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第二章

二仙山紫虚観(一)

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「さて、と……あやつがいなくなったところで」
 と羅真人は向き直り、
「連れてきておいてなんだが、おぬしのことを小融しょうゆうに紹介して大丈夫なのじゃろうか?」
「どういうことですか?」

「ふむ。小融の姓はしゅくで、四番目の子供じゃ」
「ええ、わかります。」
「そこでじゃ……祝姓で思い出す三兄弟がおるじゃろ?」
「……祝家荘の!では小融は」
「さよう、祝家荘の四番目の子供なのじゃよ」
(そうか、最初に名前を聞いた時に感じた違和感は、これだったのか!)

 小乙は比較的他の仲間から遅れて「星持ち」の仲間に入った。なので話は先輩から又聞きだが、「星持ち」の仲間と祝家荘の戦いは、それは激しかったそうだ。だが祝家に四人目の子がいたとは初耳であった。

「おぬし、小融の眼をみたじゃろ?」
「はい」
「あの子は、生まれてすぐにあの『浄眼じょうがん』を親兄弟から気味悪がられての。さらに浄眼のせいで、生まれたときから変なものが見えるので泣いてばかりだし、話せるようになったら『が見える妖物ばけものが見える』と、やはり一日中泣いて騒いでどうしようもなかったそうな。それで困った祝家の主人が、あれが三才のときにわしのところに預けにきたのじゃよ」
 
中国において「」とは、霊魂や幽霊の類いを表し、日本の「おに」とは別物である。「」を信じていた当時の人にとって、朝から晩まで子供が「幽霊が見える」と言って泣いていたとしたらは、不吉極まりなく迷惑な話だったろう。

「そうでしたか、あんなに明るく元気に見えるけど、なかなか大変だったんですね」
「うむ、わしのところには女道士もいるから、面倒を見てくれたのじゃが、やはり本当の家族ではないから、寂しかったじゃろうな……さて、そこで、じゃ」
「はい?」
「おぬしは|小融のかたきじゃろうか?」
(そうか! 祝家村を滅ぼしたのは梁山泊りょうざんぱくだ。となると、たしかに俺は小融|《あのこ》の仇と言える)

「だとしたら、なぜわたしを一緒に連れてきたんです?わざわざ小融に嫌な思いをさせる必要もないし、仇と知られてあの飛礫を食らわされたくもないし?」

「いや、もしもおぬしが、うちの一清いっせいめと同じ立場ならば、さほど問題はないのじゃよ。そしてもしおぬしが仇にあたらないのであれば、その腕を見込んでひとつ頼みがある」
「たのみ?」と、小乙が聞いたその時である。

「それでしたら大丈夫ですよ、真人様」と、別の男の声がした。
 振り返ると、やはり白い道服を着、炯々けいけいたる眼光を放ち、夕闇の中で溢れんばかりの「気」を放つ、六尺豊かな堂々とした体躯の男が近づいてくる。
「『入雲龍にゅううんりゅう』の兄貴!お久しぶりです。」小乙が向き直って拱手する。
「その『入雲龍にゅううんりゅう』はやめてくれ。山では『一清道人いっせいどうじん』と呼ばれている。元気そうだな。仲間のことは風のうわさで聞いたぞ、大変だったな、そんな時にいられなくて済まなかった。」

「……はぃ。」小乙は壮烈な仲間の死に様を思い出し、目頭が熱くなった。

 一清は「師父しふ、この男は大丈夫です。祝家荘の戦いの時にはまだこの男は梁山泊にはいませんでした。だから小融の仇にはあたりません。その時たまたま二仙山に戻っていた私でも、実際に戦いには加わっていなかったことを伝えたら、わかってくれましたし……最初石は投げられましたが」と苦笑する。

「おぬし、それは間違いないかな?」

「はい、祝家荘のことは、話で聞いただけです。まだその頃は、北京大名府ほっけいたいめいふの質屋で、盧の旦那の元で働いておりましたから」

「ならばよし、では小融を呼んで話してみようかの、ほっほっほっ」

 三人は羅真人の部屋に入り、椅子に腰掛けたところに、四娘しじょうが茶道具一式を運んできた。「来たかの小融、ちょっとそこへ座りなさい」

「ご用はなんでしょうか師父、あら?一清師兄しけいもいらっしゃるので?」
「うむ、小融よ、わしからあらためて紹介したい。今日お前を助けてくれたこの男なのだがな」

「はい。」四娘は小乙に、殊勝にも袖を合わせ頭を下げて挨拶をする。「入雲龍」公孫勝こと一清道人が続けた。

「落ち着いて聞けよ。実はこの男、昔わしと同じく梁山泊りょうざんぱくの一員だったのだよ」
「えっ!」

 さっと頭を上げ、椅子から立ち上がった四娘、どこに潜めておいたものか、両袖を掲げた時にはすでに両手に飛刀ひとうを握り、こわばった真っ青な顔で、今にも小乙を狙って投げつけそうな勢いである。

「待て待て待て!」と一清が慌てて制止した。投げる寸前で四娘は動きを止めたのを確認して一清が続ける。

梁山泊りょうざんぱくが祝家の仇だということはわかるが、この男は祝家荘の戦いの時には、まだ梁山泊には入っていなかったのだ。だから直接お前の家族の仇ではないのだよ。たまたまその時この二仙山で修行していたわしと同じ立場なのだ。どうか怒りを抑えてくれぬか?」

