背の高すぎる伯爵令嬢

草部昴流

文字の大きさ
上 下
2 / 2

第二話

しおりを挟む
「その、わたし、背が――」

「はい。背が?」

「背丈が、あまりにも高すぎるでしょう? ですから、少しでも目立たないようにと、それで、背中を曲げて歩く癖が付いてしまったのだと思います」

 最後のほうは消え入るほど声が小さくなっていた。ほとんど初対面に等しい男性に対して、このように赤裸々に内心を打ち明けたことはいままでなかった。

 だが、スチュワートという人物には、たしかにそんな風に人を率直にさせる何かがあったのである。

 彼はその言葉を聞いて、幾度か青い目を瞬かせた。

「そうなんですか! それはとても勿体ないなあ。あなたのすらりと伸びた背はとても素敵なのに。わたしのようなちび・・びっこ・・・からすると、とても羨ましいくらいですよ!」

「そんな」

 リザベルはこの大貴族の令息が、自分のことをちびだの、びっこだのと卑下してみせることに困惑した。

 それでは、この人も、自分の足のことをまったく意識していないわけではないのだ、とわかった。彼女はそのことで、何となく彼に淡い仲間意識を持った。

 不自由な足を持って生まれた彼ならば自分のこの苦しみについていくらかわかってくれるのではないか、とどこかで考えたのだった。

「ねえ、リザベルさま。わたしには、あなたがその背のことでどんなに悩んで来られたのかはわかりません。そのわたしが、気にするなと云ってもあなたの心には響かないでしょう。でも、ひとつだけ云わせてください。わたしは、その高いお身丈も含めて、あなたという人がとても好きですよ。だから、結婚したいと思ったのです。あなたのほうは、わざわざこんなちびと結婚したいとは思わないかもしれませんが」

「そんなことはありません。スチュワートさまは素敵な方です! だけど――」

 そのとき、リザベルは彼女らしくもなく、大声を張り上げていた。そして、自分が非礼を犯してしまったことに気づくと、いよいよ背を歪めて椅子の上に縮こまった。

 そんな彼女を、スチュワートはいよいよ愛しそうに見つめて来る。

 リザベルは彼のその態度に当惑させられた。なぜ、こんなわたしなんかにそんなに大切そうにしてくれるのだろう? わたしのような背の高すぎる女と結婚したりしたら、いよいよその足のことが噂されるだろうに。

「その、スチュワートさまに問題があるわけじゃありません。むしろ、問題はわたしのほうにあるんです。大変失礼かと存じますが、わたしはスチュワートさまより随分と背が高い。わたしなどと結婚したら、スチュワートさまは物笑いの種になってしまいますわ」

 スチュワートはまたも二三度、瞬きした。

「そのようなこと、一向にかまいません。云いたい奴らには云わせておけば良いのです」

「でも――」

「そもそも、なぜ、ちびであることが悪いのです? わたしの片足が生まれつき短いのは事実ですが、それはべつにわたしの責任ではない。したがって、わたしは何も悪くはないし、そのことで謗られるいわれもない。そう思います。違いますか?」

「たしかに、その通りです。それはそうですけれど」

 リザベルはどう云ったものか迷った。スチュワートの理屈はまったくの正論だ。しかし、云い換えるならただの正論であるに過ぎない。彼ほど強い人間ならその理屈を通せても、心弱い自分には無理だ。そう思った。

 スチュワートはそんな彼女を温和な視線で見つめた。

「もちろん、あなたが悩まれることも良くわかります。口さがない者たちに噂されるのは、くやしいものですよね。だから、あなたにはもっと背の高い夫を探す権利もある。あなたよりもっと背の高い人と結婚すれば、あなたを苦しめているその特徴もさほど目立たないことでしょう。反対に、わたしのような者と結ばれれば、たしかに人は色々と噂するでしょうね。ちびとのっぽの夫婦なんて、お厭でしょうか」

