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第零章 ある情景

0-0  ロザリアの場合

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「英雄になってみる気、ない?」

 唐突にその誘いはやってきた。そう、本当に唐突に。

 わたしの名前はロザリア。17歳のBランク冒険者だ。Bは冒険者ギルドが認定するランクで、初心者がF、最高位がSという位階の中では、まあ中の上の上。キャリアが半年ということを考えると、有望株と呼んでもらえるレベルなんじゃないかな。



もともとは、ドルニエ王国のアンベルン男爵家の次女として生まれたのだけど、いまは家をはなれ、アンベルンの姓も名のっていない。

 わたしには、幸か不幸か剣の才能があった。自分で言うのもなんだが頭のできがわりと控えめで、単細胞そのものだったわたしは、ただ剣を振るのが楽しく、剣を振ってまわりの人が喜び、褒めてくれるのがうれしかった。

十五歳で王立学舎の騎士課程を(座学のせいでスレスレで)終了したあと、王国の首都カルターナ周辺の警護を担当する第一騎士団に入団することができたのだが、そこでわたしはつまづいてしまった。

 とにかく、まわりの団員の剣術のレベルが低すぎた。そこをその……まあ、ただでさえ女ということで周囲から浮きがちだった上に、うまくまわりを立てることができなかったわたしは、訓練の相手すらことかくようになった。そして、上官にも無視されるようになって、わたしの居場所はなくなり、いまに至る、というわけである。

 騎士団をやめるときに実家からは即座に結婚するか完全な自立かを迫られたため、わたしのただひとつの取り柄である剣と共に生きることを決意した。……いや、とりつくろうのはやめよう。わたしは、脳筋の娘をあきらめずに育ててくれた両親を最後まで喜ばせることができなかった。父様、母様、ごめんなさい。



「あなたいま、わたしに妙なことを言った?」

 男がこちらを向く。なんとも呑気な顔でわたしを見つめる。

「そう、英雄になってみない、ロザリア・アンベルン?」

「とりあえずアンベルンとは呼ばないでほしいな」

 突っ込みどころは多かったが、最初に口から出たのは、一番どうでもいいことだった。男はにっこり笑うと、あいているわたしの前の席に勝手に席を移してきた。なんだ、この人?

「ごめん、ごめん。騎士団をやめて家を出てから、アンベルンの姓は名のっていないんだったね」

 男はわたしの言葉をそれだけで受け流した。わたしと同い年か、いや、少し上くらいか。妙にさわやかな笑いがうさんくさい、怪しさ満点だ。

騎士団をやめたことは、ギルドに関わる人たちにはけっこう知られているからいいとしても、わたしが姓を使わないいきさつも知っているみたいで、それがまたうさんくささに拍車をかける。

「実はさ、英雄に救ってもらわないと滅んじゃう街があるんだ。そこに行って、チャチャッとその英雄になっちゃってくれると嬉しいんだ」

おいおい、意味がわかりそうで、その実、まったくわからないんだけど、どうにかしてくれないかな。

「あ、英雄なんて、なろうとしてなれるものじゃない、とか思ってるでしょ?  それは確かにそのとおりなんだよね。さすがに鋭い!」

いや、誰でもそう思うでしょ、この場合。おちょくってるのだろうか?

「でもね、そんなに大きくない街なら、戦いに巻き込まれないようにしてあげるぐらいのことは、やろうと思えばけっこうできたりするんじゃないかな? ロザリアの力なら、その程度の戦いの結果を、ひとりでひっくり返すぐらいできるんじゃない?」

 どうだろう? 城壁で守られていない小さめの街ひとつを攻めるなら、せいぜいわたしの実家と同じレベルの家がひとつ、兵隊は自前。数は三百程度。まあ、普通に考えれば無理、いや無謀、でも……。

「問題は、いまのロザリアはじつはそこまで強くないってことかな?」

「……なぜそう思うのかな?」

 小さい頃から毎日強くなり続けてきたわたしには、いまの自分が、逆に毎日少しずつ弱くなっていることがわかってしまう。だからこそ、半年でBランクに上がるくらい無茶な冒険者生活を送っているのだ。少しでも全力で剣を振れるようになるために。命がけで剣を振るために。だけどそれを見抜かれたことはなかったのに。

「本当のロザリアなら、ぼくなんかじゃ三合ももたずに斬り伏せられるだろうね。でも、いまなら、うまくすれば引き分けに持ち込めるかもしれない」

「へぇ……」

 わたしはここではじめて男の目を真正面から見た。たしかにこの人、ヘラヘラ笑ってはいるけどけっこう強い。仕合った結果の読みも、悔しいけどいいところを突いている。わたしが最後に負けたのは学舎の一回生の時だけど、そのときの相手とも違うなにかを感じる。



「いまのわたしが弱いとして、それとさっきの話がどうつながるの?」

「助かったぁ。やってみようとか言われたら、どうしようかと……」

 男は心から安堵したように、はっきりと身体から力を抜いた。いろいろ台無しだ。

「ぼくと一緒に来てくれたら、きみに思い切り剣を振らせてあげることはできる。というか、振ってほしい。相手の剣のレベルは保証できないけど、数はそこそこ保証するよ。ひとりふたりは歯ごたえのあるのがいるだろうしね」

