捨てられた令嬢と幽霊王子

柊木 ひなき

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6. ×日目 アリィ

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「……ドネっ」

 寒くて暗い納屋の中に、声が響く。
 柔らかくて、心地いい声。

(お父様……助けにきてくれたの……?)

 目を開けたはずなのに、何も見えない。真っ暗な闇の中だ。
 私を呼ぶ声が、だんだんと近付いてくる。
 この声……お父様じゃないわ。
 私の名前を呼ぶのは……私を呼んでくれるあなたは、誰なの?


「……ドネ、……アリアドネ!」

 目の前が、一気に明るくなる。
 ぼんやりとした、青白い光だ。さらりと視界に流れる、金色の、髪。

「……レイ、ス?」

 透けた身体の向こうに、岩壁が映る。
 心配そうに私を覗き込む、青空色の瞳。
 そうだわ……ここは、屋敷ではなく、洞窟の中だ。

「起こしてごめん。魘されてたから……」
「……ごめんなさい。昔の夢を、見ていたの」

 そう、夢。あれは、夢だわ。
 私がまだ十二歳だった頃の、義母たちの嫌がらせが始まった日の、記憶だ。
 半年もの間、私は何も知らず、義母と義妹を優しい人だと信じていた。使用人たちが全て入れ替わった本当の理由にも気付かなかった。


「……レイスは、敵じゃないよね」
「敵じゃないよ。僕には、君を嫌う理由がない」
「私を嫌う、誰かの味方じゃないよね?」
「違うよ。僕がそんな陰湿なことに手を貸すと思う?」
「……思わないわ」

 レイスならきっと、誰かを嫌うなら自分ひとりで嫌う。私の嫌なところを見つけたら、そこが嫌だと直接言ってくれそうだ。
 義母や義妹のように、見えないところで危害を加えてきたりしない。


『アリアドネ!!』

 突然、義母の怒鳴り声が脳裏をよぎった。咄嗟に頭を抱えてうずくまる。

「アリアドネ……?」
「……ねえ、レイス。私のことは、アリィと呼んで?」

 アリアドネは、お母様がつけてくれた大切な名前。でももう、そう呼ばれるのもつらい。

『私の可愛い、アリィ』

 お母様が私を抱きしめて、優しく呼んでくれた、あの時の名前で呼ばれたい。

「うん、アリィ」

 柔らかな声。顔を上げると、優しい瞳が私を映していた。

「ここは、私に都合のいい夢の中なのかしら……?」
「頬をつねってみたら?」
「……痛いわね」
「だろうね。残念ながら、現実だよ」
「良かった……レイスが現実で、良かったわ……」

 本当はここは屋敷の納屋で、レイスの夢を見ていたら。もしそうなら、夢から覚めた時に自分がどうなってしまうか分からない。


「ごめん……僕には、君の涙を拭えない」

 レイスの手が頬に触れる。何の感触もなく、頬を伝う雫はぽたりと地面に落ちた。

「レイスって、本当に王子様だったのかもしれないわね」
「ねえ、アリィ。僕は真剣に落ち込んでるんだけど?」
「ごめんなさい。今のレイスが格好良かったから……」

 つい茶化してしまった。王子様みたいだと思ったのも本当だけど。

「でも、ありがとう。私にそんなこと言ってくれる人いなかったから、嬉しいわ」
「アリィって……」

 自分で涙を拭うと、レイスは溜め息をついて「アリィだし自覚ないよね」と呟いた。


「まだ真夜中だよ。もう少し寝たら?」
「うん、そうする」

 草を敷いた地面に横になる。ドレスを上にかけて、そばに座るレイスに手を伸ばした。

「レイス、手を握っててくれる?」
「うん、いいよ」

 差し出した手に、少しだけ躊躇ったレイスが手のひらを重ねる。当然、触れた感覚はない。それでも。

「不思議ね……とても、暖かいわ」

 春の日溜まりのような暖かさ。手の先から心まで、じわじわと暖かくなっていく。

「レイスって、不思議な人……」

 もう一度眠るのも、怖くない。きっと次は幸せな夢を見られると信じられる。

「不思議なのは、君だけどね」

 小さく笑う声を聞きながら、今度は優しい夢の中へと落ちていった。



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