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第七章
青州観山寺(七)
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観山寺は禅寺で、夕飯は全員揃って食堂で食べるのだが、その際に僧侶たちに常廉から燕青と四娘が紹介され、今回のいきさつについての説明がなされた。
結局、常廉と常栄以外の僧侶は己五尾を見ていないので、「ひとめ見たかった」ような表情を浮かべる僧侶もいたが、とりあえずの決着がついたことで一様にほっとした様子である。
粥、漬物、豆腐に野菜の煮付けで夕食をとり、しばらく常廉と歓談したあと、燕青も四娘も、宿坊の一室で久しぶりに安心してぐっすりと眠った。
(一応燕青は黒糸で扉と指を結わえて寝ることは忘れていなかったが)
早朝、四娘は体が揺れる感覚で目が覚めた。
寝台の下からずしり、ずしりと鈍い振動が伝わってくるのである。初秋なのでまだ夜明けが早いにしても、まだ五時くらいであろうか。何の響きなんだろうと疑問に思い燕青の方を向くと、すでに床から起き出し扉の所に立って外を見ている。
眠い目を擦りながら四娘も外を見て思わず息をのんだ。
黄色い衣を着た僧侶たちが数十名、四角く等間隔に並び拳法の型を演じていたのだ。力強く突き出す拳とともに、石畳に踏み込む「震脚」の揺れが、地面を伝わり四娘を起こしていたのである。
石畳のあちこちが、これまた等間隔で凹んでおり、長年ここで修行してきた僧侶たちの功夫のほどが知れる。
常廉は黄衣の上から緋色の袈裟をつけ、床几に座って弟子たちの練習を見ている。
ひとり、数十人の僧侶に対面し、「奮!」「破っ!」と気合いを入れている大男がいる。歳のころなら三十代前半、身の丈七尺弱ほど。両肌脱いで上半身裸になっている。
鍛え上げられた分厚い筋肉のうえに、ふんわりと皮下脂肪の乗った、いかにも実戦向きの体つきである。おそらく師範格なのであろう。青々と剃り上げた頭、厳つい顔に太い眉毛、口元に髭を生やし迫力満点の演武であった。
やがて休憩時間となり、僧侶達はそれぞれ水を飲んだり汗をぬぐったりしている。夜着から着替えた二人は常廉に近寄り朝の挨拶をした。
和やかに談笑する三人のところに、先ほどの大男が近づいてきた。
「燕青殿、この男は常慶と申す。弟子たちの師範を勤めておる。」
大男は燕青に合掌し
「常慶と申します。このたびは経堂の妖物を払っていただき、まことにありがたく存じます」
燕青より頭二つ以上大きな常慶は、低く渋い声で挨拶してきたが、目はしっかりと燕青の全身を見据えていた。燕青は燕青で、
(値踏みされているな)
と感じてはいるが、敵意は感じられなかったので、気づかぬふりをして笑顔で拱手で応えた。
その様子を見ていた常廉は、何に気づいたものやら
(ふむ……これは頼んでみるとするかな)
「燕青どの、ひとつ頼まれてくれぬか。昨日からお願いばかりで恐縮なのだが」
「なんでしょう?」
「どうじゃろう、そこの常慶と仕合いをしてもらえぬだろうか?」
常廉によれば、常慶は他の弟子を教える立場ではあるが、持ち前の巨体と怪力で別格の強さを誇っている。本気で相手が出来るのは常廉だけで、常廉にしても油断をすれば押し切られてしまうこともあるほどの猛者だ。また、同じ相手とばかりでは技術の向上につなげづらい。
武術の進歩には「守破離」の三段階があるとされる。
まず師匠の教えを「守」り、教えられた中身を自分なりに工夫して「破」り、やがては教えを「離」れて一派を成す、という流れである。常慶は「破」の段階に至れず伸び悩んでいるのだという。
自分が相手をして、どれほど役に立つかはわからないが、常廉にしても常慶にしても、まったく邪気のない好人物のように感じる。それに飲馬川の山塞で、周侗老人と対打をおこなったり、技を教わってから、切ったはったの命のやりとりとは別の、純粋な武の修練を段々面白く感じてきつつあった。
