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第5章 プトレマイオス遺跡

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 人類が太陽系外に、初めて居住可能惑星を発見したのは、西暦二一七九年のことであった。これを記念して、人類は銀河標準歴SDを採用する。
 SD五九八年。人類史を揺るがす大発明が生まれた。永年の念願であった亜空間航法ハイパー・ドライブの実用化である。人類は地球から初めて無人衛星を打ち上げてから、実に八世紀以上の年月を経て、光速の壁を超越する方法の実用化に成功したのだった。

 亜空間航法HDを手にした人類は、その生存圏を飛躍的に広げていった。それに伴い、過密飽和気味であった人口は、爆発的に増加の一途をたどった。
 SD一二八五年のピーク時には、銀河系総人口は五千百億人を超える。そして、人類が移住した惑星は、二千八百を超えた。
 しかし、その年に勃発した戦争は、繁栄の頂点にあった人類に巨大な鉄槌を下したのだった。

 銀河人類史上、最悪の戦争と呼ばれたDNA戦争である。それは、第一次、第二次の二回にまたがって勃発した。
 DNA戦争は、DNAアンドロイドと呼ばれる新人類と、銀河連邦が統率する旧人類との大規模な軍事衝突であった。

 DNAアンドロイドとは、人間の持つDNA遺伝子を特殊操作したクローンの総称であり、その反射速度、運動能力、治癒能力は、成人男性の平均値の十倍以上に相当する。その上、DNAアンドロイド全てが、個体差はあるにせよBクラス以上のESPを有していたのである。いわば、従来の人類を凌駕する能力を持った新人類であった。
 しかし、自分たちの手で彼らを造り出した人類は、彼ら新人類が期待するほど寛容ではなかった。特に銀河連邦政府首脳陣は、彼らに人権さえ与えず、軍事利用としての価値しか見い出そうとしなかったのである。彼らがDNA戦争を起こしたことは、歴史の必然であった。

 SD一二八五年五月。
 DNAアンドロイドたちは、Σナンバーの能力を持つジョウ=クェーサーを総帥とし、銀河連邦政府に反旗を翻した。
 当時、銀河連邦軍が有する宇宙戦闘艦は二百八十万隻。それに対して、DNAアンドロイド軍が有する戦闘艦はわずか百隻にも満たなかった。物量で圧倒的な有利を誇る銀河連邦軍は、一ヶ月足らずで彼らを殲滅する予定であった。

 しかし、銀河連邦政府は、彼らがいずれも優秀なESPであることを忘れていた。
 BクラスのESPが一人いれば、百隻程度の宇宙艦隊を一時間もあれば殲滅できると言われている。それがDNAアンドロイド軍には、五百名以上いたのであった。それにもまして、彼らは人類以上の知能を有している新人類である。DNAアンドロイド軍の研究開発部隊は恐るべき高性能新兵器を次々と開発量産していった。

 戦端が開かれてから六ヶ月が過ぎた頃、銀河連邦政府は己の不明に気づき、DNAアンドロイド軍の要求をほとんど呑む形で停戦条約を結んだ。
 これが後に言う「カッサンドラ条約」である。この条約締結により、第一次DNA戦争は終戦を迎えた。半年間の戦乱を経て、銀河系に再び平和が戻ったかのように見えた。
 この時点で、第一次DNA戦争による犠牲者は、推定五百十七億人に及んでいた。

 しかし、銀河連邦政府はDNAアンドロイドたちに対して、経済的制裁を加え始めたのである。
 それは、「カッサンドラ条約」でDNAアンドロイドたちの居住惑星と定められた、惑星インディスヴァーンへの関税率の大幅アップと、年間五万人の強制移民の承諾であった。
 自給自足さえ未だ整っていないインディスヴァーンにおいて、輸出入を止められ、なおかつ強制移民を受け入れることは死を意味した。

 インディスヴァーンの初代大統領となったジョウ=クェーサーは、銀河連邦政府に対して、再び戦端を開くことを決意せざるを得なかった。

 SD一二八六年七月。
 ここに、銀河系を未曾有の大混乱に陥れる第二次DNA戦争が勃発したのである。
 第二次DNA戦争は約一年間続き、終戦を向かえるまでには、次のような犠牲を強いた。

 消滅した太陽系                1
 惑星規模の破壊を受けた星        26
 大陸消滅規模の破壊を受けた星  157

 死者(推定)               1,574億人
 被害総額                        不明

 同時期に起きた惑星内乱        975

 この有史以来最大規模の大戦争によって、約千二百年続いた銀河連邦政府は崩壊し、銀河系は無法状態となった。各惑星は独立自治を始めたが、人類の移住した惑星の約九十%で動乱が勃発した。
 この未曾有の大混乱に終止符を打ったのは、DNAアンドロイド軍総帥ジョウ=クェーサーが放った一発の新兵器であった。

 DNAアンドロイド軍開発ナンバーΣ237。通称<アルテミス>。
 それは、HDエネルギーを特殊技術で変換し、亜空間を経て目的の惑星まで到達させるものであった。その超烈な破壊力は、銀河連邦政府管轄内の主要惑星ゼランとその衛星を、たった一発の閃光で消滅させたことでも明らかである。

