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第一章 出発(たびだち)

4-10 葬送(後)

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「ときにジル、後始末はおまかせしてもいいですか? マッテオとやらの私物はいちおうさらってきましたし、死体というか肉塊も回収しました。多少の汚れはありますが、部屋はもぬけの殻の状態にしてあります」

 雰囲気を変えるようにタニアがジルに声をかける。もぬけの殻の状態って……ああ、スケルトンがいたりする異空間か。でも、ほんとうに死体も持ってきたのか?

「ん、しょうがないからまかされるわい。あの男が出世欲が強かったのはみな知っとるから、不意に姿を消したといっても最後には信じるじゃろ。汚れも、危険な魔法実験をやっとったと考えてくれるはずじゃ」

「よろしくお願いします。アンリ様ももう動けるでしょう。わたしたちはそろそろ引き上げます」

 動けるといえば動けるが、ほんとに動くことができる、というだけだ。できればもう少し休みたいところだが、それを言うとタニアがこわい。

「ああ、あやつの私物も置いていくといいわい。処理しといてやろう」

「わたしが見たところたいしたものはありませんでしたよ? 漁るだけ時間の無駄になると思いますが」

「全部持って行け。おまえさんの異空間なら余裕あるじゃろ」

 ジルは面倒ごとを引き受けるふりで、役に立つものを自分のものにしたかっただけらしい。ハズレだとわかったとたんに態度を豹変させやがった。ホントに食えない爺さまだ。

「そう言うと思っていましたよ。では、これにて失礼を。シルドラ、街の外に出られますか?」

「一度の転移ではムリでありますが、なんとかなるであります」

「ではお願いします」

 タニアがぼくを引きずり起こすと、シルドラが転移を開始した。三回転移を繰り返して街の外の草原に出る。途中、シルドラの部屋を経由した。ずいぶん片付いてるな、と思ったところでタニアに目をふさがれた。少しいい匂いがしたのは黙っておこう。



「さてアンリ様、今回の件でアンリ様はご自分のために越えなければならないカベを、シルドラの助力も最小限で、ほぼ自力で越えられました。改めて申しあげますが、わたしとしても、非常によく頑張られたと思っています」

「タニアに褒められたのは、初めてじゃないかな。うれしいな」

「そうでございますか? わたしはこれまでアンリ様を褒めて伸ばしてきたつもりですが」

「それだけは絶対違うと思う!」

「認識の相違でございますね。アンリ様が直面されたのは、ご自分の邪魔になるものを相手の都合をかまわず力づくで排除するという課題と、ご自分の都合で他人の命を奪うという課題でしたが、みごとに成果を出されました」

 ほとんど人間やめるための課題だよね、それって。クリアしたのを喜んでいいのやら……。

「今日最後の課題は、ご自分のなされたことの後始末を自分でつける、というものでございます」

「まだなにかやることが残ってるの? もうさすがに今日は疲れたよ」

「血もだいぶなくしたでありますからな。二、三日はキツいでありますよ」

 うんうん、シルドラも気遣ってくれている。

「アンリ様は、マッテオとやらのこの何の役にも立たない私物と、アンリ様がずたずたにして焼き払った死体を、わたしに保管しておけとおおせですか?」

 あー、やばい。完全に頭から飛んでいってたわ。実は、マッテオがどうなったかぼく自身はまだ見ていないんだよね。

「いやいや、そんなことないよ? やるやる、やります」

「ではまず、その辺に魔法で穴を掘ってください。大きさは……そうですね、先ほどジルが暮らしていた部屋の大きさくらいでしょうか。魔力は戻ってますね? なければわたしのをお渡ししますから、サッサとおやりください」

 うわ、けっこうきついな。部屋のカサぐらいの土を見えない手ですくい上げて……掻き出す……イメージを作ろうとするが、全然土が動き出すイメージができない。重さを感じるはずがないのに、イメージを作ろうとすると重さを感じたような気がしてイメージが前に進まない。

「持ち上がりませんか?」

「うん。どうしてだろう?」

「それがほんとうの意味での精神の疲労です。魔力の使い方に無理があると、魔力の消費以上に精神の根っこの部分がすり減っていく、といえばいいのでしょうか。魔法を使うときは、そういう状態にならないように気をつけることです」

「わかった。わかったけど……穴はどうしよう?」

「しかたありませんね。掘れるだけ掘ってみてください」

 ぼくは地球計算で一立方メートルほどの土をやっとの思いで取り除いた。それをもう一度、さらにもう一度……五度ほどやって膝をついた。

「ごめん、もう限界」

「わかりました。ちょっとお待ちください」

 タニアはあっという間に五立方メートルほどの土を持ち上げ、投げ捨てるように下に落とした。えーと、一回あたりの処理量の差は百二十五対一だね。

 続いてその穴の中に虚空からなにかを落とし込んでいく。書籍とか、マントとか、ちょっとした日用品とか、得体の知れない道具類等々。そしてその上に、ばらばらになって焼け焦げた肉の塊。頭らしきものがわかる。腕、脚、なんとなくそれっぽい。それしかわからない。

 吐き気がしてきた。寒くはないのに震えが止まらない。膝が笑って脚に力が入らない。膝をつき、思いっきり胃の中のものを吐き出す。胃液まで吐き尽くして、ようやく止まった。

「これが今日、アンリ様が全力を傾けて生み出したものです。アンリ様は、今日ご自分がなさったことに後悔はございますか?」

「ううん、まったくない」

「それなら、これらのものと正面から向き合ってください。そして自ら望んでこれらのものを作り出したご自分と向き合ってください。」

 びっくりするほど涙が出た。いくら泣いても涙は止まらなかった。タニアは、そのぼくの涙が止まるまでの長い時間、なにも言わなかった。

「お心は鎮まりましたか? ならば弔ってください。自分がなにを弔っているのかを見つめながらです」

 ぼくは、穴の中のありとあらゆるものを燃やし尽くした。自分がこれから歩いて行く上で必要ななにかを得るために。そして、なにか大事なものを捨てるために。

 このさきぼくが同じように涙を流すことは、たぶんない。
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