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第一章 出発(たびだち)

1-2  逆チート?

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「きみは遊びに出た先で転倒して頭を打った。その拍子にきみの自我が肉体を離れてここに迷いこんだんだ。しかし、きみはしぶといね。最初にきみが死んだときも、きみの自我は死の直前に身体から飛び出した。そのおかげで、きみはいまこうして存在しつづけているんだから。それがきみの幸せかどうかはともかくね」

 自分が死んだときの話とか、あまり聞きたいものではない。それに、もっと聞きたくないことも、チラッと言っていたような気もする。

「あなたは、神なのですか?」

「神か、とたずねられたら、そうではない、と答えるべきだろうね。なにしろ、きみたちが崇める神はえてして、全能であったり、世界に自由に介入できたりしてしまう。そんな力は、わたしにはないよ。ただ、この世界が生まれたときからそれを見守りつづけているだけだ。多少のイレギュラーの修正くらいはできるが、ほんの小さなことだ」

 イレギュラーとはなんだろう?

「たとえば、わたしの見る世界にまぎれこんできたきみはイレギュラーだ、消し去ることも、前の世界に戻すこともできるが、前の世界に戻せても、身体がないから消滅するのを止めることはできない。わたしのできるのはその程度のことだよ」

 なるほど……って、待って! この人すごく物騒なこと言ったよね?

「ちょ、ちょっと待ってください。いきなり消し去るとか……」

「はは、言ってみただけだよ。人間の使う『冗談』というのを真似てみたが、まずかったかな?」

 うん、わかった。この人に冗談のセンスはない。そして、話が通じそうで意外と通じないタイプの人だ。いや、人じゃないのか。とにかく、慎重に……。



「ま、まず、ひとつ。ここはいったいどこなんですか?」

「なんといったらいいんだろうね。ぼくが世界を見るための空き作業領域の中、というべきかな。そこにきみの自我が情報として存在している、という感じでわかる?」

 わかる……気がする。特に、この人にとって、ぼくがどうでもいい存在である、ということが実感として。要するに、それがバグやウイルスだと認識されてしまえば、即デリの対象と言うことだ。

「それで……ですね、このあと、ぼくはいったい、どうなるのでしょうか?」

「ふたつにひとつ、かな。身体に戻るか、戻らないか。まあ、戻らなければじきに消滅するけどね。戻れば、これまでどおりアンリとして生きていくことになるよ」

「戻らなければ、アンリはどうなるんですか?」

「どうもならない。じきに目がさめるよ。そして、きみという攪乱要因がなかった状態に戻って生きていくことになる。きみも、もうひとりの自分のことは感じてただろう?」

「はい。でも、存在がわかっただけです。彼の意思を感じたことはありません」

「そうだね。彼はいま、きみに身体を提供するだけの存在になっているわけだ。でも、きみという存在がいなくなれば、彼は自分自身を取り戻す。ある意味で本当のアンリの人生が始まるわけだ」

「ぼくが三年間で学んだこと、身につけたことはどうなるんですか?」

 すこし間があいた。

「きみが吸収したことは、あくまできみのものだ。きみが消滅すれば、それも消えてなくなる。多少は身体が覚えていることもあるだろうが、アンリは生まれたばかりのまっさらな状態からやりなおすことになる」

「三歳の身体で?」

「そうだね」

 それは、どうなのだろう? 自分で言うのもなんだが、これまでアンリは、賢くて、活発で、すべてにそつがない、少なくともまわりにはそう思われる子供だった。それが、急に自我が新生児の状態になってしまったら……。

 三歳までに身につけること、というのは、その後の生き方に大きな影響を及ぼす。たぶん、これは前の世界でも、いまの世界でも変わらないだろう。その三年間をぼくに奪われたままアンリは生きていかなければならない。



「せっかくだから、ちょっとルールを逸脱するけど、もうすこし情報をあげよう」

 ぼくの思考は、突然さえぎられた。

「きみは、アンリという器をどう思った?」

「ものすごく優秀だと思いました。すべてにおいて」

 ぼくは、三年間感じつづけてきたことを口にした。

「そう。アンリはすべてにおいて規格外に優秀な器だ。この世界では、ヒトは武に生きるか、魔の世界に踏み込むか、知で身を立てるかだ。アンリはそのすべてで、並ぶもののない存在までのぼっていける資質を持っている」

 うわー、そこまでだったのか。想像以上だ。ひょっとして、このままアンリとして生きていけば、楽しい人生が待っているってことかな。



「もうひとつ。彼は『英雄』という運命を生まれながらに背負っている」

「それは、彼がそれだけの存在になれる、という意味ですか?」

「すこし違う。もちろん、能力的にも優れているけど、わたしの言うのは文字通りの意味だ。この世界では英雄召喚の儀が行われることがある。『英雄』という運命をもったものは、その儀によって特定される」

 検索をかけて、英雄タグの持ち主がヒットする、というイメージか。

「そこでひとつ考えてみるといい。三歳までが空白の時間となっているアンリは、人間として足りない部分が多い。その彼がそのまま英雄となったらどうだい?」

「あまり考えたくないですね」

「本人にとっての不幸だけではない。英雄が召喚されるのは、英雄が必要な現実があるからだ。その現実に直面するすべてのものにとっての不幸だね。まあ、わたしはそれを見ているだけで実害はないが、あまり積極的に見たいとも思わない光景だ」

 実害ないとか……まあ、そうなんだろうけどさ。でも、そうすると、ぼくにアンリとして生きていけ、ということなのだろうか?

