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第一章 出発(たびだち)

4-8  対決(後)

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 強化魔法は瞬時に発動した。三歳のころから自分にかけ続けた、もっとも慣れ親しんだ魔法だ。魔力が身体に行き渡っていく。

 ……が、マッテオが後ろに飛び退って距離をとりながら指を鳴らすと、その魔力が足下から抜けていくように消える。ああ、これが魔力簒奪ね。しかも、気のせいか奪われた魔力がヤツのほうに流れていく気もする。

「思ったとおり、きみは恐ろしい子だね。一瞬で魔力を全身に行きわたらせた。惜しいよ、ここで殺してしまうのは」

「惜しいなら思いとどまってお互い無関係の人生を歩みませんか?」

「ハハハ、この段階でそんなことが言えるのかい? ホントにすごいよ。でも残念だね。ぼくはきみの力がだれか他の人のものになるのを見るくらいなら、なくしてしまうことを選ぶよ、きみごとね」

 あー、ジルの言ったとおりだな。気持ちわりぃ……。

 黒鋼刃の短剣を抜いたぼくは、マッテオのふところに飛びこもうとしたが、足下に火の矢を撃ちこんでぼくの動きを牽制する。一言二言のレベルまで詠唱は短縮しているが、無詠唱ではない。何が来るかぐらいはわかりそうだ。

 ぼくは細かく身体を振ってフェイントをかけ、三本目の矢をマッテオが撃った瞬間に距離を詰め、短剣を振り抜く。刃はマッテオをとらえはしたが、膜を切り裂くような手応えが残っただけだ。見ると,マッテオの服がすこしだけ切れている。これがシルドラの言った魔力の鎧だろうね。

 もういちどぼくは距離をとった。

「わかったろう。きみに勝ち目はないよ。じきに死ぬことになるきみだから、特別に教えてあげよう。この部屋の魔力簒奪の魔方陣にはわたしの魔力を記憶させているから、反応するのはきみの魔力だけだ。おまけに、吸いあげた魔力は全てわたしに流れ込んでくる。そして、きみは剣でもすばらしい動きをしているが、いま体験したのが魔力の鎧だよ。わたしは全身をこの魔力の鎧で覆っている。きみの攻撃を完全に無効化するとは言わないが、わたしに致命傷を与えるより、きみが動けなくなるほうがたぶん早い」

 よし、ヤツの死亡フラグゲットだ。どうして相手が死ぬからといって種明かしをしてやらなければならないのかぼくにはわからないが、とにかくフラグは頂いた。得意げにしゃべっているわりに、全部シルドラが予言したとおりなのがなんともね。小物フラグもゲットだな。

 これが奥の手かって? えっと、そんなことないよ?



「シルドラ、ぼくの身体にいくつか魔方陣を描いてほしい。起動すればそこから体内の魔力が漏れ出すように」

「な、何を考えてるでありますか! そんなことをして、体内の魔力が枯渇したら死ぬでありますよ?!」

「マッテオに負ければどのみち死ぬよ。物理がきかなくて魔法が使えなきゃ、打つ手がない。身体強化すらできないからね」

「そもそもなんのためでありますか?! 意味がわからないであります!」

「仮に魔力を使おうとする意思に反応する魔方陣なら、意思と無関係に出ていく魔力には反応しないかもしれない。あとは、精霊に勝手に魔力を持っていってもらえば……」

「バカでありますか? アンリ様はバカでありますよね? 言っておくでありますが、魔力が出ていくのを止めるには、わたしが魔方陣を解除しなければならないでありますよ? わたしはそこにいないのでありますよ? どうやって動作を止めるでありますか?!」

「なんとかなるよ。とにかくお願い」

「なんともならないでありますよぉ……」

 はじめて聞くシルドラの懇願するような声だった。



「ハハハ、ほんとうにきみはすごいよ。まさかここまでとは思わなかった。見たまえ、ぼくの腕から血が出ている。ここまで魔力の鎧を斬り込めるとはね」

 マッテオの執拗な魔法をかわしながら、何度も飛び込んでは斬りつけた。全身を覆っている、というからには、どこを斬るか、ではなく、どれだけ鎧にダメージを与えたかが鎧の耐久度に関わってくるはずだ。刃を届かせることだけを考えて、何度も斬った。

 その努力が功を奏し、ようやくマッテオの皮膚に刃が届いた。だが、そろそろぼくが限界だ。ヤツの魔法を全てかわすことはできない。ヤツも攻撃を受けることをある程度覚悟の上で、ぼくに小さな魔法を何発も当ててくる。ほぼなぶり殺し状態だ。ここでちょっとでっかいのを喰らったらもうマズい。

 ぼくは気力を奮い起こしてもういちどマッテオに斬りこむ。マッテオは笑いながら風の刃をぶつけてきた。さらにぼくの皮膚が切り裂かれる。身体がドクンと脈動する。

 ……きた。

 全身の魔方陣が発動した。致命傷ぎりぎりまで身体がダメージを受けたら、シルドラに描いてもらった魔方陣が自動的に発動するように設定してあったのだ。ぼくが自分の意思で起動させるやり方だと、何かで阻害されたら万事休す、打つ手なしだからね。

 身体から一気に魔力が漏れ出す。ぼくは痛みに気が散りそうになるのをこらえながら、頭にマッテオが火に焼かれ、風に切り刻まれるイメージだけを必死に浮かべた。意識がもうろうとしているから、わかりやすいイメージにしかならない。マッテオがマッテオじゃなくなってる。

「好きなだけ持って行きやがれ!」

 ぼくが精霊に呼びかけると、ぼくのまわりの気配が騒がしくなった。精霊がぼくの魔力を奪い合っている。そして、ついには魔方陣から何かが身体の中に入りこんでくる感触までしはじめた。

(おいおい、持ってけとは言ったけど、むしり取っていけとは言ってないよ……)

「ん? 何をした? この魔力はなん……ギャアッッッ!!」

 視界がかすんでよく見えないが、近くにいる肉のような何かが切り刻まれ、焼け焦げる気配がした。どうなった? 伏線は回収したか? ……やべえ。身体の中がひからびていく気がする。こりゃいい感じで死ねるかな。ここで死ぬと、これまであれやこれや考えてきたのが全部無駄になるけど、ああ、それもいいかも……。



 突然、身体に魔力が流れ込んできた。身体の芯の部分の渇きが急速に癒やされていく。懐かしい感触だ。昔、森で魔力が切れそうになると、タニアが魔力を分け与えてくれたっけな。あのときもこんな感じだった。

 そんなことを考えながらバランスを失って倒れていくぼくを、柔らかい腕が抱きとめた。

「よく頑張りましたね」
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