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第一章 出発(たびだち)

3-7  学舎の放課後・春(前)

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 一週間ほど、ヒマになってしまった。というか、一週間ほど学舎の生徒に専念するしかなくなってしまったのである。



 結局、リュミエラはシルドラのアジトで生活しつつ、タニアから戦うすべを学ぶことになった。毎日タニアがゲートで迎えに来て移動、夜にはまたタニアとともに戻ってくる。

 ほんとうは、朝はシルドラがリュミエラに同伴し、タニアのもとに送り届けてすぐカルターナに戻ってくることになっている。しかし、この一週間に関しては、シルドラはタニアのもとで、ぼくにゲートの存在をバラしたペナルティとして、ブートキャンプ級の訓練を受けさせられているのだ。なんでも、返事は「イエス、マム」しか許されないとか。……そんなわけないか。

 シルドラにペナルティを言い渡したタニアは、ぼくとリュミエラを順に見た。ちなみに、シルドラは部屋の隅で灰になっている。

「アンリ様、ずいぶんと学舎生活をがんばっておられるようですね」

「も、もちろんだよ。タニアにも厳しくいわれたし、遊んでいるヒマはないからね!」

 タニアが大きくため息をつく。

「べつに女を連れ帰るなとは申しませんが、学舎に入ってひと月でこれでは先が思いやられますね。しかも、みたところカトリーヌ様よりすこし年上のようですが……、」

「いや、だから、違うから! 人をじっくり見た結果だから!」

「リュミエラ、といいましたか? あなたの覚悟を聞かせてください。望みがかなってのち、アンリ様の意に沿わぬ行動は決して許されません。それが、無関係の人を殺めるような行為であっても、あなたは黙ってやり遂げる必要があります。かりにアンリ様が拒否を許しても、わたしが許しません」

 沈黙は一瞬だった。

「望みを果たしたわたしにとっては、アンリ様がすべてです」

「いいでしょう。ひと月です。それであなたに望みを果たす力をつけてさしあげます。それ以上はあなた次第です」



 こんな感じだった。今ごろは、ふたりとも地獄を見ていることだろう。


 学舎生活がひと月を過ぎ、ぼくが学舎で知らぬもののないド・リヴィエール兄妹弟の末弟だということは、すでにすべての生徒が知る事実となっている。というか、すでにいちど身のまわりが大騒ぎになり、それがいちおう落ちついている状態だ。どうやら、「あの兄妹弟の弟にしてはパッとしない」という評価が功を奏しているらしい。いまだにぼくにフェリペ兄様の話を聞きたがるリシャールとマルコがちょっとうっとうしいだけだ。

 なんでも、ジョルジュ兄様も入舎してすぐは似たような状態だったらしい。ジョルジュ兄様は充分優秀なのだが、フェリペ兄様とイネスが武の分野でぬきんでているだけに、どうしてもそのイメージを重ねられてしまったそうだ。この時代の貴族、とくに男は武が第一のところがあるからなぁ。イネスなんか、知の方面ではずいぶん慎ましやかなはずなのに。


 学舎の外に出る手段がない以上、敷地の中で自分の鍛錬ができる場所を探さなければならない。ほんの二、三日のブランクをシルドラに言いあてられたくらいだから、一週間もまともな鍛錬をしないでいれば、取り戻すのに時間がかかってしまう。ブートキャンプを終わったばかりであろうシルドラなど、よろこんでぼくに同じ鍛錬を課そうとしてくるだろう。そんなのはごめんだ。

 初等課程の校舎の裏手の森を歩き回っていると、だいぶ奥の方、すこし広がった場所に小屋が建っていた。

(これはうまくいくと、秘密基地ゲットか?)

 マッテオの追尾はもちろん森に入る前に切っている。ガラにもなく、すこしわきたった心を抑え、静かにドアを開けて中を覗く。そこには、妙に生活感にあふれた光景が広がっていた。広げた寝床、空の食器、脱ぎ散らかした着替え……。明らかに、ここでだれかが生活している。しかも、相当残念な生活だ。少なくとも秘密基地にすることは難しい。というか、すでにだれかの秘密基地っぽい。

 ちょっとがっかりしながら、外に出ようと身体を翻したところで、ドアからひとりの男がはいってきた。男というよりは男子か。十二、三歳に見える。黒髪をきちんと切りそろえ、こぎれいな顔をしているが、くたびれたマントを着ている。ふつうに考えれば上級生だな。

「ん? だれだ、おぬし? 見ない顔……いや、見覚えがあるな。そうか、ド・リヴィエールの末っ子か。なぜマッテオの魔力の痕跡をつけておるのだ?」

 どうも生徒ではなさそうだ。いや、ちょっと待て。その前にえらく気になることを言ったぞ、この人。

「マッテオ教官の魔力なら、森に入る前に打ち消したはずなのですが、残ってますか?」

「いや、たしかに打ち消されてはおるがな、一度ついた魔力の痕跡は、すぐには消えんのだよ。それよりなぜ、おまえさんにマッテオが魔力追尾の術を使うのだ? なぜおまえさんは、それを簡単に打ち消せる?」

 いったい何歳くらいの人なのか、まったく想像できなくなってしまったが、少なくともこの人は、マッテオ教官を呼び捨てにする立場にいるらしい。しかも、近しい関係ではなさそうだ。いい機会だから、ちょっと話を聞いてみるか。

「はじめまして、アンリ・ド・リヴィエールです。失礼ですが、どなたでしょう? ここでなにをしてらっしゃるのですか?」

「一回生にしては大人びた口のきき方をするの、おまえさん。わしはジルベール・ザカリアスだ。……といっても、一回生のおまえさんは知らんじゃろうな。魔法課程の主任教官じゃよ。小人族じゃから、そうはみえんかもしれんがの。ま、いまは自主休業中で、ここでゴロゴロしとるだけじゃが」

 見た目子供そのものの人が爺さんみたいな話し方をしているのに、大人びた、もないだろうと思う。タニア、爺くさい話し方というのはこういう話し方をいうんだ。

「実は、ぼくはマッテオ教官に入学早々、妙に関心を持たれたようです。ぼくがどのような学舎生活を送っているのか、気になるようでして……」

「なにをやっとるのだ、あの男は。教官がもっともやってはいけないことじゃろうが。だが、その術は見た目より複雑に構成されているはずじゃ。それが、痕跡は残っとるがきれいに無効化されとる。どうやった?」

 これはもう、ごまかさずに白状した方がいいな。直感だが、悪いほうには転ばない気がするし。

「どうやったといわれても……魔力の構成を見て、ひとつずつ反属性で上書きしていっただけです。それでうまくいったので、以後はその要領で」

「していっただけ、ときたか。それは魔法課程の最上級生でも特別に優秀なものしかできんぞ? わしもおまえさんの適性検査を見とったが、そんなことができるそぶりは見せんかったろう?」

「マッテオ教官の執着もそのあたりでして……ぼくが検査で手を抜いた理由を知りたいようです。そんなことはしていない、と申しあげたら、このありさまです」

「まあ、知りたい気持ちはわからんでもない。じゃが、全力を出さねばならない、という規則があるわけでもなし、言いたくなければそれまでじゃろう。わしもおまえさんの力が気にならんわけではないが、聞かぬことにしよう」

「ありがとうございます。ひとつうかがっていいでしょうか?」

 ぼくは、この不思議な爺さんに、もう一つ踏み込んでみることにした。
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