「わかりました。一手ご教授ねがいます」
それを聞いた常慶、仁王のようなごつい顔でにこりと笑った。
「ありがたい、こちらこそよろしく」
と、そのときである。
「師範、少々お待ちください!」
向かい合おうとした常慶に後ろから声がかかった。
「師範がお相手するほどの力の持ち主か、まずは私と戦らせていただきたく存じます」
拱手して深々と頭をさげた僧侶がいた。常慶は体に溜めつつつつあった「気」をふぃっとゆるめ、
「常成か、燕青どのに失礼であろう、控えよ」
とたしなめた。
燕青は苦笑いしながら
(そういえば俺も、盧俊義様にあちこち連れられていっては、いろんな人に鍛えてもらったなあ。この山の坊さんたちみんな、新しい相手に飢えているんだろう)
「私は構いません。むしろ経験になってありがたく存じます。修行になるかどうか分かりませんが、お相手仕ります。」
それを聞いた常廉も常慶も、安堵の表情を浮かべ、
「大変失礼した。良い経験になって当方もありがたい。よろしくお願いいたす」
常成と燕青は向かい合い、両手を合わせ互いに頭を下げてからすっと構えた。
「破っ!」
気合いと共に常成が目まぐるしく突きを繰り出してきた。顔面、胸、顔面、顔面、みぞおち、顔面、脇腹・・・・・・巧みに上下に打ち分けてきて、狙いも正確である。
燕青はそれらを手刀、掌底、前腕部などで払いのけつつ、時折掌打で反撃した。本気で倒すための打ち込みではないが、常成はそれらをすべて受け止め、次の瞬間には急所めがけた反撃を打ってくる。なかなか油断できる相手ではない。
(脚を使うか)
常成が顔面を突いてきた右の拳を払いのけると同時に相手の右側へ回り込み、空いた右側頭部へ左足裏を使った「反蹬腿」の蹴りを放った。常成は慌てて頭を下げて蹴りを避けたが、頭を通り過ぎた左足は一旦空中で止まり、そのまま「擺脚」の蹴りに変化させ、今度は常成の左側頭部を襲った。
慌てて常成は左手を挙げてこの蹴りを防ごうとしたがこれも誘い。左手に当たりそうになった瞬間に蹴りが真下に変化し、それとともに残った右足が外側へ跳び、完全に常成の左側へと体勢が入れ替わり、がら空きになった左脇腹へ燕青の右の拳が突き込まれ、当たる寸前でぴたりと止まった。
「それまで!」
常慶の鋭い声が響いた。常成は自分の左脇腹に当てがわれた燕青の拳を見てあわてて跳び退き、
「参りました」
と手を合わせ頭を下げた。
見ていた僧侶たちは「おおっ!」と声を挙げたが、なにせ血気盛んな若者たちである。
「次は某と!」「いやいや愚僧こそ!」「ぜひお手合わせ願いたい!」
我も我もと弟子達が手を挙げてきて、燕青はすっかりむくつけき筋肉隆々な坊主頭の集団に囲まれてしまった。
それを見て四娘は呆れて大欠伸をし、小声で独り言ちた。
「なんだって男って、ああいうのが好きなんだろう」
「全くそのとおりでおじゃるな」
「うわっ!」
驚いて跳び上がった。見るといつの間にか横に子狐が座っているではないか。昨晩は何処へ行ってたものやら、妙に毛艶が良くなり、気のせいか一回り大きくなっているように見える。
「びっくりした、あんた一体どこ行ってたのよ!」
「この下の村で、若い男三人ほどから精気をもらってきたでおじゃる。きっと今頃良い夢を見ていることじゃろうて」
「まさか殺してないんでしょうね!」
「なぁに、ちょいと夢の中に入り込んで、淫夢を見せてやっただけじゃよ。男どもは果てる時に精を放つが、同時に体全体から精気があふれ出るのじゃ、それをいただくことで妾にも気が満ちる、それだけの話よ。直接精をもらうわけではないのでおじゃる」
「へぇ、そうなんだ」
「そうじゃよ、だから男は精を放ったあと妙に疲れた感じになるじゃろ?」
「し、知らないわよそんなこと。なんにしても嫌らしいわね、不潔よ!」
「ほぉ、ではおぬし、燕青どのと睦まじく交合するのも不潔だからできぬ、と申すか?」
「い、いやそれとこれとは別よ、あんたは相手が誰でもいいんでしょ!」
