今を春べと咲くや此の花 ~ 咲耶演武伝 ~

椎名 将也

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第4章 咲耶の軌跡

6.建御雷神の修行

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 それはまさしく地獄であった。否、地獄の方が遥かにマシであったかも知れない。咲耶は本気で泣きながら、建御雷神に哀願した。
「もう、許して……。少しでいいから、休ませて……」
 暁六つ半(午前三時)に叩き起こされ、夜四つ半(午後十一時)まで終日が神気の修行であった。睡眠時間は二刻(四時間)で、休みは朝昼晩の四半刻(三十分)ずつしかなかった。

 建御雷神が張った結界の中で、咲耶は全裸で一本の杭に括りつけられていた。両手は頭上で一つに纏められ、両脚はつま先立ちで拘束されていた。その美しい裸身はビッショリと汗に濡れ塗れ、全身に鳥肌が沸き立っていた。黒曜石の瞳からは絶え間なく涙が溢れて白い頬を伝わって流れ落ち、美しく整った顔は凄絶な恐怖に歪んでいた。

 全裸に剥かれていたとはいえ、性的な凌辱を受けていたわけではなかった。だが、ある意味それ以上の凄まじい嫌悪に咲耶は襲われていた。その足元にはシュルシュルと音を立てながら、何百匹もの蛇が蜷局とぐろを巻いていたのだ。その恐怖は、かつての反省房の比ではなかった。常に一定以上の神気を放出していないと、無数の蛇が美しい裸身を這いずり上がってくるのだ。

「お願いします、建御雷神さま……。女を裸にしてこのような辱めを与えるなど……。こんなの修行ではありませぬ……。許してください……」
 何度目かも分からぬ哀願の言葉を咲耶が告げた。最初に感じた恥辱などすでになく、おぞましい恐怖と嫌悪のみが咲耶を支配していた。すでに三日以上も、咲耶はこの蛇蝎だかつの修行を受け続けていた。

「短期間で効果的に神気を増やすには、その者の最も忌み嫌う状況を作り出すことが一番だ。お前の場合、この状況が最も適しているようだ。この修行を始めた三日前と比べ、神気の量が大きく増えていることが何よりの証拠だ」
 涙に塗れた咲耶の美貌を見据えながら、建御雷神が冷徹に告げた。その金色に輝く瞳には、裸身の女に対する欲情の欠片一つ映っていなかった。

「鬼ッ! 悪魔ッ! このキンキン頭ッ……!」
 思いつく限りの罵声を浴びせながら、咲耶は涙に濡れた黒曜石の瞳で建御雷神を睨んだ。だが、建御雷神はニヤリと笑みを浮かべると、楽しげにその誹謗中傷に応えた。
「キンキン頭と呼ぶことは禁じたはずだ。どうやら、まだまだ元気が有り余っているようだな。あと百匹ほど蛇を追加してやろう」
 そう告げると、建御雷神は祝詞のりとを唱えて、大量の蛇を別の結界から呼び寄せた。

「ひぃいいッ……! ごめんなさいッ! いやぁあッ……! 許してぇえッ!」
 美しい裸身にビッシリと鳥肌を沸き立てて、咲耶が絶叫した。恐怖に大きく見開いた黒曜石の瞳から、大粒の涙が溢れ白い頬を伝って流れ落ちた。その扇情的な情景にも眉一つ動かさずに、建御雷神が冷たく言い放った。
「あとひと月ほど、そのまま神気を張り続けておれ。さすれば、神気の量も質も大幅に上がるであろう……」

「待ってぇえッ! 行かないでッ! 建御雷神さまぁあッ……! 許してぇえッ!」
 背を向けて歩き始めた建御雷神の背中に向かって、咲耶は本気で泣き叫んだ。そして、振り向こうともせずに歩き去って行く建御雷神に、咲耶は心の底から怨みの声を上げた。
「覚えておれよ、キンキン頭ぁッ……! この怨み、絶対に晴らしてやるからなぁッ! いやあぁあッ……! 寄るなッ、ひぃいいッ……!」
 神々しいほどの神気を全身から放ちながら、咲耶の絶叫は途切れることなく続いた。

