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第五章 魔道研究所襲撃

②予兆

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「マハト殿。よもや魔王軍に寝返るとは……」

 ジジンはちらりとイブナたちに視線を走らせ、つぶやく。
 かつての英雄が魔族二人とともにいる光景は、彼の目には異様と映ったことだろう。

「違う、と言ったところで、ゆっくり話ができる状況じゃなさそうだな」

 表情の読めない顔に、一分の隙もない立ち姿。
 ジジンと行動をともにしていたのはほんの数か月前なのに、もう遠い昔の出来事のように感じられた。

 影が滑るように、音もなくジジンが動いた。
 一瞬にして、その姿が目の前に迫ったような錯覚を抱いた。
 地に肘がつくほどの低い姿勢で短刀を閃かせ、俺の脚に斬りつける。

「ふっ」

 呼気とともに、跳んでかわす。正確に足のけんを狙われていた。
 着地と同時、上から剣を振り下ろす。
 さらに、俺の脇からイブナが細剣を突き出した。
 常人にかわせる間合いではない。

 だが、ジジンは重力を無視するような跳躍を見せ、壁を蹴り、俺とイブナの連撃をすり抜けていた。
 そのまま、俺たちの脇を抜け、奥へと駆ける。

「のけ」

 廊下にひしめいていた兵たちのあいだを巧みにすり抜け、その姿は一瞬のあいだに遠くへと消えていた。

「逃げた……のか?」

 イブナが拍子抜けしたようにつぶやく。

「まずいな……」

 だが、俺はジジンという男をよく知っている。
 正面切っての戦いよりも、偵察や暗殺を得意とする、異能力と呼べるほど、身のこなしが軽い男だ。
 彼のもたらす情報は常に正確。そして迅速だった。
 常人の倍以上の速さで道なき道を駆け、迅雷じんらいのように伝令をやってのける人間だ。
 今ごろ、俺を発見したことを本国に知らせるため、魔導研究所をあとにしているはずだ。

「イブナ、魔核を見つけ次第、脱出するぞ」
「ハイカルという男の首は?」
「できればでいい。こだわりすぎるのは危険だ」
「魔核のことを最優先するというんだな」
「ああ。増援に囲まれたら抜けようがない」

 ジジンが俺たちの力を過小評価する、ということはありえない。
 彼の認識では、俺は人間側の情報を知りつつ、魔王軍に寝返った人間だと思われているはずだ。
 三人相手に大げさな、と呆れるほどの大軍を引っ張ってくる可能性がある。

 幸い、魔導研究所があるのは、エバンヘリオ公国の辺境だ。
 すぐに動ける兵を動員したとしても、ジジンほどの早さではやって来られないはずだ。
 魔核だけはなんとしてでも見つけ出し、すみやかに脱出する。
 シャンナからも異論はなかった。

「イブナ、やるぞ」
「ああ、分かってる」

 地下へと続く階段まで辿り着き、俺とイブナは迫りくる兵たちに向けて、両手をかざした。
 背中にシャンナをかばうような格好になった。

 俺の手からは炎が、イブナの手からは爆風が生まれ、相乗効果で通路を荒れ狂う。
 壁が崩れ、砦が揺れた。通路はもう、人が通れる状態ではなくなった。
 追手を足止めすると同時に、できるだけ大きな混乱を起こす。

「あんまり派手にやりすぎると、わたしたちも生き埋めになりますよ?」

 バラバラと壁や天井から崩れた石が振ってきて、シャンナが呆れたように言う。

「そのときは運がなかったと思うしかないな」

 俺の言葉に、イブナも肩をすくめてうなずいている。
 俺もイブナも、立場は真逆ながら、最前線で戦い、生き延びてきた。
 ギリギリまで自身の命を危機にさらす戦いをしたほうが、かえって生存確率が高くなることを経験から知っている。

「さあ、行こう」

 俺たちは地下の研究所へと階段を降りていった。
 俺を先頭に、あいだにシャンナを挟んで、イブナが最後方という隊列だ。

 そこから先は、地上の砦とは様相が一変する。
 一見すると前後左右が岩肌に覆われ、天然の洞穴を拡張したかのようだ。
 しかし、そこには魔力のランプが備え付けられ、金属質の柱や扉、ガラス製の窓なども見て取れる。
 剥き出しの洞穴と最先端の技術が混沌と混ざり合ったような、ひどく奇妙な場所だった。

