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4章 港町ミガルへ
朝食は港町のカフェでーー陰謀のスパイスを添えて
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「俺のいない間に、皆さん、なんだか仲良くなっていませんか」
首都から戻ったエイラスの第一声はこれだった。王に呼ばれ用事を済ませてミガルに戻れば、彼らの間には穏やかな雰囲気が流れていた。
一番の変化はエンバーだった。神秘の認定がなされた彼は、その力に名が付き意味も分からず虐げられていた半生の理由がわかったことで、以前のような危うさは影を潜めていた。相変わらず無口ではあったが、柔らかな表情を見せることも多くなった。
そのエンバーは、大きな口でパンに齧り付いていた。ハーブの練り込まれたほんとりと酸味を感じるパンにも慣れた頃、あと2週間でミガルを経つ予定になっていた。
「修道院での出来事のおかげだな。エンバーのためにみんなが動いた。」
そう言いながらガヨはフォークで薄い肉を折りたたみ、口に運ぶ。
一行は港町のカフェに来ていた。炎暑が過ぎ、和らいだ日差しの中、海を臨むテラス席で朝食を取っている。
「そこにいられなかったことが残念です」
エイラスは薄く焼かれたパイを目の前にして、悔しさをにじませた。
「いじけるなって」
カタファがエイラスにナイフとフォークを渡した。テーブルの上に乗せた拳を解いて、エイラスはカトラリーを受け取った。
「あん時は大変だったからな。グルーザグや司祭に探り入れて、けん制して。一山、皆で越えたって感じだ」
「ジブ。色々策を立てて実行したのはガヨとカタファだろう」
フォークの先をエイラスに向けながらにやにや笑うジブをエンバーが諫めた。
「俺もほぼ寝たままで何もしてない」
トニーはそう言うと、白身魚のソテーをナイフで切り頬張った。何度か口が動いたかと思うと、軽く目を見開いてまた一口、今度は大きめに切り分けて口に入れた。おいしい? とジブがトニーの顔を覗き込む。
「司祭の解任を王に後押ししたのは俺ですよ」
エイラスは硬めに焼かれたパイにナイフを入れた。パイは切れたが、同時に皿にフォークが当たる高い音がテーブルに響いた。
「確かに。ずいぶん早く解任の掲示があった。お前のおかげだったのか」
ガヨは皿の上に乗せられた大きな肉を切っている。エイラスは、そうですよと文句を垂れつつパイを頬張った。エイラスとて、首都でぬくぬくとしていたわけではなかった。
エイラスが首都に戻ってから、王の欲情の戯れに付き合っていると、臣下がグルーザグから届いた書面を持ってきた。臣下は寝室にいるエイラスには目もくれず、王の元へと一直線に向かう。
「ミガル騎士団長からだね。ミガルは、エイラスが今、任務で訪れているところだね? お仲間はきな臭いに巻き込まれたみたいだよ」
「そうなんですか。書類、見せてくださいますか」
「いいよ。少し待っていてね」
ベッドボードに背を預ける男こそ、このヒューラ王国の王国、ヒューレスだった。太陽が溶けたような力強い金色の神に、抜けるような澄んだ碧眼。透き通る白い肌は美しくみずみずしい。齢は40も半ば過ぎ、ルガーとそう年齢の変わらないはずのヒューレスは、エイラスと変わらない肌艶と体つきをしている。
時戻しの神秘。エイラスはヒューレスの神秘がそれであると読んでいた。
「ほら」
エイラスは書類を受け取った。ーーミガル修道院司祭、解任要請書ーーと表紙には書かれている。
書類を流し読みをするとミガル修道院の司祭が、神秘を人為的に顕現させようと人体実験を”単独で”行っていたと記されている。そしてそれは、首都騎士団のある分隊の働きにより判明した、と。
そこにエイラスの名はなかった。
ヒューレスのお気に入りであるエイラスが、ミガルで面倒事に巻き込まれたとなれば王が機嫌を損ねるかもしれないと意図的に削除したように思える。
グルーザグの暗い微笑みを思い出し、エイラスはかすかな苛立ちを覚えた。
