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聖女の価値

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「お呼びですか、お父様」
執務室にユリアを迎え入れた男爵は、なんとも言えない表情を浮かべた。
「ユリア…少し困ったことになってしまったよ」
王家の刻印が押された召集令状、文書には、大地の龍アースドラゴン浄化の命が下されたという内容が記されていた。
褒賞は次代の男爵継承権と少なくない賞金だけれど、私に対する保証はなし。
つまり、失敗は許されないということだ。
全て読み終わり、ユリアは男爵に向き直る。
「大丈夫です、お父様。私、北の地へ参ります」
「すまない、私がもっと高い位の貴族であれば断る事も出来ただろうが…」
本気で心配してくれているのが、その表情や仕草から伝わる。
ユリアは微笑んでその腕に触れた。
「ただの村娘であった私をここまで守り育てて下さった、今度は私がお返しをする番です」
「ユリア?!知っていたのか」
「はい」
「そうか…」
次の言葉を探し、戸惑う男爵にユリアはそっと言葉をかける。
「それでも、お父様の愛を疑ったことは有りません。では、早速、旅支度を始めますので、失礼いたします」
扉へと向かう背に、男爵は慌てて声を発した。
「ユリア!」
「ーーはい?」
「これからも、私の娘でいてくれるかい?」
「そんなの、当たり前じゃないですか」
ユリアは花が綻ぶような笑顔で答え、今度こそ扉の外へと向かった。
(ああ、なんて嬉しい答えだ)
男爵は掌を額に当て、微笑んだ。
ユリアは聖女だ、その価値が証明されれば、男爵程度の手に負えない事態に巻き込まれる。
「願わくば、彼女の未来が幸せであって欲しいものだな」
窓の外では、もうすぐ夏を思わせる木々の緑が目に沁みた。

二日の準備期間を経て、王宮からの馬車がやってきた。
「ご準備はこれだけでよろしいのですか?」
「ええ、大丈夫です」
ユリアの側には侍女一人と、トランクがニつだけ。
使いの者が戸惑うのも無理はない、貴族令嬢の支度としては少なすぎる荷物なのだ。
道中はなんの問題もなく、王宮に到着すると、直ぐに謁見の間に通された。
「表を上げよ。そなたが、ドルチェラン男爵令嬢か」
「はい、ユリア・ド・ドルチェランが国王陛下にご挨拶申し上げます」
仰ぎ見た国王の顔は、婚約の挨拶をした前世の記憶そのまま。威厳を感じる深い青の瞳も、白髪の混じる白金の髪も、まさに王族を象徴するに相応しい姿だった。
(前回の通りなら、後5年足らずでこの方が急逝されるというの?)
複雑な思いを胸に、王の言葉を受ける。
「うむ、ドルチェラン嬢。神より聖女のギフトを賜ったのは、そなたで間違い無いな?」
「間違い御座いません」
「では、先に通達をした通り、大地の龍アースドラゴンの浄化に当たってもらいたい」
「謹んでお受け致します」
儀礼的な定型通りの会話が繰り返され、謁見の間を後にする。
廊下を侍従に案内されて進んで行き、一つの部屋に通された。
(豪華な応接間ね、どなたのお部屋かしら?)
見渡す限り、高級そうな調度品や家具が並ぶ部屋で紅茶をすする。
「謁見、お疲れ様!」
しばらくして、扉が開く音とともに、聴き慣れた声が響いた。
「タイラン!」
「急な呼びかけにお答えいただきありがとうございます。危険に巻き込んで申し訳ありませんが、よろしくお願いしますね」
「リカルド先生もいらっしゃったんですね!大丈夫です、頑張らせてもらいます」
「今回は浄化の旅は災害地へ向う過酷なものになるから、その前に、君に少しゆっくりして貰おうと思って、僕の部屋に案内してもらったんだ」
「アクシア王子の、お部屋…」
前回の人生で、この部屋を訪れたことは無かった。
婚約はしたものの王族を含む貴族からの反発は強く、気軽に王宮に訪れることは出来なかったのだ。
ここに来て、前回の記憶や感情が色濃くなり、胸を締めつけた。
「少しはくつろげるだろうか?」
「はっ!はい、ありがとうございます」
部屋をノックする音が聞こえ、アクシア王子が入室を許可する。
「紹介しよう、弟のアンドレだよ。アンドレ、こちらは僕の学友のタイラン君とユリア嬢だよ」
紹介されると、アンドレはまずタイランに「よろしくお願いします」と握手をし、次にユリアの側に歩み寄る。
父王や兄と同じ白金の髪、親戚であるリカルドに似た緑の瞳、まだ幼さの残るあどけない顔立ちなのに、確かに死刑を言い渡された時のあの顔をしている。
近づくほどに心臓が早鐘の如く鳴り響き、血の気が引いていくのが判る。
(あ、だめ!)
プツリと意識が途切れる最後に、誰かに受け止められた感覚だけが残った。


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