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1章:荒涼たる故郷
8.マナーの時間
しおりを挟む邸に戻り書斎の机にガラスシェードと布シェードを置くと、一息つきたくなり椅子に腰かけた。船から下した荷が整理されたのか、部屋の本棚には私物の本がギッシリと詰められ、マカボニー製の茶色でツルツルした高級デスクの引き出しには、まだ読んでいない世界各地から奪った記録の束が綺麗に収まっていた。
その様子に少しの間うっとりとしていると、机の上にベルに目がいった。
確かこのベルを鳴らせば紅茶を使用人が持ってくるんだった。そう思ってチリンチリンと鳴らすと、執事のオブリがグレイビーソースのかかったローストビーフを持ってやってきた。
「あれ?紅茶は?」
「二度ベルを鳴らされたのでお食事をお持ちしましたが?」
ベルの鳴らす回数で出てくるものが違うらしい。
それは知らなかったと執事に、ベルの回数によって何が出てくるのかを聞くとベルを一回鳴らすと紅茶が、二回鳴らすと食事、三回目鳴らすと新聞という話をされた。
コレは前任のボルが決めたことではなく、執事達は王都の執事学校でそのように習い、貴族達もまた執事がそのように習うと言う事を貴族の学校で勉強するらしかった。
頭の悪いことを勉強する時間があるならもっと別の役に立つことを勉強しろと思うが、この馬鹿なしきたりがまかり通るのがライトクラウン王国の貴族社会らしい。
しかし言われ気付いたが、確かにオブリは常に完璧な姿勢を保ち、彼の仕立てられた黒のジャケットは一つのシワもなく、白いシャツは襟元までぴったりと合っていた。彼の動きは、王都の執事学校で磨き上げられたものだろう。
それだと言うのに、使える主人が寄りにもよって海賊とは彼も運の無い男だと少し哀れにも思えた。
そんな可哀そうな男が持ってきた昼食を取りつつ、新聞を見ようとしたら彼は眉間に皺を寄せて注意をしてきた。
「食事中に新聞を読まないでください。あと、お食事中の私語もマナー違反です」
別に俺の勝手だと思って言い返そうと思ったら出鼻を挫かれる。
「ヲルター様。どうか我々が誇れる立ち振る舞いをなさって下さい」
「むぅ…」
独裁者として持ち上げられる気分は悪くないし、彼らの期待にも応えてやりたいからここは我慢するしかない。それにしても貴族という生き物は庶民とは違う生き物のようである。
それからは残念だが少し窮屈に思いながら、新聞もなく一人書斎で執事に見張られながらライトクラウン王国伝統の豪勢な料理を黙々と食べる事になった。
皆でガヤガヤと食事をしていたのがすでに恋しくなる。ライトクラウン王国の貴族達はこんなに静かな食事で気が狂わないのだろうか。
全て食べ終わり、執事にソレについて聞くと「家族であっても食事中は静かに食べます。当たり前です」と言われた。それに付け加えて、「食べた後に話せばいいじゃないですか」と言われた。
「こう、楽しく食べたくないかい?使用人達も一緒にさ。そうじゃないとさあ、こちらとしては寂しいんだよ」
「料理の味を楽しんで下さい。それと食べながら話すと口の中が見えて下品でしょう?」
「これからずっと食事は黙って食べなきゃいけないのかい?」
「ヲルター様、一流の品格がどのようにして陶冶されるのか御存知でしょうか。それは人が見ていない場所でもマナーを守ると言う姿勢があってなされるモノなのですよ?」
「むぅ…」
さも当然のように言われると中々に言い返しづらいな。海の上ならこんなことをいう奴は魚の餌にしてやるのに。
「今がそうでなくても、いずれは我々の誇れる主になっていただかなければなりません。貴方にその気概があられますか?」
「中々に挑発的な事をいう執事だね」
そう冗談を言うと、
「主を社会で成功させるためにその身を捧げるのが執事の務めでございます」
と大真面目に返答された。ちょっと変なのかと思い他のメイドを呼んで同じ質問をしても似たような返答が返って来た。使用人というのは揃いも揃ってマゾヒストなのかもしれない。
「気概だとか、誇りだとか。俺そう言うのあまり口で言うの好きじゃないんだよね…さっ、食事は済んだんだ。朝刊と紅茶を持って来ておくれ」
