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第五部『征服王浪漫譚』

悪鬼と未亡人とーその④

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「そこまで、ぼくを馬鹿にするんだったら、キミはこれ以上戦えるって事だよね?刀も無いのに?」
大吾郎の言葉にお萩は黙ってしまう。彼女は沈黙を保ったまま答えない。
その様子を見て、彼は彼女の今の心境を悟ったのだろう。
彼は大きく口元を歪めて、勝ち誇るような笑顔を浮かべていた。
男の顔に彼女は平静を保っていたのだが、それでも自分の感情を押し殺す事は不可能だったのだろう。彼女の顔に冷や汗のようなものが垂れるのをこの決闘を眺めていた全員が目撃していた。
勿論、大村大吾郎本人も。
彼は舐め回すようにお萩を眺めて、その刃先をワザと彼女の喉元に密着させる。だが、刃を立てはしない。そうする事で、彼女がどのような表情を見せるのか彼は楽しんでいたのだ。
被虐心が唆られたのだろう。野生の鹿が農民が丹精込めて育てた木の皮を容赦なくムシャムシャと食べるように。
ただ鹿と異なるのは彼が人間であり、憐憫の感情と言うのを持ち合わせている事だろう。
大吾郎は感情の豊かな人間であったが、敵に対しては容赦の無い男であった。
だからこそ、目の前に倒れている女性を見ても動じるものは無いのだろう。
痛ぶるのに飽きたであろう大吾郎が彼女の喉元に刀の刃先を突き立てようとした時だ。
背後から大きな声が聞こえた。少年の声だ。彼の女のように高い声は大吾郎の耳にも届いた。
大吾郎が背後を振り向くと、そこには刀を振り上げた一人の少年がいたのだ。
お萩は刀を振りかぶった少年の正体を知った。鬼麿と呼ばれる少年。
自分達が守らなければならない有栖川宮家の隠れた嫡男。
それが、彼だった。だが、彼は自らの危険も顧みずにお萩を守るために、刀を振り上げていた。
大吾郎はお萩に向けていた注意と刃を鬼麿へと向け直す。
お萩は彼の注意が鬼麿に向いた隙を狙い、懐から星型の手裏剣を取り出す。
くノ一として持っている携帯型の武器。
彼女の持っている全ての力を使用して、放り投げてやるつもりであった。
彼女は侍ではない。だからこそ、背後から攻撃を仕掛ける事に対して躊躇いの感情は無かった。
大吾郎が鬼麿に対し、刀を振り上げるのと同時に、彼女は大吾郎の背中に向かって勢いを付けて手裏剣を放り投げた。
星型の手裏剣の先が大吾郎の背中に向かって命中した。
大吾郎は痛みのために悶絶し、僅かな時間とは言え肩を落としてしまう。
歯を食い縛り、彼が刀を持ち直した時には鬼麿が神聖術を使用し、彼に向かって斬りかかってきた時だ。
大吾郎は鬼麿の光る刀の前に視界を奪われ、次に胴体を大きく斬り付けられてしまう。
大吾郎は口から大きく血を溢し、地面に倒れてしまう。
「まさか……ここでキミが介入するなんてね?決闘なんだよ?これは?」
「オレは仲間を見捨てない性質なんだッ!決闘が何だッ!仲間が目の前で殺されそうだって言うのに、見捨てられる訳がないだろッ!」
彼は今にも意識が途絶えそうなくらいかすれた声で、
「ちくしょう……ぼくの最後がこんな所で終わるなんて……」
彼が自慢の黒い瞳をその目蓋で永遠に閉ざそうとした時だ。
彼はその表情を辞めるのと同時に、鬼麿に向かって右手に握っていた刀で斬りかかっていく。
鬼麿は咄嗟に背後に下がる事により、彼の不意打ちを避ける事ができたが、彼は大きく笑って、彼に先程付けられた筈の胴体できた大きな刀疵を見せた。
彼の傷の跡を見ると、彼の傷は最初からそんなものが無かったかのように塞がっていたのだ。
鬼麿は言葉を失ってしまう。
「どう言う事なんだ……?どうして、お前の傷が塞がっているんだ?」
「良い質問だねぇ、ぼくの体の傷がどうして塞がっているのかって?答えは簡単だよ。肉体を変えっこしたんだよ」
大吾郎は無言でもう片方の自分を指差す。
もう一人の大吾郎の胴体は先程までの死んでいる事を除けば、五体満足であった体は完全とは言えなくなっていた。
何故なら、彼の胴体からは大きな刀で斬られたような跡が見つかっていたからだ。
体を斬られバランスが崩れた体はゼンマイの切れたおもちゃのようにパタリと倒れて動かなくなってしまう。
そして、その体は即座に地面の中に戻っていく。
呆然とした様子でその様子を眺めていた鬼麿とお萩の二人に対し、大吾郎は大きく笑いながら、自分の妖魔術の真の特性を話していく。
「ぼくの妖魔術は死体を作り上げる事と、もう一つッ!蘇った死者の体に自分の傷や病を植え付ける事ができる術なのさッ!複雑な動作は何もいらない。ただ、心の中で指示するだけでいいんだ。『傷よ入れ替われ』とね」
鬼麿は刀を突き付けて問い掛ける。
「なら、この刀でお前の体を天照大神の光に包み込ませたとしても復活はできるんだろうな?死者と傷を交換できるんだろう?」
鬼麿の言葉に対し、彼は無言を貫くのみ。ただ、細い目で鋭い視線を向けていた事から、彼が余計な事を言うなと言おうとしている事が鬼麿には理解できた。
鬼麿は刀を構えていたが、その構えた刀を地面の上に座っていたお萩の前に放り投げた。
お萩が地面に突き刺さった刀を抜くと、彼は大きな声で主張した。
「その刀であなたの夫の仇を殺すんだッ!復讐の炎であいつを地獄の底へと叩き落としてやるんだッ!」
「無駄なのになぁ」
大吾郎は刀を装備し直した彼女に向かって自分の持っていた刀の刃先を向ける。
そして、新たにもう二体の死体を地面から召喚し、彼らに触れる事により、自分と瓜二つの存在へと変えていく。
瓜二つの存在となった彼らを大吾郎はお萩へと向けていく。
お萩は炎を纏わせた刀を掲げて、二つの死体が襲ってくる瞬間を狙って、一気に斬り伏せいていく。
お萩の刀は死者を本来ならばあるべき場所へと送っていく地獄からの使者のようにも思えた。
少なくとも、身近で戦いを鑑賞していた鬼麿にはそう思わされた。
彼女の気迫と勢いは地獄の獄卒のようであった。
二人の死者が一気に黄泉の国に返されるのと、ようやく、彼は刀を抜いて、自らの手で彼女に向かっていく。
大吾郎の刀には中段の印術を纏わせているのか、大きく風の吹く音が聞こえた。
お萩の炎を纏わせた刀と大吾郎の風を纏わせた刀がぶつかり合う。
白閃と白閃が打ち合った後に、何度も何度も金属がぶつかり合う音が夜の闇の中に響いていく。
どちらの顔にも笑みは見えない。あの大村大吾郎でさえ真剣に組み込んでいると言う事なのだろう。
二人の剣舞に入る隙はない。鬼麿は握っていた長身の刀を強く握り、この場で何もできない自分の事を悔やんでいた。



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