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妖鬼対策研究会編

失策の穴埋めをするためにはどうすれば良いのか

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結論を付ければこの東京での妖鬼の総大将の探索は失敗に終わったと言っても良いだろう。
この無意味な探索の中での数少ない収穫はと言えば吉森組という周囲の人間にも害を与えていたヤクザ組織を潰し得た事と、自分たちが戦う妖鬼の総大将の過去が分かった事くらいだろうか。
が、それも結果論に過ぎない。結局は任務は失敗に終わったのだ。
三人は下町の路地で長谷川零と別れると、心細ささえ覚える街灯の細い光のみが照らす夜の東京の街を歩いていく。
討滅寮へと戻り、早速現在の征魔大将軍と謁見した斑目綺蝶は任務の不手際を責められ、将軍の持っていた扇子を眉間に投げ付けられた。
唾を交えて罵声を浴びせる老婆に何も言う事なく綺蝶はただ頭を下げて謝罪の言葉を呟き続けていく。
そして、任務の事を纏めた報告書を将軍に差し出したのだが、老婆は読みもしないうちに報告書を破り捨てその紙を白い荼毘に覆われた足で踏む。
その姿に容赦という言葉は片鱗すら見えない。斑目綺蝶はそれ相応の罰を受けた後に三人を連れて三階の広間から退出し、その場を後にした。
そして、討滅寮の庭に繰り出して庭の擬似的な森から放たれる新鮮な木々の香りを楽しみながら、三人で会話を楽しむ。
夜の木々の間で話すのは映画の話題。綺蝶はかつて観た映画の情景を事細かに話すため、それらの作品を観た事がない三人でも容易に頭の中で登場人物を想像して楽しむ事が出来た。
彼女は基本的に一度しか映画を観ないというが、それでも例外はあるらしい。それらの映画を語る時は満面の笑みを浮かべて、
「懐かしいですね。あの映画は三度も観ましたよ。すっごく面白かったです。明治の時代に起きた日露大戦争の事が今を生きる私たちにも分かりやすく伝わりました」
「日露大戦争って明治に日本とロシアが戦ったっていう教科書に載ってるあの戦争の事だろ?その時に生きていたわけでもないのに、何でそんな大昔の事が映画に出来るんだ?」
「映画というのは今の時代だけのものではないんです。史料を辿って良い脚本を仕上げて人々をその時代へと誘う。私はそれが映画だと思うんです」
綺蝶は星空の下、無数の木々や隣にいる三人の仲間と共に目を輝かせながら映画の事を語っていく。
余程、映画が好きなのだろう。今度はもう何度も見たという大物映画監督の代表作の事を語っていた時だ。
「あ、その映画なら私も観たよ。特に、あの農民上がりの侍が良い人物だったよ。そりゃあ、私は代々お侍の家系だけど、当時は農民とお侍の差は激しかったんだろ?だから、私は主人公があんな事をしても問題はないと思うよ」
妙齢の女性。副将軍の椿だ。綺蝶は地面の上で自身の紺色のスカートが汚れるのも構わずに跪くが、椿は快活な笑顔で頭を上げる様に指示を出して、綺蝶に一枚の紙を押し付ける。
「あの、これは?」
目を白黒とさせる綺蝶に向かって椿は丁寧な声で言った。
「正妖大学史学部聴講生募集の記事だよ。正妖大学にはうちの討滅寮と連帯して妖鬼と戦う部活があってね。その護衛をあんたら三人に頼みたいんだよ」
「……そのために聴講生として潜り込めという事ですね?」
綺蝶の問い掛けに椿は黙って首を縦に振る。それから、募集記事の裏側を見せ、懐から万年筆を取り出す。
「さぁ、分かったんなら、署名しておくれよ。東京での任務失敗の埋め合わせはこいつでしてもらうからね。上様もそう仰っておられるんだから」
綺蝶はそう言われると反論ができないのか、黙って自分の名前を記事の裏側に記していく。
椿は綺蝶の名前の書かれた記事を懐にしまうと、今度は先程と同じ記事を二枚取り出して、風太郎と日向の二人にも押し付ける。
「ほら、あんたら二人にも綺蝶と同じ任務が出てるんだ。さっさと署名をする」
二人は黙って名前を書き記したが、二人とも文字は不恰好そのもので、ミミズが踊っている様にしか見えない。
椿も綺蝶もあまりの字の汚さに思わず笑ってしまう。風太郎は小学校で、日向は祖父に文字を習っていた時に、もう少し文字を綺麗に書いておけば良かったと後悔し、頬を赤く染めていく。
椿は満足した表情で署名の入った募集記事を受け取り、懐にしまうと三人に向かって告げた。
「正妖大学の史学部の聴講生募集は今から、一週間後だからね。それまでは精々好きな時間に使いな」
椿はそう言うと手を振って寮の中へと戻っていく。
すると、それを見た綺蝶はいつもの可愛らしい笑顔を浮かべて軽く手をポンと叩いて、
「良かったら、三人で歴史の勉強をしませんか?幸い、ここから街の図書館からは近いですし、私も大学に入るまでに日本史や世界史の事を復習したいんです」
綺蝶の提案に二人は暫くの間、顔を見合わせていたが、直ぐに二人揃って親指を立てて見せる。
綺蝶はそれを見て笑いを溢してしまう。三人で大きな声で笑い終わって心から嫌な気持ちを捨て去った後には夜も明けかかっていた。
綺蝶は討滅寮に戻り、寮の自分の部屋で夜を明かそうかと提案して部屋へと向かう。
部屋に戻った後は夜明けまでの僅かな時間を寝て過ごそうかと考えたのだ。
三人は僅かな時間を寝て、休息に勤めていたのだが、休息を取るための行動は予想だにしないノックの音で遮られてしまう。
眠い目を擦りながら、風太郎が扉を開けると、そこには見知らぬ美少年が刀を持って立っていた。
背中にまで伸びた長くて黒い髪の美少年は風太郎に会うなり、丁寧に頭を下げて自己紹介を始めた。
「初めまして、オレの名前は月島順。斑目さんと同じ上位の対魔師。オレ、今日は斑目さんに用があって訪れたんだけど……」
「あっ、綺蝶ならまだ寝てるよ。起こそうか?」
「いい、ここで待ってる」
そう言って扉の前に座って待つ少年は飼い主に捨てられて通りがかる人を待つ子犬の様に可愛らしい。
思わず頭を撫でてしまいたくなる程だ。
このまま少年を冷たい廊下の上で待たせるのも哀れなので、やはり、家に入ってもらおうかと風太郎が思案し始めた時だ。
綺蝶が欠伸を出して起き上がっていく。以後は情けない欠伸を出すこともなく玄関の方へと移動し、月島順を招き入れていく。
順は丁寧に綺蝶に向かって頭を下げると、いつもの柔和な笑みを浮かべる彼女の目を見て言った。
「今日、ここに来たのは訳があるんだ。一週間後の正妖大学の任務にはぼくも行くから」
順がそう告げると綺蝶の部屋に集まった面々が間抜けな声で驚嘆の声を上げる。
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