そう言って持って来てもらったオブリの淹れたての紅茶が入ったコップを前にすると、すぐに目の前の紅茶が今までに飲んだものとは違うことが分かった。
まずカップが丁度いい熱さである。お湯を注ぐ前から暖かかったのではないかと推測できる。
そしてまず紅茶の湯気が上がる中で、ブランデーの香りが少しする。それに少し別の香りもするが、それが何かは分からないが良い匂いなのは間違いない。高貴な香りが鼻腔で舞い踊り、脳を香りの海につけるような味わい深さがある。
「ハッ、ハハハッ、アハハハハハハハハハハッ」
「どうかされました?」
「いい香りだよ。オブリ」
「恐悦至極にございます。ラプサンスーチョンにブランデーを数滴、角砂糖に染み込ませたものを溶かしてお出ししました」
得意げにオブリはそう紅茶の説明をしてくれたが、全然知らない銘柄だった。アッサムとかアールグレイとかじゃないらしい。
(紅茶の味なんて全然分からない馬鹿舌な主でごめんよ)
それから十分に香りを堪能した後に香りと共にスッと最初に口にしたその瞬間、もう驚かないと思っていたのに紅茶とブランデーと砂糖のトリプルパンチで見事にノックアウトされた。
(う、美味い、何だ、コレは。本場の執事が作る紅茶とはこれほどに美味いのか)
そして味覚を通して口角が上がる。このお茶でしか表現できない独特な味が、ブランデーと砂糖とマッチしていて語彙が消失するほどに美味かった。
そんな紅茶の余韻に浸りつつ、パラッと新聞を開いた。オブリの持ってきた新聞は国営新聞と町新聞の二紙だ。国営新聞にはチラッと見た瞬間に俺の悪口が書いてあったためすぐに目をそらして破いて捨てた。
それから町新聞にはオーキッドの記事が載っていた。彼女が俺についてどのように書いているのか気になり見てみると、見出しは【新しく就任したのは海賊の領主、顔は髑髏だが対応は丁寧】だった。
記事にはそれから【泥を被ったような見た目で】や、【猛禽類のような鋭い眼光】という表現がされていた。実際に体を洗っていなかったため病避けのために泥を被ったいたのは間違いないし、猛禽類のような目というのは鷲の獣人とハーフのためそのままである。
それにしてもこのように書いていながら、今日よくゴンドラの上にいる俺を見つけられたものだと不思議に思った。
彼女との初対面時には髑髏のメイクをしていて泥に塗れていて髪も黒っぽかった。しかしゴンドラの上にいた時は洗い立てで白い髪をしていたし、メイクも全て落とした後だ。どこを見て分かったのだろうか。不思議だ。
そんな事を思いながら読み進めて行くと、他にはこれまで分かっている経歴や、これからは国防として海を守る海軍を指揮することもかかれていた。
よく調べられているなぁと思いながら新聞をめくって紅茶を飲み、食後の余韻に浸る。そうして新聞紙をめくっていると目の端に箱に入ったガラスシェードが映る。
不測の事態を想定して布シェードと共に買った保険の一つだ。
「保険の保険だけど…一応行っておくかな」
腹も満たされたことだし、食後の運動も兼ねてガラス細工店に足を運ぶことにした。
「ヲルター様どこに行かれるのですか?」
「食後のお散歩さ。オブリ君もついて来るかい?」
「いえ、自分も仕事があるので…ですがせめてフットマンをお連れください」
「いいよ。すぐソコだから」
そう言って邸を出た。
太陽の暖かな光が街を包み込む中、街は少ないながらも観光客を呼び込み何とか冬越しに備えての蓄えをするために奮闘しているようだった。
そんなアーケード街の中に、赤と金色の鮮やかな装飾の施された看板が目立つお店があった。それは他のどの店よりも大きく、それに見合う大きなガラス窓からは煌びやかなチャンデリアの光が溢れ出ており、通りを行く人々の視線を引きつけている。
あそこが富裕層の商人や貴族達で賑わうこの街一番の工芸品店である。店の外観からして既に煌びやかで、豪華なガラスの作品が窓越しに光を反射し、通りを歩く人々の目を楽しませていた。
到着すると、今日も賑わいを見せているようで広い店内には中流・上流の人間達がガラスに見とれていた。彼らの間を縫うように進むと、ガラスの美しさに囲まれた空間が、心地よい緊張感をもたらしていた。
