今を春べと咲くや此の花 ~ 咲耶演武伝 ~

椎名 将也

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序章

9.神と魔

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「どうだった、咲希……?」
 月曜日に学校に行くと、咲希を待っていたかのように早瀬凪紗なぎさが駆け寄って来た。西条と一緒に画策した作戦の結果を聞こうと思ったのだ。
「どうとは、何がじゃ……?」
 ただし、今日は中身が咲耶であることに凪紗は気づかなかった。

「何って、桐生きりゅう先輩のことに決まってるでしょ? せっかく二人きりにしてあげたんだから、何か進展あった?」
「ふむ……。将成なら、付き合うことになったわ」
「えッ……! ホントにッ……?」
彼奴あやつから告白されたので、了承したのじゃ……」
 平然と告げた咲耶に驚いて、咲希が文句を言った。

『ちょっと、簡単にバラさないでしょッ! 噂になったら、どうするのよッ!』
(別に構わんじゃろ? それに、凪紗はお前の友人ではないのか?)
『そうだけど……』
 咲耶の方が正論なので、咲希は言葉に詰まった。凪紗が誰彼構わずに口外するとは思えなかったが、将成にはファンクラブまであるのだ。余計な騒動に巻き込まれることは遠慮したかった。

「あれ……? 咲希がネックレスしてるなんて、珍しいね。ちょっと見せて……」
「構わぬぞ……」
 そう告げると、咲耶はブラウスの中からネックレス・トップを取りだして凪紗に見せた。三連のトリニティ・リングとダイヤモンドが揺れ、朝陽を反射して燦然さんぜんと輝いた。その煌めきを眼にした瞬間、凪紗が動きを止めた。そして、口をパクパクと開きながら、右手でネックレスを指差した。

「そッ……そ、それって……カルティエのトリニティ・ネックレスじゃないッ! どうしたの、それッ……?」
 一目でネックレスの価値に気づくと、凪紗が興奮に震える声で訊ねた。
「将成にもらったのじゃが……」
「も、もらったぁッ……! それ、いくらするか知ってるのッ?」
「いや、知らぬ……」
 平然と答えた咲耶に、思わず凪紗が叫んだ。

「二十五万くらいするわよッ!」
『二十五万ッ……!?』
 予想を遥かに超える金額に、咲希が驚愕の叫びを上げた。一年分のお小遣いくらいだと思っていたのが、その倍以上だった。
「ほう……そうなのか?」
 現代の貨幣価値など知らない咲耶が平然と答えた。

「そうなのかって……? どういうことだか分かってるのッ?」
「さあ……?」
(二十五万というのは、そんなに大金なのか?)
 不思議そうな口調で、咲耶が訊ねた。
『ものすごい大金よッ! 二十五万あれば、ケーキセットを二百五十個食べられるわよ!』
(な、何とッ……! それほどの価値があるのか、この首飾りはッ……?)
 具体例を挙げられて、咲耶は初めてトリニティ・ネックレスの価値に気づいた。

「さあって、あんたね……。それにさっきから桐生先輩のことを将成なんて呼び捨てにしてるけど、どういうこと……? ちゃんと、白状しなさい!」
 呆れたようにため息を付くと、凪紗がニヤニヤと笑いながら言った。
「いや、向こうがそう呼べと言ったのじゃ……。おかげで、一昨日から咲希の奴が興奮して、うるさくて堪らぬ……」
 その言葉で、凪紗は目の前にいるのが咲耶であることに気づいた。

「さ、咲耶さま……?」
「何じゃ? だと気づいておらなんだのか?」
「し、失礼しました……! でも、朝から咲耶さまにお会いできるなんて、感激ですッ!」
 そう告げると、凪紗は咲耶に抱きついてきた。
「ええい、暑苦しいッ! 離れぬかッ!」
「そんな……冷たいです、咲耶さまッ!」
 力尽くで引き剥がされた凪紗が、泣きそうな表情で告げた。

『咲耶、とにかく凪紗に将成のことを口外しないように、口止めしておいて!』
(分かっておる……)
「凪紗、将成のことは黙っておれ。そうすれば、お前とデートをしてやろう」
『ちょっとッ! 何言い出すのッ!』
 驚愕のあまり叫んだ咲希を無視して、咲耶は驚きと感激に眼を見開いた凪紗を見つめた。

