1 / 1
未来予想図
しおりを挟むカンカンカン
安くてボロいアパートの
錆びた鉄階段を登る音
リズムは彼の足音。
心臓が跳ねる。
小走りで
玄関先まで迎えに行く。
でも私から扉は開かない。
彼が扉を開いてくれるのを
じっと待つ。
だってバレたら
困るもん。
ガシャガシャ
ガチャン
やっと鍵があいて
扉が開いた。
「た、だ、い……わっ」
覗き込むように
家の中に入ってきた
彼に私は待ってましたというように
ぎゅーっと抱きついた。
驚いた彼はやがて
やれやれと息をついて
私をゆっくりと抱き返してくれた。
-私は二宮紗奈。
高校三年生。
彼は新舘 尊28歳。
職業中学の数学教師。
私は三年前まで
新舘先生の下で数学を学んでいた。
一番初めの授業で
「俺は、数学が好きです。数は不思議です、魅力があります。みんなにもこの魅力をわかってほしい。好きになって欲しいです。」
新任の新舘先生は
目をキラキラさせて
そう言っていた。
小学生の頃、私は
算数が好きではなかった。
中学に入って
算数が数学になって
難しくなるって聞いたその時点で
正直、ギブアップだったけれど
「数学を好きになって欲しい」
そう言った先生の目があまりにも綺麗で
やってみよう、と思えたんだ。
先生の授業は面白かった
数学って大人になって
使うのか使わないのか
分からない公式ばかりだけど
先生は
「平方根が分かると家を建てる時に役に立つんだぞ」
とか
「二次関数の応用で車を運転する時の空気抵抗がわかるからロー燃費になる」
とか
少し話を盛りながら面白おかしく
数学がどう私生活に役立つのか
よくそれを教えてくれた。
分かろうと努力して
問題がひとつわかる度
先生は生徒をよくほめた。
ほめられると嬉しい。
次もまた頑張ろうと思えた。
その分やってもわからない子には
わかるまで根気強く
付き合う。
そんな先生の姿が
自分たちの為に
頑張ってくれているんだという
励みになっていた事は確かだ。
中学の三年の頃には
私たちは口々に言い合った。
「こんなに数学って面白かったんだ」
私は数学を好きになる度
先生の事も大好きになった。
卒業式、土壇場まで
告白しようと思っていたけれど
どうしても勇気が出なくて
「新舘先生すきです」
私は、差出人の名前のない、
そんな言葉を黒板に
小さく残して卒業した。
花の高校生。
仲の良い同級生には
彼氏が出来て
どこでデートしただとか
どこでチューしただとか
とても幸せそうだった。
私も先輩から
告白されたこともあったけれど
頭を下げて、断った。
私は先生の事が
忘れられなかったんだ。
卒業式のあの日
どうして言葉に
出来なかったんだろう。
どうして好きって気持ち
伝えなかったんだろう。
後悔ばかりが心を支配する。
そんな高校二年の春
学校帰りの公園で
ばったりと
先生に再会したのだ。
あれを運命と言わずに
なんと言えばいいのか
今なら本当にそう思う。
「二宮ぁ、綺麗になったな」
先生はそう笑った。
「とってつけたような感じですね」
私がそう笑い返すと
「いや、本当に見違えたよ」
照れくさそうに先生は
鼻の頭をかいた。
サラサラした黒い髪も
白い肌も笑顔も何も
二年前と何も変わらない。
伝えるなら今しかないと
私は先生を喫茶店に誘った。
しばらく悩んでいたが
「元、だし、いいか」
軽い感じでそう言って
「では行こうか」
なんだか堅苦しい感じで
エスコートしてくれた。
古びた喫茶店。
コポコポと
サイフォンで淹れた珈琲を
店主が私たちに振る舞う。
窓際の席で告白するタイミングを
測りながら昔話に花を咲かせる私に
先生はおもむろに目を細めた。
にんまりと笑う先生に
私は顔を顰めたずねる。
「え?なんですか」
「二宮だろ?」
「え?」
「卒業式の黒板」
心臓が跳ね上がる。
「あ……」
「メッセージ読んだよ」
先生は笑顔で、漆黒に輝く珈琲を
こくっと喉を鳴らして飲んだ。
「あ、……あの」
計算違いも甚だしい。
告白するつもりが
ばれちゃっていた。
顔が紅潮していくにつれ
何も考えられなくなっていく。
口も動かない。
拳を握った手のひらは
行き場をなくして
スカートを掴んだ。
「あ、あのっ」
勇気を振り絞った声は
思うより細かった。
「どうした?」
低音の声が
鼓動を加速させていく。
「高校入ってからわかったんですけど」
「うん」
「私、あんなに苦手だった数学クラスでも結構出来る方になってて、私自身も大好きで」
「うん」
「でも、高校の数学楽しくないんですよ」
「どうして?」
先生は
少しだけ寂しそうな顔をしていた。
伝え方、間違えちゃったかな
そう思ったけれど
それは、本当のことだ。
後戻りはもうしない。
大きく息を吸って吐き
私は先生を真っ直ぐに見つめ伝えた。
「大好きな新舘先生がいないからです」
先生は、飲んでいた珈琲で
噎せっ返り
「ごめん、びっくりして」
紙ナプキンで口元を拭いた。
「私の気持ち知っているのに…どうしてそんなにびっくりするんですか…」
頑張ったのに眼中なしか。
中学の頃と比べたら
ずいぶん大人になったつもりだったのに。
ほんの少し泣きそうで
潤んだ目で先生をにらむと
先生は慌ててこう言った。
「まだ好きでいてくれてるなんて、思いもよらなかったよ」
「どうして、ですか?」
「だってほら若いじゃない。その頃って俺は、好きな人ころころ変わってたから」
「先生って…たらし?」
私の口から飛び出た一言に
今度は珈琲を噴き出さん勢いで
先生は笑った。
一頻り笑った後で先生は
「元、たらしかな」
と目を細める。
元、というと、今は違うということ。
誰か意中の人がいるんだ。
そう思ったら悲しくなった。
「あれ、どうしてそんな顔するの?」
「だって今は一途に好きな人いるんでしょ?」
「まあね」
「好きな人に好きな人がいるって悲しいですよ」
私はとうとう
涙を堪えきれなくなって
テーブルに突っ伏した。
「相変わらず、早合点だな二宮は」
優しい声と共に
私の頭に心地いい重みが加わる。
大きな、先生の手が
私の髪を梳いていた。
「その分だと、テストでケアレスミスも多いだろ」
そう言った後で先生は
椅子を立ち上がり体を折り曲げると
私にそっと耳打ちをした。
「……白状しようか」
「え…?」
「新任であの中学に赴任して3年目に俺はタラシを卒業したんだ」
いまいち、先生の言うことがわからない。
突っ伏していた顔をあげると
先生の笑顔がそこにはあった。
「卒業式に書いてくれたメッセージ見てから、ずっと考えてたよ、二宮のこと」
頭より先に
心が理解する。
涙が溢れた。
「え?…え?」
「スポーツは出来ないけど頑張り屋さん、知ってるよ、バスケのフリースローのテストの時、前日の放課後、遅くまで残って練習してたこと。友達が体調の悪い時には保健委員でもないのに保健室に付き添う優しい子。俺が見た生徒の中で一番、勉強熱心。大口開けて笑う笑顔が可愛い。テストが悪いまんまじゃ終わらないのが二宮だ。頑張って次のテストでは必ず巻き返してくる。ポケットの中にリップを忍ばせて、俺たちの目盗んでつけてた。俺、二宮のこと無意識に追いかけていたみたいでさ」
たくさん、たくさん
見てくれていた。
格好悪いところも
頑張ったところも
わかってくれていた。
そして先生は告げる。
「本当に、綺麗になったね」
ひとつ、また涙が零れ落ちる。
ひとつ、息をついてもう一言。
「俺は二宮が好きだよ、二年前から」
「せん、せ……」
驚きと喜び
今までの切なさと
この上ない幸せ
心に入り乱れるたくさんの感情に
返す言葉が見つからない。
そのかわり、
とめどない涙が
私の頬を伝い
テーブルに零れ落ちた。
私の頭をいつまでも撫で続ける、
先生の手のひらが優しかった。
私たちはその日、
元教師と元教え子から
特別な関係になった。
あれから数ヶ月。
私たちしか知らない
ふたりだけの
秘密の恋は続いている。
私はもう高校三年生。
誰に知られても構わないけれど
先生はそうはいかないみたい。
先生が生きがいを持って
打ち込む仕事を
元教え子との色恋沙汰で
辞めさせるわけにはいかない。
だから私は
「高校卒業まではね」
先生のその考えを飲んだ。
友達から
「彼氏出来ないの?」
と言われれば
「いないよ」
と答えるのは
少しだけ寂しい。
友達が彼氏自慢をすれば
羨ましくも感じる。
でも、こうして
合鍵をもらって
こっそり家の中で
先生を待っている間は
とても幸せだ。
「今日も遅かったね、大変だった?」
私は先生の腕に絡みついて彼を労う。
「んーそうだね、でもさあ」
「ん?」
「俺の家で二宮が待っててくれると思ったら教頭の小言にも耐えられたよ」
「あー、教頭先生のことそんなふうに言っていいの?不良教師ぃ、いーけないんだっ」
私は先生の顔を覗き見て笑う。
先生も、照れくさそうに笑っている。
笑顔だって涙だって
好きな人と同じ仕草で
同じ気持ちを共に出来る
それはなんて幸せなことだろう。
「なあ、二宮」
先生はネクタイを外しながら
私にこう聞いた。
「卒業後はどうするの?」
「私、山中大学の教育学科にいくよ」
「お?もしかして、俺と同じ道目指すとか言う?」
「んー」
私は笑って首を振った。
「迷ったけど中学校の教員じゃなくて小学校教諭になりたいの」
「それはどうして?」
「私、小学校の時、算数すごく嫌いだったの。でも先生に会って変わったから、私のような子がいるなら、もう少し早い段階で算数好きにしてから中学にあがってほしくて」
先生は嬉しそうに
「そうか、二宮らしいね」
と告げたあと
ぶつぶつと
何やら呟き始める。
「山中大学か……うーん」
「ん?なに?」
「いや、その距離ならここからでも通えるかなーって思ってさ」
「え…?」
思わぬ言葉に私が驚くと
先生は私をおもむろに抱き締めて
耳元に低い声を届ける。
「高校卒業したら一緒に暮らそ」
息が止まるほどに
ときめいた。
私の3つの宝物は
数学と
新舘先生
そして教師という夢。
「ずっと応援してるよ」
先生がそう笑ってくれるから
私はいつまでも頑張れる。
いつか
「一緒に暮らそう」
その言葉が
「ずっと一緒にいよう」
そうなる日まで
先生の側にいさせてね。
きっと私はこれからも
ずっと先生が好きだから。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
黒騎士団の娼婦
イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる