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四章  心あらず、でコイゴコロ、コロコロ

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 本日は、もう1つ投稿予定です。連投連投。


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 亜子が草月に拾われてからというもの、あっという間に日々は駆けていった。
 亜子自身も、キッカケはどうであれ、本当の自分の名前を思い出す事ができたのは喜ばしい事で、加えて、今までのような家での虐待じみた事ももうないのだ。
 元来、図太い神経もあったのか、本来の明るい性格が滲み出ていて、草月の家が賑やかなものとなっている。

 家内に井戸がある為、外の長屋傍にある井戸まで行かなくて済むのは面倒もなくて助かるもので、井戸の水を汲み上げては、鼻歌を歌いながら亜子は洗濯ものを洗っている。
 その歌を聞きながら、機嫌よく草月は庭に続く縁側で、居眠りをしているのだ。
 草月の影の中にいるレイも満更でもなく、『平和だねぇ~』などと言いながら、寛いでいるのだからゲンキンなものだ、と誰かがツッこみそうなほどだ。
 賑やかながらも穏やかな日常を得られるのならば、いいじゃないか、とも思うが、草月は吸血鬼で。下手に対策とらずに外を出れば、肌が焼け爛れるのだから、せめて結界が張られ安全な自分の家でぐらいは、普通に過ごしたいのだろう。
 亜子も、草月の態度がいつも柔らかなものなので、正直、そわそわする部分はあるのだが、家主の機嫌がいいのを、変に言ってしまってもな・・・、と突っ込むのは早々にやめてしまった。

 時々、相変わらず亜子自身の調子が悪くなるので、心配した草月が、かかりつけ医に定期的に来いと言った時には医者のーー調停者(吸血鬼の体の調整をする者)の鴉丸礼央が来ると、またその場の空気は変わるのだが。
 それでも、この一ヶ月で随分と亜子の心は穏やかになってきているはずだ。
 
 ・・・はずだ、と言うのはやはり、自身の事を全ては、草月に話せていないから。
 蒼月様に、話すべきなのか測りかねる・・・と思い、あの、と口を開くも、
 変わらず、「どうした?」とにこやかに言ってくれる態度が、亜子にはたまらなかった。
 別に、何気なく話したっていいはずなのに、どうして、言えないままなのだろう。
 初めて、告げてある亜子という名前が、偽名だと解った時の草月の悲しげな顔が忘れられないのもある。
 でも、それだけではない。真名を告げても、それが本当の名前だと信じてもらえるかどうかが怖かった。
 加えて、真名を告げたら、自分自身がどうなるかも解らない今、下手に動けずにいる。

 草月は草月で、無理して真名を言わなくてもいいと、既に亜子に告げてはいる。
 本当は、知りたいとも思う。が、彼女にとって大事な宝物と言ってもいいものを、簡単に口にする事ができないのならば、無理はさせたくない、というのが彼の本心である。

 亜子が草月の家に来て一週間した時に、一度亜子は彼に聞いた。

「あの、草月様はどうして、そんなに優しいのですか?私・・・、真名ですらちゃんと言えてない穀潰しなのに・・・」

「いや・・・穀潰しって事はないだろう?今や、我が家はご覧の通り、綺麗なもんさ。聞いたか?礼央の奴、『あれ?ここ、本当に草月の家か?』だとさ!
もちろんそん時は、ぶん殴ってやったけれど、家の維持と、洗濯と。本当に助かってる。それに、だ。
 亜子は頑張ってるよ。家事だけじゃなくて、自分自身のことも、必死に受けとめようとしている。そんなあんたに、それ以上無理強いなんかしたくないんだ。」

 にこにこと笑いながら草月が言ったかと思うと、最後はとろんとした目つきで、亜子の頭にぽん、と手を置いて愛おしげな言葉を紡ぐ姿が、もしかして・・・、と亜子にふとした言葉がよぎったものだ。
 もしかして、の続きは、形にして言いたくはないけれど。でも、そう思うと、なんだか恥ずかしく、ソワソワしてしまうものだった。

 そんな出来事からさらに三週間が経つと、さすがに、あ、なんだか犬っころみたい・・・などと想いの変化はありはするものの、ソワソワは取れないものだ。
 亜子が歌っている鼻歌は、幼い頃に母が歌ってくれた異国の童謡ばかりだ。
 はじめて鼻歌を聞いたときは一瞬、草月も驚いていたが、今は日中の癒やし音楽代わりにしているので、さほど気にはしていないのかもしれない。

ーーああ、話したいのママ。私の悩みのわけを、パパは私にもっと大人らしく
分別を持って欲しいみたいだけど、そんなのよりキャンディの方がよっぽどいいわ・・・(※世界の民謡・童謡 サイトより引用「きらきら星原曲 Ah! vous dirais-je, Maman ああ、話したいの、ママ」)

 かわらず聞こえてくる歌が、草月の心をざわつかせた。
 あれは・・・!異国、フランスの歌だ!何故彼女が?!・・・いや、彼女の外見だって、異人だ。ならば、母親もフランスの出のはず。
 フランス・・・?ああ、もしかして、クロエの?確か、クロエがこの国の男と一緒になったという話はどこかで聞いた記憶がある。

『・・・モーン!シモン!ほら、早く、新たな土地を踏んで、行きましょう?貴方が言ったんじゃない。ここ日本で暮らしていくって!』

 草月が思い出す女性は、確かに亜子の母親の若かりしき頃の姿だった。
 クロエ・ポージェ。昔、恋人だったひと。
 そうか、だから俺は・・・あの子に運命を、感じたんだな。


 草月もまた、真名を持っていた。ただ、今の名前も偽名ではない。
 日本名なだけだった。
 シオン・甲斐。甲斐の名はここ日本で得た。この家の元の家主が、色々と不自由するだろうからと、養子扱いで俺を家に迎えてくれた。その時に、普段は名を草月と名乗ればいいと、つけてくれた名前。
 クロエも、俺があの爺さんに迎えて貰った時の経緯を知っている。ならば、亜子の名前もおそらくはただの隠し名ではないと言うことだ。彼女もまだ全ては記憶を戻せてないようだから、まだ何か隠されているに違いない。
 草月はそう思うようになるのだった。
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