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第二部 第一章

二仙山~篭山炭鉱(三)

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  景州は簡元かんげんの町を目指す一行。白兎馬はくとばの上には祝四娘しゅくしじょう、手綱を握る燕青えんせい、その横を秦玉林が歩いている。
 燕青は旅商人風の、玉林と四娘はいずれも庶民の子供風の目立たない服装である。

「玉林、そろそろ馬に乗ってみない? 全然怖くないってば」
 四娘が白兎馬の上から声をかけた。自分はもうすっかり乗馬に慣れたものだから、上から目線で先輩風を吹かせているのだ。

 二仙山のふもとから歩き出し二刻(4時間)ほど。四娘に替わった玉林が尻の痛みを訴えだし、川縁で休憩を取った。

 景州の炭鉱町「簡元かんげん」までは約百六十里(80㎞)とさほど遠くはなく、馬だけなら1日で着く距離であるが、今回は玉林の足慣らしも兼ねているので、ゆっくりと2日かけていく予定なのである。 

 その脇の草むらを、己五尾が子狐姿で付かず離れず併走している。
 さらには、遙か上空では、たまに輪を描きながら海東青の「らん」が悠々と飛んでいる。

 どうやら鸞は、何度かの闘争ののちめざわりなあの子狐に飛びかかると、その都度怪しげな女に変身するから面倒だと知ったとみえ、相手にしないことに決めたようである。
 頭痛のタネが、ひとつだけ減り、燕青は少しだけ肩の荷が下りた。
 のどかな秋の日差しの中、歩きながらの燕青と玉林の話は続く。

「それが真人様のおっしゃっていた『四凶しきょう』ってやつか? 」
「そう、2年前だったかな、西安せいあん(元の長安)に窮奇きゅうきって魔物が出てね。こいつ元々は五岳ごがくのうちの北岳恒山ほくがくこうざんに封印されていたんだけど、そこが遼国に攻め込まれて、封じてた廟が壊されてさ。それで出てきたってわけ」

 四娘も話にのってきた。
「西安の城内で暴れ回って、千人以上も殺されたらしいんだ。で、朝廷から龍虎山りゅうこざん張天師ちょうてんしさまと、うちの師父しふに再封印の依頼が来てね。ふたりで協力してなんとか封じ込めたらしいよ」

張天師ちょうてんし? 」
「うん、私ら道士の総元締め、ってとこかな。張継先ちょうけいせんさまって言って、まだ三十代だって。若いよね、師父の三分の一だよ」
「内緒だけど、師父は『洟垂はなたれ小僧』って呼んでる」
 少女道士は顔を見合わせて、くすっと笑った。

「あと、西岳華山せいがくかざんには『檮杌とうごつ』、南岳衡山なんがくこうざんには『饕餮とうてつ』、中岳嵩山ちゅうがくすうざんには『渾敦こんとん』って魔物が封じられていて、『窮奇きゅうき』と合わせて『四凶しきょう』っていうんだ」

「ん? 五岳って言ったけど、東岳泰山とうがくたいざんは? 」
「ああ……あそこは一番聖地としての力が強いんで、四凶以上にやばい魔物が封印されてるんだよ」

「なんだいそりゃ? 」
「知ってるかな、蚩尤しゆうっていうとんでもない魔物ばけものなんだけど」

 それを聞いて燕青は息をのんだ。四凶は初耳だが、蚩尤はさすがに聞いたことがある。

 獣の体に銅の頭、鉄の額を持つとも、4つの目6本の腕を持ち、人の体に牛の頭を持つとも言われ、黄帝と琢鹿たくろくの地で戦ったので有名な、伝説上の怪物である。

「本当にいたのか、おとぎ話じゃなくて」 
「あたいらも見たわけじゃないけどさ。毎年泰山で奉納相撲ほうのうずもうの興行やってるのも、蚩尤しゆうを鎮めるためらしいよ」

(泰山の相撲か……そういや昔そこで、任原じんげんって気にくわねえ横綱をやっつけたことがあったが、そんないわれがあったとはな)