「妾は夢の中に出ただけ。直接男どもとは触れあってもおらんぞ?何が不潔じゃ?」
「と、とにかく何だか嫌らしいのよ!」
結局、常廉と常栄以外の僧侶は己五尾を見ていないので、「ひとめ見たかった」ような表情を浮かべる僧侶もいたが、とりあえずの決着がついたことで一様にほっとした様子である。
粥、漬物、豆腐に野菜の煮付けで夕食をとり、しばらく常廉と歓談したあと、燕青も四娘も、宿坊の一室で久しぶりに安心してぐっすりと眠った。
(一応燕青は黒糸で扉と指を結わえて寝ることは忘れていなかったが)
早朝、四娘は体が揺れる感覚で目が覚めた。
寝台の下からずしり、ずしりと鈍い振動が伝わってくるのである。初秋なのでまだ夜明けが早いにしても、まだ五時くらいであろうか。何の響きなんだろうと疑問に思い燕青の方を向くと、すでに床から起き出し扉の所に立って外を見ている。
眠い目を擦りながら四娘も外を見て思わず息をのんだ。
黄色い衣を着た僧侶たちが数十名、四角く等間隔に並び拳法の型を演じていたのだ。力強く突き出す拳とともに、石畳に踏み込む「震脚」の揺れが、地面を伝わり四娘を起こしていたのである。
石畳のあちこちが、これまた等間隔で凹んでおり、長年ここで修行してきた僧侶たちの功夫のほどが知れる。
常廉は黄衣の上から緋色の袈裟をつけ、床几に座って弟子たちの練習を見ている。
ひとり、数十人の僧侶に対面し、「奮!」「破っ!」と気合いを入れている大男がいる。歳のころなら三十代前半、身の丈七尺弱ほど。両肌脱いで上半身裸になっている。
鍛え上げられた分厚い筋肉のうえに、ふんわりと皮下脂肪の乗った、いかにも実戦向きの体つきである。おそらく師範格なのであろう。青々と剃り上げた頭、厳つい顔に太い眉毛、口元に髭を生やし迫力満点の演武であった。
やがて休憩時間となり、僧侶達はそれぞれ水を飲んだり汗をぬぐったりしている。夜着から着替えた二人は常廉に近寄り朝の挨拶をした。
和やかに談笑する三人のところに、先ほどの大男が近づいてきた。
「燕青殿、この男は常慶と申す。弟子たちの師範を勤めておる。」
大男は燕青に合掌し
「常慶と申します。このたびは経堂の妖物を払っていただき、まことにありがたく存じます」
燕青より頭二つ以上大きな常慶は、低く渋い声で挨拶してきたが、目はしっかりと燕青の全身を見据えていた。燕青は燕青で、
(値踏みされているな)
と感じてはいるが、敵意は感じられなかったので、気づかぬふりをして笑顔で拱手で応えた。
その様子を見ていた常廉は、何に気づいたものやら
(ふむ……これは頼んでみるとするかな)
「燕青どの、ひとつ頼まれてくれぬか。昨日からお願いばかりで恐縮なのだが」
「なんでしょう?」
「どうじゃろう、そこの常慶と仕合いをしてもらえぬだろうか?」
常廉によれば、常慶は他の弟子を教える立場ではあるが、持ち前の巨体と怪力で別格の強さを誇っている。本気で相手が出来るのは常廉だけで、常廉にしても油断をすれば押し切られてしまうこともあるほどの猛者だ。また、同じ相手とばかりでは技術の向上につなげづらい。
武術の進歩には「守破離」の三段階があるとされる。
まず師匠の教えを「守」り、教えられた中身を自分なりに工夫して「破」り、やがては教えを「離」れて一派を成す、という流れである。常慶は「破」の段階に至れず伸び悩んでいるのだという。
自分が相手をして、どれほど役に立つかはわからないが、常廉にしても常慶にしても、まったく邪気のない好人物のように感じる。それに飲馬川の山塞で、周侗老人と対打をおこなったり、技を教わってから、切ったはったの命のやりとりとは別の、純粋な武の修練を段々面白く感じてきつつあった。
「わかりました。一手ご教授ねがいます」
それを聞いた常慶、仁王のようなごつい顔でにこりと笑った。
「ありがたい、こちらこそよろしく」
と、そのときである。
「師範、少々お待ちください!」
向かい合おうとした常慶に後ろから声がかかった。
