空の先

秋野小窓

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 俺、という一人称を見て、同性だと気づいた。
 他愛ない会話。仕事以外でこんなに人と話したのは久しぶりだ。

 弁当のパックをゴミ箱に突っ込み、シャワーを浴びて歯を磨く。もう胸に風は吹いていない。満たされた気持ちで布団に入る。


 今日は仕事もうまくいくような気がしていたのだが。そんなに甘くない。
 客に怒鳴られ、上司に詰められ、結局いつもの毎日だ。今日も契約は取れない。その前に、アポすら取れない。ひたすら電話を掛ける。俺がイメージしていた営業の仕事とはかけ離れた世界。

 人の役に立つ仕事がしたかった。話すのは好きだし、人と関わる仕事が向いていると思って営業を選んだ。
 それが、現実はどうだ。社名を名乗るだけで電話を切られる。代表電話の窓口の女性に丁重にお断りされるのはまだいい方。冷たくあしらわれるのももう慣れた。「迷惑なんだよ!もう掛けてくるな!」と怒鳴り散らされると、未だに体が硬直してしまう。嫌な汗がじっとりと背中を濡らす。

 俺はこんなことのために上京したかったんだろうか。東京はいつもピリピリした空気が垂れ込めている。

「坂本ォ!何ボケっとしてんだ」
「すみません」
「アポ取れたのか?」
「いえ……」
「架電終わったのか?」
「……すみません」
「謝る暇があったら1本でも多く架電しろ!」
「はい!」

 仕事なんて、心を殺さないとできないんだ。これが働くってことなんだ。給料もらって、食っていかなきゃいけないんだから。

 上司の目を盗んで先輩が話しかけてくる。

「大丈夫か?」
「あ……はい」

 ニヤニヤした表情から、心配なんてしていないことがすぐに分かる。

「今はユルいよな。ペコペコしてれば何とかなるし」
「そう、ですかね」

 緩い?どこが?
 こいつの頭のネジの方が緩んでいるんじゃないだろうか。

「昔は受話器と手をガムテでぐるぐる巻きにされたもんだよ。終わるまでトイレにも行けない」
「……」

 すごいですね、とか。気の利いた言葉を返さないといけないのに。
 唖然としてしまって、言葉が出てこない。

 はは、という乾いた笑いでその場を流して仕事に戻る。ただ電話を掛けるだけ、と自分に言い聞かせて、震える指でボタンを押した。
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