 壮絶な蛇蝎の修行によって、咲耶の神気は大きく上昇した。だが、同時に、咲耶の建御雷神に対する信頼と尊敬も跡形もなく粉砕された。
(あのキンキン頭めッ! 絶対に許さぬッ! いつか必ず仕返ししてやるわッ!)
 瓊瓊杵の仇を討つことから、建御雷神に復讐することへと咲耶の目的はいつの間にか変わっていた。


 三種の神器の一つ<草薙剣くさなぎのつるぎ>は、素戔嗚尊が倒した八岐大蛇ヤマタノオロチの体内から生まれ出た神刀だ。<咲耶刀>はその<草薙剣>になぞらえて、月読命ツクヨミのみことが高天原随一の鍛冶神である天目一箇神アメノマヒトツのかみに命じて打たせた神刀だった。

 八岐大蛇は八つの首と八本の尾を持つ巨大な蛇龍であった。毎年、足名椎命アシナヅチ手名椎命テナヅチの夫婦は、娘を八岐大蛇に差し出してその怒りを鎮めていた。最後の娘である櫛名田比売くしなだひめとの別れを嘆いているところに素戔嗚が現れ、櫛名田との結婚を条件に八岐大蛇討伐を引き受けた。

 だが、八岐大蛇の妖力ちからは、高天原随一の武神である素戔嗚をも大きく上回っていた。櫛に姿を変えた櫛名田を髪に挿し、素戔嗚は彼女の神気を自分の神気に同調させた。そして、八つの酒槽さかぶねに強い酒を満たし、八岐大蛇の八つ首にそれぞれを呑ませた。
 そして、八岐大蛇が酔って寝入った隙を突いて、素戔嗚は十拳剣とつかのつるぎでその巨体を切り刻んだ。その時、最も太い尾の中から現れたのが<草薙剣>であった。<草薙剣>は、神刀である十拳剣をも刃毀はこぼれさせたと伝えられている。

 素戔嗚でさえも凌ぐ八岐大蛇の力を具現化させたのが、<草薙剣>であった。その<草薙剣>を研究し、それを模して鍛えられた神刀が<咲耶刀>なのだ。天照が告げたとおり、<咲耶刀>は<草薙剣>に勝るとも劣らぬ神威を秘めていた。
 刃渡り二尺四寸(七十三センチ)の白銀に輝く神刀を見つめながら、咲耶は驚きに黒瞳を大きく見開いた。

(何という刀じゃ……。力の底がまるで見えぬ……)
 <咲耶刀>の秘める膨大な神力の十分の一でさえ、今の自分には引き出せていないことが咲耶にも分かった。その力を解放できたら、夜叉ヤクシャはおろか建御雷神でさえも倒せるのではないかと咲耶は感じていた。

 <咲耶刀>は咲耶の神気によって具現化したり、消滅させたりできる神刀だった。白銀に輝く刀身は、咲耶が込めた神気の量によってその輝きを変えた。強い神気を込めれば輝きが増し、神気を抑えればその光輝が消えた。
 つかは糸巻きで、黒地に金糸が平巻ひらまきにされていた。鞘は朱漆が幾重にも塗り重ねられており、返角かえりづのの付近には金の瑞龍が彫られていた。刀身だけでなく柄や鞘からも神気が溢れており、ひと目見ただけで凄まじい神威を秘めた神刀であることが誰の目にも明らかであった。

 左腰に差した神鞘しんしゅうから抜き放った<咲耶刀>を正眼に構え、咲耶は建御雷神と対峙していた。咲耶が<咲耶刀>を手にしてからは、建御雷神も楊枝ようじや筆などではなく神刀を構えていた。咲耶自身の神気はともかく、<咲耶刀>の神威を前にして建御雷神と言えども油断はできなかったのだ。

「好きに打ってくるがよい」
 右手に構えた小刀の切っ先を真っ直ぐに咲耶に向けながら、建御雷神が告げた。だが、その姿勢には隙一つもなく、全身が眩いほどの光輝に包まれていた。
(余裕をかましおってッ……! 今度こそ、その澄ました顔を驚愕に歪めさせてやるッ!)
 咲耶はすべての神気を解き放ち、全身から膨大な光輝を放出させた。おぞましい蛇蝎の修行のおかげで、咲耶の神気は以前の十倍以上にも上昇していた。

「行きますッ! たぁああッ……!」
 眼にも留まらぬ神速の足捌きで一気に間合いを詰めると、咲耶は右上段から袈裟懸けに<咲耶刀>を振り下ろした。咲耶の神気を収斂しゅうれんさせた白銀の刀身が、光輝の激流となって建御雷神に襲いかかった。

 キーンッ……!