「ほ、本当ですか、咲耶さまッ!」
「うむ……。はプリンという物が大好きでな。馳走してくれたら嬉しいんじゃが……」
『こらッ、咲耶ッ! 凪紗を財布代わりに使うなッ!』
 咲希の怒声を無視して、咲耶は凪紗の顔を見つめた。
「プリンですか? もちろんです! それなら、プリンアラモードはいかがですか? 駅の近くに美味しいお店があるんですッ!」
 憧れの咲耶にジッと見つめられ、凪紗が頬を赤く染めながら告げた。

「プリンアラモードとな……?」
(何じゃ、それは……?)
『プリンの他に、生クリームとかフルーツが乗っかってるヤツよ。そんな物、凪紗にたからないでッ!』
「はいッ! よかったら、今日の帰りにでも行きませんか?」
『放課後は部活でしょッ! 絶対にダメだからねッ!』

「よかろう。放課後、案内あないするがよい」
『こらッ! 部活、サボらないでよッ!』
(部活など、プリンアラモードと比べるまでもないわ)
 咲希の言葉を平然と聞き流すと、咲耶はニヤリと笑った。
「はいッ! 楽しみにしてますねッ!」
 そう告げると、凪紗は喜びのあまりスキップしながら自分の席に向かって行った。その後ろ姿を見つめながら、ハアァッと咲希が大きなため息を付いた。


「おぉおお! 最高じゃッ!」
 至福の表情を浮かべながら最後のメロンを噛みしめると、咲耶は満面に笑みを浮かべた。完食したプリンアラモードの容器サンデーグラスが夕陽を浴びてキラリと輝きを放った。
 美しい装飾が施されたデザートスプーンを容器に戻すと、咲耶は目の前に座る凪紗に極上の笑みを浮かべながら告げた。

「馳走になった、凪紗……。礼を言うぞ……」
「そんな……。もったいない、咲耶さま。お口に合ったのであれば、何よりです」
 黒曜石の輝きを放つ瞳で真っ直ぐに見つめられ、ボーッと頬を赤く染めながら凪紗が告げた。夕陽を反射して赤茶色に光る瞳を潤ませながら、凪紗が咲耶の美貌を見つめ返した。

「ところで、凪紗……。お主、西条と組んで咲希をめたな……?」
「……! は、はい……」
 咲耶の言葉に、ビクンッと凪紗の体が跳ねた。崇拝する咲耶の不興を買ったのかと思ったのだ。その様子を見つめると、咲耶がニヤリと笑みを浮かべながら告げた。
「心配するでない。おかげで、咲希のヤツは将成のものになったのじゃ……」

『ちょっと ッ! あたしはまだ、将成のものになんてなってないわッ!』
 カアッと顔を真っ赤に染め上げると、咲希が慌てて叫んだ。交際を申し込まれてOKの返事はしたが、それ以上の進展はまだ何もない咲希であった。

「そうなんですかッ……? 咲希ってば奥手のように見えたのに、会ったその日になんて……? なかなかやりますね?」
『だから、何もやってないってばッ……! 咲耶、早く誤解を解いてッ!』
 ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた凪紗を見て、咲希が焦りながら叫んだ。それを無視すると、咲耶が凪紗以上に悪だくみをした表情で続けた。

「そこで、咲希の一番の友人であるお主に相談があるのじゃ。咲希は初デートはじめてだった故、次に自分から誘うことを躊躇ためらっておる。将成からうまく誘ってもらえるように、お主から頼み込んではもらえぬか?」
『ちょっと、何を頼んでるのよッ!』
 突然、地雷をばらまき始めた咲耶に、咲希が慌てた。

「なるほど……。確かに、初エッチはじめての後は恥ずかしくて自分から誘えないですよね。咲希が早く二回目つづきをしたがってるって、桐生先輩に伝えておきますね! きっと桐生先輩も、喜びますよ!」
 咲耶の言葉の意味を自分なりに意訳して、凪紗が大きく頷いた。
『凪紗も、何言ってるのよッ! 話を変な方向に進めないでッ!』

「よろしく頼むぞ、凪紗……」
「お任せください、咲耶さま……」
『やめてぇえッ! 咲耶、すぐに否定してッ……!』
 完全に悪女の笑みを浮かべて頷き合う二人に、咲希は本気で拒絶の叫びを上げた。


