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王位継承者の問題

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「国王陛下!あなた様のお子様は赤日の日食の日に生まれる事が決定づけられてられております!赤日の日食は滅亡の前兆!悪い事はいいませぬ!今すぐにでもお子様の誕生を阻止しなされ!」

真っ黒なローブに顔を隠した老齢の王宮魔道士の老人は自身の主君である国王ガレスに向かってそう進言した。
当然我が子を殺せと言われて素直に従う父親などいない。ましてや長らく子宝に恵まれなかったのだ。
ガレスは普段の温厚さも引っ込め、魔道士を怒鳴り付けた。

「な、何を言うのだッ!これから産まれてくるであろう我が子を殺せなどと……」

「陛下、世界のためにございます。決断なさいませ」

「できぬッ!」

ガレスは大きな声を上げて魔道士の言葉を遮る。

「陛下、ご決断をッ!」

ガレスはその言葉に対して剣を引き抜いた。言葉で返す代わりに剣を喰らわせる事で自身の意思を伝えたのである。
だが、むざむざと殺される魔道士の男ではない。丈夫な樫の木を用いた杖で剣を受け止めると、主君である筈のガレスの腹部を思いっきり蹴り付け、地面の上で腹を押さえて悶絶するガレスを見下ろしながら言った。

「私は心底、残念でなりませぬ。陛下……あなた様はもう少し賢明なお方かと思うておりましたが、どうやら私の見込み違いであったようじゃ」

魔道士はそれだけ吐き捨てると背中を向けて王宮を去っていく。ガレスは未だに痛む腹部を左手で抑えながら魔道士を睨んでいたが、やがてその姿が見えなくなるのと同時に深いため息を吐くのと同時に両目を瞑り、自らに問い掛けた。
これでよかったのか?ガレスのいう事を聞かなくてよかったのか?と。
自問自答の末にガレスは自らの判断を信じ、産まれてくるであろう二人の子供の誕生を目撃するためにお産室へと向かう。

かくしてケルス・カリプスとマルス・ケルプスの両名は魔道士の予言通りに同日同時刻に同じ母親の腹から生まれた。
そして予言通りに空は夜であるというのに日没であるかの様なオレンジ色に染まっていた。
人々は不吉なまでの一致と王子の誕生と共に訪れた日蝕に恐怖したが、長らく後継者問題に悩まされていた国王ガレスはこの双子の生誕を大いに喜び、双子の王子が成人に達するまでは二人を共にカリプス王国の後継者として定める事を決めていた。
こうして、ケルス・カリプスとマルス・カリプスの両名は多くの人々の賞賛と期待、それに不安とを受けて王子としての生を得たのである。













「今日の学習はここまで!翌日までに今日までに学んだ事を復習しておく事!」
王宮の家庭教師による基礎教養の授業が終わると同時にそれまで張り詰めていた緊張を解き、二人は同時に息を吐いていく。

「なぁ、ケルス。さっきの問題だったけどわかったか?」

「なんとかな……けど、まだわからない問題があったから明日、授業が始まる前に先生に聞く予定だ」

ケルスの名目上の兄であるマルスは教科書を整えながら答えた。
名目上の兄というのは二人は殆ど同時刻に生まれたのでどちらが兄か弟であるかを判別する際に彼がたまたま頭の方から産まれてきたという事から『兄』と判断されたのだ。
勿論、マルスは自分自身がそれ程までにケルスに秀でているとは思えない。
武芸の才能も勉学もそれ程までに大差があるとは感じられなかった。

ただ自分自身の派閥に属する人の一部は弟のケルスよりは自身の方に可能性があると信じているらしい。
特に王宮魔道士のエレクトラなどは自身を称賛してやまない。
エレクトラは自身が産まれた年から前任の王宮魔道士と入れ替わる形で雇用された魔女である。

エレクトラの特徴は長くて綺麗な銀色の髪を深い帽子に隠したその姿を見るものを虜にすると言われており、一説によれば見るものを骨抜きにするとされている。
服装も派手な黒色のドレスであり、サイズが合っていないのか、谷間が悲鳴を上げている様にも見える。
スラリとして長い両脚には赤い絹糸の様な細い糸で作られた薄手の靴下を履いており、その脚の滑らかさを引き立てていた。
黒くて長いブーツは小柄である筈の彼女の身長を高くしてそこに魅了されたという人物も少なくはない。
ケルスは自身の派閥がマルスに比べて多いのは彼女の美しさに魅了されたまやかしのものであると信じ込んでいる節があるが、ケルス自身もまた魅力的な少年であった。

昔から剣術を始めとした王家の人間として相応しい鍛錬を受けているので下手な男などよりかは筋肉が付いている。
六つに割れた大胸筋はその象徴ともいえるだろう。
宝石の様に美しい瑠璃色の瞳やスラリとして高い鼻、小さく整った唇を備えた彼の顔は芸術品と称しても過言ではない。
その精悍な体と美しく整えられた青い髪はケルスの美しさの象徴として広く王宮の人々に知られていた。
柔らかな物腰に落ち着いた態度、それに物静かな態度はまさしく王子として相応しい立派なものであり、多くの人々を引き入れていくのも無理はない。

この点、マルスは母から兄同様の美しい顔と立派な体格とを受け継いではいたが、兄とは異なり物静かな態度だけは受け継がれなかったらしい。
というのも、彼は兄とは異なり勉学よりも武芸や鍛錬を好んでおり、どちらかといえば活発な性格であったからだ。
基礎教養を身に付けていないわけではない。むしろ彼は延臣たちからは賢いと呼ばれてはいるが、それでも後一歩のところで兄には及ばないのだ。
そんな彼の派閥に所属するのは女騎士、フロリアを始めとした騎士や軍人などである。

