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19. 義母と義妹
しおりを挟む「きゃあああっ!!」
静かな室内に、義妹の悲鳴が響く。だが、誰ひとり駆けつけなかった。
横たわっていたベッドもなく、テーブルも、窓も、なくなっていた。
代わりにそばにいたのは……天井に届かんばかりに大きな、黄金の狐。
『――……』
「アリアドネに、謝れ……?」
言葉ではない言葉が、頭の中に響く。
「無理よっ、どう謝れっていうのっ? もう死んでるのよっ?」
それに、謝罪する気などない。
無理だと訴えても何度も繰り返される声に、耳を塞ぐ。それでも声は続いた。
何度も何度も繰り返される声。ズッ……と狐が一歩を踏み出した。
「ひっ……! お……お母様が山に置き去りにするのを止めたくてっ、ごめんなさい!!」
恐怖に耐えかねて、ついに言葉にした。
「もっと前のことっ……? 母親の形見のドレスをメイドに切り裂かせたこと? 納屋に食事を届けさせなかったこと? 悪かったわよ! でも離れに追いやったのは私じゃないわ!」
巨大な尻尾が地面を叩く度に、義妹は次々に罪を告白した。
「私は悪くないけどっ……お父様がアリアドネに用意した婚約者を私のものにしたわ! でもいいじゃない! 彼も私の方がいいって言ったもの!」
彼は社交界でのアリアドネの悪評を信じなかったから、腕にひっかき傷を作って、それを見せた。
涙を流しながら、「本当は私があなたの婚約者だったのに、姉に奪われたの」と訴えた。押し殺すように泣く演技をしただけで、人のいい彼は騙されてくれた。
『――……』
「アリアドネの、腕と脚の傷……? そうよっ、私が熱湯をかけたわっ、花瓶を投げたのもヒールで踏みつけたのも私っ……ごめんなさい!!」
ドンッ!! と地面が揺れ、義妹は悲鳴を上げる。言葉ではない言葉が、強い語調で責め立てた。
「違うわ! 暖炉の火かき棒で火傷させたのはお母様よ! 私はちゃんと、そのあとメイドに水をかけさせたわ!」
びしょ濡れになったアリアドネを、そのまま部屋に閉じ込めた。服が乾ききる前に暖炉の火が消え、まだ寒い夜を凍えて過ごしたアリアドネに、義妹はこう言った。
私のおかげで、火傷も冷えたでしょう?
「ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
狐が近付き、義妹は謝罪しながら後ずさる。部屋の端に追い詰められ、鋭い爪が目の前にかざされた。
「ぁ……」
死を覚悟した瞬間、ようやく、アリアドネの恐怖を理解した。
魔物に食べられても当然だと思っていた。彼女が悪いから。憎いから。……でも、こんな最期を迎えるほど、彼女は、悪かっただろうか。
「アリアドネ……ごめんなさい……」
今更疑問を持ったところで、どうにもならない。迫り来る鋭い爪を前に、きつく目を閉じた。
***
「来ないで!! 来ないでよ!!」
薄暗い室内に、義母の叫びが響く。
「お前の腹を裂いたのは私じゃないでしょう!? 下男よ!」
獣を捕らえるよう命令して、腹を裂かせた。
植木の中に身を隠していた、アリアドネが迷い込んだ犬と勘違いして度々食べ物を分け与えていた、あの狐だ。
残虐なアリアドネが、義妹の部屋に死体を放置した。そう偽装するために、洗い立てのシーツに狐の血を付けさせて、死体を箱に入れさせた。
全ては下男のしたこと。自分は一度も狐に触れていない。潔白だと訴える。
『――……』
「アリアドネのことっ……? 殺すつもりはなかったわっ、夜会が終わったら迎えに行かせるつもりだったのよ?」
歪んだ笑みで言った義母を、赤い眼が睨んだ。
「ひっ……! だって、あんな子が王太子殿下の妃選びの場に出るなんて、嘲笑されたら可哀想でしょう……?」
自分は悪くないと訴える。
「盗賊に攫われたなら、王命に逆らったことにはならないわ。私はこの家とアリアドネを守ったのよ?」
『――……』
「なんですって!?」
言葉ではない言葉に、義母は激怒した。
「私は美しいわ! 私の子も世界一可愛いわよ! 内外ともにね!」
『――……』
「子息たちや殿下がアリアドネに興味を持ったのも、私の子が可愛かったからよ!? 姉もどんな美人か気になっただけでしょう!?」
巨大な狐を前に、怒鳴り散らす。
「身の程を知らないから教えてやっただけよ! 母親が泥棒なら子も同じね!」
義母は、友人だったアリアドネの母親を憎んでいた。社交界の華と呼ばれた彼女のせいで、想い人を奪われたのだと。その想い人が、アリアドネの父親だった。
だが彼とアリアドネの母は、生まれた頃からの婚約者。互いに想い合った末の結婚だった。
「あの人だって、あんな女との子供なんて欲しくなかったはずだわ! それにっ、不細工で何の取り柄もないアリアドネっ……」
母親に似て、笑うだけで人が集まってきた。
閉じ込められても暴力を振るわれても、うつむくことなく顔を上げて、まっすぐに見据えるあの瞳。
「っ……こんなことなら、アリアドネもあの女と一緒に殺しておくべきだったわ!!」
「そうか……私は、こんな女をアリアドネの義母として……」
目の前の狐は消えた。
代わりに現れたのは……彼女の、愛する人だった。
「あ……あなた、違うの……」
いつも慈愛に満ちていた瞳は、今は、冷たく彼女を見下ろしている。
「私の妻を手にかけたのも、お前だったか……」
「違うわ……彼女は、病死だったでしょう……?」
徐々に弱っていく彼女の見舞いに頻繁に訪れて、励ましたのも、妻を亡くして塞ぎ込む彼に寄り添ったのも自分。同時期に同じ病で夫を亡くしながらも、献身的に寄り添った。
「彼女も、私の夫も、たまたま同じ病で亡くなったわ……私とあなたが好きでもない相手と結婚させられたのを、神様が憐れんでくださったのよ……」
伸ばされた手は、彼に触れる前に払い落とされた。
「殺害の証言は得た。証拠も、今からでも充分集められる」
重々しい声が、彼の口からこぼれる。
「あなたっ……違うのっ! 私じゃないわっ!」
「私は、妻とアリアドネを愛していた。……今も、愛している」
「っ……」
「もう二度と、お前と会うことはないだろう」
「嫌よ……あなたっ、あなたーー!!」
悲鳴とともに、彼女の悲鳴は重い扉の向こうに切り離された。
「アリアドネ……私は、顔も見たくないという虚偽の言葉を信じて……」
足を踏み入れた離れの一室には、壊れそうなベッドとテーブルと、一脚の椅子だけが置かれていた。
内鍵はなく、頑丈な外鍵が三つ付けられた扉。義母からは物置だと説明されたそこが、アリアドネの部屋だった。
その証拠に、生前の母親からプレゼントされたぬいぐるみが、ベッドの下に布に包まれて隠されていた。
「アリアドネ……」
後悔しようと、何を願おうと、もう届かない。
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