 ジョウ=クェーサーは銀河系全域に次のような宣言を発した。
『全銀河系人類に告ぐ。これ以上の無用な内乱を続ける惑星があれば、我々は亜空間砲<アルテミス>の使用をためらいはしない』
 惑星ゼランの消滅は、各惑星の首脳陣にとって戦慄すべき事件であった。彼らは即座にインディスヴァーンに対し、降伏を申し出た。
 ここに、惑星インディスヴァーンを盟主とする銀河系監察宇宙局ギャラクシー・パトロール・システム(略して、GPS)が発足したのである。

 その後、GPS首脳陣の確執から、GPSを脱退する惑星が出てきて、ロバート=グローバルを筆頭とする宇宙平和連邦スペース・ホープ・リーグ(略して、SHL)が発足した。また、GPS、SHLのいずれにも属さない自由惑星同盟フリー・プラネッツ(略して、FP)も、わずかながら黙認された。

 一方、ジョウ=クェーサーは、総人口二億人の有人惑星ゼランを消滅させた責任をとり、GPS初代総帥にユーリ=フランコを推薦した後、<アルテミス>を破壊し、その設計図を焼失して自殺したのであった。


「そのジョウ=クェーサーが、君の父親なのか?」
 驚きを隠しきれず、ジェイが言った。
「そうよ。そして、彼の副官だったエマ=トスカが、私の母親よ」
 プルシアン・ブルーの瞳に、深い哀しみを浮かべながら、テアが告げた。

 テアがこの衝撃の事実を知ったのは、昨年、彼女を育ててくれたアーサー=スクルト博士が死んだ時だった。彼は、DNAアンドロイド理論の発明者であり、元銀河連邦軍の技術本部長であった。ジョウ=クェーサーをはじめとするDNAアンドロイドたちは、全て彼の研究チームが造ったのである。

 生前のスクルト博士は、テアの良き祖父の役割を果たしたが、彼女には両親がDNA戦争で戦死したと教えていた。不審に思ったテアは、自分の戸籍を取り寄せたこともあったが、そこには両親の名はなく、スクルト博士の養女となっていることを確認できただけであった。
 テアがジョウ=クェーサーの存在を知ったのは、スクルト博士の死後、彼の古い日記を見つけたことからだった。

『SD一二八六年七月二十五日。我が息子ジョウが、エマを連れて私を訪ねてきた。彼女の腕には、生まれて間もない赤ん坊が抱かれていた。
 ジョウは私に「DNAアンドロイドの存亡を賭けた闘いに入らざるを得なくなりました。文字通り、我々の生死を賭けることになるでしょう。その闘いに、この子を連れていくことはできません。博士の娘として、幸せな人生を歩ませて頂けませんか?」と告げた。

 愛する娘を手放すほどの決意をしたジョウたちに、私は言うべき言葉が見つからなかった。その時、エマが泣きながらこう告げた。
「この子の名前は、テアとつけました。涙という意味です。子供の名前には、適当でないかも知れません。私たちはこれから、生命を賭けて歴史を変えます。そのために、数多くの人たちが不幸になるかも知れません。彼女には、歴史が人々の涙の上に創られてゆくことを知って欲しいのです。そして、その中には私たちの涙も含まれていたと言うことを、思い出して欲しいのです」

 私のセカンド・ネームであるスクルトは、古代北欧神話に登場する「未来を司る女神」を意味している。テア=スクルトと名付けると、「涙の未来」と言う意味になってしまうことを彼女に告げた。
 しかし、エマの答えは、「未来を涙で染めるのではなく、涙から解放する女神になることを祈っています」とのことだった。
 私は、彼らの依頼を引き受け、テアの未来に対する責任を持つことを約束した』
 以上が、スクルト博士の日記の抜粋である。

「このことを話したのは、あなたが最初よ」
 テアが、ドライバーズ・シートに座るジェイを見つめて言った。長い睫毛をふせ、迸る感情を隠しているように見える。
「ありがとう、テア」
 なぜ、自分に話したのかとは、ジェイは訊ねなかった。彼はテアの感情を理解しているつもりだったのだ。彼女は自分に好意を持ち始めていると……。

「ジェイって、お兄さんみたいで話しやすいのよね」
 しかし、テアの答えは、彼の期待を完全に裏切るものだった。
(十六歳の女の子に、何を振り回されているんだ? ジェイ=マキシアンともあろう者が、まったく……)
 ジェイは苦笑いをした。それを見咎めて、テアが訊ねる。

「傷ついちゃった? でも、ジェイは結構いいセンいってるわよ。ジェシカって彼女がいなかったら、私がつきあってあげてもいいくらいよ」
「バカ、大人をからかうな」
 ジェイがテアを睨んだ。
「ちょっと、ちゃんと前見て運転してよね。私、あなたと心中なんてごめんよ」
「こっちだって、ごめんだよ」
 ジェイは前方に視線を戻した。

