上 下
115 / 365
満月の夜の殺人鬼編

困難に敷き詰められし道ーその③

しおりを挟む
蜘蛛の糸と蜘蛛の身体能力を同時に得る魔法を持つ男ーー城本隆は自分の武器と糸を奪い、反撃の機会を得た刈谷浩輔を睨む。右手の雷を向け、自分を冷たい目で見下ろす浩輔の顔を見て、隆は堪らずに唇を震わせ、
「な、何だッ!その目はッ!オレはお前の兄貴にカスと呼ばれたんだぞ!カスだぞッ!この真面目な警察官に向かって、カスだと言ったんだんだぞ!」
隆はゴツゴツとした人差し指を突き刺しながら叫ぶ。
隆の脳裏に思い浮かぶのは刈谷阿里耶台頭時の阿里耶が自分が目の前の少年同様の視線を浮かべて見下ろす様。
阿里耶に話をしようと誘われたその日の夜に隆は早速阿里耶の行きつけの料亭『麻村殿』に足を運んでいた。贅を尽くした日本庭園を抜け、大名屋敷を思わせるような壮麗な日本式の門をくぐり抜け、阿里耶の待っていた和室へと進む。
見事な水墨画の描かれた床の間と下手な旅館よりも大きくて広い料亭の部屋の座敷を眺め、隆は堪らずに舌を巻く。
隆が視線を部屋の中を向けて漂わせていると、正面の黒色の漆に塗り固められた大きな机と座り心地の良さそうな座布団に座る阿里耶が正面から手招く。
隆は恐縮と緊張のために脚を震わせながら座布団に腰を下ろす。
隆は思わず眠ってしまいそうな程の柔らかい座布団の良さにウトウトとしそうになるが、目の前に中世における絶対王政時代の国王の側近のように佇む女性の空咳によって隆の幻想はアスファルトの地面に投げ付けられた瓶のように粉々に砕かれてしまう。
隆は幻想から引き戻され、目の前の相手と対峙した。
阿里耶は口元を大きく歪め、愛想の良い顔を浮かべながら大袈裟な身振り手振りを加え、隆が来た事を喜んだ。
隆は照れ臭そうに頭の後ろを掻く。
「それで、今日、オレがあんたを呼び出した案件なんですがね、あんたにはオレのやり方に目を瞑ってもらいたいんですよ。勿論、ただでとは言いません。それ相応の報酬は用意してあります」
阿里耶は自分がこの街の王様だと思っているらしい。横柄な態度で両手を叩き、側にて佇む秘書らしき女性を呼び寄せる。女性は王様の指示に従い、懐からクリップで止められた札束を取り出す。
一万円札が何枚も重ねられて纏められている札束は隆にとってはソロモン王の秘宝に匹敵する宝物であったと言えるだろう。隆は自分が呼ばれた事も忘れ、座布団の上から身を乗り出し、机の上に載っている札束を光を放ちそうな程の眩い視線で見つめる。
そして、震える手でそれを掴み取り、自分の懐の中に突っ込む。
もし、この時に隆の心の中に欲という一時の感情が暴走しなければ、後々尾を引く事になるであろうトラウマは出来なかっただろう。
隆はこの金銭のやり取りに味を占め、あろう事か阿里耶に追加の金を要求したのだ。阿里耶は笑顔のままパチリと指を鳴らし、秘書役の女性に追加の金銭を出すように指示を送る。女性は今度は懐から小切手を取り出し、胸ポケットに締まっていたと思われる万年筆を取り出し、綺麗な指で小切手に金額を書いていく。
提示された金額は隆の年収の三倍に匹敵する額であった。隆は大喜びで机の上に投げ出された小切手を懐に仕舞おうとするが、阿里耶がその前にドスの効いた言葉を出し、隆の手を静止させる。
「待ってくださいよ。お巡りさん……あんたにそれだけの金を払うんです。単にオレらのやり方を見逃すだけじゃあすみません。組にいつまでも立てつく中村って刑事を消して貰う事も前提にさせてもらいましょうか」
隆はその言葉に腕を震わせたが、顔は平常を装い、阿里耶の弁論に反論する。
「オレはお前らの悪事を見逃すんだぜ、これくらいの額を受け取るのは当然だろ?」