 左手に持ち替えた小刀で咲耶の斬撃を受け止めると、建御雷神は右手の掌底を咲耶に向けて神気を放った。
「がはぁあッ……!」
 凄まじい激痛が咲耶の腹部を襲い、その衝撃波によって咲耶は三十三尺(十メートル)も後方に吹き飛ばされた。

「ゲホッ、ゴホッ……!」
 両手で腹部を押さえながら、咲耶は激しく咳き込んだ。起き上がろうとしても、全身に力が入らずに大地を転がるだけであった。
(何故じゃ……? 神気を纏っていたはずなのに、これほどの衝撃を受けるなんて……)
 痛みと息苦しさのあまり、黒曜石の瞳から涙を流しながら咲耶が建御雷神を見上げた。

「愚か者……。初手からほとんどの神気を攻撃に廻すなど、何を考えておる? 格上を相手取る場合には、八割の神気を身に纏え。攻撃に使うのは残りの二割だ。さもないと、今のように一撃で倒されるぞ」
「は……はい……」
 <咲耶刀>の切っ先を地面に突き刺して杖代わりにしながら、咲耶は何とか立ち上がった。

 今の一撃が大きく手加減されたものであることは、咲耶にもよく分かっていた。建御雷神が本気で神気を撃ったら、咲耶の体など瞬時に消滅させられてしまうのだ。だが、その威力はともかく、建御雷神の動きにまったく反応できなかったことに咲耶は唇を噛みしめた。
(くそッ……! キンキン頭との力の差がまったく見えぬ……。とて、少しは強くなったはずなのに……)

「どうした、咲耶……? もう降参か……?」
「い、いえ……。その前に教えてください……。神気ちからを百としたら、夜叉ヤクシャや建御雷神さまの力はどのくらいなのですか?」
 どうせ分からぬのであれば、素直に訊ねようと咲耶は思った。そして、建御雷神の顔を真剣な表情で見つめた。

「お前と夜叉ヤクシャの差か……。そうだな……。お前の神気を百とするならば、夜叉ヤクシャの妖気は一万八千から二万と言ったところか……?」
「に、二万ッ……!」
 建御雷神の答えに、咲耶は茫然して黒瞳を見開いた。まさか、そこまでの差があるとは考えもしなかった。

「そして、私の神気は二十万程度だと思え……」
「に、二十万……」
 もはや、何も言葉が出てこなかった。どんなに攻撃しても建御雷神に通用しない理由を、咲耶は実感を込めて理解した。

「ちなみに、天照さまはどのくらいなのでしょうか……?」
 ふと気になって、咲耶が訊ねた。ほんの少し言葉を交わしただけだったが、天照からは建御雷神でさえ大きく上回る神気を感じたことを思い出したのだ。
「あのお方は、我ら天津神あまつかみの中でも別格のお力をお持ちだ。今のお前と私の差より、私と天照さまとの差の方が遥かに大きいと思え……」
 建御雷神の言葉に、咲耶は驚愕するとともに納得した。この世界のすべてを支配する最高神の神気ちからなど、推し量ることさえ無駄であることに気づいたのだ。

「今のお前が天照さまや私を意識する必要はない。お前の目的は瓊瓊杵さまの仇討ちのはずだ。夜叉ヤクシャを超えることだけを意識しろ。たった三十年で、お前の力を二百倍にしなければならぬのだ。そのためには、休んでいる時間などないと思え……!」
「は、はいッ……!」
 激痛が走る体に鞭を打ちながら、咲耶は再び<咲耶刀>を構えた。

