[Original]~Another stories~

桧山トキ

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11話 He doesn't know cause of his desire

11話

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11話 He doesn't know cause of his desire



 扉の先は真っ暗闇。『檻』の中には当然、誰もいない。
 フィードは「ふん」と鼻を鳴らし、扉を閉めた。今夜はどんよりと曇っており、月の光はない。だが、『蛇』である彼の視界に問題はない。錠のかかっていない入口をすり抜け、『檻』の中に入る。ベッドの上にはまだ、鎖の破片が残ったままだった。
ラウロを奪われてから数ヶ月経つ。最後に彼の姿を見たのは、セントブロード孤児院の近辺で遭遇した時だろうか。

 視界が不自然に歪み、長く柔らかい髪が手元をすり抜けてゆく感覚を思い出す。フィードは憎悪と悔しさで震えた。あの時邪魔が入らなければ、彼を取り戻すことが出来たというのに。

「……ふん」

 再度鼻を鳴らし、フィードはネクタイを乱暴に緩めた。来週からの長期出張の準備を進める必要があったが、この『檻』にいると、やはり衝動を抑えられない。幸い明日は休日のため、準備は後回しにすればいい。

 服を全て脱ぎ捨て、ベッド上の鎖の破片と向き合う。最近は[オリヂナル]の追跡に明け暮れたため、『檻』で過ごす夜は数ヶ月ぶりだ。あの日以来、チェスカには『檻』に入らないよう指示している。部屋の扉だけは修理されていたが、鎖の破片も、破壊された南京錠も、全て当時のまま。
 ラウロとは毎晩交わったためか、彼がいなくなった日から、夜になると欲望に責め立てられる。狂おしいほど依存していることは分かっていた。だが、止める気などない。フィードにとって、ラウロの存在はもはや体の一部分だった。

 破片を食い入るように見つめながら、フィードは己の欲望と向かい合う。彼がいない、と分かっていながらも、必死にその姿を思い描こうとした。


――
「(何故、あの男がいないと調子が狂うのだろう)」

 着替えを済ませ、ベッドに仰向けになる。あの日以来、欲求は一向に満たされない。フィードは冷えた頭で、異常の原因を探り始めた。

 ラウロが地下室の檻から消えた時も、この『檻』から連れ去られた時も、フィードは身を削って奔走した。チェスカには以前『食事だけは必ず取ってください』と叱られたが、近頃また疎かになっている。
 一部の社員から『人の心がない』と揶揄されていることは知っており、フィード自身もそう思っている。しかし、ラウロが関わると途端に、自分自身のことがまるで分からなくなるのだ。


――俺は[家族]と一緒に旅を続ける。ずっと探していた夢を見つけるために。居場所を失った人々に生きる希望を与えるために。……あんたを救うために


 不意に、ラウロから突きつけられた言葉を思い出す。「ふん」と鼻で笑い飛ばし、鎖の破片を一瞥した。
『本当に俺を救いたいのなら、離れるべきではないだろう?』と、何故言い返せなかったのか。彼の言葉の意味も、自分の行動の理由も、フィードには何ひとつ分からなかった。

 その時、右手が僅かに痺れていることに気づいた。今は仰向けの状態であり、無理な体勢をしている訳ではない。では、一体何故なのか。
 自分の体調を顧みるうちに、[潜在能力]について思い出した。ラウロ達[家族]を見逃す代わりに得た、新しい力。自分の[潜在能力]は、『舐めた箇所を痺れさせる』ことだったか。
 着替える前、フィードは自分の右手を舐めている。どうやら無意識のうちに、能力が発動していたようだ。

『[潜在能力]が欲しい理由を教えてくれ』という[家族]の父親の質問には、ラウロとの『接点』が欲しかった、と答えた。何故そう口走ったのか、フィードは今でも分かっていない。
[潜在能力]を使ったのはこれまでに二回。ミルド島の工業地帯でラウロを追い詰めた時と、今。正直使う必要もないが、いらないとも思わない。

「(あの男との『接点』、か……)」

 以前『檻』で見たラウロの[潜在能力]。流血するほどの傷が瞬く間に塞がる様は、まさに奇跡のようだった。自分の[潜在能力]と似ている訳ではないが、それでも、『普通の人間にはない特別な力を持っている』という共通点に変わりはない。
 何故、自分と彼の間の『接点』を想うと落ち着いた気分になれるのか。フィードにはやはり、『自分の心』が分からなかった。

「(さて、いつまでもこうしている場合ではない。いい加減準備を進めなければ)」

 ベッドから起き上がり、クローゼットに向かう。来週からはクィン島、そしてフィロ島へ赴くのだ。この『檻』に戻るのはまた、数ヶ月後になるだろう。
 ミルド島では取り逃してしまったが、今度こそ、取り戻してみせる。フィードは長期出張に向けて執念を燃やしつつ、淡々と準備をこなした。


――――
『人の心がない』と言われた青い『蛇』。ラウロとの出逢いによって、その心の内には人間らしい感情が生まれ始めている。残念ながら、本人はまだ気づいていないが。

 だが、彼は今度の旅を経て、初めて『自分の心』を知ることになる。



He doesn't know cause of his desire
(自分の心など、知るはずもなかった)


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