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第七部『エイジェント・オブ・クリミナル』

デッドエンド・バビロニアーその11

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エリカは目の前のロシアの女司教と剣を構えながらも、彼女の凄腕の太刀筋に思わず感心してしまっている。
マリヤの剣は騎士の自分から見ても申し分がないものであり、事実、彼女が剣を振うたびに美しい白閃が煌めき、思わず見惚れさせてしまう。
慌てて剣で防がなければ自分は危うく殺されてしまっているだろう。
エリカが手に持っている剣を右手で構えてマリヤに突っ込もうとした時だ。彼女は手に持っていた仕込杖の刃先と厳しい視線とを向けていく。
「お待ちなさい。あなたは前世での過ちを今世でも犯すつもりですか?」
「前世での過ちだと?」
「……わたしにはあなたの過去世が見えます。あなたの前世は暗黒の中世時代に王に召喚され、槍の騎士と共に盾の騎士を追いやった剣の騎士です」
「剣の騎士だと?」
彼女は剣を鞘に仕舞い、杖の状態に戻すと勢いよくその先端を地面に突いて杖の先端部にある飾りから映し出される若い男の顔を映し出していく。
「剣の騎士は勇気もあり思慮もある聡明な勇者でした。だが、スノープリンセス白雪姫の魔の手によりその思考も鈍らされてしまった。あなたは最後まで白雪姫を信じ、盾の騎士率いる軍隊と戦い、そして命を落としました。その際にあなたの相手をしたのが、盾の騎士の奴隷の少女です!」
それを聞いたエリカは思わず鼻で笑う。何故ならば、彼女の話した出来事があまりにも馬鹿馬鹿しかったからだ。
前世の話など魔法や化学でも証明できない。だからこそ、あの時、公開討論の際何大樹寺教祖相手にこの話をされた際に怒りに震えたのだ。あるか無いかも分からない滑稽無頭な話をマリヤが話したから。
エリカはそれを思い出したのか、刀を握る手に強い力を込めながら叫ぶ。
「ふざけるな!それ以上、あのお方を馬鹿にするのならば、わたしは本当に貴様を斬り殺すぞ!」
エリカは手に持った剣を振りかざすと、地面を蹴って飛び上がり、宙の上で弧を描く。
このまま一直線にマリヤへとその刀を振り下ろす。そうすれば、彼女の頭もしくは全身はたちまち夏の日のスイカ割りの日のスイカの様に粉々に砕かれてしまうに違いない。
エリカは勝利を確信して口元に勝利の笑みを浮かべて斬りかかっていく。
だが、マリヤは焦る様子も見せずに刀を取り出してそれを盾にして刀を防ぐ。
刃物と刃物とが重なり合う音。金属と金属とがぶつかり合う音が炎の中に響き合う。
「やはり、あなたは前世と同じ死に方をする運命さだめにあったのですね。なるべく変えようと思ったのですが、残念です」
マリヤは目を細めて心底、残念がった表情で告げた。口元から重い息が吐き出ていく。まるで、児童の説得を諦めた小学校の教師の様に。
それを見た瞬間にエリカの脳裏に過るのは幼き日の記憶。夕焼けの日差しが照り付ける夏の日の教室。
彼女はそこで課題をしていた。いや、していたのではない。教えてもらっていた。自発的に。
彼女は今でこそ優秀な職員としてCIAに名を連ねているが、昔は落ちこぼれで学業的には優秀に分類されない人間であった。
だが、それを救ったのがあの教室で教えてくれたあの女性教師。
知的でそれでいて嫌味のない女教師はクラスの人気者だった。エリカはそんな彼女の期待に応えるために成績を上げてCIAへと上り詰めたのだ。
彼女はその事を思い出すと剣を地面に落として嗚咽を上げていく。犬の様な大きな鳴き声が炎の中に響いていく。
大樹寺が施した洗脳など真の絆の前には何の意味もない。エリカの中に抱えていた思いは堰を切った堤防の様に溢れ流れていく。