「大変な思いをしている子がいるんだね」
ヒューレスがエイラスの頰を撫でる。エイラスはその手にすり寄った。それを見たヒューレスは満足げに微笑み、そのままエイラスの髪を撫でる。こうして恋人のように甘えれば、ヒューレスは機嫌よく胸の内を話すのだ。エイラスにとって王との情事はこのためにあった。
「エンバーと言うが今回、神秘を得た子なんだね」
「そうですね。それにしても、その司祭は許せません。神秘をなんだと思っているんでしょう」
エイラスが気色ばんで言うと、ヒューレスも大きく頷いた。エイラスは、ミガル司祭は解任は確定するだろうなと感じた。
「それにしても、市民で二人目の神秘の顕現か」
一転してヒューレスの声が冷ややかになる。
「エイラス、少し前に顕現した子も騎士団にいたよね? 彼に会いたいな」
「どうしてですか?」
王が言っているのはトニーのことだ。
疑問を投げかけるエイラスの唇に、ヒューレスは指をなぞらせた。解任要請書にはほとんど名が出なかったトニーの話題に、エイラスは不穏なものを感じていた。
「面白くないからだよ。それに彼の力は……少し、彼の身分にしては過分じゃないかな。だから、ちゃんと見て挨拶しておきたいんだ」
そう言いながらヒューレスが寝そべるエイラスの背を撫でたかと思うと、腰にあった疲労感が消える。
一晩中付き合わされた情交の疲労。それがまるでなかったかのように体が軽くなる。
「エイラス、いいよね?」
王はそのままエイラスに覆いかぶさった。熱の込もった視線にエイラスは微笑んで返す。
ヒューレスの唇が近づく。
またかーー。エイラスは心の中で舌打ちをし、ヒューレスの閉じた目蓋の向こうに忌々しげに視線を送ったが、やがて諦めたように目を瞑り、その唇を受け入れた。
*
不意に、エイラスの唇がぐいと拭われた。驚いて視線を上げると、トニーの手が顔に伸びていた。海の光が反射した白い制服が眩しい。
「食べ溢し。珍しいな」
「ああ、すみません。ぼーっとしていました」
エイラスは唇に自らの指を添えてなぞった。トニーの手の感触が残っている気が留守。
不快感を覚えなかったのが不思議だった。何故だろうと考える前にエイラスは笑顔を取り繕ったが、トニーはその表情を見ることなく、隣から伸びた腕に肩を掴まれて背もたれに引き戻された。
「何でエイラスにそんなことするんだよ」
トニーの肩を掴みながらジブが唇をとがらせる。肩に置かれた手を払いながら、トニーが反論した。
「お前の口の周りが汚れてたら、俺は同じことするぞ。エイラスが特別なんじゃない」
今度は口をへの字に曲げたジブが負けじと言い返す。
「じゃあみんなに同じことするつもりなのか? ガヨやエンバーにも?」
円卓に座る一同を指差しながらジブが問いかける。トニーもその指を追って皆の顔を見回す。そして、腕組みをしてううんと唸ったかと思うと、確信めいた表情で言った。
「多分、する」
トニーの回答にジブが頭を抱え、それをカタファが笑っていた。ガヨは成り行きを見守っているが、エンバーは我関せずといった無表情で食事を進めている。
「ジブ。そうカッカするなって。俺やトニーからしたらみんな可愛い弟みたいなもんだから」
笑いの落ち着いたカタファが目尻を抑えながら言ったが、ジブは不満げにパンを齧った。
「本題に入っていいか?」
ガヨがナフキンで手を拭いている。彼の皿に載せられていた大量の肉料理は跡形もなく消えていた。カタファは頷いてカトラリーを置いから口を開く。
「修道院と騎士団。神秘を巡ってそれぞれに思惑がある。そうだよな、ガヨ」
ガヨはグラスに入ったアイスコーヒーを一口飲んでから答えた。
「ああ。少なくともミガル司祭は金目的だった。奴は2年前にあそこの司祭になったらしいが、地下牢の存在は知りつつも神秘の希少価値が下がると思って増産計画には加わらず、体液を売るために神秘を持つ大司教の側近や、王族とつながりがある騎士団員と結託してたようだった」
「騎士団……第一の老いた名誉騎士や第二騎士団なら可能でしょうね」
