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第二章 陽だまり
5-25 夜襲(後)
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「ぼくがイネス姉の代わりをした方がいい?」
アウグスト様の天幕に急ぐイネスを見送りながら、ぼくはフェリペ兄様にたずねた。
「今おまえが言ったことと同じだ。一回生にいきなりぼくの副官をやらせようとしても、ほかの生徒が納得しない。それに、ぼく自身がおまえの実力を知らないからな。使いこなす自信がない」
ぐうの音も出ない。
「そ、それはどうも……」
「そのかわり、遊撃としてしっかり働いてくれ。ぼくは学舎の人間に被害を出す気はない。ギエルダニア側にどれだけ被害が出るかは、おまえ次第だと思え」
「り、りょうかいしましたぁ」
ぼくは野営地の外れに出て、魔力で聴覚を強化した。
しばらくの間、あらゆる音が増幅されてぼくの脳味噌を直撃したが、どうにか学生たちが立てる音や森の自然の音を除去して、感覚をこちらに接近する音に集中させることができた。
五分ほどで、ぼくはその音を拾い上げた。距離にして二キロちょっと、人数は五か六、だいたいあと二十分ほどでここに到達する速度だ。よけいな音が混じっていないのは、騎士団の鎧やほかの装備をどこかに置いてきたのだろう。
「兄様、あと三半時くらい、人数は五か六、いずれも軽装。ぼくは一度イネス姉のところに行くね」
フェリペ兄様は軽く手を上げて皆に合図を出す。それでほかの生徒がいっせいに動き出した。
「イネスには、しとめたらすぐに合流するように言ってくれ。おまえはそのあと自由に動いていい」
「了解」
皇子の天幕にいくと、まさにイネスとベルトーニ教官が斬り合いを演じているところだった。奥では血を流して倒れている護衛の生徒に皇子がつきそっていた。
「ドルニエの学生は、えらく水準が高い。うらやましい話だ」
「じきにうらやましがることもできなくなるから、せいぜい今のうちにうらやんどいてね」
おお、イネスが悪役みたいなセリフを! だがそれはフラグになるから気をつけろ!
ベルトーニ教官がイネスを力でねじ伏せようとするかのように、右から斜め上に力まかせに斬り上げる。イネスに弱点があるとすればパワーだから、悪い攻めじゃない。受け止めたイネスが少しグラつかされる。ベルトーニ教官はさらにイネスをはじき飛ばして体勢を崩そうとする。
大丈夫だとは思うが、さっさとカタをつけてもらおう。ぼくはさらにイネスに襲いかかろうとするベルトーニ教官の目に魔力の塊をぶつけた。彼の動きが一瞬止まる。そして、それを見逃すイネスじゃない。
「はあっ!」
がら空きになったベルトーニの腹にイネスが剣を突き立てた。おい、それは悪手だ。それだと剣が抜けなくなるぞ?
イネスはそのまま剣から手を離し、腰につけていた短剣を引き抜いて一気に距離を詰め、前のめりに倒れかけたベルトーニ教官の首筋に突き立てた。そういうことね。勝負カンについては、ぼくにどうこう言える話じゃなかった。
と感心していたら、いきなり腹を蹴りつけられた。なんだ? なにが起きた?
「よけいなことするんじゃないわよ! シラけちゃったじゃないの!」
イネスだった。ずいぶんお怒りだ。しょうがないじゃないか。フラグを折らなきゃいけなかったんだよ!
「グズグズやってるからだよ! 兄様が待ってるから早く!」
「あ、あの、イネスさん!」
ぼくの声にかぶってきた声がある。第三皇子様だ。走り出しかけたイネスが振り向く。
「あ、ありがとう。助かったよ。このお礼は必ず……」
「そんなものどうでもいい! 礼なら、そこのアンリに言っといて!」
イネスはそのまま走り去り、ぼくは第三皇子と、ケガで気を失っている護衛と三人でそこに残された。
「どういうことだい?」
「え、えーと、代理で聞いておけ、ということですかね? それより、騎士学校の他の人は大丈夫でしょうか? ちょっと見てきます」
「あ、そうか。ぼくも……」
「ロッセリさんはここにいてください。ケガした彼を見ていてもらわなきゃ」
皇子はそこで自分の立場を思い出したらしい。あまり前に出過ぎちゃダメですよ。
「わかった。気をつけてくれ」
遠征の本部をかねた天幕は、ひどいことになっていた。
二人の教官と学生がひとり、そして一人の見知らぬ男が倒れている。そして、見知らぬ男がもうひとり、サンドラさんに斬りかかっている。彼女は自分の剣でそれを防ぐが、大きく弾かれる。これはヤバい。ぼくはカマイタチを発動させようとした。
「姉さん!」
ぼくの横をつむじ風のように小さな人影が駆け抜けた。そして次の瞬間、サンドラさんに斬りかかろうとした男の脇腹に、きれいに剣が突き立った。剣を振り上げたまま硬直した男の首を、ローリエがその一瞬で拾い上げた、そこに落ちていた剣で斬り上げた。男の首がはね飛び、斬り痕から血が噴き出し、ローリエを真っ赤に染めた。
