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第4部 皇帝の帰還

嵐の予兆ーその③

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眩いばかりの光を放つネックレスを付けていて、真っ黒なローブを着ている、顔全体が白色の毛に覆われた男の名前はサンドーラ・ニーチュ。
帝国正教会の大司教を務める人物で、ヴィト・プロテッツオーネをこの式典に招いた張本人。
彼は和かな笑いを浮かべながら、自分の前に跪くヴィトに狼のマークの描かれた勲章を渡す。
「ヴィト・プロテッツオーネ。あなたはこの2年間の間、悪魔の教えの根絶に協力し、かつての皇帝エドワード・デューダレア二世がないがしろにした、我々帝国正教会の復興に勤めてくれました。その功績として、あなたにこの勲章を授与したいと思います」
ヴィトはお礼の証と言わんばかりに、サンドーラの右手を取り、その手の甲に口付けを交わす。
「友よ、感謝致します。あなたとあなたの愛する人の王国に幸福が訪れる事を……アーメン」
ヴィトはサンドーラの元から、自分の席へと戻るべく、歩いていく。
戻る途中の道はこちらの世界の教会のようで、簡素な木製の長椅子が教壇の前に並んでいる。
また、この儀礼を行う場所こそ、簡素ではあるものの、建物はバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂のように荘厳な雰囲気を放つ。
ヴィトはこの大聖堂にかけた金額はいくらくらいなのだろうと、今夜の夕飯は何にするのかという考えと同じくらいどうでもいい事を考えて、一番端。
つまり、木製のドアの前に立っている事に気がつく。
ヴィトが自分の手で開けようとすると、警備に立っていたであろう中村孝太郎が特に慌てた様子もなく、ドアのノブを引く。
ヴィトは勲章をベストの胸に飾りながら、堂々とした態度で通り抜ける。
ヴィトはパリでナポレオンが凱旋門をくぐった時の気持ちを理解したような気がした。
ヴィトはとりあえず、別室にて待たせている恋人に会いに行く事にする。
この件には彼女は呼ばれていない。だからこそ、会ってアフターケアをしなければならない。
普段はフランソワ王国の公爵にして、カヴァリエーレ・ファミリーのボス。カリーナ・"ルーシー"・カヴァリエーレにからかわれた時にすら、怒る彼女なのだ。
今頃、聡子を相手に何やら面倒くさい事を起こしているに違いない。
ヴィトは自分の背後で、守りに付いている孝太郎にそう言うと、
「さあ、それは聡子の話術次第ですね。我々がかつて関わった事件の話ならば、あなたの女王陛下も興味を持つでしょうが、他の話題なら、飽きてしまうかもしれませんよ」
孝太郎は何故か敬語で喋っている事に気がつく。
先程まで、あまり口に注意して話す事はなかったのに。
何故なのだろう。詳しい理由は孝太郎には今のところ不明であったが、あの時。
ヴィト・プロテッツオーネが大司教の男から勲章を授与された光景を見てからは、彼に何故か逆らってはいけないと言う思いが孝太郎の中に芽生えつつある。
ヴィトは昌原道明とは違う。彼は幻覚剤を製造する魔法で信者を騙して、自分の捨て石に使うような人間では断じてない。
だが、今の孝太郎には彼に従う信者の気持ちが理解できたような気がする。
ヴィト・プロテッツオーネは王。いや、皇帝である。少なくとも孝太郎にはそう見えた。
上手く例えらるのかは分からないが、彼はアレクサンダー大王やナポレオン・ボナパルトのような一種の権威。
つまり、この人になら自分の命を捧げてもいいという覚悟。そして、絶対的な忠誠心を感じさせられてしまう。
加えて、孝太郎が街で見た住人の態度。
彼らは刈谷阿里耶や本多太郎に同じような反応をして見せただろうか?
いや、絶対にない。彼は生まれるべくして生まれた英雄。
今の孝太郎はヴィト・プロテッツオーネの臣下となってしまったと言ってもいいだろう。
だが、心の片隅に元の時代に帰りたいという思いが忠誠心と共に同居している事も否めない。
自分は刑事なのだ。ヴィトやカヴァリエーレ・ファミリーに忠誠を誓いたいと思う自分がいる反面、マフィアに忠誠を誓ってどうすると責める自分がいる。
いや、これは刑事としての警察官としての良心とも言うべき心なのだろうか。
ヴィトはそんな孝太郎の苦悩に気がつく事もなく、急に喋り方を変えた事にツッコミも入れずに、ひたすらマリアの事を孝太郎に語っていた。
(あの人は余程、マリアの事が好きらしい……)
孝太郎がそんな事を考えていた時だ。二人の目の前に一人の若い男とその護衛と思われる複数の鋼色の鎧に身を包んだ男が迫ってくる。
「何の用でしょうか?」
孝太郎が眉をひそめると、
「いえいえ、プロテッツオーネ殿にお話がありましてね、この先の皇帝陛下の事について、お聞きしたいのですよ。お手間は取らせませんよ、何ならお昼を食べながらでも結構ですよ」
若い男が争い事とは無縁ですと言わんばかりの純粋無垢な笑みを浮かべながら言う。
「いえいえ、女王陛下をお待たせしているので、そう言うわけにもは参りませんよ」
ヴィトは右手を横に振るという消極的な方法で、自分の意思を表明したが、相手は聞く耳を持たないらしく、
「ならば、女王陛下もご同席なされてはどうでしょう?我々としては大歓迎ですよ。我々の国とあなたの国は二年前に大きな争いを繰り広げたばかりですが、過去の事は水に流して、これからの未来を語ろうではありませんか」
呆れるくらいのしつこさだ。ヴィトはそう思いながら溜息を吐いて、肩をすくめる。
いい加減にしろと、本来のマフィアのように怒鳴り散らしてやりたい気分だったが、ヴィトと若い男の前に孝太郎が割って入る事により、その行為は未然に防がれたともいえよう。
「お待ちください。我が王国の宰相閣下は話したくないと仰られておられるのです」
孝太郎は『今は』という言葉を強調する。
そうする事で、相手との会談を関係を崩す事なく、断る事ができる。
言うならば、この場を乗り切るための最善の方法とも言えるだろう。
ならば、好都合。こちら側の世界から来る時に服の下に隠れるように付けていた剣はマリアに預けてあるのだし、武器も懐に入れたオート拳銃一丁のみ。
もし、会談と称してこちら側に攻撃をするのならば、戦力は向こう側が完全に有利なのだ。
その事を忘れてはならない。
「彼の言う通りです。私は今は女王陛下の元に顔を出さねばならないのですし、彼の言うように後でも構いませんか?」
ヴィトの言葉に返す言葉が無くなっと見て、帝国の兵士たちは気まずそうにお互いの顔を見合わせているが、唯一若い男のみは相変わらずの優しそうな笑みだ。
「分かりました、なら、お昼頃ならよろしいですか?」
「お昼ですか?」
「ええ、この後に女王陛下に顔を見せ、あなたから会談があるとお達ししてください、それからある面白い部屋でお話があるんですよ」
「面白い部屋ですか?」
「ええ、我が国の宝を集めた……と言ってもあまりにも多過ぎて、部屋を分けている程の量なのですが、その部屋の一つに歴代の皇帝が所持した剣が展示されておりましてね、その中にはギシュタルリア帝国初代皇帝アランゴルン・ゴンドールの使ったと言われている皇帝の剣が展示されているんですよ。あなた様も興味がおありならば、是非とも……」
ヴィトは黙っていた。会談を断る言い訳も限界があるのだろうか。
それとも、ギシュタルリア帝国初代皇帝が使ったと言われている剣という存在が気になるのだろうか。
いずれにせよ、考えられる可能性はヴィトがこの会談に乗るかもしれないと言う危険だ。
と言うか、乗らなければ不味いかもしれない。頑なに会談を拒む理由を帝国側に提出しなければならないから……。
いずれにせよ、八方塞ぎの状態なのだろう。孝太郎はヴィトを守るために何をできるのかを考える事にした。
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