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第三章
二仙山~文昌千住院(二)
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よし行こうか、と腰を上げたその時、街道のはるか向こうから、砂煙を巻き上げかなりの速度で近づいてくる十数人の人影が見えた。相手が分からない以上、慎重に立ち回らなければなるまい。遼軍か?金軍か?賊軍か?はたまた……燕青は後ろ手で四娘を制し、二人で柳の陰に身を潜めて様子を窺った。
近づいてくるにつれ、どうやら逃げる数名の農民風の集団を、宋国の兵士たちが追いかけているようだ。
部下の捕り手たちは、戦袍の上から甲冑を着込み、それぞれ短槍、あるいは鋭い棘の植わさった刺叉や袖搦みを抱えている。
その後ろから二頭の馬にのった検非違使らしき武将が、一際派手な緑色の蜀錦の戦袍の上に、真っ赤な陣羽織を着込み、それぞれ短弓を携えて悠々と追いかけてくる。
栗毛の馬に乗り、朱房の飾りのついた白銀の兜の武将が、馬上から短弓を引き絞り、ヒョウと放つと、四十がらみの農民風の男の背中に、矢が深々と突き刺さった。男は
「ぐわっ!」
という叫びとともに、道の上に倒れ込み、呻き声を上げながら断末魔の痙攣をしている。
後ろも見ずに逃げ続けるのは、同じく四十がらみの男が二人、その妻らしき女が二人、そして五才くらいの女の子である。だが、必死で逃走を続ける中で、とうとうその女の子がつまづいて前のめりに転んでしまったのだ。
恐怖と痛みで泣き叫ぶ少女に、母親らしき女が慌ててかけより、大急ぎで抱き上げたが、捕り手の男が駆けつけ、母親を刺叉で取り押さえた。棘のついた刺叉で地面に押さえつけられ、粗末な服の上にはやくも血が滲み出している。
地面に放りだされた少女が
「あ、おっかぁ!」
と叫ぶも、すぐに別の捕り手に捕まり、高々と摘みあげられてしまった。
先に逃げた者たちも、やがて他の捕り手に捕まり、泣きながら抱き合って震えている母子の所へ引き立てられてきた。矢で射られた男はすでに絶命したらしく、路上に放置されたままで、ぴくりとも動かない。
後ろ手に縛られた四人の大人と一人の少女は、道上にひざまづかされ、周りを捕り手たちに囲まれてしまった。馬に乗ったままの検非違使らしき武将二人が近づいてきて、にやにや笑いながら睥睨している。頬に大きな刀傷のある男が口を開いた。
「ずいぶん逃げ回ってくれたが観念しやがれ、この塩賊どもが。おとなしくお縄につけ!」
言い終わるや跪いた男の顔を、馬に乗ったまま強かに竹鞭で打ちすえた。
「ぐぅっ……」
打たれた中年男の頬から血が流れ出る。それを見て少女が
「あ、おっとう、やめて!殴らないで!」
とさらに泣き叫んだが、泣き声を聞いて、
「ええい、泣くなうるせぇこのガキぁ!」
捕り手の一人が持っていた刺叉の柄で少女を突き倒し、転んだところをさらに捕り手数人で打擲しはじめた。
「やめてくれ、娘だけは!」
顔から血を流しながら父親らしき男が叫ぶ。すると今度は、他の捕り手たちが刺叉や袖搦みで男を殴り始めた。
それを見た四娘、ギリッと歯を噛み締めた音がしたかと思うと、燕青が止める間もなく、足元の石をいくつか拾い上げ、柳の大木の影から飛び出していったのだ。
(ちぃっ!早まったことを!)