「行きますッ! ハァアッ……!」
 全身から神々しい神気を放出すると、裂帛の気合いとともに咲耶は建御雷神に向かっていった。だが、神速に薙いだ<咲耶刀>をあっさりと躱されると、次の瞬間には咲耶は再び地面に転がっていた。建御雷神が解き放った神気の奔流に吹き飛ばされたのだ。

「どうした……? もう終わりか……?」
「ま、まだまだッ……! たぁああッ……!」
 凄まじい痛みに歯を食いしばりながら、咲耶は立ち上がって<咲耶刀>を構えた。そして、白刃を走らせるたびに、何度も地面を這わされた。

 その想像を絶する修行は、咲耶が意識を失うまで毎日繰り返された。咲耶の神気は少しずつであるが、その色が濃密になり、その速度と威力が増加していった。だが、咲耶自身がそのことを実感するのはまだまだ先のことであった。


 咲耶が建御雷神の門戸を叩いてから、十年が過ぎた。本格的に建御雷神の修行を受け始めてからも、七年が経過していた。その日、いつものように修行を受けるために屋敷の中庭に行くと、建御雷神は一人の若者を伴っていた。

「咲耶、今日からしばらくの間はこの者の胸を借りて修行をしろ……」
 建御雷神の言葉に、咲耶は彼の左側に立つ若者を見つめた。
 身長は建御雷神よりやや低く、六尺(百八十センチ)程度だった。鍛えられた筋肉質の体に、濃茶色の革鎧を身につけていた。四角張った顔には鋭い眼光を放つ黒瞳と、大きめの鼻に続いて引き結んだ口元が強い意志を窺わせていた。

「こちらのお方は……?」
 その若者から建御雷神に視線を移しながら、咲耶が訊ねた。
「私の弟子の一人で、綿津見神ワタツミのかみという海神だ。私とのみ稽古をしていると、知らず知らずに剣筋が固まってしまう故、しばらくはこの綿津見に修行をつけてもらえ」
「は、はいッ……! 木花咲耶と申します。よろしくお願い致します」
 長い漆黒の髪を揺らしながら、咲耶が綿津見に頭を下げた。

「綿津見と申す。こちらこそ、よろしく……。それにしても噂に違わず、美しいお方だ……」
「う、美しいって……そんな……」
 綿津見の言葉に、咲耶はカアッと頬を染めた。男性に容姿を褒められるのは、ずいぶんと久しぶりであった。その様子を面白そうに見つめながら、建御雷神が言った。

「綿津見は海を統べる海神だと告げたはずだ。海での闘いであれば、私よりも強いぞ」
「えッ……?」
 建御雷神の言葉に、咲耶は驚愕して綿津見の顔を見つめた。素戔嗚尊と一、二を争う武神である建御雷神が告げた綿津見の実力に、驚きのあまり咲耶は言葉を失った。
(このお方が、海ではキンキン頭よりも強いって……?)

「その<咲耶刀>は、<草薙剣>に勝るとも劣らぬ神刀だと伺った。だが、私の<天之瓊矛アメノヌボコ>も伊邪那美イザナミさまから賜った神矛しんむだ。手加減は致すつもりだが、死なぬように気をつけられよ」
 そう告げると、綿津見の右手から凄まじい神気が放出され、長大な矛が具現化した。その全長は優に十尺(三メートル)は超えていた。長い柄の先には、二尺七寸(八十センチ)を超える両刃もろはの剣が鋭い輝きを放っていた。

「<天之瓊矛>って、まさか……?」
 その銘に、咲耶は聞き覚えがあった。綿津見がニヤリと笑みを浮かべながら、咲耶の疑問に答えた。
「察するとおりだ。この<天之瓊矛>はその昔、伊邪那岐イザナギさまと伊邪那美イザナミさまが、『国産み』に用いられた神矛だ」

 国産みとは、伊邪那岐と伊邪那美の二神が天と地上の間にかかる天の浮き橋あまのうきはしに立ち、<天之瓊矛>で地上世界をかき回せて島を作ったと言われる伝説である。その<天之瓊矛>が実在する神矛であることを、咲耶は初めて知った。