 聖光学院高等学校の最寄り駅である成城学園前駅の改札で、咲耶は凪紗と別れた。凪紗の自宅は町田にあるため、逆方面なのだ。咲耶はJR山手線、都営三田線と乗り換えて、約一時間かけて自宅のある高島平駅に到着した。

 六時間目が終了してすぐに凪紗と駅前のパーラーに向かったので、成城学園駅で電車に乗ったのは十七時を廻っていた。高島平駅に着いた頃には、辺りには夜のとばりが下り始めていた。
 駅前の高島通りを渡ると、咲耶はふと顔を上げて遠くを見据えた。その様子を不審に思って、咲希が怪訝な表情で訊ねた。

『どうしたの、咲耶……?』
(やはりな……。咲希、あの公園を通って帰るぞ)
 あの公園というのが、男たちに襲われた赤塚公園を指していることはすぐに分かった。だが、咲希は二度とその公園に行きたいとは思わなかった。まして、五歳の時の記憶を思い出しているのだ。二度も恐ろしい眼に遭った場所に近づきたいと思うはずはなかった。

『ちょっと……、何考えてるのよ! 嫌よ、あんなところッ!』
(心配するでない。今はがいる。それよりも、やはりあの場所から妖魔の気配が漂っておる……)
『妖魔ッ……?』
 予想もしていない咲耶の言葉に、咲希が驚愕のあまり眼を見開いた。妖魔の存在は咲希から聞いていたとは言え、実際に眼にしたことなど一度もなかった。

(十二年前……そして四日前、お前が襲われたのは偶然ではない。神気しんきに気づいた妖魔が、男たちを使っての存在を確認したのじゃ……)
『そんな……! じゃあ、あたしが襲われたのは、咲耶のせいってこと……?』
 二度も襲われた理由が咲耶にあると知り、驚きとともに咲希が文句を言った。その苦情を平然と聞き流して、咲耶が告げた。
(そうじゃ……。妖魔やつら神々われらは、その存在からして不倶戴天の敵同士じゃ。たちが妖魔を滅するように、妖魔もたちを見つけ次第に襲ってくる)

『妖魔って、どんな姿をしているの? そもそも、あたしたちに視える・・・の?』
(姿形は様々じゃ……。何百という種類の妖魔がおるのでな。そして、普通の人間にはまず視えぬであろう。勘のよい……いわゆる、少し神気がある者であれば、妖魔に近づくと何となく嫌な雰囲気を感じるくらいであろう)
 咲耶の説明に、咲希は納得した。誰にでも視えるようであれば、世の中は妖魔の存在にパニックになっているに違いなかった。

『じゃあ、あたしには視えないのね?』
 ホッとしながら、咲希が胸を撫で下ろした。話を聞くだけで恐ろしいものを、わざわざ見たいとは思わなかった。
(何を言っておる? 今の咲希には、はっきりと・・・・・妖魔が視えるぞ。四日もがお前の体を使っておるのじゃ。咲希の神気は、すでに普通の人間の何十倍にもなっておるはずじゃ……)
 とんでもない爆弾発言を、咲耶は平然と告げた。

『何してくれちゃってるのよ! そんなもの、視えるようにしないでよッ!』
 咲希の抗議を聞き流すと、咲耶がニヤリと笑いながら告げた。
(守護神を体に宿した者は、その守護神の力を使えるようになると言ったであろう? そして、守護神が中にいる時間が長ければ長いほど神気が増大し、やがて守護神と同調すると教えたはずじゃ。の意識が表層に現れたのはまだ四日かも知れぬが、は十七年間もの間、お前の中にいるのじゃ。今のお前なら、ザコ妖魔程度であればの力がなくても一人で滅せられるだけの神気は十分にあるぞ!)

「そんな……! まさか、咲耶ッ! それって……?」
 咲耶の話から、咲希は重大な事実に気づいた。そのことを問い質す前に、咲耶は赤塚公園の入口に辿り着いた。
(咲希、今からが妖魔を滅する。その戦い、よく目に焼き付けておくがよい!)