彼女は両手を覆ってマリヤに懺悔の言葉を述べていく。
「神よ、お許しを……わたしは誤った教えに浸って、祖国を裏切ってしまいました。こんな罪深いわたしをどうか……どうかお許しください」
子供の様に縋り付く泣き叫ぶマリヤの髪を彼女は優しく撫でて優しい笑顔を浮かべて言った。
「あなたの罪を許しましょう。きっと、神様がお許しくださるでしょう」
エリカは安堵の笑みを浮かべた。しかし、それは邪悪な企みがバレていないと知った時の笑みではない子供の様な純粋な笑顔。彼女にとってはマリヤに抱き抱えられて神に許しを乞うこの時間こそが日本に来てから唯一、自らを曝け出して自らと向き合えた時間ではないのだろうか。できる事なら、この至福の時間を永遠に続けたい。
だが、そんな幸せな時間はそう長くは続かなかった。エリカは慌ててそれに気が付き、マリヤを突き飛ばす。
マリヤは尻餅を突いた後に突然の事に目を丸くしたが、やがて彼女が自分を突き飛ばした理由を知ると大きく憤慨した。
「卑怯よ!名前を名乗りなさい!」
彼女を背後から撃ち殺し、あわゆくば、自分をも殺そうとした卑劣漢に向かって叫ぶ。
例の卑劣漢はクックっと顔に嘲笑を浮かべながら、姿を表す。
その正体は男。あれが噂に聞く教団の幹部の一人だろうか。
男のヘラヘラと笑う様はノートルダムの嫌らしい判事の姿を連想させる。
男は手に持った拳銃を西部劇のガンマンの様に振り回すと、マリヤに銃口を構えて言った。
「あんただろ?ロシアの司教、マリヤ・カレニーナってのは?いやぁ、エリカを見張るためにここに来たらとんでもない大物が釣れたもんだぜ!」
「名前は?」
マリヤは杖から刀を抜き出しながら問い掛ける。彼女は先程までの笑顔を浮かべた女性とは思えない程の殺意に満ちた表情で撃った男を睨む。
「オレか?オレの名前は彩湊!女みてーな苗字だが、ちゃーんとした男だぜ!」
「そんな事は見れば分かります。彩湊……わたしにはお前の前世が見える」
彼女曰く彩湊の前世は中国の晋の初代皇帝、司馬炎に仕えた女官だという。
平民出身の彼女は苦労の末に女官に登り詰め、時に司馬炎を誘惑し、時に暗殺術を極め、司馬炎の影として活躍したという。彼女は二つの武器を用いて自身と一族とを繁栄しようさせようとしたが、晋の建国を祝う祝賀会の際にミスで手に持っていた酒瓶の中身を溢したために司馬炎の逆鱗に触れ、宮中の庭で無惨にも剣で一刀両断にされて殺されてしまったのだという。
だが、マリヤはそこで杖を上げて補足を行う。
「けれども、その晩、司馬炎はあなたをどのみち処刑するつもりでした。なにせ、あなたは建国の時から司馬炎の影として晋王朝を築き上げたのですから、司馬炎にとっては最も生かしておきたくない人物の筈……ましてや、自分が女性を使って天下を獲ったとは口が裂けても言えませんからね!」
「ふん、オレの前世がそうだから、今世でも同じ死に方をする?だとしたら、あんた、相当におめでたい頭をしてんな。気分爽快、ハッピーハッピーってとこか?それによぉ、お前の様な、いかにもお嬢さんって顔の温室育ちの上品な司教様にオレが殺せるかよ?」
「……教祖の命じられるままに人を殺し、その様を笑うあなたに今日を生きる資格などありません」
マリヤはそう言うと剣を両手で持って、自身の意識を集中させていく。
そして、そのまま一刀両断に彩湊を斬り伏せる。彼女の剣戟は豪風よりも素早く、稲妻よりも早い斬撃であったためか、彩湊は防ぐ暇もなくあの世へと旅立つ。
その顔は最期まで嘲笑った顔のまま。彼女はその醜い顔を一瞥すると、フンと鼻を鳴らして孝太郎の後を追い掛けていく。
そして、決着を付けるのだ。全ての人々の自由を奪い、全ての人々を自分の手駒として操る残虐非道な教祖を。現代に蘇った最悪の悪女白雪姫と。
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