「お、お待ちを……綿津見さま……! のような者に、何もそのような神矛を使っていただかなくても……」
 本気で顔を引き攣らせながら、咲耶が慌てて綿津見に告げた。本物の<天之瓊矛>であるならば、擦っただけで咲耶の体など瞬時に粉砕するほどの神威を秘めているはずだった。

「遠慮される必要はない。私は瓊瓊杵尊さまの仇を自ら討ちたいという貴女の健気さに心を打たれた。だから、建御雷神さまから貴女に稽古を付けるように言われた時、心が震えたのだ。私の持つすべてを貴女にお伝えしようッ!」
 自己心酔の極みとでも言うべき表情を浮かべながら、綿津見が右腰だめに<天之瓊矛>を構えた。
「ち、ちょっと……待って……」
「いざ、参るッ! たぁああッ……!」
 咲耶の制止の言葉など耳に届かず、裂帛の気合いとともに綿津見が<天之瓊矛>を繰り出した。

「ひぃいいッ……!」
 <天之瓊矛>の剣先から凄まじい神気が爆発し、超絶な光輝の奔流となって咲耶に襲いかかってきた。その光輝の螺旋を見た瞬間、咲耶は全力で大きく右手に跳んだ。少しでも擦れば、咲耶の全身など跡形もなく消滅されてしまう破壊力であった。

 ズッドーンッ……!

 咲耶が直前までいた場所の後方にあった巨大な樫の木が、太い幹の大半を消滅させて崩れ落ちた。
(し、洒落にならないわッ……!)
 ゾーッと背筋を泡立たせながら、咲耶がその惨状を見つめた。今の咲耶の神気では、たとえ結界を張ったとしても、これほどの威力を持つ攻撃を防ぐことなど不可能であった。

「よく避けられた。だが、気を抜かれるのは早いぞ。たぁああッ……!」」
「ま、待って……ひぃいいッ……!」
 文句を言う間もなく、次々と神気の奔流が咲耶を襲ってきた。綿津見が凄まじい速度で、<天之瓊矛>を次々と繰り出したのだ。その超絶な光輝の連撃を、咲耶は必死で躱し続けた。すべての神気を両脚に集め、神速の足捌きと跳躍で休む間もなく綿津見の攻撃を避けた。

「はぁ、はぁ……ち、ちょっと……お待ちを……」
 大きく肩で息を切らせながら、咲耶が必死の表情で綿津見に告げた。その言葉を聞き流し、綿津見がこめかみに赤い筋を立てながら咲耶を睨みつけた。
「ちょこまかと逃げおってッ……! これならば、どうだッ……!」
 <天之瓊矛>を大きく振りかぶると、綿津見の全身から凄まじい神気の奔流が迸った。それは、今までの攻撃が手加減していたことを証明するには十分過ぎる覇気だった。

「ま、待ってッ……綿津見さまッ……!」
 黒曜石の瞳を驚愕に見開きながら、咲耶が慌てて叫んだ。高さ十七尺(五メートル)を超える巨大な神気の焔が、<天之瓊矛>に収斂しゅうれんしていった。
「たぁああッ……!」
 凄まじい気合いとともに、綿津見が<天之瓊矛>を振り落とした。その瞬間、直径三尺三寸(十メートル)を超える巨大な神気の奔流が、螺旋を描きながら咲耶に向かって襲いかかった。

(避けきれないッ……!)
 凄まじい速度で襲いかかってくる光輝の潮流を見て、咲耶は瞬時に避けることを諦めた。そして、両脚を大きく開くと腰を落として、左腰の<咲耶刀>を右手で掴んだ。それは紛れもなく居合抜きの構えであった。

「ハァアッ……!」
 裂帛の気合いとともに、咲耶が居合抜きを放った。神速で抜き放たれた<咲耶刀>の白刃から、超絶な神刃しんじんが翔破し、神気の奔流と激突した。

 ズッドーンッ……!

