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第15章 女豹のパートナー

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「ジェイ、私の顔を立てて、ソルジャー=スコーピオンを助けて頂けるかしら?」
 ソルジャー=スピカの瞳が、真っ直ぐにジェイを見つめた。
「今の俺とテアの能力じゃ、あんたと闘っても勝ち目はない。しかし、近い将来、必ずあんたとジュピターを倒す! 忘れるなよ」
 ジェイが強烈な意志を映した瞳で、ソルジャー=スピカを睨んだ。握り締めた彼の拳が、屈辱に震えていた。

 その言葉を耳にした瞬間、ソルジャー=スピカのプルシアン・ブルーの瞳に、驚愕が浮かび上がった。信じられないと言う表情で、テアを見つめる。
(この娘が、テア……?)
「……?」
 その視線を受けて、テアが不思議そうにソルジャー=スピカを見返した。だが、それも一瞬のことであった。ソルジャー=スピカの視線が、再びジェイに移る。

「ジェイ、私もあなたと闘える日が来ることを、楽しみにしています。ソルジャー=スコーピオン、行きますよ」
「はい、ソルジャー=スピカ様」
 二人の身体から、ESP波特有の光彩が放たれた。
「逃げる気? 冗談じゃないわ! バカにするのも、いい加減にしてよッ!」
 テアのプルシアン・ブルーの瞳が、凄まじい怒りを放った。ESPを封じられた彼女は、迷彩服のベルトからレーザー・ナイフを抜き取った。

 テアの右手が風を呼んだ。凄まじい速度でレーザー・ナイフがソルジャー=スピカに襲いかかった。遺跡管理局で、ジェイに渡されたナイフだった。
「テアッ!」
「ソルジャー=スピカ様!」
 ジェイとソルジャー=スコーピオンの二人が同時に叫んだ。予想もしていない攻撃に、ソルジャー=スピカはESPシールドさえ張っていない。二万度の超粒子を放ちながら、レーザー・ナイフが、ソルジャー=スピカの顔に襲いかかった。

「……」
 だが、ソルジャー=スピカは平然と、その美しい顔に微笑を浮かべた。
(何……?)
 テアの瞳が驚愕を浮かべて、ナイフの行方を追う。
 テアが放ったレーザー・ナイフはソルジャー=スピカの顔面に突き刺さる瞬前に、その弾道を九十度変えていた。誰かがESPで、レーダー・ナイフを叩き落としたのだ。

「ジェシカッ!」
 ジェイの黒い瞳に、漆黒の髪を靡かせた少女が映った。彼女は、ソルジャー=スピカに対して、右手を差し出しながら立っていた。その掌から、ESP波を発したことに疑いはなかった。
「バカッ! 相手が誰だか知ってるの? ソルジャー=スピカを本気で怒らせたら、この惑星ごと消滅させられるわよ!」
 ジェシカの黒曜石の瞳が、テアのプルシアン・ブルーの瞳を真っ直ぐに睨みつけていた。

「ジェシカ=アンドロメダ。おかげで命拾いしました。次に会う時までに、このお嬢さんを良く教育しておいて下さいね」
 怒った様子もなく、ソルジャー=スピカが愉しそうに告げた。
「それでは、テア=スクルトさん。また、お会いしましょう」
 次の瞬間、ソルジャー=スピカとソルジャー=スコーピオンの二人は、惑星ヴァーミリオンから姿を消していた。

(何で、私の名前を……?)
 自己紹介などしていないのに、ソルジャー=スピカが自分のフルネームを告げたことに、テアが呆然とした。
(ESPで、私の心を読んだのかしら?)
 考えに沈むテアを、美しいメゾ・アルトの旋律が現実に引き戻した。

「ジェイ、この娘がテアなの?」
 漆黒の長い髪をかき上げながら、ジェシカが訊ねた。その黒曜石の瞳は天敵でも見つめるように、テアを睨みつけていた。
「あなたが、ジェシカ?」
 テアも負けずに、ジェシカを睨み返した。二人とも、気の強さでは引けを取らなかった。

(この娘が、ジェイをたぶらかしてるの? ずいぶんと生意気な眼をした女ね)
(彼女がジェイのパートナー? 確かに綺麗な女だけど、私だって負けてないわ!)
 二人の少女の間に友情が芽生えるには、まだまだ時間をおかなければならなかった。
 彼女たちの間に交わされる暗闘に頭を抱えながら、ジェイが言った。