店の店主に声をかけるとすぐに仕度をすると言われ、裏手前の扉の前で待たされること数分。バタバタと音をさせながら店奥から店主が走ってやって来た。その慌ただしさが、この店の忙しさを物語っているようだ。
「これはヲルター様、この度は騎士のご就任おめでとうございます」
店主の言葉は敬意を込めているように感じられた。実際にはそんなことはないのだろうが、彼は長年の経験から上手な嘘をつくことの出来る商人のようだった。
「ありがとう。この店の工房の人間と話がしたくってさ。時間、空いてるかな?」
そう言うと、店主の横にいた店員はブンブンと首を横に振った。その動作に一瞬不安がよぎるが、しかし店主はニッコリと笑って、
「もちろんでございます。空いてなくても空けますとも」
と言って店の奥にある応接室に案内をしてくれた。
口角どころか目尻もしっかりと上げており丁寧な作り笑顔である。その表情は、何百回も交渉を重ねてきた商人特有の自信が溢れているようであった。
「いやぁ、そんなに急ぎの話じゃないんだよ。コレを真似れないか聞きたかっただけなんだ」
応接室の机を挟んで椅子に座り、早速コチラからそう話を切り出した。穏やかに聞き取りやすくゆっくりと、相手の言葉のスピードに自分の話のペースを合わせる。ただ相手に不安を抱かせないように、眼差しだけは真面目なまま。
そうしてガラスシェードの箱を店主の前に置いて、店主に中身を確認させる。
「おぉ…コレはまさか」
店主が驚愕の声を上げ、その声は応接室に響き渡った。
彼は驚愕したときには目を見開き、手を叩いて大声で褒め称える。その大仰な動作が頭の悪い貴族達にとっては気分の良い物だったからこそ、ここまでこの店は繁盛してきたのだろう。
店長の「コレはまさか」、一つからでもこの店がなぜ繁盛出来ているのかがすぐにわかる。
「ガラス製のシェードなんだけどね。今日ダークヘイヴンにあるホビットの店から二百シリンで買って来たんだよ」
応接室についてある布のシェードを指さながらそう言うと、店主は少し口が空き震える手で恐る恐る箱を机の上に戻した。そして店主は白い手袋を店の者に用意させた。
「我々では店先で眺めるのが精いっぱいでしたが…ほう…実際に間近で見るとなんと精巧な…」
店主はガラスシェードを余裕で買えるほどの資金があることは知っている。ただこれも相手を持ち上げるための常套句なのだろう。
「コレと似た物をココでオリジナルとして作れないかな?」
「現物が近くにあれば確かにより近い物は作れるとは思いますが…ホビットの技術力にまだまだ人類は追いついていない部分がありますから。ご期待できるものを作れるかどうか」
店主の言葉は慎重であり、同時にホビットの技術への畏敬の念を滲ませていた。
ここで安請け合いされるよりも信頼が出来る。
ここにガラスシェードを預けて模造品を作って貰う約束をどうにか交わしたいが、さてどうしよう。
一度大きいお願いを断って貰ってから、この件をお願いするとして様子を見るか。
「そっか。じゃあさ、ちょっと工房見せてくんない?」
特大の無理なお願いを店主に押し付けてみる。さあ断れ。断って次のお願いを断り辛くなれ。
「え…!?…それはウチの企業秘密ですのでちょっと…」
「じゃあこのガラスシェード上げるからさ。それでどうかな」
コチラの提案に、明らかに店主の表情に葛藤が見られた。しかし案外呆気なく決断はすぐだった。
「…承知しました。口外無用でお願いしますね」
冗談で言ったつもりだったのに企業秘密を二百シリンで見せてしまうらしい。
「うん分かってる。俺は知的好奇心だけには勝てないんだ。知らない物なら知っておきたいのさ」
「さようでございますか。ではご案内させていただきます」
たった二百シリンでダークヘイヴンの一大産業の裏側を見ることが出来てしまったことに、何かこの店主の思惑を感じずにはいられなかった。
もしかすると俺は化物の口の中に足を踏み入れてしまったのかも知れない。
応援ありがとうございます!
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