 大気を震撼させ、大地を鳴動させる轟音とともに、咲耶の神刃しんじんが神気の奔流を真っ二つに斬り裂いた。
 二つに割れた光輝の潮流が咲耶の体を避けて、遥か後方で大地に激突し激しく爆発した。その破壊力は、建御雷神の結界の中でなければ小さな街を消滅させるほどのものであった。
 無数の粉塵と土砂が舞い上がり、背後から咲耶の全身に降りかかった。それを神気の結界で防ぎながら、咲耶はハアッと大きくため息をついた。

を殺すおつもりですか、綿津見さま……?」
「あ……、いや……すまぬ……。つい、頭に血が上って……」
 存外にキレやすい男だと気づき、咲耶がジト目で綿津見を見つめた。その様子を面白そうに見ていた建御雷神が、咲耶に向かって笑いながら告げた。

「なかなか見事な斬り返しであったぞ、咲耶……」
「笑い事ではありません、建御雷神さまッ……! 今の攻撃は稽古の範疇を超えておりますッ! 一歩間違えれば、は消滅しておりましたぞッ!」
 建御雷神の態度に頭に来て、思わず咲耶が怒鳴った。

「心配するな。お前の対応が遅れていたら、私が結界を張るつもりであった。綿津見も、もう少し手加減してやれ……」
「は、はい……。申し訳ありません、建御雷神さま……」
 咲耶への謝罪と異なり、綿津見は片膝を立てて建御雷神に頭を下げた。その対応の相違に咲耶の不満は爆発した。

「綿津見さま、謝る相手を間違っておりませぬか?」
 ジロリと綿津見を睨みながら、咲耶が文句を言った。
「あ、いや……。すまぬ、咲耶殿……。だが、今の居合は見事であった。おかげで咲耶殿の実力がよく分かった。これからの修行は、今程度の神気こうげきにしてやる故、許されよ……」
「えッ……? 今程度のって……?」
 綿津見の言葉の意味を察すると、咲耶はサアッと顔を青ざめさせた。先ほどの神気の奔流でさえも、綿津見の全力からほど遠い手加減された一撃であることに気づいたのだ。

「では、参るぞ、咲耶殿ッ……!」
 綿津見は立ち上がると同時に、<天之瓊矛>を右腰だめに構えてその切っ先を咲耶に向けた。
「ま、待って……」
「たぁああッ……!」
 顔を引き攣らせた咲耶の言葉を無視すると、綿津見が再び膨大な神気の奔流を放った。

 避ける間もない神気の奔流を、咲耶は辛うじて<咲耶刀>で両断した。だが、そのすぐ後ろから、第二弾、第三弾の光輝の潮流が襲いかかってきた。
「ハッ……! ハアッ……!」
 続けざまに<咲耶刀>に神気を収斂し、裂帛の神刃しんじんを放った。だが、全身全霊を込めた神刃しんじんの連撃を今の咲耶が防げるはずもなかった。

「きゃああッ……!」
 四弾目の奔流に対応できず、咲耶は死を実感した。直径三尺三寸を超える超絶な波動が螺旋を描きながら目前に迫った。
「……ッ!」
 思わず眼を閉じた咲耶の眼前に、強固な結界が張られた。その結界に弾かれ、神気の奔流が霧散した。

「た、建御雷神……さま……」
 自分の生命を救ってくれた結界が建御雷神によるものだと気づき、咲耶は茫然と彼の顔を見つめた。
「この程度の攻撃で神気を使い切るなど、まだまだ修行が足りぬぞ。綿津見は一度も本気で攻撃などしておらぬのが分からぬのか?」
 建御雷神の言葉に、咲耶は何も言えなかった。言われるまでもなく、綿津見が実力の半分も見せていないことには気づいていた。

「次は最初と同様に、様々な強さの攻撃を織り交ぜてゆくぞッ! 神気の強さを瞬時に見極めて、対応せよッ!」
 そう告げると、綿津見は腰だめに構えた<天之瓊矛>を凄まじい速度で繰り出して、連撃を放った。

「ま、待ってッ……! ひぃいいッ……!」
 休む間もなく襲いかかる神気の奔流を、咲耶は必死で避けたり<咲耶刀>で両断したりと慌ただしく対処した。
「ハァアッ……!」
 膨大な神気の奔流を辛うじて<咲耶刀>で両断した時、咲耶はガクリと地面に膝を付いた。神気切れを起こしたことが、誰の目にも明らかだった。