 彼らは今、プライマイオス遺跡管理局長ジャック=アズベールに会うため、エア・カーでハイウェイを飛ばしていた。
「ところで、アズベール管理局長って、本当に<テュポーン>のファミリーなの?」
 テアが、サイド・ウインドウを少し開けながら訊ねた。時速一二〇キロで走行しているため、疾風が淡青色の髪を激しく靡かせる。

「間違いないと思う。<プシケ>ほどの組織が上納金を納めるとしたら、<テュポーン>以外には考えられない。それに、半年前からこの惑星に流れるロド麻薬の量が、急増し始めたんだ。これは、<テュポーン>がこの星に進出したことを意味している。そして、そのロド麻薬の八〇%以上が、プライマイオス遺跡のあるこのメルク大陸に集中しているんだ」
 ジェイが真剣な表情で告げた。

「つまり、メルク大陸に<テュポーン>の大支部ができたってわけね」
「そうだ。<テュポーン>の支部には、ファミリーと呼ばれる幹部が一人ずつ配属される。アズベールがファミリーだとしたら、プライマイオス遺跡のどこかに、<テュポーン>の支部がある可能性が高い」
「もしくは、遺跡管理局全てが……」
 テアが告げた。大胆な発想だった。しかし、それを否定する根拠は存在しなかった。

「結論を出すのは、アズベールに会ってからだな」
「私たち、どう見えるかしら?」
 不意に、テアが言った。
「どうって?」
 ジェイが怪訝な顔で訊ねる。

「潜入するなら、二人の役割を決めておいた方がいいでしょう。そうだ。新婚旅行って言うのはどうかしら?」
「ハネムーン?」
 素っ頓狂な声で、ジェイが叫んだ。
「だって、雑誌の取材じゃありきたりで、つまんないじゃない」
「お前、遊びに行くんじゃないんだぞ」
 いつの間にか、二人称が君からお前に変わっている。

「私、ハネムーンって、まだ経験したことないのよ」
 ジェイの忠告を完全に無視して、テアが言った。
「俺だってまだなのに、十六の女の子に先を越されてたまるか」
「あら、私とじゃ不満なの?」
 怒ったような表情で、テアがジェイを見上げる。だが、そのプルシアン・ブルーの瞳は、きらめきを放っていた。どうやら彼女は、九歳も年上の男をからかうことに、喜びを見出したらしい。

「それとも、相手がジェシカって女の人じゃないとイヤなの?」
「そうじゃなくて……」
 からかわれていることも知らずに、ジェイが真面目に答えようとする。
「ジェシカって、黒髪で色白の美少女なんでしょう。私みたいな変な色の髪の毛じゃないもんね」
 テアが悲しそうに告げた。指先で前髪をくるくると丸める。

「お前の淡青色の髪も、すごく綺麗だよ」
「本当にそう思ってる?」
「もちろんさ」
「ジェシカって人よりも綺麗?」
 とどめのセリフを、テアが言った。

「いや、それは……」
 ジェイが困惑して口ごもる。
「あはは、冗談よ。ジェイって、すぐ本気にするから面白いわ」
「こ、この野郎!」
 ジェイが、テアの頭をこづいた。顔が真っ赤になっている。

「ごめん、ごめん。怒った?」
「知るか!」
 仏頂面でステアリングを握るジェイを、テアが心配そうな眼で見つめた。
(もう騙されねぇぞ、この青い魔女ブルー・ウィッチめ!)
 ジェイが思った。だが、この呼び名が、後に銀河中の犯罪者の口から叫ばれることになるとは、この時の彼には想像もできなかったが……。

「ごめんね、ジェイ。私、ちょっと妬けたのかも。だって、ジェイがジェシカって女の人のことを話した時、すごく優しそうな眼をしてたから……」
 驚くほど素直に、テアが言った。その態度に、ジェイの方が驚かされる。
「テア……」
「ジェシカって人、私の一つ年上なんでしょう。何か、ライバル意識が出ちゃったのよ」
 テアがペロッと舌を出した。その仕草の何と可愛いことか。ジェイの怒りはそれを見た途端、氷解した。

(うー。俺にジェシカがいなかったら、間違いなく、こいつを押し倒してるだろうな)
 その瞬間、ジェシカの怒った顔が、ジェイの脳裏に浮かぶ。漆黒の髪を靡かせながら、美しい黒曜石の瞳が、ジェイを睨んでいた。
(冗談だよ、ジェシカ)
 ジェイは慌てて彼女のイメージを振り払った。

「ジェシカとは比べられないけれど、お前もすごく魅力的だよ」
 内心の葛藤を隠すように、ジェイが告げる。
「本当? 嬉しいわ。だったら、ハネムーンにすることは決定ね」
 テアが、運転中のジェイにもたれかかってきた。結局、彼女はこれが言いたかったらしい。

「おい、離れろよ。危ないぞ」
「新妻に向かって、そんな言い方はないでしょう」
 ジェイは頭を抱えたかった。しかし、現実は、左手でステアリングを握り、右腕はテアに占領されている。ささやかな彼の願いは、叶えられなかった。
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