「四凶を封じるには、五雷天罡正法ごらいてんこうせいほうが必要らしいんだ。けど張天師さまだけでは足りなかったらしく、師父に救援要請がきたんだよ」

「ひとりで五雷正法を使えるのは、師父と張天師さまと、一清師兄いっせいしけいくらいかな。あとは居てもせいぜい二、三人だろうね」

「普通の道士なら10人とか15人がかりでなんとか、ってとこだね」

 そんな化け物を相手にしなければならないとは、道士という仕事も本当に命がけだと、改めて屈託なく笑うふたりの少女をしげしげと見つめる燕青である。

 百里ほど来たところの、「柴河さいか」という町についた時には、もう夕暮れ時であった。宿は2軒あり、片方はすでに満員だったので、もう1軒の宿にひと部屋かりることになったた。

 兄妹という触れ込みなので、特に怪しまれることもなく(身長で玉林の妹扱いされた四娘はふくれていたが)3人でひと部屋を借り、宿の調理場で米を炊き、野菜を炒めて夕食を平らげた。

 その後、ひとつだけの寝台で四娘と玉林が、長椅子で燕青が寝よう、というあたりまで話がすすんだころ、急に宿屋の前が騒がしくなった。

 四娘が窓から外を見下ろすと同時に、部屋の戸がいきなり引き開けられ、3人の兵士がずかずか入り込んできた。

 いずれも戦袍せんぽうの上から揃いの甲冑を着込み、腰に長剣をいた姿である。|顎髭(あごひげ)を長くたくわえた兵士が、尊大えらそうな様子で燕青を指さし話しかけてきた。

「おい、お前はこいつらの保護者か? 」
「へぇ、そうですが何か御用で? 」

 ふん、と鼻でせせら笑った別の兵士が答えた。
「我々はお上の御用でけだものの討伐に向かうところである。ところがこの町についてみると宿の部屋が足りぬ。この部屋は我らが徴用するから、お前らは即刻明け渡せ」

「ちょっと、なんであたいらが出なきゃなんないのよ、もうお金も払ったんだからね! 」
 玉林が食ってかかるが、3人目の兵士がすらり、と剣を抜いた。
「お上の御用である。文句は言わさぬ。金なら帳場で返してもらえ、さっさと出ろ! 」

 剣先で威嚇してくるのだ。四娘と玉林は燕青の顔を見るが、燕青は首を振り、
「お役目とあらばしかたありません。二人とも荷物をまとめろ」

 2人は不満たらたらの顔で準備をし、燕青ととともに部屋を出、戸を閉めてから思いっきり中の兵士に向けて舌を出した。

「きぃー! くやしい。青兄ぃ、あんなやつらやっつけちゃってよ」
「いや、そうもいかん。見てみろ他の部屋を」
 どうやら兵士は3人だけでないようで、他の部屋からも次々に客が追い出されているのだ。

「あすは簡元に着くのに面倒は起こしたくない。とりあえず今日の寝床を帳場に相談してみよう」 

 帳場の男は平謝りで金を返し、結局馬小屋の隅を借りることになった。他の客もぶうぶう不平不満を漏らしつつも、納屋やら物置やらに押し込まれたようだ。

 馬小屋の乾いた藁をかき集め、その上に持参の厚めの油紙と薄手の毛布を敷き、四娘と玉林が寝転んだ。ふわふわとして意外に寝心地が良いらしい。すぐそばに白兎馬もつながれているので少々心強くもある。そこにひょこひょこと己五尾きごびが子狐姿で入ってきた。

 普段何かと喧嘩ばかりしている四娘が、己五尾と玉林を手招きし、頭を集めて何やらひそひそ密談を始めた。 

「なるほどのぉ。それは腹立たしい限り。よろしい、わらわにまかせるでおじゃる」
 何をたくらんだものやら、己五尾がにやりと笑い馬小屋の外に消えていった。残った四娘と玉林は顔を見合わせて怪しげな笑いを浮かべている。

「おい、己五尾あいつに何を吹き込んだんだ? 」
「大丈夫だよ。命に関わるようなことにはならないから、ねー? 」
「そうそう、あー、あたい明日の朝が楽しみだわー」
 くすくす笑う2人の少女は、いったい何をたくらんだやら……
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