃないんですか?」
対抗して彼女が言ってくる。
「今は朝霞さんが彼女の中の人でしょ?」
彼女に対抗して言い返す。
「私は五十嵐くんの彼女の中の人であって、彼女にはなれない。」
その言葉にぎゅっと心が締め付けられる。
「それでも、今日は楽しかった。だから、朝霞さんといたい。ダメかな?」
胸の痛みを無視して、言い寄る。これじゃ彼女を口説いているみたいだ。
「そんな感情論で……。」
予想通り彼女は反発する。
「感情論じゃダメなの?」
それでも無理やり押し通す。
「ダメじゃないけど……。」
彼女が言いたいことはなんとなく分かる。でも、このまま引き下がるわけにはいかない。
「なら、いいよね。これからもよろしくね。」
そうやって、何とか次のデートの約束を取り付ける。


彼女が人の写真が撮らないのは何か理由があるのはいやでも感じ取れた。その理由を知りたい。でも、踏み込んではいけない。彼女が俺の暗所恐怖症に踏み込まなかったから。彼女は話してくれるまで待つことはできる。
それでも、せめて繋がりが欲しくて、また擬似デートをすることを彼女に約束させたのだった。
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