心の中で舌打ちをしながら、燕青も慌てて後を追う。
「ちょっと!あんたたちこんな子供にいい歳した大人が恥ずかしくないの!放してやんなさいよ!」
腰に手を当て仁王立ちになり、捕り手たちを指さしながら、大音声で呼ばわった。捕り手たちは一瞬驚いて動きを止めたが、声の主を見つけると、大声で笑いだした。
「わははは、こんな子供に、だと? ガキに言われてりゃ世話ないぜ」
「何と思ってるか知らないが、塩の密売は重罪だ。その場で殺されたって文句は言えないんだぞ」
捕り手たちの中から、ずい、と馬に乗った二人の武将が前に出てきた。
と同時に、燕青が四娘と武将たちの間に立ちふさがった。武将たちは燕青を見て少し驚いた気色《けしき》を見せたが、すぐに威勢を取り戻し、馬上から燕青と四娘を見下ろした。
頬傷の武将が「俺は青洲の塩賊追討隊副将の潘怜。あちらは巡検の崔季相様だ」と、白銀兜の武将を指さした。
「見たところそっちのチビは道士らしいが、お前はその連れか?」
「まぁそんなところでさぁ。連れが見境いのないことを申しまして相済みません」
「だったらもうちょっと世の中のことを教えてやるのだな。塩の密売はご法度で、ガキだろうがなんだろうが許されるこっちゃねぇ、ってよ」
「なによ、子供に罪はないじゃないの。弱いひとをいたぶるのは許せない!それがお役人のやることなの!」
四娘が眉を釣り上げる。が、頬傷の潘はせせら笑い、
「逆だ逆。子供だろうが大人だろうが、同じくひどい目に遭うってことを見せてやらないと、いつまでたっても闇塩の売り買いが治まらないんだよ。だからガキはむしろ見せしめになるってものよ。そういう世の中のことを、色男のあんちゃん、よーく教えてやんな。ふ、ふふっ」
このセリフで燕青のこめかみに青筋が立った。笑顔を作り、うやうやしく袖を合わせて頭を下げ答えた。
「へぇへぇ、よっく言って聞かせます。お前のいる宋って国は、毎斤五銭の原価の、生きるための必需品である塩を、十倍の値段、ひどい時には百倍の値段で売りつけている、やらずぼったくりの国なんだぞ、と」
「な、なにぃ!」
「そしてそんな馬鹿馬鹿しいことにつきあってられないと、自分たちで知恵を出して何とか生きていこうとしているだけの庶民を、賊呼ばわりしていじめぬくのがお役人のやることだと。この宋国はそんな国で、目の前の役人どもはそんなクソッタレの手下どもだと、しっかりと教えますので。」
「お、おのれ言わせておけば!」
「はて、わたしは何か間違ったことを言いましたか?」
白々しくとぼけてみせる燕青。
「きさま、さてはこいつらの一味だな?おい、こいつらも一緒にとっ捕まえろ!」
潘が馬上から大声で叫んだ。が、それを上回る大音声で、燕青が一喝。
「やかましいこのくされ外道が!」
その勢いにひるんだものか、潘と崔の馬がすくんだように足を止めた。。
「大体なぁ、塩の密売も生きるためだし、あんたら役人も納得ずくかどうか知らねぇが、命じられた仕事のためだろ。お互い立場は違うが生きるためにやってることだ。こちとらそんなところに首を突っ込むつもりなんぞ、これっぽっちもなかったんだ!」
「だったら邪魔しないで失せろ。それともやはり助けに来た仲間なのか!」
それまで沈黙を保っていた巡検の崔季相が、ついに声を荒げた。
「だがなぁ、こっちの連れの言うとおり、縛られて抵抗もできないいたいけな子供を、好き放題殴る蹴るして、それを見せしめだかと言いやがる。そんな非道を見過ごしていたんじゃぁ『侠』がすたるってもんだ。第一寝覚めが悪くっていけねぇや。どっちがいいも悪いもねえ、その子を放してやれ!」
「何を言うかと言えば馬鹿らしい、えらそうなこと言いやがって。おい、お前らこいつらも賊の一味に違いねぇ、捕まえろ!」捕り手たちがぱっと散開した。
「小融、捕り手はまかせる、殺すなよ!」
「わかってるって!」
近づいてくるにつれ、どうやら逃げる数名の農民風の集団を、宋国の兵士たちが追いかけているようだ。
部下の捕り手たちは、戦袍の上から甲冑を着込み、それぞれ短槍、あるいは鋭い棘の植わさった刺叉や袖搦みを抱えている。
その後ろから二頭の馬にのった検非違使らしき武将が、一際派手な緑色の蜀錦の戦袍の上に、真っ赤な陣羽織を着込み、それぞれ短弓を携えて悠々と追いかけてくる。
栗毛の馬に乗り、朱房の飾りのついた白銀の兜の武将が、馬上から短弓を引き絞り、ヒョウと放つと、四十がらみの農民風の男の背中に、矢が深々と突き刺さった。男は
「ぐわっ!」
という叫びとともに、道の上に倒れ込み、呻き声を上げながら断末魔の痙攣をしている。
後ろも見ずに逃げ続けるのは、同じく四十がらみの男が二人、その妻らしき女が二人、そして五才くらいの女の子である。だが、必死で逃走を続ける中で、とうとうその女の子がつまづいて前のめりに転んでしまったのだ。
恐怖と痛みで泣き叫ぶ少女に、母親らしき女が慌ててかけより、大急ぎで抱き上げたが、捕り手の男が駆けつけ、母親を刺叉で取り押さえた。棘のついた刺叉で地面に押さえつけられ、粗末な服の上にはやくも血が滲み出している。
地面に放りだされた少女が
「あ、おっかぁ!」
と叫ぶも、すぐに別の捕り手に捕まり、高々と摘みあげられてしまった。
先に逃げた者たちも、やがて他の捕り手に捕まり、泣きながら抱き合って震えている母子の所へ引き立てられてきた。矢で射られた男はすでに絶命したらしく、路上に放置されたままで、ぴくりとも動かない。
後ろ手に縛られた四人の大人と一人の少女は、道上にひざまづかされ、周りを捕り手たちに囲まれてしまった。馬に乗ったままの検非違使らしき武将二人が近づいてきて、にやにや笑いながら睥睨している。頬に大きな刀傷のある男が口を開いた。
「ずいぶん逃げ回ってくれたが観念しやがれ、この塩賊どもが。おとなしくお縄につけ!」
言い終わるや跪いた男の顔を、馬に乗ったまま強かに竹鞭で打ちすえた。
「ぐぅっ……」
打たれた中年男の頬から血が流れ出る。それを見て少女が
「あ、おっとう、やめて!殴らないで!」
とさらに泣き叫んだが、泣き声を聞いて、
「ええい、泣くなうるせぇこのガキぁ!」
捕り手の一人が持っていた刺叉の柄で少女を突き倒し、転んだところをさらに捕り手数人で打擲しはじめた。
「やめてくれ、娘だけは!」
顔から血を流しながら父親らしき男が叫ぶ。すると今度は、他の捕り手たちが刺叉や袖搦みで男を殴り始めた。
それを見た四娘、ギリッと歯を噛み締めた音がしたかと思うと、燕青が止める間もなく、足元の石をいくつか拾い上げ、柳の大木の影から飛び出していったのだ。
(ちぃっ!早まったことを!)
