9 / 12
8輪め
しおりを挟むアキレウスが王城に滞在するようになると、王の妻たちからたくさんの誘いが来た。数あるうちのどれから行くか問われ、まずは御正室のアイギナ様から……とアキレウスは戸惑いながら返答した。
それで正解だったらしい。大きな諍いが起きずアキレウスはほっとした。御正室を訪れるとアキレウスのために宴が開かれ、若くて美しい少女がかれの杯にぶどう酒をそそいだ。少女はそのまま隣にすわる。アキレウスはすぐに合点した。
「娘のクリュティと申します。年の頃はアキレウス様の4つ下です」
「うつくしい姫君ですね」
どの席に招かれても見目麗しい少女がアキレウスの側にすわった。その姿を見るとアキレウスは気の毒になってしまう。女性たちも奥で生きていくために必死なのだ。そしてそのたびに清廉なミアのことを思い出した。
──ここでミアは生きていけるのだろうか。
アキレウスはミアに害を与えている人物を探すために招きを受けた。だが失礼にならない程度の時間で席をたった。
熱心に誘ってきたのはやはり正室アイギナと側室カレだった。アキレウスは何度か宴に招かれたが、そのたびに彼女たちの娘がかれの興味をひこうとした。
「ミアとは隣家の仲だったそうですね」
2人ともその話題に触れ、アキレウスはうつくしい姫君に惹かれるどころではなかった。
春の日差しが雪を溶かすころ、エーゲの荒い海原を越えてスパルタからの使者がやってきた。船にはリュコメデス王に献上する財宝や武器を積んでおり、50人をゆうに超える大使節団だった。
王は使者団を歓迎し、丁寧にもてなしたが「アキレウスどのは居ない」と言いはった。
「こちらに来られていたが、とっくに他へ行かれた。お探しになるならご自由に」
そう王に言われてしまうと使節団も強く迫ることはできない。かれらはアキレウスを探すため王城の周辺に滞在したが、スキュロス島の人々はよそものを遠巻きに扱った。
スパルタの船にはギリシア本土の商品を持ってきた行商人も乗っていた。王の妻たちに見せるための煌びやかでめずらしい品もあり、いかつい面構えの使節団より遙かに王城で歓迎された。
「どうぞお手にとってご覧ください。イオニアの亜麻布やアテナイの銀細工など様々な品物がございます」
商品を見ようと女官たちが群がった。怪しまれないようアキレウスも女官に混じって品物を見る。装飾品だけでも貝輪や金細工など多様な種類があった。
「ここにない品物も船内にございます。もし奥方様に必要なものがあれば申し付けください。何でもご用意しましょう」
行商人の男は明るいとび色の目で微笑みかけた。しかし抜け目のない表情で、アキレウスは何となくこの男を好かなかった。
リュコメデス王に居ないと言われても使節団はしばらく滞在した。アキレウスは使節の一員が女官に自分のことを聞いているところに何度も遭遇した。
月の満ち欠けが半周りした頃、ようやく彼らは帰ると言い出した。王が送別の宴をひらくことを伝えると、使者団は余興にパンクラッチオンの試合を行いたいと申し出た。試合は神に捧げる形でおこなわれ、優れた選手をそれぞれ3人ずつ、籤(くじ)で組み合わせて戦うという。使節団にはスパルタの名高い戦士も加わっていた。小規模だがこの試合に勝てばスキュロス島の名誉はギリシア全土に轟くだろう。
スパルタ人は勇猛な戦い方で知られている。その試合を間近で見られるとあって、アキレウスもときめかないわけがなかった。
しかしアキレウスは女官たちと並んで遠い席で見ることになるだろう。すぐ近くで見たい気持ちを抑えこんだ。もしかするとそれが使節団の狙いなのかもしれなかった。
王城の正面に試合場は設けられ、松明が数え切れないほど灯された。選手たちの影が火で揺めき白亜の王城におおきく伸びる。スキュロスの代表は修練場で会ったことのある人物ばかりだ。ほとんどがアキレウスの組み下した者だった。
女官に扮しているアキレウスに気づく者はいなかったが、彼らをじっと見ていると「そこで何をやっている」と問われているような気がした。複雑な心中だった。
「これより奉納試合をはじめる。1試合目の選手は前へ」
スパルタ代表の男はたくましい筋骨の立派な体格だった。試合慣れしているのか微笑すら浮かべている。一方、スキュロス代表は顔が青ざめ、ひきつったような表情をしていた。
予想通り1試合目はスパルタ側が勝利し、2試合目は辛くもスキュロス側が勝利した。
「すばらしい。同格の戦いだぞ」
場外から熱い声援がおくられる。3試合目にスキュロス側で出たのは修練場の師範レイケイオンだった。体に砂をまぶし、相手を見ながらじっくりと構える。スパルタ側はミロという男で、背丈はほぼ同じだが腕の筋肉がはち切れんばかりに盛り上がっていた。
「はじめ」
声と同時に体がぶつかりあう。さっそくレイケイオンは拳で手を弾かれ、嫌な音がした。指の骨が折られたのだ。顔をしかめながらも両腕をひらき向き直る。今度は彼が肩を打撃しミロは体勢をすこし崩した。
