上 下
19 / 118
第一章 出発(たびだち)

3-3  ある冒険者の週末・春(中)

しおりを挟む
 オプシウムの採取は問題なく終わった。

 カルターナから半日ほど歩いたところにある森に入ってさらに一時間、すこし開けたところに拠点を作り、そこから三十分ほどのところがシルドラのいう、心当たりの場所だ。途中に何度か魔獣が出てきたが、シルドラとぼくに瞬殺されてしまう。環境としては、伯爵領にいた頃にはいっていた森よりもヌルい感じである。

 必要な量を取り終えて拠点に戻ると、野営の準備をする。まだ日は高いが、カルターナに戻るには遅すぎる。だいぶ手前で日が暮れてしまうからだ。

 天幕を張って火をおこすと、ぼくとシルドラはそこに座りこんでおやつ代わりに持ってきた固いパンを食べる。

「ウサギを一匹ぐらい捕まえて焼きたいところでありますが……」

「においが出ちゃうからね。今晩は干し肉でガマンかぁ……」

「カルターナに戻ったら、まず何かあたたかいものを食べに行くであります」

 シルドラは意外と食いしん坊である。それもガッツリ系に目がない。さらに、あまり自分のお金で食べようとしないから、しょっちゅうお腹をすかせている。なぜ八歳のガキンチョが、何年生きているのか想像もつかない魔族の腹ぐあいをいつも心配していなきゃいけないのか、さっぱり謎である。

「それはそうと、昨日見た、あの女奴隷についてひとつ提案があるであります」

「いきなりだね。まさか、買ったらどうか、とか言うんじゃないよね?」

「そのまさかでありますよ」

 一分ほどの無言の状態が生まれたのは、絶対ぼくのせいじゃない。

「はい!? 昨日、お薦めしないって言ったのシルドラじゃん! 助けようとしたら力づくで止める、って言ったのもシルドラじゃん!」

「別に助けろと言いたいわけではないでありますし、愛玩奴隷を持つことを薦めたいわけでもないであります。まあ、愛玩奴隷については、アンリ様の自由でありますので、それ自体を止めたりするつもりもないでありますが……」

「じゃあ、どういうことさ? まあ、助けるというのと奴隷として買うことがちがう、というのはわかるけど、今のところ奴隷を持つつもりはないからなあ……特に愛玩奴隷はね!」

「愛玩奴隷も、別に契約に『愛玩用』と明記されているわけではないでありますよ。契約で認められている扱いの幅が、極端に広いというだけであります。愛玩奴隷を買っても、別に愛玩用に使う義務が生じるわけではないでありますよ」

 うーん、言っていることはわかるんだけど、言いたいことがよくわからない。愛玩奴隷を愛玩目的ではなく購入して、ぼくになんのメリットがあるんだ? ……いや、愛玩用ならメリットがある、と言いたいわけじゃないからね。

「じゃ、なんのために買うわけ?」

「ちょっと気になったでありますよ。あれだけ容姿の優れた娘でありますから、奴隷に落とすよりも得るものの多い使い方は、いくらでもあると思うであります。たしかに、愛玩奴隷なら少しは高く売れるでありますが、それにしてもたかが知れているであります」

 奴隷、それも愛玩奴隷は決して安くないが、売ってしまえばあぶく銭が残るだけだ。それよりは、どこか利用価値のある家と縁戚関係を持つために結婚させた方がいい。また、売り払うにしても、奴隷として売る必要はない。あれだけの容姿なら、探せばすぐ買い手はつくだろう。奴隷市場に流しても、とんでもないマージンを業者が乗せるのを指をくわえて見ていることになるのだから。

「金以外に、なにか理由があった、ということかな?」

「そこで、あの目でありますよ。なに不自由なく育ったはずの貴族の娘が、あの状態で心も折れずに周囲の気配を必死に探り、しかも私たちの気配を探りあてる、というのは、どう考えても異常であります」

「異常、というのはそうかもね。そうさせる、何か強烈な動機があったのかな。でも、だからといってぼくたちには関係ないんじゃない? ぼくたちは奴隷を持つ必要もないし、だれかに恩を売りたいわけでもない。中途半端なしがらみをふやしても、邪魔になるだけだと思うけどな」

 強烈な動機といえば、まず恨みが頭に浮かぶ。自分を奴隷に落としたヤツに復讐を、というヤツだ。あとは、恋人のところにどうしても行きたいとか。いや、これはちょっと弱いな。やっぱり、恨みが本線か。

「助ける必要はないであります。ただ、取引ができるかもしれないでありますよ。たしかに、オプシウムを使えば、奴隷にある程度の鎖をつけることはできるであります。それでも、値は半額以下に下がるでありますから、もとの値段で買う、といえば、バルデは悪い気はしないはずであります」

「元値で買わなきゃいけない意味がわからないよ。奴隷として売れないから麻薬を使うんでしょ? 心が折れていない欠陥品の愛玩奴隷を元値で買ってどうするの?」

「心が折れてない女を欠陥品とは、アンリ様もなかなか鬼畜でありますな。それはともかく、愛玩奴隷として売られようとしているのにあれだけ強い心を持ち続けている女は、充分壊れているでありますよ」