『待って、咲耶ッ……! まだ、話がッ……!』
 咲希の叫びを無視して、咲耶が赤塚公園の中に足を踏み入れた。
 その瞬間、周囲の空気が一変したのが咲希にも分かった。ネットリと絡みつくような質量が、咲耶の全身を包み込んだのだ。その気配は、凄まじい憎悪と怨念とも言うべき敵愾心に満ちていた。それは紛れもなく魔の波長……悪意と怨嗟、そして、濃密な瘴気の波動であった。

「ほう……。これほどの者がいたとは……。単なるザコ妖魔ではなかったか……」
『さ……咲耶……』
 凄まじい恐怖を感じ、咲希は全身の震えが止まらなかった。それは太古より人の記憶に伝わる根源たる畏怖……身の毛がよだつほどの圧倒的な魂の戦慄に他ならなかった。人という種としての尊厳を破壊する存在……。それが、妖魔であることを咲希はその身をもって実感した。

「このまま戦ったら、周囲にどれほどの被害が及ぶか分からぬ。結界を張るぞ……」
 いつの間にか右手に携えた<咲耶刀>を、咲希はゆっくりと天に向かって掲げた。そして黒曜石の瞳を閉じると、美しく澄んだ鈴音ねいろ祝詞のりとを詠み始めた。

神風かむかぜ吹く伊勢国祈いせのくにさく 高天原たかまがはらに 鎮座坐掛巻しづまりましますかけまくも あやに尊き天照皇大御神アマテラスおおみかみ……」
 咲耶の足元から神風が渦を巻いて立ち上り、長い漆黒の髪を靡かせながら舞い上げていった。その全身が神気の輝きに包まれ、周囲の瘴気を浄化し始めた。

うつし青人草あおひとぐさをも恵みさきはたまへる ひろく厚き御恩頼みめぐみむくたてまつるとおろがまつさまたひらけくやすらけく聞食きこしめせと かしこかしこみもまおすッ……!」
 次の瞬間、直視できないほどの光輝が<咲耶刀>に収斂しゅうれんし、新星の爆発の如く急激に拡散した。漆黒の闇を引き裂く閃光が幾筋も迸り、周囲を昼間のように明るく照らした。

『咲耶……、ここは……?』
 峻烈な光の螺旋が消滅すると、周囲の景色が一変していた。赤塚公園の遊歩道に立っていたはずが、目の前には見たこともない広い緑地が広がっていた。四方を見渡しても、建物どころか木々の一本さえもない大草原であった。
「前を見ておれ、咲希……。今から、妖魔がその姿を現す」
 咲耶の言葉に、咲希は前方を見つめた。

(何も……ないじゃない……?)
 そう思った瞬間、前方の空間が揺らぎ始めた。その揺らぎの中心が徐々に裂けていき、中から深淵の闇が現れ始めた。まるで厚い雲に覆われた夜空のように、光一つない完全なる漆黒の闇だった。
 その闇が徐々に大きくなり、ゆっくりと人の形を取りだした。
 いや、それは人ではなかった。人にしては大きすぎた。

『な、何なの……これはッ……』
 全身をガクガクと震わせながら、咲希は驚愕に黒曜石の瞳を大きく見開いて<それ>を見つめた。
 巨大な体躯は赤銅色の皮膚に覆われ、身長は優に咲耶の三倍以上あった。成人男性の胴ほどもある太い手足は凄まじい筋肉の鎧に包まれ、巨岩のような胸部の上には人の四倍はある頭部があった。だが、その造りは明らかに人とは大きく異なっていた。

 角張った輪郭の中には二つの黄金色の眼が、爛々と輝いていた。その眼には、瞳孔どころか虹彩さえも存在していなかった。額から鼻筋まで真っ直ぐに繋がった鷲鼻の下には、耳まで裂けた巨大な口があった。そのめくり上がった唇の中には鋭い牙が並び、異常に発達した四本の犬歯が肉食獣のように生えていた。
 肩まで伸びた漆黒の髪はその一本一本が異様に太く、蛇のようにクネクネと動いていた。左右のこめかみ付近からはL字型の黒い角がそびえ立ち、見る者に強烈な威圧感を与えていた。

『さ、咲耶……逃げよう……』
 想像を遥かに超える妖魔の姿に圧倒され、恐怖に震える声で咲希が告げた。だが、咲耶は普段と変わらない口調で平然と告げた。
「鬼族じゃな……。知能はあまり高くないが、妖魔の中でも力はそれなりに強い種族じゃ。素手で岩を握りつぶすと聞く……。人の首など、片手で捻じ切るじゃろう」