2人は距離を取ってじりじりと足を前にすすめた。互いにぶつかる機会をはかっている。先に動いたのはレイケイオンだった。かれが前に出るとミロも腰を低くして、上段に拳を突き出した。その打ち込みを、レイケイオンはかわさず腹部にうけたまま肩に拳を打ち込んだ。二人は相手の吐く息を感じる近さでぶつかる。
汗が地面に飛び散った。再びミロが腕を振り上げレイケイオンの頬を強打する。しかしレイケイオンはその腕を掴み目の前にきたミロの喉を前腕で強打した。ミロが激痛で倒れる。
勝負はあったと思われた。だが次の瞬間、ミロは体勢を返して足で蹴り上げ、レイケイオンのかかとを掴みひねりを加えて地面にねじ伏せた。地面ににぶい音が響く。足首が完全に反対側にねじられていた。たまらずレイケイオンは親指をたて、降伏をしめした。
「勝負あり。勝者はスパルタ代表」
審判の声がして、ミロは拘束を解きレイケイオンに手をさしのべた。ゆっくりと緩慢な動きで起き上がると、両者は握手を交わす。試合場は拍手で満ちた。
「惜しかった。アキレウスがいればスパルタに勝てたかもしれないのに」
そんな声が聞こえた。
アキレウスは試合の興奮が覚めやらぬまま、歯を噛み締めた。
──おれは、なにをやっているのだろう。
試合場の闘志がアキレウスをゆさぶった。
女官たちも拍手を送っていたが、試合場の周辺とは熱気がまるで違った。試合を見ながら世間話で盛り上がり、お互いの装飾品を褒めあっている時間の方が長い。
「さあさあ、女性の方は退屈でしょう。あなたがたに劣らず美しい宝石を揃えました。こちらへどうぞ」
試合が終わった瞬間に行商人が割り込んできた。箱から出てきた真珠や金の耳飾り、ネックレス、宝石をあしらった紫の布など女性たちが一斉に注目する。アキレウスは弾き出されて、ため息をつきながら試合場に視線をもどした。
リュコメデス王の表情はあかるくない。スパルタ側に敗れてしまったことが残念なのだろう。王が従者に何か囁き、従者は心得たというように下がる。
「そちらの麗しい女官どの」
不意に声をかけられた。女たちの中でアキレウスがそっぽを向いていることが気になったのだろう。
「宝石や美しい布にご興味はありませんかな? 何でもお望みのものを用意いたしますが」
「………」
アキレウスは無言で首を振った。
商人であれば商売に集中していればいいものを、この行商人は気が回りすぎている。アキレウスは男の正体を疑っていた。男は日焼けした肌に骨太のがっしりした体を持ち、アキレウスよりもすこし身長が高かった。装飾品に夢中になっている女たちへ向き直ってうかべる微笑には威厳があった。
「では女官がた、アキレウス様に会われていたらお聞きしたい。
かの英雄の望みはなにかご存知でしょうか?」
男がそう言ったとき、突然に試合場の方向がざわめいた。アキレウスが視線をやると王の側に大きなライオンが現れていた。体長は4メートルを超え、筋骨隆々の体と鋭い目は繋がれていても威圧的だ。どうやらスパルタ側に負けたことで、リュコメデス王はスキュロスの威厳を保つ方法を考えたらしい。
ライオンは試合場の中央に寝そべり、勝者であるスパルタ側の代表がそのまえに進み出た。ライオンに対して彼らはいささか縮こまって見える。反対の方向から美しい少女があらわれ、月桂樹でできた冠をささげもっていた。
──ミアだ。
光沢のある白い衣をまとい、松明の火をうけて煌めきを放っていた。アキレウスは思わず魅入った。
彼女がライオンの前で勝者の頭に冠をかけようとしたとき、不意にファンファーレが鳴らされた。大音量に耳が震える。
その瞬間、ライオンが驚いて跳ね起きた。猛然と立ち上がり目の前にいたスパルタの代表と少女に向かっていく。
「………!」
アキレウスは息を飲んだ。スパルタの代表がかばい出たが易々とはじき飛ばされる。近衛兵が弓を射った。しかしライオンの毛皮が厚く進みを止められない。
アキレウスは冷静に周りを見回した。
──ファンファーレはだれが鳴らしたのだろう。
ざわつくなかで微動だにしない正妻のアイギナが目に入った。なるほど。
アキレウスは行商人の男に言った。
「さきほど、貴様はなんでも用意できると言ったな」
「はい」
「では剣を寄越せ」
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」
歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。
「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは
泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析
能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り
続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。
婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる