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かつて神のしもべだったボク。下

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「何が神様だ!何が導き手だ!何が神に仕える者だ!結局……ボクはなにもできていない……!持っていた知識ですら、今の医学には到底及ばない程に後れをとっているのに……!助ける術も無いまま、あの子の笑顔を何度奪えば気が済む?お前は一体何者なんだ!弱いだけのただの神の成り下がりか!お前は何を任されてここに来たんだ!本当に……ボクはここへ何をしに来たんだ……アクエリアス様……どうしてこんな試練をお与えになったのですか……」

 ……また、誰かのせいにしようとした。

『下らない人間共の戯れ合い程、この世に於いて醜いものはない——』

 突然、自分の頭に過去の記憶が鮮烈に蘇る。

 毎日、そう、毎日同じ風景を見ている自分。虐められる側に問題があると、あの時は思っていた自分。心の中で、どこかで、友達とは思っていても自分には的が絞られないようにしなくちゃと野次馬の中に溶け込む事で無意識に蚊帳の外から眺める様になっていたあの頃の自分。既に、あの時から試練は始まっていたのかもしれない。

 いや、違う。わかっていたんだ、自分が未だに人間そのものの真理を理解できていないのが原因な事くらいは。彼女をあんな運命へと運んだのは、恐らくアクエリアス様の所業なのだろうとずっと予想はしていた。しかし、人の運命の分岐点を最終的に人に決めさせていたあのアクエリアス様が、どうしてここまでできるものかと薄々心配ではあったが、元来そんな薄情な人間以外の感情などどうでもよかった。今更、薄情者に対する情けなど生まれやしない。

 今ここにあるのは、絶望だけだ。

 ——頭が真っ白になる、足下がふらついて立ち上がれそうにない。

「一体ボクは今どこにいるんだ……」

 ——目の前に柵がある。

「ああ、こんな時に……」

 ——いっその事……今ボクがこの人生ときを諦めてしまえば……あの子はボクを忘れたままゆっくりと死ねるだろうか。

「なんて綺麗な空なんだ」

 ——キミと、もっと一緒に歩きたかった……。ボクにとっても初めての友達だった、キミとの出会いも……、

「真っ白に……全てをゼロに戻しても……」

 ——心が崩れていく音がする。それと同時に、不思議と足は軽くなる。そうか、もう——終わっていいんだ。

 あと一歩で柵に手をかけようとした、その時だった。

「アリアちゃん!」

 聴き覚えのある声だ。

「……!」

「アリアちゃん!アリアちゃん!」

 何度も、何度も何度も聴いた声音だ。

「……どうして」

 けど、今更名前を覚えたところで、キミはボクの事をもう覚えちゃいない……。

「ごめんね……!ほんとにごめんね……!」

「謝られても……それは前のキミじゃな——」

 思わず開いた目を閉じる事ができなかったボクは、走り飛びついてきた彼女に柵へとぶつけられて雪崩れ込む様に芝生の上へと倒れ込む。

「か、花梨ちゃん……?」

「そうだよ、花梨だよ。大親友のアリアちゃんの友達、花梨だよ!」

「思い……出したの?」

「アリアちゃんの声が、本心から伝えるその声が私の身体のどこかが覚えていたのかもしれない。でも、やっぱり忘れちゃってたんだね……ごめんね、ごめんねえ……」

 ボクの胸の中で泣きじゃくる彼女の姿に思わずこちらまで涙が流れた。気がつくと、ボクらは色々な感情が込み上げてその意味を抱きしめるカタチで伝えた。

「私、もう一人はやだよ……こわいよ、こわいよお」

「ボクもキミなしじゃ生きていけないよ」

「アリアちゃん、約束して」

「ん?」

「もし、私がまたアリアちゃんの事を忘れてしまっても、アリアちゃんはまた友達になってくれる?」

「それは……でも、ボクの気持ちがまたぐちゃぐちゃになっちゃうよ……」

「身体はアリアちゃんの事を好きになのを知ってた。だから、記憶がない状態の時ですら、君のことを怖いと思わなかった。それは本当よ」

「本当に?」

 彼女は優しく微笑みかけて、ボクの頬を両手で覆った。

「ほんとよ。だから、何度でも友達になって。そして、毎日私の生きた証を、このノートに残して」

 彼女がボクに渡したもの。それは……、

「これは……?」

「アリアちゃんをまた思い出す為に、今までの事も、これからの人生の旅路を記憶しておこうと作ったもの。明日またアリアちゃんを忘れちゃったとしても、今日の出来事だとか、今までの些細な事でもなんでもいいの。それを書き記して見れば、色々思い出せる気がして……」

 事実上の、エンディングノートだ。

「……やってみなきゃ分からないね、こればかりは」

 思いの外淡々と話を進める彼女に動揺が隠せない。

「それがね、私がさっき看護師さんから渡されたこの写真を見て咄嗟に思いついたのよ。ほら、これ懐かしいでしょ?」

 そこに写っていたのは、去年のクリスマスで、小児病棟に居る子供達とクリスマスパーティーをして最後に片付けをしている時に撮ってもらったボクと花梨ちゃんとのたった二人だけのツーショット。

 だけど、この写真は貰ってない。ボクが貰ったのはみんなとの集まった写真だ。それでもその写真を立てて自宅に大事に飾ってある。この時の彼女の笑顔も大好きだ。

「う、うん、こんなの持ってたんだ。ボクですら渡されてないのに……」

 にっこりと笑う彼女は人差し指でボクの頬をつついてみせる。

「ふふ、そりゃそうよ。私が看護師さんにお願いして私だけの宝物にしたんだからっ」

「なんでー!もう一枚欲しいよぉ!」

「分かってる。だからね、あの時二枚現像して貰ってたの。でも、よく喧嘩ばかりしてたから渡す時少なくって……ごめんね」

「そんなこと……ううん、だめ。こればかりは許さない。だから、ボクの事を忘れたとしても、絶対毎日ノートを見る事。病室へやのベッドから起きた時すぐ見えるように大きな画用紙に貼るから。忘れないじゃない、友達との約束。良い?」

「うん!」

「——決めたよ。ボクは、高校へ通う。そして、医大生になって、キミやキミと同じ患者の人達をも救える、そんな心の強い精神科医になってみせる。でも、辛い時はキミのそばに行くから。花梨ちゃん、ボクはキミをずっと頼りにしてる。心の底から、キミを感じてるから」

 未来の運命など、誰にも予想は付けられない。

 それはきっと、神様でさえも予知することはできない。

 ボクは思い出した。ボクらの神は、運命を決める事が役目ではない。ボクらが鉢合わせる様々な難局の壁を乗り越えられる様に、数多の分岐路から有効な策を絞り出してせめてもの救いで、選択肢を与えてくれているのだと。

 神様は……ちゃんと見てくれていたんだね。

 日本独自の神様に対するお祈り仕方を教わった事がある。それは、あくまで仏教なのだけれど、それでもこの気持ちはどうしたって口で伝えられるものではない。だから、この形で感謝を述べようと思う。

 ——合掌。

「ありがとう、アクエリアス様」

「どしたの?いきなり手を合わせちゃったりして」

「ううん、なんでもない。さ、部屋に戻ろう。帰って明日の話をしよう」
 
 そうだ、明日もきっと笑っていられるように、花梨ちゃんとの日々を噛みしめたいから。

 幸せはいつだってボク達が掴むものだと、そう誰かが教えてくれた気がした。

「明日は、どんな明日が来るのかな」

「きっと——」

 きっと、また笑えるよ。

 ボクは、神様の巫覡。キミ達を守る存在。いつだって、そばに居る。

 運命の高い壁は、きっと、誰だって乗り越えられる。

 信じるものが、そこにある限り。
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