「それじゃ……」

「もう少し聴いてほしい。きみがアンリの器に入りこんだことによって、アンリがもうひとつ背負ったものがある。これは、わたしもつい最近気づいたことなのだけどね。『中途半端』という特性なのだが、きみにおぼえはあるかい?」

 ありすぎるぐらいある。いつも「そこそこ」で、「そこそこ」でいいと思いつづけていたのが、ぼくの二十年とすこしだったのだから。



「『英雄』という宿命は、生まれる瞬間に定められる。だが、きみはアンリが生まれた直後にアンリとなった。『英雄』であることは変わらない。だが、きみが持ちこんだ『中途半端』という特性によって、アンリの才能の伸びは、どこかで頭打ちになる。おそらく、アンリはなにをやっても非常に優れた才能を発揮するだろう。だが、英雄となるには、ヒトならざる領域に踏み込まなければならない」

 当然だろう。誰にも解決できないと思うからこそ、人は英雄に頼るのだ。英雄になることがうれしいかどうかはともかく、それほど優れた才能をつぶしてしまったかと思うと、ロベールとマリエールには申し訳ないな。

「いま、両親に申し訳ない、とか考えていないかい?」

「え、その、考えてましたけど」

「その前にきみ自身のことを考えたまえ。英雄召喚の儀が行われれば、中途半端だろうがなんだろうが、きみは英雄になってしまうんだよ。運命は特性で上書きはされないんだ」

 ……え?

「きみは英雄になる。だけど、きみにとって『中途半端』は克服できないカベなんだ。さて、中途半端な英雄は、その使命を果たせるかい?」

 ムリだ。期待を背負って完全に裏切るぐらいなら、世界の人たちには申し訳ないけど、消滅を選んでしまった方がラクかもしれない。



「『英雄』の使命を持っているものは、必ず英雄になるんですか?」

 ひとつだけ確認したいことを質問してみた。

「……英雄召喚の儀がおこなわれれば、必ず。だが、おこなわれないままに宿命をもつものが天寿をまっとうした例はある」

 そうか。それならば、そこにかけてみるのもアリだ。どっちに進んでも消滅か死。だけど、死が義務づけられない可能性が、ただのアンリとして生き続けられる可能性が少しでもあるなら……。ぼくはロベールとマリエールの子供でいたい。兄様姉様たちの弟でいたい。タニアの生徒でいたい。

「決めました。アンリの身体に戻してください」

「そうか」

 これまでと同じように淡々とした言葉ではあったが、すこしだけ感情のゆらぎのようなものがあった気がした。

「少しでも粘れるように、あがいてみます」

 そう、これからぼくは、あがいてみる。中途半端でいられるよう、そこそこ、でいられるよう、全力であがくのだ。



「さきほども言ったが、わたしにはきみを助けることはできないし、実のところ、その義理もない。だが、せっかくこうして会話をする縁を持ったんだ。きみがなにかをしようとするとき、ある程度自分の真実を明かした上で相談できる相手が、身近にいることは教えておいてあげよう」

「それは助かります。でも、両親ならぼくの言葉を疑わないと思いますが」

「疑わないだろうが、きみの両親は、そのとききみを守ろうとするだけだろう。きみは、自分の力でなんとかしたいのではないか?」

「それは……そうですね」

「きみの家のメイドのタニアだけどね、彼女は高位の魔族だよ」

「は?」

 ダブルでわからない。高位の魔族がメイドとして家にいる意味も、それがアドバイスになる理由も、だ。

「きみにも、きみの家族にもまったく害意はないようだからだいじょうぶだ。魔族だから必ずヒトを憎んでいる、殺したいと思っているというわけではないんだ」

 ふう、安心した。いや、タニアが僕らに害意をもっていたら、だれもなんの抵抗もできずに瞬殺のような気はするな、根拠はないんだけど。

「きみはヒトの世界に生きている。もののとらえ方、見方もどうしてもヒトよりになる。魔族である彼女の意見は、時に参考になるだろう。そもそも、ヒトと魔族の対立は、この世界のシステムみたいなものだからね」

「どういうことですか?」

「それは自分で考えてみたまえ。それと、彼女はきみがもっている宿命を看破している。たぶん、前の世界のことを持ち出しても、最終的には理解してくれるだろう」

「わかりました。いろいろありがとうございました」

「なにもしてあげてないから、礼はいらないよ。がんばってみなさい。では、身体に戻すけど、いいかな?」

「はい、お願いします」

 次の瞬間、ぼくの意識は、闇の中に溶けていった。
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