「師範がお相手するほどの力の持ち主か、まずは私と戦らせていただきたく存じます」
拱手して深々と頭をさげた僧侶がいた。常慶は体に溜めつつつつあった「気」をふぃっとゆるめ、
「常成か、燕青どのに失礼であろう、控えよ」
とたしなめた。
燕青は苦笑いしながら
(そういえば俺も、盧俊義様にあちこち連れられていっては、いろんな人に鍛えてもらったなあ。この山の坊さんたちみんな、新しい相手に飢えているんだろう)
「私は構いません。むしろ経験になってありがたく存じます。修行になるかどうか分かりませんが、お相手仕ります。」
それを聞いた常廉も常慶も、安堵の表情を浮かべ、
「大変失礼した。良い経験になって当方もありがたい。よろしくお願いいたす」
常成と燕青は向かい合い、両手を合わせ互いに頭を下げてからすっと構えた。
「破っ!」
気合いと共に常成が目まぐるしく突きを繰り出してきた。顔面、胸、顔面、顔面、みぞおち、顔面、脇腹・・・・・・巧みに上下に打ち分けてきて、狙いも正確である。
燕青はそれらを手刀、掌底、前腕部などで払いのけつつ、時折掌打で反撃した。本気で倒すための打ち込みではないが、常成はそれらをすべて受け止め、次の瞬間には急所めがけた反撃を打ってくる。なかなか油断できる相手ではない。
(脚を使うか)
常成が顔面を突いてきた右の拳を払いのけると同時に相手の右側へ回り込み、空いた右側頭部へ左足裏を使った「反蹬腿」の蹴りを放った。常成は慌てて頭を下げて蹴りを避けたが、頭を通り過ぎた左足は一旦空中で止まり、そのまま「擺脚」の蹴りに変化させ、今度は常成の左側頭部を襲った。
慌てて常成は左手を挙げてこの蹴りを防ごうとしたがこれも誘い。左手に当たりそうになった瞬間に蹴りが真下に変化し、それとともに残った右足が外側へ跳び、完全に常成の左側へと体勢が入れ替わり、がら空きになった左脇腹へ燕青の右の拳が突き込まれ、当たる寸前でぴたりと止まった。
「それまで!」
常慶の鋭い声が響いた。常成は自分の左脇腹に当てがわれた燕青の拳を見てあわてて跳び退き、
「参りました」
と手を合わせ頭を下げた。
見ていた僧侶たちは「おおっ!」と声を挙げたが、なにせ血気盛んな若者たちである。
「次は某と!」「いやいや愚僧こそ!」「ぜひお手合わせ願いたい!」
我も我もと弟子達が手を挙げてきて、燕青はすっかりむくつけき筋肉隆々な坊主頭の集団に囲まれてしまった。
それを見て四娘は呆れて大欠伸をし、小声で独り言ちた。
「なんだって男って、ああいうのが好きなんだろう」
「全くそのとおりでおじゃるな」
「うわっ!」
驚いて跳び上がった。見るといつの間にか横に子狐が座っているではないか。昨晩は何処へ行ってたものやら、妙に毛艶が良くなり、気のせいか一回り大きくなっているように見える。
「びっくりした、あんた一体どこ行ってたのよ!」
「この下の村で、若い男三人ほどから精気をもらってきたでおじゃる。きっと今頃良い夢を見ていることじゃろうて」
「まさか殺してないんでしょうね!」
「なぁに、ちょいと夢の中に入り込んで、淫夢を見せてやっただけじゃよ。男どもは果てる時に精を放つが、同時に体全体から精気があふれ出るのじゃ、それをいただくことで妾にも気が満ちる、それだけの話よ。直接精をもらうわけではないのでおじゃる」
「へぇ、そうなんだ」
「そうじゃよ、だから男は精を放ったあと妙に疲れた感じになるじゃろ?」
「し、知らないわよそんなこと。なんにしても嫌らしいわね、不潔よ!」
「ほぉ、ではおぬし、燕青どのと睦まじく交合するのも不潔だからできぬ、と申すか?」
「い、いやそれとこれとは別よ、あんたは相手が誰でもいいんでしょ!」
「妾は夢の中に出ただけ。直接男どもとは触れあってもおらんぞ?何が不潔じゃ?」
「と、とにかく何だか嫌らしいのよ!」
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