「……額が額ですよ。この額じゃあ高級車が買えちまうんです。本当にあんたにそれだけの額の金を払う価値があるのか疑問がありましてね」
「問題はないよ。でも、オレをここで帰らせちまっていいのかなぁ~帰らせたら、あんたの組の営業に支障が出るのは間違いないよな?なら、オレがこの金を受け取るのは問題無しノープロブレムって訳よ」
「待ってくださいよ……あんたが問題無しノープロブレムでも、こっちには問題ありハブ・ア・プロブレムなんだ。あんた一人にそんなに大量の金を払う義務がこっちにあるのかなってな」
「おい、冗談はよしこさんだよ。オレが見逃さなけりゃあ、オタクらは即座に検挙だぜ、よし、気が変わった。これの五倍の金額の金を払わなけりゃあ、オレはオタクらの悪事を見逃さん!以上だッ!」
阿里耶は隆の得意そうな言葉に眉一つ動かす事なく、無言で席を立ち上がり、隆の両腕を自分の魔法で拘束する。
阿里耶の手から放たれた魔法により、隆の両腕は糸によって縛られてしまい、身動きができなくなってしまう。
次に阿里耶は隆の両足に糸を放つ。隆は身動きが取れなくなり、座敷の上に倒れ込む。阿里耶は隆の元にまで近寄ると、彼の髪を強く掴み上げ、
「生言ってるんじゃあねぇぞ!テメェ一人にあれだけ金をやったんだッ!黙認しろよ。テメェ!あ?舐めんなよ!ゴルァ!」
阿里耶は隆の頭を握る手を強めながら、続きの言葉を叫ぶ。
「オレは知ってんだぜ、お前が青少年達のチンケな悪事を見逃す代わりに何をしているのかをよ……」
まさに鬼のような剣幕である。隆は顔を震わせながら、必死に首を縦に振る。
阿里耶はそれを確認すると、隆の髪を離し、魔法を解除させた。その時の冷たい目で自分を睨む阿里耶の顔は一生残っていた。
阿里耶の気迫と魔法の“見せ所”更に自分の弱みを握っているという三つの要素のために、彼は刈谷組台頭時代の白籠市においては完全に組の操り人形と化してしまったのだ。“金と暴力”に支配された街とはよく言ったものだ。そんな事を考えながら、操り人形として生きていると、刈谷阿里耶が捕らえられたと言うニュースを聞いたのだ。彼は心の底から安堵したが、第二の困難が彼を襲う。
白籠署公安部の参謀を務める中村孝太郎が自分の元に迫り、一枚の書類を突き付けた。
「城本隆……お前を逮捕する」
隆は惚けて見せたが、彼の掴んだ情報は確かであった。彼は自分が少年を脅迫している場面の写真を見せられてのであった。
隆はかつての仲間達に連れ去られる中で叫ぶ。
「こ、これは中村の捏造だッ!オレが憎くて、こんなありもしない事実をでっち上げたんだッ!」
隆の慌てふためく様子を孝太郎は冷たい視線で見下ろす。そして、冷徹な声で呟く。
「自分の罪を償ってから、街に帰ってこい。そうすれば、オレは待ってるぞ」
その後は事件が事件であるために、彼の裁判と裁判の準備のために一年という年月が費やされ、彼は結果として二年間の服役のために三年の時間を奪われたのだった。
隆は中村孝太郎と刈谷阿里耶の両者の復讐のために、ここにやって来たのである。だが、復讐の第一段階にして彼の計画は頓挫しようとしていた。
阿里耶の血を引く子供は既に拘束した仲間を助け、自分に向けて新たな雷撃を放とうとしている。
隆は慌てて少年の向かい側のコンテナに向けて、蜘蛛の糸を放ったが、隆はその前に大きな雷撃を浴び、そのまま地面に倒れて意識を失ってしまう。
隆は三年間の苦労を振り返りながら、透明の液体を瞳から流し、目を瞑る。
やがて、外がすっかりと明るくなった頃には彼の体は病院のベッドの上であり、彼の寝ているベッドの周りを数人の警察官が囲む。彼は自分が再び地獄に送られた事を知り、狂ったように笑い続けた。
しおりを挟む

処理中です...