金碧の女豹~ディアナの憂鬱 【外伝2 女王の騎士】

椎名 将也

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第十四章 破魔の霊弓

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 従士が二人がかりで開けたオリハルコン製の重厚な扉から宝物庫に足を踏み入れると、アストレアは周囲を見渡して眉を顰めた。五十平方メッツェほどの広さがある宝物庫の中はがらんとしており、とてもではないが千年もの間に蓄積されてきた品々で満ちているとは言いがたかった。
「そんな……。どう見ても、目録の半分もない……」
 宝物庫の惨状に呆然と立ち尽くしながら、レオナルドが呟いた。

「これは……ちょっとひどいわね。トラヴノスの奴、私腹を肥やすどころじゃないわ」
 驚きと呆れとが入り混じった口調で、アンナが告げた。その感想も当然であった。千年以上の歴史を持つ大国の宝物庫に収められる品であれば、一点で少なくても白金貨数万枚はするはずである。中には国宝並みの価値がある物もあったはずだ。それらが数十点も消失しているのだった。

「これがすべてトラヴノスさんのやったことだとしたら、彼はどうなりますか?」
 黒瞳に激しい怒りを浮かべながらアストレアがレオナルドに訊ねた。
「トラヴノスは、首席枢機卿です。ゾルヴァラタ神国の戒律では、枢機卿に死刑は適用されません。ただし、これだけの背信を行ったことが事実であれば、浄化杯をあおることになると思います」
「浄化杯?」
 聞き慣れない言葉に、アストレアが首を傾げながらレオナルドを見つめた。

「すべての罪を清め、魂を浄化するという意味の酒です。名前はさかづきですが、中身は劇毒薬です。言い換えれば、自殺を促すということです」
「なるほど……」
 死ねばすべての罪が消えるという考え方には賛同できなかったが、再びこのようなことを起こす者が現れないように見せしめの意味もあるのだろうとアストレアは考えた。女神と呼ばれるほど慈愛に満ちたアストレアであったが、生涯を掛けて人々を平和に導いたミッシェルのことを思うと、トラヴノスを許す気にはなれなかった。

「ところで、目録に霊弓<シリウス>はあったんですか?」
 アストレアの内心の苦悩を読み取り、アンナが話題を変えた。
「いえ。やはり、目録にも<シリウス>の名前はありませんでした。千年もの間に紛失してしまったか、トラヴノスのような不心得者によって売られてしまったのかも知れません」
 アストレアの役に立てずに消沈しそうな表情を浮かべながら、レオナルドが答えた。

「どうするの、アスティ。霊弓<シリウス>がないとなると、ルシファーに対する対策を練り直さないとならないわよ」
 対策を練り直すと言っても、正直なところアンナは悪魔王デーモンキングルシファーを相手にする手段など何も思い浮かばなかった。
「すみません、アンナ。少しの間、静かにお願いします。霊弓<シリウス>に呼びかけてみますので……」
「霊弓<シリウス>に呼びかける……?」
 アストレアの言葉の意味が分からなかったが、アンナは言われたとおり黙り込んだ。

(<シリウス>……。あなたの存在を近くに感じます。千年も放っておいて拗ねているのですか? もう一度、私にあなたの力を貸してください)
 黒曜石の黒瞳を閉じると、アストレアは懐かしい気配を感じながら<シリウス>に話しかけた。しばらくの間、アストレアは<シリウス>に呼びかけたが、何の反応も感じられなかった。アストレアは<シリウス>に呼びかけることを中断し、愛する者の顔を思い浮かべた。

(ミッシェル……。あなたが創ったこの国を、私は護りたい。あなたが愛した人々を、私も愛したい。お願い、力を貸して。霊弓<シリウス>を私に預けて……)
 全身全霊で祈りを捧げていたアストレアの背後で、小さな光が生まれた。その光が濃密さを増して、急速に膨れ上がった。

「きゃっ! 何、これっ?」
 オクタヴィアが驚愕の悲鳴を上げた。彼女の左手の甲が突然光り出したのだ。その光が直視できないほどの光輝を放ちながら膨張した。そして、その光が急速に収斂しゅうれんすると、オクタヴィアの左手に純白に輝く弓が握られていた。

「アストレア様、これは……?」
 驚きのあまり碧眼を大きく見開くと、オクタヴィアは動揺してアスティの名ではなくアストレアの真名まなを口にした。
「霊弓<シリウス>です。オクタヴィアさん、どうやら<シリウス>は私ではなくあなたを選んだようです」
 ニッコリと微笑みを浮かべると、アストレアは優しさと懐かしさが混在する瞳でオクタヴィアを見つめた。

「これが……霊弓<シリウス>?」
 突然左手に現れた純白の弓を見つめながら、オクタヴィアは呆然と呟いた。彼女の疑問に答えるように、アストレアが告げた。
「霊弓<シリウス>は実体を持ちません。その者の魂に宿り、その者が望んだときにだけ具現化する神弓です。言わば、神刀<クラウ・ソラス>の弓版ですね」
「実体を持たない神弓……? これ、矢はどうするのですか? それどころか、弦もないんですけど……」
 呆然とした表情で、オクタヴィアが訊ねた。それを笑いながら見つめると、アストレアが楽しそうに告げた。

「弦は矢をつがえれば現れます。そして、矢はあなたの魔力で作ってください」
「魔力って……? 私、剣士ですが……。魔力なんて持っていません」
 アストレアの言葉に驚愕すると、オクタヴィアが慌てて首を振った。
「ここでは危険なので、一度外に出てから練習しましょう。大丈夫です。霊弓<シリウス>が選んだのですから、あなたには膨大な魔力があります。

「私に魔力が……ですか?」
 生まれてから十七年間、一度も魔法など使えた例しがないオクタヴィアは、アストレアの顔を見つめながら訊ねた。女神アストレアが嘘など言うはずはないと分かっていても、すぐには信じられなかった。

「私の言葉を信用できなければ、代わりに霊弓<シリウス>を信じて上げてください。必ずあなたの期待に応えてくれるはずです」
「いえ……。アストレア様のお言葉を疑うなんて、そんなことありません。でも、私は弓を扱ったことなんて一度もありません。そんな私に、霊弓<シリウス>が使えるとはとても思えません」

 レオナルドの幼馴染みとして、オクタヴィアは教皇となる彼を護ろうと幼い頃から心に決めていた。そのため剣の腕をひたすら磨き、十七歳という若さで剣士クラスBにまでなったのだ。逆に言えば、剣以外の槍や弓などには目もくれなかったのである。

「大丈夫ですよ、心配しなくても。私が手ほどきいたします。今でこそ術士クラスSSですが、ミッシェルとともに悪魔と戦っていたときには、こう見えても弓士クラスSだったのですよ、私は……」
 そう告げると、アストレアは楽しそうに笑った。そして、心の中でミッシェルに話しかけた。

(ミッシェル、ありがとう。オクタヴィアさんもあなたの子孫だったんですね。あなたの愛するこの国と国民は、私たちが必ず護ります。私たちを見守っていてください)
 アストレアはその美貌に微笑みを浮かべると、オクタヴィアの左手に視線を送り、懐かしそうに霊弓<シリウス>を見つめた。
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