 この男、このネタでわたしが乗ってくると確信してる。否定できないところがなんとも悔しいな。

「ひとりで二、三百も相手できるわけないじゃない。それこそ、腕がどうこういう段階の話じゃなくない? 剣だってとてももたないし、話にならないよ」

 いちおう、ごく当たり前の理屈で突っこんでみる。どう返してくるかな。

「もうちょっと少なければなんとかなりそう?」

 突っ込み返された。わたしはいつもこれだ。頭を使おうとすると裏目に出る。

「もちろん、ひとりでその数はムリだよね。でも、全部をヤる必要なんかない。ロザリアが勝負を決めればいいだけだ。お膳立てはするよ」

「あなたが一緒に斬り込むわけ? ちょっとそれはつらいんじゃ?」

「いや、近くにはいるだろうけど、ぼくがついていっても足手まといでしょ。ぼくと、ほかの仲間は、ロザリアの道を作ることに専念するさ」

 あ、ミエとか張らないんだなこの人。それに仲間いるんだ。ぼっちかと思ってたけど。友達、いそうでいないタイプだよね。まあ、他人のことはいえないんだけど。

「わたしは、何も考えずに大将の首をめざせばいいということ?」

「そうそう。話が早くて助かるよ」

 困ったな。こんな与太話に、身体の底から何か躍動感のようなものがこみ上げてきちゃってる。期待、なのかな。頭は全然期待してないのに、身体が期待し始めている。何となく頬がほころんでくるのがわかった。

 わたしが騎士団をやめた、誰にも言っていないもう一つの理由。それは、戦争がなければ騎士団にいても人は斬れない、ということに気づいてしまったから。人を相手に剣を振るために、こんなありえないバカげた話に乗ろうかどうか本気で考え始めてるわたしは、やっぱり壊れているんだろうな。

 ふと男を見ると、相変わらず笑っていた。

「なに?」

「いや、美人が笑うとやっぱり絵になるな、と」

「そういうのはいいから」

 わたしの容姿はわりとすぐれたほうらしい。剣と容姿のギャップがすごいという評判もけっこうきく。だから、こういうセリフもよく言われるし、それが本心なのか、わたしの歓心を買おうとした世辞なのか、それとも別の言葉を隠すダミーなのか、考えなくても感じとれる。こいつの場合はダミーだ。

「知ってるんでしょ、わたしがなんて呼ばれてるか?」

「機械仕掛け、だったかな。いかなる状況でも淡々と剣を振りつづけるところから、そう呼ばれているようだけど」

「そっちじゃない」

「吸血姫。指名依頼で何人かの冒険者と組んで盗賊団のアジトを襲撃したときに、真っ先に切り込んで盗賊を片っ端から斬り殺し、返り血で真っ赤になった姿でほほえんでいた、その姿が恐怖と畏敬をまき散らしていたとか。見たかったなぁ」

「実際に見たら、きっとあまり気持ちのいいものじゃないよ。そんな狂犬みたいな女と組んで、あなたはいいの? とてもじゃないけど、英雄の姿じゃないでしょう?」

 わたしの問いを聞いて、男は肩をすくめた。

「ぼくのまわりってまともな人の方が少ないから、問題なし。ロザリアが来てくれればホントありがたいんだ。ぼくらにない力だからね」

 いろんな種類のヤバい人を集めてでもいるんだろうか、この人?

「それに、英雄になってほしいとは言ったけど、街の人が勝手に英雄と呼ぶことになるだけで、ぼくら自身は、戦いに勝手に乱入してぶちこわしにいくだけだよ」

 ぼくらにない力、というのがよくわからなかったが、もうわたしの心は決まってしまっていた。その後に承諾の返事を続けるための、前振りのような質問を口にした。

「とりあえず、あなたの名前を教えてくれる?」

「あ、もうしわけない。ぼくのことは、アンリと呼んでくれればいいよ」

「それじゃ、アンリ、あなたにはわたしを強引に巻きこんでも守りたい街があるわけ?」

「いや、特に」

かえってきたのは、またまた、想像の斜め上、螺旋階段を上った先にあるような答えだった。せっかくこの人の敷いたレールに乗りかけていたのに、もう一度転げ落ちた感じだ。

「は?」

「うん、街には思い入れもなければ、知り合いがいるわけでもない。ぼくは、じぶんが死にたくないだけなんだよ」

 わたしは文字通り頭をかかえた。

「ごめんなさい、わたしにもわかるように説明してくれる?」

「あー、少しわかりにくかったかもしれないね。じゃ、ちょっとわかりやすく説明しようか」

 アンリは、うさんくさい笑顔のまま、身体を乗り出した。

「ぼくは、このままだとそう遠くない先に死んでしまう運命にある。だけど、きみが英雄になってくれると助かる道が開けるんだ」

 ……これがわかりやすい説明だと本気で思っているらしいこのアンリという男は、ダメな人確定だろう。だけど、ウソを言っていない。そして彼には仲間がいるらしい。それは、彼の言葉を信じて、彼と行動をともにしている人たちだ。まあ、同じようにダメな人なのかもしれないけどね。

 わたしはもう少しだけこのアンリという男につきあうことにした。

「あのね、たぶんなんだけど、あなた、いろいろ端折はしょりすぎなんじゃないかと思うの。もうちょっと言葉を足してくれると、ひょっとしたら、わたしにもわかりやすくなるんじゃないかな」


 これがわたしのアンリとの、そしてそれを取り巻く人たちとの、わりと長い旅のはじまりだった。もっとも、このとき「もう少し」彼につきあったことを、しばらくの間はひどく後悔した。
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