「それは――。あの、スチュワートさま。あなたはどうしてこんなわたしをそこまで評価してくださるのです? あなたのほうこそ他にもいくらでも清楚な姫君がいらっしゃるでしょうに」

 侯爵家の令息はくすりとほほ笑んだ。

「そうですね、このようなびっこでも気にしないと云ってくださる方も幾人かはいらっしゃるとは思います。でも、わたしはあなたが好きなんです。ねえ、リザベルさま。ほんとうに憶えていらっしゃらないのですか。わたしがこの足に悩んでいるとき、救ってくださったのは、他ならないあなたなんですよ」

「え?」

 リザベルは唖然と言葉を失った。スチュワートはそんな彼女を面白そうに眺める。それから、なぜか、どこか遠いところを見つめるようにして訥々とつとつと語り始めた。

「あれは、そう、十年も前のことになるでしょうか。わたしは当時、この足のことでとても深く傷つき、悩んでいました。幼かったからでもあるでしょうが、世界のなかで、この足のことほど重い問題はないように思っていた。そして、わたしはたまさか宮廷で子供の頃のあなたと逢った。まあ、お互い貴族同士、それ自体はべつだん不思議なことではないでしょう。しかし、自分がこの世のだれよりも不幸だと信じているわたしに向かって、その頃のあなたが何と云ったと思います?」

「何と、云ったのですか?」

 リザベルは思わず訊ね返した。もしかしてよほど失礼なことを云ってしまったのではないか。そうも思ったが、聞かずに済ませることはできないように思った。

「あなたのそのお足、物語の主人公みたいでとても素敵ね、と」

 スチュワートはついに可笑しくてたまらないというように笑いだした。

「子供の云うことです。真に受けるほうがおかしいのかもしれない。しかし、それでわたしは思い出したんです。そう、昔から物語や伝説の主人公には跛行はこうの者が少なくない。見方によっては、わたしはひとつの物語の英雄のようなんだと気づきました。世界が逆転するような衝撃でしたよ。後で、その子供が伯爵家の令嬢だと知って、わたしはあなたのことを目で追うようになりました。そうして、何と可憐で、優しい姫なのだと感じることになった。この世にはこんな子もいるのだ、とね。そのとき、初めてわたしは自分を哀れむだけの殻のなかから出て来ることができたのでしょう。わたしはそれでほんとうに救われた。だから、いま、あなたが背丈のことで苦しんでいるのなら、どうか今度はわたしのほうから云わせてください」

 スチュワートは静かにその場に立ち上がり、その片足を引きずりながらリザベルの座る椅子のところまで歩み寄った。そうして、あたかもあたりまえのことのように、その場にひざまずく。

「その背の高さは、あなたの最高の魅力です。わたしは糸杉のようにすらりとしたあなたが好きなんです、リザベル姫。わたしはあなたといっしょに幸せになりたい。もし、こんなわたしで良ければ、どうか結婚していただけませんか」

「――はい」

 リザベルの白皙の頬を、あとからあとから、音もなくこぼれ落ちた涙が伝わっていった。彼女はスチュワートから差し出されたその手を、そっと、おずおずと、遠慮がちに握った。

 このような弱く愚かな自分に対して、それでも手を差しだしてくれる人がいる。そのことが、ひとつの信じがたい奇跡のように思えた。

 スチュワートが安堵したように胸を撫で下ろす。彼もまた、緊張していたのだと、勇気をふり絞って言葉を紡いでくれたのだと、初めてわかった。

 この人が好きだ、と思った。

 こうして、クレイトー伯爵家の令嬢リザベルの運命はアダムス侯爵家の子息スチュワートと固く結びつけられることになった。

 リザベル・アダムス。

 後世に云う白銀王朝の気高き花、〈糸杉の美姫〉とは彼女のことを指す。

 リザベルを知る者は、いつも凛然とその背筋を伸ばし、だれに対しても堂々とした態度を崩さない人だったと、心からの賞賛を込めて、そう語るのが常であった。

 いまとなっては、遠い昔の、これはささやかな恋のエピソードである。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...