「ジェシカ、悪い。ちょっと、外してくれないか?」
「何で? 私は彼女と話したいのよ」
 ムッとした感じで、ジェシカがジェイを見上げる。だが、思いも寄らぬ彼の真剣な眼差しに驚き、渋々と了承した。
「分かったわよ。五分だけ外してあげるわ」
「ありがとう、ジェシカ」
 ジェシカの身体が、ESP波特有の光彩に包まれた。空間が歪み、彼女の全身を呑み込んでゆく。ジェイは、ジェシカがテレポートしたことを確認すると、テアに向き直った。

「テア……」
 彼の瞳が、限りない愛情をたたえてテアを見つめてきた。
「ジェイ……」
 テアが言葉に詰まった。
 ジェイが生きていた。言い知れぬ歓喜が甦った。プルシアン・ブルーの瞳から涙がとめどなく溢れた。

「テア、無事で良かった」
「ジェイッ!」
 テアがジェイの胸に飛び込んだ。
 彼女の細い身体を、ジェイが強く抱き締めた。力強い腕が淡青色の髪を愛しげに撫でた。
「ジェイ、私……」
 テアの脳裏に、数日間に起こった様々な出来事がフラッシュ・バックした。

 ――ジェイとの出逢い。
   <プシケ>での監禁……。
   左頬につけられたy字型の裂傷……。
   地獄のような凌辱……。
   灼熱の砂漠での戦闘……。
   古代銀河皇帝の死……。
   そして、ジェイとの再会――。

「烈しい女だな……」
 テアの心を読み取ったかのように、ジェイが告げた。彼の手がテアの左頬の傷に優しく触れた。
「<戦士>と言って欲しいわ」
 テアが微笑んだ。数々の戦闘を生き抜いてきた女豹の微笑みだった。
 ジェイが彼女を強く抱き締めながら訊ねた。
「俺のパートナーにならないか?」
「パートナー?」
 テアは驚いて彼の黒瞳を見つめた。

 ジェイは、以前に彼女に告げたのだ。
『俺たちSHにとって、パートナーは特別な意味を持っている。お互いを愛し、信頼し、自分の半身だと感じられる相手を、パートナーと呼んでいる』と……。
 テアが素晴らしい笑顔を浮かべた。
 ジェイに認められたのだ。
 彼が、愛する女性として……。

「悪くないわね、でも……」
「でも、何だ?」
 ジェイが訊ねる。
「私にとってパートナーとは、生命を賭けて愛せる人だけよ……」
 そう告げると、テアは彼の唇にその魅惑的な唇を重ねた。

 その日、銀河系監察宇宙局GPS宇宙平和連邦SHL自由惑星同盟FPにおける全ての人々が、その事件に震撼した。
 億単位の人間が一度に死亡したのは、あのDNA戦争以来のことだったのである。
 ルナ・Ⅲの消滅は、惑星ヴァーミリオンに多大な影響を与えた。ルナ・Ⅲとの相互引力に変化が生じたため、地軸が傾いたのだ。

 ヴァーミリオンは、海洋比率七十三%の惑星であり、五つの大陸に総人口二億の人間が生活していた。それらの大陸を、マグネチュード十二以上の大地震が襲い、沿岸部では高さ三十メートルに及ぶ津波が都市を呑み込んだ。
 同時に、標高数千メートルの山々が灼熱のマグマを噴き上げ、平野部には巨大な地割れが勃発した。

 都市部では、高層ビル群が次々と崩壊し、轟音と劫火に曝された。人々は逃げる間も与えられずに巨大なコンクリートに押し潰され、津波に溺死し、灼熱の炎に焼かれた。ヴァーミリオンの各都市は、一瞬にして壊滅状態になったのである。
 この影響による総死者数は、一億三千万人に及んだ。
 総人口の約六十五%以上に当たる人々が、ルナ・Ⅲの消滅が引き起こした大災厄に生命を落としたのだ。

 そして、生き残った人々の多数が、ルナ・Ⅲ消滅の直前に巨大な流星のようなものがヴァーミリオンから飛び立ったと告げている。だが、それを証明できる映像は残されていなかった。
 ある評論家は「ヴァーミリオンにおいて新型核ミサイル等の軍事実験が行われた」と酷評し、また、ある者は「突如現れた巨大な彗星が、ヴァーミリオンをかすめながらルナ・Ⅲに激突した」と推測した。
 ルナ・Ⅲが消滅した本当の原因を知る者は、極めて少なかったのである。


 その惑星ヴァーミリオンから約五百光年離れた宙域に、銀河系最大の麻薬ギルド<テュポーン>の総本部である人工惑星ジオイドは存在していた。
 ジオイドの地表には、数多くの高層ビルが建ち並んでいる。その最も高いビルの最上階にある一室で、ソルジャー=スピカは一人の男と肩を並べていた。