 聞いて四娘は何度か深呼吸をし、両手を下ろしてから顔色が戻ってきてから「小乙しょういつ……さん、そうなの?」と尋ねる。

「ああ、別に責任逃れするつもりはないが、俺はまだその頃は北京ほっけいの質屋の使用人だった。まさか梁山泊に入るなんて思いもしなかったよ」

「そう……だったらしかたがないわね。それにさっき助けてもらった恩義もあるし……ん、いいよ、忘れることにする」

「そうか、そうしてくれると有難い。さっきみたいに石やら飛刀ひとうやら飛ばされるのも怖いしなぁ」

 冗談をいい、にこりと笑いかけてきた小乙の、とろけるような笑顔を見て、四娘はどきっとした。
(やだ、ばたばたしていてよく見てなかったけど、落ち着いて見たらカッコイイじゃないの……)

 一清道人が「では、正式に紹介し……お前なに赤くなってるんだ?」
「ち、違うわよこれは、ちょ、ちょっと暑いだけだから!違うから!」

「(何が違うんだ?)うほん、羅真人らしんじん様、祝四娘しゅくしじょうよ。なにを隠そうこの男、かつて梁山泊りょうざんぱくに集まりし百八星のうち、三十六の天罡星てんこうせい殿しんがりを務めるにふさわしき強者つわもの。『天巧星てんこうせい』の宿命を持つ男よ。渾名あだなは『浪子ろうし』、名は燕青えんせい。元梁山泊歩兵軍頭領にして、渾名の通り百八星一の色男だ」
 芝居がかった紹介をした後、一清道人こと「入雲龍」公孫勝は、見栄まで切ってみせたものである。それを聞いた四娘、なぜかさらにどきどきする。
(ええっ!綽名《あだな》が『浪子だておとこ』って、そんなんありなの??)

 時を遡ること宋朝第四代皇帝、仁宗の御代みよ嘉祐かゆう三年。
 悪疫が大流行し、天下に不安が広まったことに心を痛めた仁宗は、時の禁軍大尉(大将軍)である洪信こうしんを、霊験あらたかな龍虎山の虚靖きょせい天師に悪疫退散、国家安寧の祈祷を執り行っていただくべく派遣した。
 ところがその洪大尉、酒に酔った勢いで三清宮魔耶殿さんせいぐうまやでん)のさらに奥、「伏魔之殿」に咒封された百八の熒惑星けいこくせい(この世の定法に従わぬ、自由気ままな魔物たち)の封印を解いてしまったのだ。
 その散らばった魔星の宿命を負った百八人の好漢が、八代皇帝徽宗きそうの時代に山東省は済州さいしゅうの梁山湖にあった、水の中の山塞とりで梁山泊りょうざんぱく」に集結し、「替天行道たいてんこうどう」を合い言葉に、非道を行う宋国の朝廷軍や地方の叛徒たちと戦った。その姿を描いたのが、中国四大奇書の一つ「水滸伝」である。

 「浪子ろうし燕青えんせいはまさにその宿星を持つ一人であり、もう一人の「星持ち」と言われた一清道人こと「入雲龍にゅううんりゅう公孫勝こうそんしょうも、序列第四位「天間星てんかんせい」を持つ男である。また前述の「没羽翦ぼつうせん」こと張清も、すでに故人だが「天捷星てんしょうせい」を持つ序列第十六位の男だった。 

「ほっほっほっ、では燕青えんせいどのと呼ばせていただく。仇の件については無問題ということでよろしいな、小融よ。きちんと挨拶しなさい」
「はい、では改めて燕青えんせい兄さん、その節は助けていだだき、ありがとうございました。どうぞお見知りおきを」
 礼を述べて、四娘しじょうが部屋を出たのを見送ってから、公孫勝こと一清道人は居住まいを正した。
 「すまぬが燕青よ、わしが方臘との戦いを前に梁山泊を抜けてからのことを、かいつまんで教えてくれるかな」羅真人も興味深そうに茶を啜りながら耳を傾けている。

 そもそも梁山泊軍は、何度となく鎮圧を図る宋軍と戦い、これを下してきた。だが梁山泊の頭目、第一位の天魁星てんかいせいを持つ「呼保義こほぎ宋江そうこう)は、そもそも朝廷と対立することを善しとせず、自分たち|梁山泊(りょうざんぱく)軍が「賊徒扱い」されていることを苦にしていた。

 そこで皇帝徽宗こうていきそうの寵愛する、国都の東亰開封府とうけいかいほうふきっての名妓めいぎ)「李師々太夫りししだゆう」に取り入り、徽宗に渡りをつけてもらい、朝廷から招安(罪を許され帰順すること)を受けることに成功した。
 その裏工作の場面では、まさにこの燕青えんせいの大活躍があった。(その際、李師々太夫に惚れられ色目を使われるという一幕もあったのだが)

 結果梁山泊軍は、宋国を悩ませる田虎でんこ軍、王慶おうけい軍と戦い、これを滅ぼした。だが次の方臘ほうろう軍との戦いの前に、一清道人こと公孫勝は、老母の介護と修行の続行のため梁山泊軍を抜けたので、その後のことは詳しく知らなかったのである。
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