元第二騎士団のエイラスが確信めいて言う。それを聞いたカタファはため息をつく。そしてテーブルの上で手を組んで、そこに顎を乗せた。
「休戦で安定した世界が、拝金主義の蔓延を招いたとしたら皮肉だな」
「でも、そんなものかもしれませんね。物質的な豊かさがあるがゆえに、修道院も世俗の影響を受けやすくなり、騎士団も堕落。……そんな中、権力奪取を目論む者がいてもおかしくありません。安寧の時代が却って腐敗をもたらす場合があることは、歴史が何度も証明していますから」
海風で乱れた髪を押さえながら、エイラスが同意した。
「本題からずれてないか? 修道院や騎士団の思惑の話だろ」
コーヒーを飲んでいたトニーが口を挟んだ。それを皮切りに、カタファが身を乗り出した。
「ミガル司祭は神秘を持つ者の体液を売っていた。過去には神秘持ちを増産する実験が行われてて、それはコーソム修道院でも同じだった。俺は、神秘持ちの増産にも騎士団が絡んでると思う」
そう言いながらカタファはちらりとエンバーの様子を見た。増産計画の被検体であるエンバーには面白くない話だろうと心配したカタファだったが、エンバーは落ち着いていた。普段と変わりない様子で考えを口に出す。
「俺はコーソム修道院の地下で実験を受けていた。だが、俺には騎士団とのつながりはわからない」
「……目の潰し方」
たった一言、それを告げたガヨに全員の視線が集まった。
「刳り抜いてから焼く。体の自然治癒を許さない、昔の騎士団のやり方だ。エンバーの目はそうやって潰されていた」
全員が黙りこくる中、トニーはグラスを傾けてコーヒーを飲み干す。
「確定だな」
グラスがテーブルに当たる鈍い音が響いた。止まらないさざ波が港に打ち付ける中、硬いグラスの音は異様に大きくそれぞれの耳に残った。
「トニーは……」
ジブは心配そうな顔つきでトニーを横目で見た。
「増産計画のための部品だな」
ガヨの声に一同が俯く。ジブは苦々しい表情をしているが、ガヨは気づかない。
「神秘を自然発生させた稀有な調査対象。権力者ばかりの神秘持ちの中、後ろ盾もない市民であれば観察も、体液を回収するにも都合がよかったんだろう」
「ガヨ。さすがに表現が直球すぎます……ちょっと落ち着きましょう」
エイラスが手を挙げると、店内にいた女性給仕がテラスへ繋がる重いガラス戸を開け、飛ぶようにテーブルについた。
「コーヒーを2つ、他はアイスティーをください」
「はいっ……!」
エイラスの微笑みに、わずかに上気した頬を湛えたまま女性給仕は奥に入っていった。レールの乗った砂利を引き潰す、がらがらという音を立てながらガラス戸が閉まった。
戸が閉まるのを確認してから、エイラスが口を開く。
「つまりは、神秘保持者を金目当てに考えている派閥と、増産したい派閥があるということですね。彼らも一枚岩ではないので、希少性を守るために増産したくない者もいるし、逆に増産したい者もいる」
テーブルを強く叩く音がして、食器ががしゃりと揺れた。その原因に一同が目線を走らせると、ジブが険しい顔で拳をもう一度机に叩きつける。
「コーソム修道院は俺やトニーとっては生まれ育ったところだぞ。司祭だって、幼い頃から知ってる。それなのに、金目的だの増産計画だの……!」
ジブの苛立った声が響くと同時に、ガラス戸を引く音が聞こえた。女性の給仕がサッシを跨いでこちらに向かって来るのを見ると、ジブは小さく舌打ちし、前のめりになっていた姿勢を正した。
ドリンクを手渡す彼女に、礼を言うエイラスとカタファ。給仕はお辞儀をしてから去っていく。
「金銭目的にしろ増産計画にしろ、修道院と繋がっている奴が騎士団にいなければ、トニーの入団は許されなかっただろう。修道院と騎士団が裏で繋がっていたことはほぼ確実と言える」
そう話すガヨの声は冷静だった。追加されたコーヒーを飲みながら事実だけを淡々と話す。
「神秘が欲しいなら、欲しい者達だけでどうにかすればいい。地下で潰えた命は身寄りのない者や俺のような移民やばかりだった。」
エンバーは、グラスに入ったアイスティーを一気に傾けて机に置いた。割れんばかりに力を込められたグラスがミシ、と歪む。
「エンバー」
カタファの紫色の瞳がエンバーの行動を諫めた。ヒューラ王国では珍しい瞳は、波の銀鱗を浴びて光る。彼もまた移民の血を引く者として思うところがあったのかもしれない。だが、エンバーに理性的な行動を求めた。
「……すまない」
俯いたエンバーの顔を長い黒髪が覆い、その黄金の瞳が隠される。ミガル修道院の地下で見た、腐り抜き落ちた黄金の瞳。それは遥か東にある国民の特徴でもあった。
海風と終わりのない波音。青空の下、美しい日差しを受ける観光地、ミガルの港には多くの人が行き交い、浮かれた人々の声や海鮮を売る逞しい声が響いている。その中でこの空間だけが切り出されたような、重苦しい雰囲気だった。
重い雰囲気の中、口を開いたのはジブだった。
「今回、投獄されたのはミガルの司祭だけ。巨悪の一端が切り離されただけだ」
憎悪を滲ませた顔つきだった。表面上、怒りを抑えているが、テーブルの上の拳は震えている。
遠くから聖歌隊の讃美歌が聞こえ出した。神秘を讃える澄んだ歌声は彼らに強烈に絡みつき、ジブの神経を逆なでした。
「俺は、許せない。神秘が何だってんだ」
その時、ガヨが自身の耳をそっと触った。イヤーカフの通信石にキャッチが入ったようだった。はい、はい、と小さく返事をしている。
「ミガル騎士団に戻るぞ。サントが呼んでる」
グルーザグの腹心、たれ目に泣き黒子の男が全員の頭に浮かんだ。
「とりあえず行こう。真実を探るためにも、今は俺たちの疑念を修道院にも騎士団にも悟られてはいなけい」
トニーが立ち上がると、ジブがすぐに後ろをついて行く。
黒い思惑の渦中にいるトニーだったが、取り乱したり恨み言を言うことはなかった。ある種の諦念を持った彼は、ただただ神秘という存在を疎ましく感じながらも、目の前の事にもどこか他人事のように感じていた。
ーーこんなものだ。世の中なんて。
誰にも知られず、心の中でそう呟くだけだった。
首都から戻ったエイラスの第一声はこれだった。王に呼ばれ用事を済ませてミガルに戻れば、彼らの間には穏やかな雰囲気が流れていた。
一番の変化はエンバーだった。神秘の認定がなされた彼は、その力に名が付き意味も分からず虐げられていた半生の理由がわかったことで、以前のような危うさは影を潜めていた。相変わらず無口ではあったが、柔らかな表情を見せることも多くなった。
そのエンバーは、大きな口でパンに齧り付いていた。ハーブの練り込まれたほんとりと酸味を感じるパンにも慣れた頃、あと2週間でミガルを経つ予定になっていた。
「修道院での出来事のおかげだな。エンバーのためにみんなが動いた。」
そう言いながらガヨはフォークで薄い肉を折りたたみ、口に運ぶ。
一行は港町のカフェに来ていた。炎暑が過ぎ、和らいだ日差しの中、海を臨むテラス席で朝食を取っている。
「そこにいられなかったことが残念です」
エイラスは薄く焼かれたパイを目の前にして、悔しさをにじませた。
「いじけるなって」
カタファがエイラスにナイフとフォークを渡した。テーブルの上に乗せた拳を解いて、エイラスはカトラリーを受け取った。
「あん時は大変だったからな。グルーザグや司祭に探り入れて、けん制して。一山、皆で越えたって感じだ」
「ジブ。色々策を立てて実行したのはガヨとカタファだろう」
フォークの先をエイラスに向けながらにやにや笑うジブをエンバーが諫めた。
「俺もほぼ寝たままで何もしてない」
トニーはそう言うと、白身魚のソテーをナイフで切り頬張った。何度か口が動いたかと思うと、軽く目を見開いてまた一口、今度は大きめに切り分けて口に入れた。おいしい? とジブがトニーの顔を覗き込む。
「司祭の解任を王に後押ししたのは俺ですよ」
エイラスは硬めに焼かれたパイにナイフを入れた。パイは切れたが、同時に皿にフォークが当たる高い音がテーブルに響いた。
「確かに。ずいぶん早く解任の掲示があった。お前のおかげだったのか」
ガヨは皿の上に乗せられた大きな肉を切っている。エイラスは、そうですよと文句を垂れつつパイを頬張った。エイラスとて、首都でぬくぬくとしていたわけではなかった。
エイラスが首都に戻ってから、王の欲情の戯れに付き合っていると、臣下がグルーザグから届いた書面を持ってきた。臣下は寝室にいるエイラスには目もくれず、王の元へと一直線に向かう。
「ミガル騎士団長からだね。ミガルは、エイラスが今、任務で訪れているところだね? お仲間はきな臭いに巻き込まれたみたいだよ」
「そうなんですか。書類、見せてくださいますか」
「いいよ。少し待っていてね」
ベッドボードに背を預ける男こそ、このヒューラ王国の王国、ヒューレスだった。太陽が溶けたような力強い金色の神に、抜けるような澄んだ碧眼。透き通る白い肌は美しくみずみずしい。齢は40も半ば過ぎ、ルガーとそう年齢の変わらないはずのヒューレスは、エイラスと変わらない肌艶と体つきをしている。
時戻しの神秘。エイラスはヒューレスの神秘がそれであると読んでいた。
「ほら」
エイラスは書類を受け取った。ーーミガル修道院司祭、解任要請書ーーと表紙には書かれている。
書類を流し読みをするとミガル修道院の司祭が、神秘を人為的に顕現させようと人体実験を”単独で”行っていたと記されている。そしてそれは、首都騎士団のある分隊の働きにより判明した、と。
そこにエイラスの名はなかった。
ヒューレスのお気に入りであるエイラスが、ミガルで面倒事に巻き込まれたとなれば王が機嫌を損ねるかもしれないと意図的に削除したように思える。
グルーザグの暗い微笑みを思い出し、エイラスはかすかな苛立ちを覚えた。
「大変な思いをしている子がいるんだね」
ヒューレスがエイラスの頰を撫でる。エイラスはその手にすり寄った。それを見たヒューレスは満足げに微笑み、そのままエイラスの髪を撫でる。こうして恋人のように甘えれば、ヒューレスは機嫌よく胸の内を話すのだ。エイラスにとって王との情事はこのためにあった。
「エンバーと言うが今回、神秘を得た子なんだね」
「そうですね。それにしても、その司祭は許せません。神秘をなんだと思っているんでしょう」
エイラスが気色ばんで言うと、ヒューレスも大きく頷いた。エイラスは、ミガル司祭は解任は確定するだろうなと感じた。
「それにしても、市民で二人目の神秘の顕現か」
一転してヒューレスの声が冷ややかになる。
「エイラス、少し前に顕現した子も騎士団にいたよね? 彼に会いたいな」
「どうしてですか?」
王が言っているのはトニーのことだ。
疑問を投げかけるエイラスの唇に、ヒューレスは指をなぞらせた。解任要請書にはほとんど名が出なかったトニーの話題に、エイラスは不穏なものを感じていた。
「面白くないからだよ。それに彼の力は……少し、彼の身分にしては過分じゃないかな。だから、ちゃんと見て挨拶しておきたいんだ」
そう言いながらヒューレスが寝そべるエイラスの背を撫でたかと思うと、腰にあった疲労感が消える。
一晩中付き合わされた情交の疲労。それがまるでなかったかのように体が軽くなる。
「エイラス、いいよね?」
王はそのままエイラスに覆いかぶさった。熱の込もった視線にエイラスは微笑んで返す。
ヒューレスの唇が近づく。
またかーー。エイラスは心の中で舌打ちをし、ヒューレスの閉じた目蓋の向こうに忌々しげに視線を送ったが、やがて諦めたように目を瞑り、その唇を受け入れた。
*
不意に、エイラスの唇がぐいと拭われた。驚いて視線を上げると、トニーの手が顔に伸びていた。海の光が反射した白い制服が眩しい。
「食べ溢し。珍しいな」
「ああ、すみません。ぼーっとしていました」
エイラスは唇に自らの指を添えてなぞった。トニーの手の感触が残っている気が留守。
不快感を覚えなかったのが不思議だった。何故だろうと考える前にエイラスは笑顔を取り繕ったが、トニーはその表情を見ることなく、隣から伸びた腕に肩を掴まれて背もたれに引き戻された。
「何でエイラスにそんなことするんだよ」