「ここが魔導研究所……」
「なんとも薄気味悪い光景だな」

 シャンナ、イブナがそれぞれ固い声でつぶやく
 俺も、かつて目にした魔術師たちの実験の記憶がよみがえり、足を踏み入れるだけで気分が悪くなる。

 戦闘の感覚も、階上の砦とはまったく異なるものとなった。
 すでに襲撃の知らせは受けているのだろう。
 俺たちの行く手を阻む相手は、次々と現れた。

 魔術師がその大半だった。
 諜報や潜入を得意とするような、特殊兵の姿も少なくない数、入り混じっていた。
 顔を布で覆い、屋外で用いるものよりも短い剣を得物としている。
 狭い屋内での戦いでは、一般の兵以上に危険な相手だった。
 不意打ちや、予測もしない飛び道具を用いてこちらの命を狙う。

 影のジジンも、ここで何か特殊な任務を受けていたのかもしれない。
 イブナが横にいるのは、かつての勇者隊の仲間たち以上に頼もしかったが、油断すれば罠にかかるか、致命傷を負いかねなかった。

 迫りくる魔術師や特殊兵を打ち倒しながら、奥へ奥へと進む。
 もう二、三十の相手は二人で斬っただろうか。

「魔核がどこにあるか検討はつくか?」
「……すまん。あまり施設の中のことは詳しくない」

 イブナに問われ、俺は首を横に振った。
 俺たちの息も少しずつ乱れ始めた。
 まだ限界は遠いが、疲労感がつのり始めている。
 一瞬たりとも油断できない状況に、神経がすり減っていく。

「たぶん、こちらです」

 俺の代わりに、シャンナが一方を指さした。

「魔核によるものかは分かりませんが、強い魔力を奥から感じます」

 イブナに視線で問われ、俺はうなずきを返した。

「シャンナの示すほうへ行こう」

 俺が先頭という隊列はそのままに、シャンナの導きを頼りに先へ進む。

「前方の曲がり角、魔術師が五人、攻撃魔法を用意して待ちかまえています」

 魔導研究所という特殊な魔力空間が作用したのか、シャンナが次々と道や敵の居場所を予知しはじめた。
 その声音には、一片の迷いもなかった。

 俺もイブナも、ためらうことなくそれに従った。
 イブナと二人で同時に曲がり角へと踏み出し、短刀を投げうつ。
 銀の刃は、魔術師の放った火球に直撃し、彼ら自身を爆風に巻き込んだ。
 ひるんだ隙に、俺たちは五人の魔術師に一息に詰め寄り、斬り伏せた。

「背後から殺気が近づいています。おそらく、魔術師ではありません」

 その警告を頼りに、俺とイブナは奇襲をかけようとしていた特殊兵を、逆に不意打ちで葬った。
 次々と予知を告げるシャンナの様子は、何かに憑かれているかのようだった。
 敵や進むべき道を感知するたびに、消耗しているようにも感じられた。

 イブナが心配げに妹の顔を見るが、止めようとはしなかった。
 シャンナにこれ以上負担をかけないためには、進むしかないのだ。

「シャンナ、この先は?」
「そのまままっすぐです。強い魔力はこの下から感じます。おそらくまた階段があるはずです」

 シャンナの読みどおりだった。さらに地下へと続く階段があらわれる。

「待ってください!」

 俺が階段を降りようとすると、シャンナが強い口調で呼び止めた。

「また待ち伏せか?」

 振り返ると、シャンナは顔を強張らせ、震えを帯びた声で告げる。

「いえ……。ですが、この先から強力な……そして、禍々しい魔力を感じました」
「禍々しい?」
「はい。わたしたち魔族に似た……けれど、それとは異質な何か……」
「シャンナにも正体は分からないんだな?」
「申し訳ありません。こんな気配は初めてで……」

 言われてみれば、この階段の先から何か嫌な予感がまとわりついてくる気がした。
 シャンナのように魔力を感知したのではないが、戦士としての勘だった。

 戦場にあって、思わぬ強敵に遭遇してしまったときのような、死の予感とでも言うべきものがあった……。
 イブナもそれを感じているのか、険しい顔をしていた。

「正体が分からない以上、進むしかないな」
「ええ。ですが、くれぐれも気をつけて……」

 シャンナの顔は今にも倒れそうなほどに、憔悴していた。
 もし、ヒトであったなら、その顔は蒼白に見えたかもしれない。
 不吉な予感をこらえながら、俺たちは最大限に警戒しつつ、階段をおりた。
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