心の中で舌打ちをしながら、燕青も慌てて後を追う。
「ちょっと!あんたたちこんな子供にいい歳した大人が恥ずかしくないの!放してやんなさいよ!」
腰に手を当て仁王立ちになり、捕り手たちを指さしながら、大音声で呼ばわった。捕り手たちは一瞬驚いて動きを止めたが、声の主を見つけると、大声で笑いだした。
「わははは、こんな子供に、だと? ガキに言われてりゃ世話ないぜ」
「何と思ってるか知らないが、塩の密売は重罪だ。その場で殺されたって文句は言えないんだぞ」
捕り手たちの中から、ずい、と馬に乗った二人の武将が前に出てきた。
と同時に、燕青が四娘と武将たちの間に立ちふさがった。武将たちは燕青を見て少し驚いた気色《けしき》を見せたが、すぐに威勢を取り戻し、馬上から燕青と四娘を見下ろした。
頬傷の武将が「俺は青洲の塩賊追討隊副将の潘怜。あちらは巡検の崔季相様だ」と、白銀兜の武将を指さした。
「見たところそっちのチビは道士らしいが、お前はその連れか?」
「まぁそんなところでさぁ。連れが見境いのないことを申しまして相済みません」
「だったらもうちょっと世の中のことを教えてやるのだな。塩の密売はご法度で、ガキだろうがなんだろうが許されるこっちゃねぇ、ってよ」
「なによ、子供に罪はないじゃないの。弱いひとをいたぶるのは許せない!それがお役人のやることなの!」
四娘が眉を釣り上げる。が、頬傷の潘はせせら笑い、
「逆だ逆。子供だろうが大人だろうが、同じくひどい目に遭うってことを見せてやらないと、いつまでたっても闇塩の売り買いが治まらないんだよ。だからガキはむしろ見せしめになるってものよ。そういう世の中のことを、色男のあんちゃん、よーく教えてやんな。ふ、ふふっ」
このセリフで燕青のこめかみに青筋が立った。笑顔を作り、うやうやしく袖を合わせて頭を下げ答えた。
「へぇへぇ、よっく言って聞かせます。お前のいる宋って国は、毎斤五銭の原価の、生きるための必需品である塩を、十倍の値段、ひどい時には百倍の値段で売りつけている、やらずぼったくりの国なんだぞ、と」
「な、なにぃ!」
「そしてそんな馬鹿馬鹿しいことにつきあってられないと、自分たちで知恵を出して何とか生きていこうとしているだけの庶民を、賊呼ばわりしていじめぬくのがお役人のやることだと。この宋国はそんな国で、目の前の役人どもはそんなクソッタレの手下どもだと、しっかりと教えますので。」
「お、おのれ言わせておけば!」
「はて、わたしは何か間違ったことを言いましたか?」
白々しくとぼけてみせる燕青。
「きさま、さてはこいつらの一味だな?おい、こいつらも一緒にとっ捕まえろ!」
潘が馬上から大声で叫んだ。が、それを上回る大音声で、燕青が一喝。
「やかましいこのくされ外道が!」
その勢いにひるんだものか、潘と崔の馬がすくんだように足を止めた。。
「大体なぁ、塩の密売も生きるためだし、あんたら役人も納得ずくかどうか知らねぇが、命じられた仕事のためだろ。お互い立場は違うが生きるためにやってることだ。こちとらそんなところに首を突っ込むつもりなんぞ、これっぽっちもなかったんだ!」
「だったら邪魔しないで失せろ。それともやはり助けに来た仲間なのか!」
それまで沈黙を保っていた巡検の崔季相が、ついに声を荒げた。
「だがなぁ、こっちの連れの言うとおり、縛られて抵抗もできないいたいけな子供を、好き放題殴る蹴るして、それを見せしめだかと言いやがる。そんな非道を見過ごしていたんじゃぁ『侠』がすたるってもんだ。第一寝覚めが悪くっていけねぇや。どっちがいいも悪いもねえ、その子を放してやれ!」
「何を言うかと言えば馬鹿らしい、えらそうなこと言いやがって。おい、お前らこいつらも賊の一味に違いねぇ、捕まえろ!」捕り手たちがぱっと散開した。
「小融、捕り手はまかせる、殺すなよ!」
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