「っっっ! そうか、タニアとシルドラ以外に初めて見る壊れた女性、ってことか!」

「失礼でありますな!! とりあえずマスターに謝ってほしいであります!」

 あ、シルドラはいいんだ……。

 冗談にしてごまかしたが、いや、ごまかせてないかもしれないが、完全に一本取られてしまった。ぼくは人をたくさん見ていく。それは、目の前に現れる人をただ見ていけばいい、ということではない。見るべき対象を自分で探していかなければ、ただの時間の無駄に終わってしまいかねない。

「もうひとつあるであります。女の容姿はひとつの才能でありますよ」

 うん、それはわかる。才能であり、場面によっては武器だ。つまりあのご令嬢、もとい、もとご令嬢は、並外れた才能と強力な武器を持った壊れた人間、ということになる。

「了解だよ。でも、手持ちで足りるかな。あの子を元値で、となると、相当に値が張るでしょ?」

「マスターといっしょに盗賊団をふたつほど潰しているでありますな? むだ遣いをしていなければ、その戦利品でおつりが来るでありますよ」

「してないよ! シルドラの食費でだいぶなくなってるけどさ!」

「ずいぶん遠慮してるでありますが?」

 あれで遠慮してるのか。震えが来る。遠慮がなくなったときがこわい。

「これからも遠慮してくれるとうれしいよ。で、ひとつ質問。依頼人は番頭でしょ? さすがに正面から話しても、相手にされないと思うけど」

「まあ、主人のあずかり知らない個人的な依頼、と言い張るのが関の山でありますな」

「ローランの名前を出す? オプシウムの用途までを言い当ててみせれば、さすがに無視はできないでしょ?」

「うーん、ひとつのやり方だと思うでありますが、失敗すると即、荒事になるでありますな」

「じゃ、表でバルデとやらが奴隷を扱っている店に行って、探している奴隷の条件を細かく指定してみせる」

「悪くないであります。でも、やはり荒事になる可能性が高いであります」

「なにか考えはあるの?」

「バルデの寝室に直接乗りこむというのはどうでありますか?」

「それ、いちばん荒事になる可能性が高いじゃん!」

「うーん、アンリ様はわがままでありますな。しかたないので、ここは譲るであります。二番目の、店に乗りこむ、で行ってみるであります。少なくとも、バルデが出てくるところまでは行けるはずでありますよ。その後は、下手を踏むと二対十、二十のやり合いになると思うでありますが」

「ぼくがわがままをとおした流れになっているのが、さっぱりわからないよ!」

「もうひとつ考えておくことがあるであります。あのもとご令嬢の品定めは、事前にされるでありますか?」

 スルーかよ……。

「品定めとは?」

「別に愛玩奴隷としてのレベルを確認するわけではないでありますよ。あのもとご令嬢がなにを抱えていて、どう壊れているかを前もって知るかどうか、であります」

「そんなレベル確認するわけないじゃん……。それはともかく、そういう品定めなら、やめといた方がいいんじゃないかな。まず、時間がない。明日一日で全部終わらせないといけないからね。それに、あそこで誰にもきかれないように彼女と話すのはムリだし、警戒を解くだけでひと手間だもん。そして……」

「そして?」

「いま、彼女がぼくらに救いを感じてしまうと、せっかく持ちこたえている彼女の心がほんとうに壊れるかもしれない。ほかのどこが壊れててもいいけど、心が壊れちゃ意味がない」

 シルドラが笑って見せた。ご褒美どうも!

「なかなか冷徹な読みでありますな。見下げ果てたでありますよ」


 聖の日をなるべく有効に使うために、その日は早めに寝てしまうことにした。シルドラが空腹をしつこく訴えてきたが無視した。まあ、カルターノについたら、なにか食べさせてあげよう。


 目がさめると、シルドラが火の面倒を見ていた。

「早いね、シルドラ」

「ああ、目がさめたでありますか。なにかを腹に入れて、すぐに出られるように用意していたでありますよ」

「ありがとう。ひょっとして、あまり寝てない?」

「まあ、森でありますからな。問題はないはずとはいえ、万一ということもあるであります」

「……ありがとう」

「気にすることはないでありますよ。アンリ様の身体はあくまで八歳でありますから、寝ることも仕事のひとつでありますよ。寝られるときはしっかり寝るといいであります」

 まあ、言い方はアレだが、なんだかんだいって、シルドラはけっこう面倒見が良いのだ。ぼくもあまりはっきり言葉にはしないが、それなりに感謝している。

「昨日はあえて触れなかったでありますが、バルデという商人も、じっくり観察するといいでありますよ。表と裏の両方でのし上がるのは、やはりそれなりの器が必要でありますからな」

「観察できる余裕があればいいんだけどね。出てきてすぐ大乱闘、だと、観察もクソもないよね」

「そこを引きのばすのは、アンリ様の腕前でありますよ。あんがい、クズ同士で話が合うかもしれないであります」

「人をはっきりクズと言いきるのもどうかと思うよ!?」


 そしてぼくとシルドラは、夜明けとともに森を出た。
しおりを挟む

処理中です...