「ジョウ、テアを見つけたわ……」
 その言葉に、驚きの表情を浮かべながら男が振り向いた。
 圧倒的な存在感を有する男だった。研ぎ澄まされた戦慄を全身から発している若い男である。年齢は二十七、八歳くらいだろう。外見通りの年齢であればだが……。

「エマ、本当か?」
 低い声で男が訊ねた。信じがたい驚愕が、男の眼に浮かび上がる。
「間違いないわ。私が自分の娘を見間違えるとでも思っていらっしゃるの?」
「本当に、テアが……? ヴァーミリオンにいたのか?」
「ええ、ジェイ=マキシアンと一緒にね」
「ジェイと……」
 男が呟くように言った。複雑な思いが男の心を占める。

「ジェイは、我々を裏切った男だ。私の後継者になれる能力があるにもかかわらず……」
「あの子は優しい子よ。確かに、私たちがやろうとしていることは間違ってはいない。でも、銀河系人類を戦乱に巻き込んでしまうわ。それに耐えきれなかったのよ」
 ソルジャー=スピカが哀しそうに告げた。

「だが、クロス・プロジェクトを中止すれば、近い将来、それ以上の犠牲が出ることは確実だ。あのDNA戦争以上の……。そのことは、ジェイにも分かっているはずだ」
「しかし、ジェイはそれを止めようとしているわ。いつ起こるか分からない戦争よりも、クロス・プロジェクトによって確実に起こる戦争を避けることの方が、彼にとっては重要なのかも知れない……」

「彼は、クロス・プロジェクトを完全に理解していない。我々の最終目的は、銀河系監察宇宙局GPS宇宙平和連邦SHL自由惑星同盟FPに三分された不均衡な銀河系を再統一することだ。その統一者に私はGPSを考えているのだが、それはこの際おいておこう。そのための手段として戦争を利用するつもりだ。だが、それはあくまで最小限の犠牲でコントロールする。今のままでは遅かれ早かれ、GPSとSHLは戦端を開くだろう。そうなれば、FPだけが中立でいられるはずはない。銀河系は戦乱と恐慌に曝されることになる」

「……」
「それならば、我々が戦争をコントロールした方が銀河系人類のためだ。DNA戦争のような無秩序な闘いのもとに、多大な犠牲を出すことだけは避けなければならない。あのような戦争を再び繰り返してはならないんだ」
 男は持っていたワイン・グラスを飲み干すと、床に叩きつけた。小気味よい音色を立てて、グラスが飛散した。ガラスの破片が光を反射して、美しくきらめいた。

「DNA戦争は、我々が起こしたようなものだからな……」
 男が呟くように言った。彼の口調はまるで、過去の傷を掘り返すようであった。
 その様子を不安げにソルジャー=スピカが見つめた。
「私はジェイを、本当の息子のように思っています。できることならば、彼とは闘いたくないわ」
「だが、彼は完全に我々の敵となってしまった。いつかは闘わざるを得ない」
「その彼と、テアは一緒にいました。私たちは、テアまでも敵に廻さなければならないと言うのですか?」
 ソルジャー=スピカの瞳に限りない哀しみが浮かんだ。プルシアン・ブルーの瞳に涙が溢れる。

「テアは元気だったか?」
 男が話題を変えた。冷徹さを放つ黒瞳が、優しさを浮かべる。
「美しい女性になっていました。あなたと同じような強い意志と素晴らしい能力を持った……」
「……。スクルト博士は、あの約束を守ってくれたのか……」
「そうです。『未来を涙で染めるのではなく、涙から解放する女神』として、テアを育てて下さったのよ」
 ソルジャー=スピカの瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。

「そうか……。テアを呼び寄せたいな。そして、我々のプロジェクトに協力させよう。私は、テアの未来が我々と同じ道に通じていることを願う。あの娘の父親として……。そして、<テュポーン>の総統として……」
「ジョウ……」
 ソルジャー=スピカは、不安に駆られながら男を見上げた。窓に映る夜景よりも深い闇に包まれる男の瞳が、強い意志を放った。

「だが、テアがジェイとともに、別の未来を選んだ時は……」
 男が厳しい表情を浮かべると、続きの言葉を呑み込んだ。そして、ソルジャー=スピカの細い肩を抱きながら窓の外に視線を移した。その瞳には強烈な意志とともに、深い哀愁が浮かんでいた。
 漆黒の夜空には、星々のきらめきが美しく映っていた。
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