トニーの肩を掴みながらジブが唇をとがらせる。肩に置かれた手を払いながら、トニーが反論した。
「お前の口の周りが汚れてたら、俺は同じことするぞ。エイラスが特別なんじゃない」
今度は口をへの字に曲げたジブが負けじと言い返す。
「じゃあみんなに同じことするつもりなのか? ガヨやエンバーにも?」
円卓に座る一同を指差しながらジブが問いかける。トニーもその指を追って皆の顔を見回す。そして、腕組みをしてううんと唸ったかと思うと、確信めいた表情で言った。
「多分、する」
トニーの回答にジブが頭を抱え、それをカタファが笑っていた。ガヨは成り行きを見守っているが、エンバーは我関せずといった無表情で食事を進めている。
「ジブ。そうカッカするなって。俺やトニーからしたらみんな可愛い弟みたいなもんだから」
笑いの落ち着いたカタファが目尻を抑えながら言ったが、ジブは不満げにパンを齧った。
「本題に入っていいか?」
ガヨがナフキンで手を拭いている。彼の皿に載せられていた大量の肉料理は跡形もなく消えていた。カタファは頷いてカトラリーを置いから口を開く。
「修道院と騎士団。神秘を巡ってそれぞれに思惑がある。そうだよな、ガヨ」
ガヨはグラスに入ったアイスコーヒーを一口飲んでから答えた。
「ああ。少なくともミガル司祭は金目的だった。奴は2年前にあそこの司祭になったらしいが、地下牢の存在は知りつつも神秘の希少価値が下がると思って増産計画には加わらず、体液を売るために神秘を持つ大司教の側近や、王族とつながりがある騎士団員と結託してたようだった」
「騎士団……第一の老いた名誉騎士や第二騎士団なら可能でしょうね」
元第二騎士団のエイラスが確信めいて言う。それを聞いたカタファはため息をつく。そしてテーブルの上で手を組んで、そこに顎を乗せた。
「休戦で安定した世界が、拝金主義の蔓延を招いたとしたら皮肉だな」
「でも、そんなものかもしれませんね。物質的な豊かさがあるがゆえに、修道院も世俗の影響を受けやすくなり、騎士団も堕落。……そんな中、権力奪取を目論む者がいてもおかしくありません。安寧の時代が却って腐敗をもたらす場合があることは、歴史が何度も証明していますから」
海風で乱れた髪を押さえながら、エイラスが同意した。
「本題からずれてないか? 修道院や騎士団の思惑の話だろ」
コーヒーを飲んでいたトニーが口を挟んだ。それを皮切りに、カタファが身を乗り出した。
「ミガル司祭は神秘を持つ者の体液を売っていた。過去には神秘持ちを増産する実験が行われてて、それはコーソム修道院でも同じだった。俺は、神秘持ちの増産にも騎士団が絡んでると思う」
そう言いながらカタファはちらりとエンバーの様子を見た。増産計画の被検体であるエンバーには面白くない話だろうと心配したカタファだったが、エンバーは落ち着いていた。普段と変わりない様子で考えを口に出す。
「俺はコーソム修道院の地下で実験を受けていた。だが、俺には騎士団とのつながりはわからない」
「……目の潰し方」
たった一言、それを告げたガヨに全員の視線が集まった。
「刳り抜いてから焼く。体の自然治癒を許さない、昔の騎士団のやり方だ。エンバーの目はそうやって潰されていた」
全員が黙りこくる中、トニーはグラスを傾けてコーヒーを飲み干す。
「確定だな」
グラスがテーブルに当たる鈍い音が響いた。止まらないさざ波が港に打ち付ける中、硬いグラスの音は異様に大きくそれぞれの耳に残った。
「トニーは……」
ジブは心配そうな顔つきでトニーを横目で見た。
「増産計画のための部品だな」
ガヨの声に一同が俯く。ジブは苦々しい表情をしているが、ガヨは気づかない。
「神秘を自然発生させた稀有な調査対象。権力者ばかりの神秘持ちの中、後ろ盾もない市民であれば観察も、体液を回収するにも都合がよかったんだろう」
「ガヨ。さすがに表現が直球すぎます……ちょっと落ち着きましょう」
エイラスが手を挙げると、店内にいた女性給仕がテラスへ繋がる重いガラス戸を開け、飛ぶようにテーブルについた。
「コーヒーを2つ、他はアイスティーをください」
