上 下
229 / 365
第五部『征服王浪漫譚』

水炎と火花ーその③

しおりを挟む
「早く、あいつら二人を追わないと!あいつら二人を追って、あいつらの頭領が何処にいるのかを早く吐かせたいんですよ!」
龍一郎は声を荒げて年老いた自分達のかつての頭領に向かって叫ぶ。
全身をサンタクロースのように白い髭に覆った老人は首肯し、龍一郎に双子の忍びを追う許可を出す。
龍一郎は刀を構えて双子の忍びを追いかけていく。
それに続くのは例の十文字の傷を負った少年。少年は殺意に満ちた鋭い瞳で襖を睨み、襖に向かって刀を振り下ろす。
少年の一太刀によって襖は真っ二つに割れ、地面に散乱する。少年は真っ二つになった襖を眺めながら、刀を握る右手の拳を握り締め、顔を改めて引き締め、双子の忍びを追っていく。
二人の少年が闇に消えた後で、背後に控えていた鬼麿は自分の便りになる下男に向かってもたれかかる。
疲れが溜まっていたのだろうか、彼は肩の力を抜くとその場に倒れそうになった。
孝太郎は大きな右手で鬼麿が地面に落ちるのを受け止めた。
「あ、ごめん……こんな状況だっていうのに、こんな状態になっちゃって……」
「謝る必要はないさ、あんなに可愛らしくてお前がホの字だった二人が自分の喉笛を狙っていたんだぜ、そんな状況だったら、誰だってショックを受けるさ」
孝太郎の言葉に勇気付けられたのか、鬼麿は輝かんばかりの笑みで笑ってみせた。
よく孝太郎が読んでいた時代小説には義賊の盗賊がよく金持ちの屋敷から、人々に配るための小判を盗み出す場面が描かれていたが、その時に盗賊の一人が初めての盗みを働く箇所にて、彼は夜の闇に覆われた金持ちの屋敷の中で、闇の中で眩いばかりに輝かん黄金を目撃しており、その光景においては竜宮城を初めて目撃した浦島太郎のように夢心地だったと言う。
今の鬼麿の笑顔はその小説の主人公が目撃した黄金のように華やかであったと孝太郎は間違いなく断言できた。
加えて、今の状況がその主人公が黄金を見た場面と殆ど一致していると言っても良いだろう。
要するに、孝太郎には鬼麿の笑顔が何トンもの黄金を重ねたように輝いて見えたのだ。
孝太郎が鬼麿の可愛さに酔いそうになった所に、背後から例の老人から声を掛けられ、ようやく彼は空想と幻想の世界から現実の空間へと引き戻されていく。
「それで……お前さん達二人はどうするかね?あの二人を追うか?」
幻斎の問い掛けに孝太郎の眉間の皺が深く寄っていく。
孝太郎は二人の男女の忍びを追い掛ける事を約束し、鬼麿を幻斎の元に預けて、自分達が泊まっていた大きな部屋から部退出していく。
幻斎は預けられた少年に向かって優しく微笑んでから、彼の頭を優しく撫でていく。
愛らしい顔の少年は撫でられると顔を真っ赤に染めて、幻斎の元から離れていく。
幻斎は他の三人の忍びと共に少年を優しい目で見守っていた。





夜の街は冷える。東京府ならば夜になっても一斉に街灯とやらが作動し、夜でも昼間のように明るくなると聞くが、大坂は大都会とは言え、そこまでの設備は整っていないらしい。
龍一郎は大坂の街の屋根瓦を伝って逃亡しようと目論む男女の忍びを追っていた。
女性の方に胸の膨らみがある以外は声さえも同じだったので、どちらがどちらなのかを見分ける事は難しいと思われたが、先程の戦いで彼は二人の妖魔術によって分ける事が可能である事を理解した。
後は目の前の均整の取れた二人の男女に追い付ければ良いのだが……。
龍一郎が屋根瓦をつたいながら、目の前の男女は急に立ち止まり、彼に向かって豊満な胸を隠そうとしない柿色の服を着た女が刀を構え、そこから小さな水の膜を作り出し、龍一郎に向かって放り投げた。
龍一郎は自分自身の妖魔術『万糸まんし』を繰り出し、水によって酸素を奪われる前に、女の方を糸で締めようと目論んだのだが、どうやら、それも上手くはいかないらしい。
女は龍一郎から出された糸を難なく交わし、龍一郎の可愛らしい丸い顔に水を絡み付けていく。
アホ毛が特徴の可愛らしい少年は悲鳴を上げようとしたが、それは不可能である事を悟った。
発せようにも水の膜に顔全体が覆われた状況においては叫ぶ事など不可能に近かったからだ。
顔全体を覆う水の膜の中で虚しく口だけが動いていく。
その様子を見て、目の前の女は面白おかしそうに笑っていた。
「ねぇ、苦しい?でもね、それはあなたへの罰なのよ?あなたはあたしの首を糸で締めようとしていた……だから、それ相応の罰は受けてもらわないとね」
龍一郎の歪んだ視界の前には意地悪く笑う端正な顔立ちの美女が口元に手を当てて冷笑している姿が映っていく。
龍一郎はそれでも、手に持っていた刀を握り締めながら、逆転の機会を伺う。
愛らしい少年は顔と声だけで成り上がったと言う事では無い事を証明したかった。
刀を握る力が強まっていく。すると、右手から糸が伸びていき、油断していた女の足を引っ掛けた。
女は足首に糸を絡められた事によって、バランスを失い瓦の屋根の上に衝突してしまう。
龍一郎は彼女の体が屋根の上にぶつかると言う無言の悲鳴を目を閉じながら聞いていた。
悲鳴が止み、少しばかりの沈黙の後に彼は恐る恐る両目を開く。
そこには何ともなさそうに足を動かす麗しきくノ一の姿とその行動を助けるために刀で彼女の足首を縛っていたと思われる縄を切ったと思われる男の姿が広がっていた。
少年は次に頭の中に目の前のくノ一の美しい顔が地面にぶつかった衝撃のために、気の毒な状況になった事を悟り、彼女の報復を恐れたが、あろう事かくノ一は彼に向かって感謝でもせんばかりの優しい笑顔で彼と視線を合わせていたのだ。
彼女は清楚な外見に似つかわしい小さな唇を開いて、
「凄いわね。あなたの術は……少なくとも、あたしの単独の妖魔術よりは強力だと言えるわ」
問い掛けられたとしても龍一郎が答えられる訳はない。
彼は女の妖魔術の前に酸素を絶たれ、喋る事ができない状態なのだから。
だが、女は可愛らしく口元を緩めて、彼に向かって顔を近付けて言った。
「あなたの最後の一撃とも言える攻撃は見事だわ、もしかしたら、次の甲賀衆の幹部になっていたかもしれない凄い腕……やっぱり、!!」
その一言に龍一郎の中の何かが切れたのを感じた。目の前の女だけは消さなければならないと言う確信を得た龍一郎は刀を強く握り締め、酸素を奪われた状況であるにも関わらず、刀を振っていく。
この時に、彼の刀は確実に女を捉えていた。

しおりを挟む

処理中です...