ここまで派閥の事を長々と説明していたが、二人の派閥が作られたのはいわば王家の弊害ともいえるべき権力争いから生じたのであり、二人の意思とは無関係であったのだ。
二人の仲は良好で、このまま二人の弱点を補いつつ王家を継げればと考えていた。
特にマルスはその考えが強かった。彼は自分の頭が兄のケルスよりも及んでいない事を知っており、だからこそ二人で助け合えたらと考えているのだ。
だが、この日に自身の考えが砂糖水のように甘いものであった事を思い知らされたのであった。
それは二人して次の授業を受けるために王宮の宮殿を歩いている最中に起こった。

「王子ッ!すぐに中庭に来るように陛下からのお達しでございます!」

「父上が?」

目を丸くするのはマルス。それに対して両眉を顰めるのはケルス。彼は低い声で報告を持ってきた家臣に尋ねた。

「それは次期に王家を継ぐであろう我々の勉学を遮ってまで行う事なのか?」

「ええ、なんでも王家の……いや、世界に関する重大な危機であるので勉学を中止してでも来いとの事で」

報告を持ってきた家臣の声や態度からは嘘であるとは感じられない。
双子の王子はそのまま家臣の案内のままに王宮の中庭へと向かう。
王宮の中庭は二人の記憶では幼い頃の格好の遊び場であった。
ガーゴイルと呼ばれる翼の生えた凶悪な怪物の像を置いた噴水を中心に広大な庭は整備されており、庭の上には芝生が広がっている他に人工的な林が二つ揃っている他に、珍しい置物が次々と置かれていた。
歴代国王の銅像などがその代表例といえるだろう。幼い時分の二人はその銅像の裏でかくれんぼをしており、日が暮れるまだ遊んでいた事も覚えている。
我儘を言って家族全員で庭の真ん中でピクニックをした事もある。記憶の中の父は笑っていたが、今対面している父は険しい顔で自分たちを待ち構えていた。
その父の前には一本の見事の剣が突き刺さっている。
たまらずにマルスが父に向かって尋ねる。

「父上、これはなんの余興でございますか?」

「ケルス。いよいよお前たち兄弟に決めてもらう時が来たのだ」

「ま、まさか……」

「左様、即ち次の王太子……余の跡継ぎを継承する時期がな」

その言葉を聞いた二人の身に戦慄が走った。しばらく二人の足は緊張のために動かなかったのだが、ケルスは覚悟を決めたらしい。足を一歩踏み出して、

「では、父上……我々がこの場で何をすれば良いのかをお聞かせくださいませ」

と、神妙な顔で問いかけた。

「……そこにある剣を取るが良い。さすれば自然とお前たち二人の未来が見えるであろう」

ガレスは刺さっている剣を指差しながら淡々と告げた。
最初に触ったのはケルス。彼が剣の柄に手を触れるのと同時に彼の頭の中に数多の景色が流れ込む。
ケルスは見た。泣き叫ぶ人々の姿、揺らぐ大地、城壁よりも遥かに高い波が人を、建物を飲み込んでいく姿を。
あまりにも恐ろしい光景に思わず剣の柄を離しすのと同時に背後に控えていたマルスがケルスの元へと駆け寄っていく。

「どうしたんだい。兄さん?」

「いいや、なんでもない。少し奇天烈なものを見ただけさ」

それでも尚、心配するマルスに父であり王であるガレスは剣を取るように指示を出す。
兄と同様に剣を手に取ったマルスであったが、そこに流れ込んできたのは兄と同様の光景。だが、不思議な事にマルスは兄とは異なり、その手を柄から離そうとはしなかった。
不思議な事に受け入れられたのだ。頭の中に流れ込む残虐な光景を。
やがて、大地が唸りを上げ、地上一帯を海の水が覆い尽くし、空が漆黒の闇で覆われる際に二人の男が対決する姿が見えた。
その顔は到底信じられないものであった。

「に、兄さん!?それにおれ!?」

マルスはそこで見えた景色が信じられずに思わず手を離す。
息を切らしながら剣の柄を離した息子に対してガレスは臣下たちに告げた。

「こやつが魔王に相違あるまい。皆のもの捕らえるのだ!」

「お、お待ちくださいませ!父上!なにゆえに弟に、あなた様の実の子にその様な事をなされるので!?」

「…‥昨日、この剣昨夜、寝室にいるわしに告げたのだ。近いうちに世界に危機が訪れ、自分自身の発した滅亡の未来の記憶を見る二人の人間が現れ、片方は世界を救いであろうが、もう片方は魔王となって世界を滅ぼす事になるであろう。それはお前の二人の息子だ、とな。マルス、お前は兄とは異なり、剣に触り続けていた……剣の恐ろしい記憶を見ても尚な」

その言葉を聞いてガレスは固まってしまう。どうすればいいのか迷ってしまったのだ。
自身の足が動かない中でも周りの兵士たちは弟を捕らえようと動こうとしている。
どうすればいい……。どうすれば……。
頭を悩ませていた時だ。その弟本人が叫び声を上げながら無実を訴えていく。

「父上!やめてくださいませ!私になんの罪がありましょうや!?私がなんの罪を犯したというのでございましょう!?どうか、どうかお助けくださいませ!」

「……すまぬ。許してくれマルス……世界を救うためにはお前をこうするしかないのだ……」

父ガレスの詫びの声は相変わらず無実を訴え続けるマルスの声によってかき消されてしまう。
ケルスはそんな弟を見て目を逸らすばかりであった。
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