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第五部『征服王浪漫譚』

幻斎と言う名の老人

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橋本雲内は自分の首元に刀の剣先を突き付けられている事に気が付き、自分がかつてない機器的状況に陥っている事を理解した。殺されて一旦この場から離れようと考えたとしても、自分の目の前に突き付けられている刀のために、彼は動けずに居た。
彼に向かって刀を突き付けている少年は刀の剣先を喉に向け、いつでも喉笛を切り裂けると言わんばかりに刀を彼の首に近付けていく。
「死にたくなければ、オレの質問に答えてもらうぞ、お前達の新しい頭領の名前は何だ?」
「言える訳ないでしょう。あの人の名前を喋れば、おれが雷蔵の兄貴に殺されちまう」
「雷蔵とは誰の事だ?」
「忍びの一人だよ。失敗した妖魔党の人間の始末もあの方が担当すると、少し前に頭領から聞いたよ」
「少し前と言うと、丁度、小弥太の奴がオレのおっかさんを殺した辺りの頃か?」
「そんぐらいの頃かな?ついでに言うと、おれに苗字を与えられたのも丁度、そのくらいの頃だったな……」
雲内は遠い目で青く透き通った空を見上げる。
元々、下忍の身である彼には苗字は存在しなかった。
彼は様々な敵から魂を奪う事によって、鎌倉の世から命を授かってきたが、承久の世から命を授かってきていたが、それでも下忍に産まれたと言う事実が彼の出世の足かせとなり、600年以上の時を生きていたのにも関わらず、彼は中段の印術しか教えられなかったのである。
そんな彼に目を付け、新たに創り上げられた天魔党の地魔へと出世させ、苗字を与えたのは伊勢同心の新たなる頭領に就任した西欧人であった。
彼は雲内の境遇を嘆き、彼に新たな苗字を与えたのであった。
苗字を授与された日の事を雲内は正確に覚えていた。明治の世になり、武士以外でも苗字が名乗る世になったとしても、彼に苗字を与える事は周りの忍び達が許さなかった。
彼は苗字を貰えない悔しさを、600年の時を伊勢同心の手下として報われない悔しさを生活に困窮した農民の要望を伝える百姓の気持ちになり、彼に苗字を貰うように進言したた。不興を買い、八つ裂きにされるかと思ったが、意外にも彼は寛大な笑顔を浮かべて、
「良かろう、お前に苗字を与えてやろう。お前の名前は雲内と言ったな?」
雲内は大きく頭を下げて、新しい頭領の言葉を首肯した。
新しい頭領は隣に控えていた長い金髪の女に耳打ちし、彼女に向かって案を問う。
長い金髪の女は朗らかな笑顔を浮かべ、人差し指を掲げて雲内に向かって言った。
「それでは、あなた様の苗字は『橋本』と言うのはどうでしょうか?かつて、安政の時代に井伊直弼の弾圧によって死亡した橋本左内に似ていて、カッコ良いと私は思っておりますが、雲内様はどうお思いでしょうか?」
満面の笑みの長い金髪の髪の女に雲内は瞳を輝かせて、自分の回答を述べていく。
「勿論です!私はこれから、橋本雲内と名乗っても良いのですね!?」
二人は口元に穏やかな微小を浮かべながら、雲内の返答を首肯した。
橋本雲内は自分が苗字を与えられてからの初の手柄を立てようと、今日の朝に意気込んでいた事を思い返す。
結局、この任務は失敗に終了してしまった。自らのケジメは自らで務めるかと考えたその矢先……。
「う、うわァァァァァァァ~!!!」
自らの体が地獄の業火によって焼かれていく亡者のように燃え上がっていたのだ。
突然の出来事に鬼麿も、孝太郎も、老人も言葉を失っていた。
「ど、どうしてです!?頭領!?私は何も喋ったりはしません!どうして、こんな事を……こ、こ、こんな……」
最後には炎によって喉も焦げてしまったのだろう。彼が最後の言葉を喋る事も無くなってしまったらしい。
鬼麿は焼き焦げた橋本雲内の死体を眺めていた。
新しい頭領について話す時の彼は期待と希望に満ちた瞳で話していた事を思い出す。
恐らく、彼が頭領を尊敬していたのは本当だろう。そして、頭領に対して感謝の念を抱いたのも本当だろう。
だが、彼はそれに届かずに死んでしまったのだ。
あまりにも哀れだ。鬼麿は焼死した雲内の手をしっかりと握り締めた。
そして、あの世へと旅立った雲内に新たなる頭領の首を送ると決意した。
鬼麿が背後を振り返ると、そこには悔しそうに握り拳を作っている孝太郎の姿が見えた。
鬼麿がどうかしたのかと言葉を掛ける前に、唯一の下男は地面を強く叩いていく。
「ちくしょう!あいつはこの時代でも、自分に従う人間にこんな仕打ちを!どんな方法を取ったのかを分からないが、おれは絶対にあいつを許さない!」
噴火時の活火山から生じるマグマのように溢れ出る孝太郎の怒りの前に、鬼麿は言葉を失ってしまう。
老人は地面に伏せて、土を握り締めている孝太郎の肩の上に優しく手を置き、
「わかっておる。だからこそ、現在の頭領は生かしておけんのだ。それにしても、上段の印術を使用するとは思わなんだ……」
「上段の印術って?」
鬼麿は老人に向かって尋ねた。
「ああ、言い忘れておったな、忍びの使う印術は妖魔術とは異なり、誰でも修行を積めば使えると言うのは分かるな?下段の印術は地中にまつわる術を、中段の印術は風にまつわる術を、そして、上段の印術は強いと思われる術を全て使用できる。上段の印術は雷に炎、遠く離れた相手の様子を見る事ができる術まで自由自在じゃ」
と、なると、新しい頭領はその上段の印術を使用し、この戦いを見守っていたという訳だろうか。
鬼麿は自分の考えを老人に向かって尋ねる。
「うむ、その通り、ちなみに奴がこの男を焼殺したのは上印の『火炎隠し』と言う技じゃな、文字通り、遠方から対象の相手を攻撃する術でな、主に捕虜となった仲間を殺す時に頭領のみが使用される技じゃ、だが、この技を使う際には普通ならば躊躇いが生まれ、捕まってから、こんな短時間で使用されると言う事例は稀な事でーー」
「あいつなら、難なく使いますよ!」
孝太郎は老人の言葉に自分の言葉を被せた。
老人は鬼麿から赤い肌の青年に視線の向きを変える。
「あいつは自分の利益のためなら、関係の無い一家を巻き込むような下衆なんです!そんな奴に『躊躇い』なんて感情があると思いますか!?」
孝太郎の気迫に老人は言葉を失ってしまう。
だが、直ぐに気を取り戻し、孝太郎の目を真っ直ぐに見つめ、
「お主、どうやら、伊賀同心の新たなる頭領とは並々ならぬ縁がありそうじゃな」
孝太郎は首肯した。
孝太郎の決意を見た、老人は刀を持って、孝太郎に手を差し出す。
「良かろう、わしの名前は幻斎。旅の侍よ」
「おれの名前は中村孝太郎と言います。今は鬼麿の下男を勤めております」
二人は互いに笑いながら、右手を重ね合わせていく。
ここに、打倒伊勢同心を目指す二人の男の盟友が結ばれたのだった。











後書き
すいません。多忙のために、五日ほど休載致します。五日経てば必ず再開致します。本当に申し訳ありません!
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