『そんな化け物……どうするのよ……。早く、逃げよう……』
 だが、焦燥にかられた咲希の言葉を、咲耶は笑って聞き流した。
「最後の相手としてはいささか物足りぬが、妖魔との戦いの仕方を教えるにはちょうど良いかも知れぬ。よく見ておれ、咲希……」
 そう告げると、咲耶はゆっくりとした足どりで鬼族に向かって歩き出した。

『最後って……? どういうことよ、咲耶ッ……!』
 咲希の言葉を遮るように、鬼族が凄まじい咆吼を上げた。

 グゥガァアアッ……!

 大気を震撼させ、大地を鳴動させるほどの雄叫びの中を、長い漆黒の髪を揺らしながら咲耶は悠然と歩を進めていった。


「おかけになった電話は電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないためかかりません……」
 スピーカーから聞こえる音声案内に顔をしかめると、桐生将成きりゅうしょうせいはスマートフォンのアイコンをスライドして通話をオフにした。

(参ったな……。直接、家に押しかけるわけにもいかないし……。しばらくどこかで時間を潰すか……)
 早瀬凪紗なぎさから連絡をもらい、将成はすぐに咲希に電話をかけた。凪紗からのLINEには、『咲希がすぐに会いたがっているから、連絡してあげてくださいね』とあったのだ。
 だが、何度も電話しても繋がらず、LINEやメールを送っても返信が来なかった。さすがに将成は心配になり、咲希の家の近くまで来たのだった。

 先日のデートの帰りに送っていったので、咲希の自宅の場所は知っていた。将成が住む北大塚から高島平までは、バイクを使えば三十分もかからなかった。ヘルメットを手に取ると、将成は愛車のCB400SFを駆って、咲希の自宅近くにある公園の前までやって来たのだった。

(この公園で少し時間を潰すか……。ベンチくらいあるだろう?)
 軽い気持ちで足を踏み入れた瞬間、将成は周囲の景色が一変したことに気づいた。正面に見えていた噴水が消滅し、どこまでも続く広い草原に立っていた。暗かった周囲も昼間のように明るくなっていて、森林浴でもしているように空気も清々しい涼感に満ちていた。

(何だ、これは……? いったい、どこだ……?)
 思考が追いつかず、将成は茫然として周囲を見渡した。これほど広大な草原が、都内にあるとは思えなかった。日本には必ずあるはずの山も一つとして存在していなかった。三百六十度見渡しても、遠くに地平線が見えるだけであった。それどころか、頭上には雲一つなく青天が続いていた。その青天には、地上のどこからでも見える物……太陽がなかったのである。

(夢でも見ているのか……?)
 あまりにも現実感がない状況に、将成は自分の理性を疑った。夢だとしたら、いったいいつから見ているのだろうか。マンションを出てバイクに乗ったのも夢だったのか。それとも、凪紗からLINEが来たことさえも夢なのか。
 自分の記憶と行動を思い出していると、前方の空間が突然歪み始めた。そして、空間に亀裂が入ると、漆黒の闇が溢れ出てきて人の形を取りだした。

(何だ、あれは……?)
 見る見るうちに輪郭が形成され、闇が実体を伴った。将成の百メートルほど前方に、赤銅色の体躯をした巨大な人間が現れた。
 禍々しいほどの威圧を周囲に放ち、その強烈な存在感は見る者を震撼させた。将成は驚愕に眼を見開きながら、茫然として立ち竦んだ。

(鬼……? そんな、馬鹿な……?)
 その鬼の手前に、見覚えのある小さな人影がいることに将成は気づいた。その人影は、漆黒の長い髪を靡かせながら、ゆっくりと鬼に向かって近づいていった。
「咲希……?」
 それが探し求めていた少女の後ろ姿だと気づいた瞬間、将成はその背中に向かって大声で叫んだ。
「咲希ッ……! 逃げろッ……!」

 グゥガァアアッ……!

 世界を震撼させるほどの凄まじい咆哮が周囲を席巻せっけんした。
「咲希ぃーッ!」
 その雷鳴の中を、愛する少女の名を叫びながら将成は全力で駆け出した。
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