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第七部『エイジェント・オブ・クリミナル』

最後に笑うのは誰か

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明峯は勝利を確信した。このままならば、確実に目障りな雷使いの少年を始末できるだろう。明峯は男がそのまま浩輔を押さえ付けている様を見ると、口元を怪しげに歪ませて笑う。
このままあの男が押さえ付けたままであるならば、即座にあの少年は髪の毛に貫かれて死ぬだろう。
そうすれば、教祖へと捧げる聖戦もより一層の進展を見せる筈。
自らを教祖の忠実なる信徒と思う明峯は少年を殺す事など何も思っていない。
明峯は尖った髪を少年に向かって突き刺そうとした時だ。不意に脇腹に痛みを感じてその場に転がり込む。
同時に浩輔の元へと向かっていた鋭い髪の毛も引っ込む。教祖が真横を垣間見ると、そこには右手に刀を持った中村孝太郎の姿。
恐らく、あの男は足で自分を蹴ったのだろう。お陰で髪の毛が引っ込んでしまったではないか。
明峯は舌を打つと、髪の毛の剣をもう一度作り出し、もう一度、孝太郎に向かって斬りかかっていく。
相変わらず、孝太郎は防ぐ一方であった。対して明峯の優位は先程と少しも変わらない。
それどころか、明峯はその長く美しい髪から更に髪の剣を作り上げ、あろう事かそれを同じ様に伸ばした髪の毛で掴む。
それを利き手のように自由自在に操るのだからたまったものではない。
孝太郎は慌てて刀を盾に防いだのだが、明峯の攻撃が止む気配は見えない。
浩輔もこのままの状態では加勢どころではないらしい。
あの外国人の男に押さえ付けられたまま、悔しそうに孝太郎の戦う様を眺めていた。
絵里子と総一郎も拳銃を用いての援護に戸惑いを覚えていた。もし、誤射して孝太郎に当たりでもすれば彼はそのまま孝太郎にトドメを刺し、同じ手口で囚われの少年組長を容易に殺害した後に自分たちにその矛先を向けるだろう。
生憎と二人の魔法では太刀打ちできるものではない。
やむを得ずに、二人は運命という非科学的なものを頼りにこの戦いを見守っていたのだ。
が、雌雄を決したのは明峯の方だったらしい。
彼は高慢な笑みを浮かべた後に、同じ様な高慢な鼻息を漏らした後に、髪の毛の剣により日本刀と共に跳ね上げられ、倒された孝太郎の手の甲を踏み付けながら尋ねる。
「これで、口も軽くなるだろ?テメェら白籠市の警察がどうして、遠く離れた呉の我が教団を狙うのか教えてもらおうじゃあねぇか」
孝太郎は答えない。それに業を煮やしたのか、明峯は顔の眉間に皺を寄せ、更に手の甲へと落とす足の力を強めていく。
「さっさと吐きやがれ!」
「……誰が吐くもんか、クソッタレ。お前の教祖に言ってやれ、『クソ馬鹿野郎』とな」
孝太郎は自らの痛みを誤魔化すために弱々しく笑ったのだが、その微かな笑みは明峯が再度、孝太郎の手の甲を蹴り上げた事によりかき消されてしまう。
「この野郎、余程、死にてぇらしいや。だが、まぁいい。死ぬんだったら、死ぬ前に目的を吐いてもらわねぇといけねぇからな。こいつで吐かせてやるか」
明峯は懐からペンチを取り出し、孝太郎の人差し指の爪に手を掛ける。
彼はそれをグッと力強く引っ張り、彼の言葉にもならない悲鳴と共に彼の人差し指から大事な爪を引き剥がしていく。
人差し指から血を流して痛がる刑事を見下ろしながら告げる。
「これで口も軽くなるだろ?悪い事は言わん。お前ら警察の目的を吐いてもらおうか?」
「……舐めるなよ、明峯。オレはこれ以上の修羅場なんぞ山ほど潜ってきてんだ。今更、手の指の爪一枚で目的を吐いてたまるもんかよ」
明峯はそれを聞くとペンチを鳴らし、今度は孝太郎の右手の中指に標的を定めていく。
「よーし、オレにサディストのスイッチを入れたのはあんただ。素直に情報を喋ってくれりゃあ、悲鳴を上げながら逃げるだけで済んだんだがな」
明峯が次の指の爪に標的を定めた時だ。背後から銃声の鳴る音が聞こえ、背後を振り向く。
彼の足元には銃弾のめり込んだ痕。加えて、目先から見える銃の銃口から生じる硝煙は一つ。
彼の姉にして上司の折原絵里子の銃だ。
彼はペンチを懐にしまい、代わりに『武器保存ウェポン・セーブ』から六連発式の拳銃を取り出し、その銃口を向ける。
「成る程、麗しき姉弟愛じゃあないか、折原絵里子」
「孝ちゃんを離しなさい」
「あー、聞こえんな!」
明峯はわざと大きな声で絵里子の要求を遮っていく。が、絵里子はそれに動じる事なく大きな声で彼に向かって叫び返す。
「孝ちゃんを離せって言ってるのよ!」
「分かった、分かった。分かったから、そんなに吠えるなよ」
彼は古典劇を演じる舞台俳優の様に大袈裟に戯けてみせてから、地面の上に倒れている孝太郎の腹を蹴っていく。
腹を蹴られるたびに唸り声を上げる孝太郎の声を聞くたびに絵里子も悲鳴を上げていく。
「連邦捜査官様よぉ、あんたの弟を助けて欲しいかい?」
「そうよ!その足を孝ちゃんから……あたしの弟から退けてよ!」
明峯はそれを聞くと一度離したかの様に思われたが、直ぐにまた弱っている孝太郎の腹を蹴り付ける。
「ヒャハッハッ、ダメだね!こいつは聖戦の尊い犠牲者となるんだ!あんたの一存で大事な我がご主人様マイ・マスターの計画を乱させるわけにはいかないね!」
明峯のその顔はこんな時でも美しく映った。醜く顔を歪め様さえも何処か人を魅せずにはいられない。
そこが絵里子には悔しい。あの男の顔が芸術品の様に定まっているからこそ無意識の中の躊躇いが働き、銃口が逸れてしまう。
相手を『美しい』と思う心理はここまで思考を鈍らせ、親愛の情の邪魔になるものなのだろうか。
絵里子が無駄弾を乱射している間も、明峯は倒れていた孝太郎を痛ぶり続けていた。
空中に飛ぶか、地面にめり込むかの二択に過ぎない銃弾はあっという間に底が尽き、気が付けば残りは一発。
これで弟を助けるのは難しい。絵里子が今度は両手で銃を構えて明峯に狙いを定めた時だ。
同時に銃声が響き渡り、その場に居た誰をも驚かせていく。
と、言うのも明峯の腹に銃弾が掠れ、僅かながらに彼を孝太郎から意識を逸らす事に成功させたのも大きかったが、その一番の功労者が刈谷組の顧問弁護士、桃屋総一郎であった事も大きかった。
明峯は一瞬、目を丸くしていたが、次にその目を大きく吊り上げて怒りのままに総一郎へと銃口を構えていく。
その隙を孝太郎は逃さない。彼は明峯の体へと飛び掛かり、彼の体を押し倒す。
そのまま取っ組み合いとなり、明峯の右手に持っている拳銃を奪う。
その時の孝太郎の表情は決死。修羅の形相だったという。
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