(だめッ……! もう、神気ちからが……)
 その思考を最後に、咲耶の意識は急速に暗闇に包まれた。右手に握り締めた<咲耶刀>が消失し、咲耶はうつ伏せに倒れてそのまま意識を失った。

「ご苦労だったな、綿津見……」
「いえ……、建御雷神さま……。咲耶殿の神気の質は悪くありませぬが、あと二十年であの夜叉ヤクシャを倒せるとは思えませぬ……」
 右手に握っていた<天之瓊矛>を消失させると、綿津見が建御雷神を見つめながら告げた。

「たしかに、お主の言うとおりだ。このままでは夜叉ヤクシャに追いつくだけで四十年はかかるだろう……」
 綿津見の言葉に頷きながら、建御雷神が告げた。そして、地面に横たわる咲耶を見つめると、ニヤリと笑みを浮かべた。
「だから、私はお主を呼んだのだ……」
 その言葉に隠された本当の意味に気づき、綿津見は驚愕の表情を浮かべた。

「まさか……、建御雷神さまは咲耶殿を……?」
「そうだ……。お主との稽古を半年ほど受けさせた後、伊邪那美さまの元へと送ろうと思う」
「い、伊邪那美さまのところ……黄泉の国へと送られるおつもりですかッ?」
 伊邪那美は死して後、黄泉の国を統べる女神として君臨していた。そして、黄泉の国には八雷と呼ばれる雷神が伊邪那美の配下として存在していた。

「伊邪那美さまへの紹介状にお主の名前を借りたい。私とお主の連名であれば、伊邪那美さまも否とは言わぬであろう?」
 伊邪那美の息子であり、<天之瓊矛>を賜った綿津見の名があれば、建御雷神だけの名よりも効力が大きいことは間違いなかった。

「それは構いませぬが、今の咲耶殿にあの八雷を相手にする力などありませぬぞッ!」
「分かっておる。だから、最初の一、二年は黄泉醜女ヨモツシコメに修行をつけてもらうように頼むつもりだ。八雷に挑むのは、その後だ……」
 建御雷神の言葉に、綿津見は彼の真意を疑った。今の綿津見でさえ、八雷には遠く及ばないのだ。

 黄泉の国の八雷とは、大雷オオイカヅチ火雷ホノイカヅチ黒雷クロイカヅチ析雷サキイカヅチ若雷ワカイカヅチ土雷ツチイカヅチ鳴雷ナルイカヅチ伏雷フシイカヅチの八柱のことである。
 その誰もが高天原においても、武神として十分に通用する雷神たちであった。一対一で彼らに勝てる者は、高天原広しと言えども素戔嗚か建御雷神以外にはいないと言われていた。

「貴方さまは、咲耶殿を憎んでおられるのですか? それとも、愛して……」
 八雷の修行を受けさせることは、建御雷神が咲耶を憎んでいるか愛しているかのどちらかだと綿津見は考えた。黄泉の国での修行というのは、それほど常軌を逸した修行であった。

「憎んではおらぬ。かといって、神友ともの妻を愛するはずがなかろう? 私は瓊瓊杵さまの無念を晴らしたいという咲耶の気持ちを尊重しているだけだ」
 綿津見の質問に、建御雷神はニヤリと微笑を浮かながら答えた。綿津見はしばらくの間、じっと建御雷神の顔を見つめた。そして、大きく首を振るとため息とともに建御雷神に告げた。

「分かりました……。どちらにせよ、かつて黄泉の国で修行をされた方は建御雷神さまただお一人……。愛憎はともかく、貴方さまが咲耶殿を買っておられることはよく分かりました。伊邪那美さまへの紹介状に、私も名を連ねましょう……」
「お主なら、そう言ってくれると思っておった。感謝するぞ、綿津見……」
「はッ……。咲耶殿には大いに同情いたしますが……」
 差し出された建御雷神の右手を、綿津見は苦笑いを浮かべながら握り返した。

 二人の武神の視線が、目の前に横たわる美少女に注がれた。咲耶は自分の過酷な運命が決められたことも知らずに、神気を使い果たしたまま意識を失っていた。
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