「はいっ……!」
エイラスの微笑みに、わずかに上気した頬を湛えたまま女性給仕は奥に入っていった。レールの乗った砂利を引き潰す、がらがらという音を立てながらガラス戸が閉まった。
戸が閉まるのを確認してから、エイラスが口を開く。
「つまりは、神秘保持者を金目当てに考えている派閥と、増産したい派閥があるということですね。彼らも一枚岩ではないので、希少性を守るために増産したくない者もいるし、逆に増産したい者もいる」
テーブルを強く叩く音がして、食器ががしゃりと揺れた。その原因に一同が目線を走らせると、ジブが険しい顔で拳をもう一度机に叩きつける。
「コーソム修道院は俺やトニーとっては生まれ育ったところだぞ。司祭だって、幼い頃から知ってる。それなのに、金目的だの増産計画だの……!」
ジブの苛立った声が響くと同時に、ガラス戸を引く音が聞こえた。女性の給仕がサッシを跨いでこちらに向かって来るのを見ると、ジブは小さく舌打ちし、前のめりになっていた姿勢を正した。
ドリンクを手渡す彼女に、礼を言うエイラスとカタファ。給仕はお辞儀をしてから去っていく。
「金銭目的にしろ増産計画にしろ、修道院と繋がっている奴が騎士団にいなければ、トニーの入団は許されなかっただろう。修道院と騎士団が裏で繋がっていたことはほぼ確実と言える」
そう話すガヨの声は冷静だった。追加されたコーヒーを飲みながら事実だけを淡々と話す。
「神秘が欲しいなら、欲しい者達だけでどうにかすればいい。地下で潰えた命は身寄りのない者や俺のような移民やばかりだった。」
エンバーは、グラスに入ったアイスティーを一気に傾けて机に置いた。割れんばかりに力を込められたグラスがミシ、と歪む。
「エンバー」
カタファの紫色の瞳がエンバーの行動を諫めた。ヒューラ王国では珍しい瞳は、波の銀鱗を浴びて光る。彼もまた移民の血を引く者として思うところがあったのかもしれない。だが、エンバーに理性的な行動を求めた。
「……すまない」
俯いたエンバーの顔を長い黒髪が覆い、その黄金の瞳が隠される。ミガル修道院の地下で見た、腐り抜き落ちた黄金の瞳。それは遥か東にある国民の特徴でもあった。
海風と終わりのない波音。青空の下、美しい日差しを受ける観光地、ミガルの港には多くの人が行き交い、浮かれた人々の声や海鮮を売る逞しい声が響いている。その中でこの空間だけが切り出されたような、重苦しい雰囲気だった。
重い雰囲気の中、口を開いたのはジブだった。
「今回、投獄されたのはミガルの司祭だけ。巨悪の一端が切り離されただけだ」
憎悪を滲ませた顔つきだった。表面上、怒りを抑えているが、テーブルの上の拳は震えている。
遠くから聖歌隊の讃美歌が聞こえ出した。神秘を讃える澄んだ歌声は彼らに強烈に絡みつき、ジブの神経を逆なでした。
「俺は、許せない。神秘が何だってんだ」
その時、ガヨが自身の耳をそっと触った。イヤーカフの通信石にキャッチが入ったようだった。はい、はい、と小さく返事をしている。
「ミガル騎士団に戻るぞ。サントが呼んでる」
グルーザグの腹心、たれ目に泣き黒子の男が全員の頭に浮かんだ。
「とりあえず行こう。真実を探るためにも、今は俺たちの疑念を修道院にも騎士団にも悟られてはいなけい」
トニーが立ち上がると、ジブがすぐに後ろをついて行く。
黒い思惑の渦中にいるトニーだったが、取り乱したり恨み言を言うことはなかった。ある種の諦念を持った彼は、ただただ神秘という存在を疎ましく感じながらも、目の前の事にもどこか他人事のように感じていた。
ーーこんなものだ。世の中なんて。
誰にも知られず、心の中でそう呟くだけだった。
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養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
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