「ローリエ!」
サンドラさんがローリエに駆け寄って抱きつく。
「大丈夫だった、姉さん?」
ローリエが彼女を抱きしめ返し、髪をなでた。ただ、血だらけの手でなでたので、髪の毛にべったり血がついてしまっている。
そのままぼくは外に出た。そこにはフェリペ兄様とイネスがいた。
「こっちは片付いた。そこはどうなった?」
「死んでるかどうかはわからないけど、教官二人と学生ひとりが倒れてる。襲ってきたやつらは二人とも死んだと思う。ごめん、ぼく次第だって言われたのに、こんなことになっちゃって。結局、なにもできなかったよ」
フェリペ兄様は深くため息をついた。
「気にするな。おまえはじゅうぶんやれることをやったよ」
「でも……」
言いかけるぼくの頭をイネスがポンッと叩いた。そして天幕の方へ二人は歩き出す。すこしローリエのいる天幕のほうを見て、そしてぼくは二人の後を追った。
アウグスト様の天幕に急ぐイネスを見送りながら、ぼくはフェリペ兄様にたずねた。
「今おまえが言ったことと同じだ。一回生にいきなりぼくの副官をやらせようとしても、ほかの生徒が納得しない。それに、ぼく自身がおまえの実力を知らないからな。使いこなす自信がない」
ぐうの音も出ない。
「そ、それはどうも……」
「そのかわり、遊撃としてしっかり働いてくれ。ぼくは学舎の人間に被害を出す気はない。ギエルダニア側にどれだけ被害が出るかは、おまえ次第だと思え」
「り、りょうかいしましたぁ」
ぼくは野営地の外れに出て、魔力で聴覚を強化した。
しばらくの間、あらゆる音が増幅されてぼくの脳味噌を直撃したが、どうにか学生たちが立てる音や森の自然の音を除去して、感覚をこちらに接近する音に集中させることができた。
五分ほどで、ぼくはその音を拾い上げた。距離にして二キロちょっと、人数は五か六、だいたいあと二十分ほどでここに到達する速度だ。よけいな音が混じっていないのは、騎士団の鎧やほかの装備をどこかに置いてきたのだろう。
「兄様、あと三半時くらい、人数は五か六、いずれも軽装。ぼくは一度イネス姉のところに行くね」
フェリペ兄様は軽く手を上げて皆に合図を出す。それでほかの生徒がいっせいに動き出した。
「イネスには、しとめたらすぐに合流するように言ってくれ。おまえはそのあと自由に動いていい」
「了解」
皇子の天幕にいくと、まさにイネスとベルトーニ教官が斬り合いを演じているところだった。奥では血を流して倒れている護衛の生徒に皇子がつきそっていた。
「ドルニエの学生は、えらく水準が高い。うらやましい話だ」
「じきにうらやましがることもできなくなるから、せいぜい今のうちにうらやんどいてね」
おお、イネスが悪役みたいなセリフを! だがそれはフラグになるから気をつけろ!
ベルトーニ教官がイネスを力でねじ伏せようとするかのように、右から斜め上に力まかせに斬り上げる。イネスに弱点があるとすればパワーだから、悪い攻めじゃない。受け止めたイネスが少しグラつかされる。ベルトーニ教官はさらにイネスをはじき飛ばして体勢を崩そうとする。
大丈夫だとは思うが、さっさとカタをつけてもらおう。ぼくはさらにイネスに襲いかかろうとするベルトーニ教官の目に魔力の塊をぶつけた。彼の動きが一瞬止まる。そして、それを見逃すイネスじゃない。
「はあっ!」
がら空きになったベルトーニの腹にイネスが剣を突き立てた。おい、それは悪手だ。それだと剣が抜けなくなるぞ?
イネスはそのまま剣から手を離し、腰につけていた短剣を引き抜いて一気に距離を詰め、前のめりに倒れかけたベルトーニ教官の首筋に突き立てた。そういうことね。勝負カンについては、ぼくにどうこう言える話じゃなかった。
と感心していたら、いきなり腹を蹴りつけられた。なんだ? なにが起きた?
「よけいなことするんじゃないわよ! シラけちゃったじゃないの!」
イネスだった。ずいぶんお怒りだ。しょうがないじゃないか。フラグを折らなきゃいけなかったんだよ!
「グズグズやってるからだよ! 兄様が待ってるから早く!」
「あ、あの、イネスさん!」
ぼくの声にかぶってきた声がある。第三皇子様だ。走り出しかけたイネスが振り向く。
「あ、ありがとう。助かったよ。このお礼は必ず……」
「そんなものどうでもいい! 礼なら、そこのアンリに言っといて!」
イネスはそのまま走り去り、ぼくは第三皇子と、ケガで気を失っている護衛と三人でそこに残された。
「どういうことだい?」
「え、えーと、代理で聞いておけ、ということですかね? それより、騎士学校の他の人は大丈夫でしょうか? ちょっと見てきます」
「あ、そうか。ぼくも……」
「ロッセリさんはここにいてください。ケガした彼を見ていてもらわなきゃ」
皇子はそこで自分の立場を思い出したらしい。あまり前に出過ぎちゃダメですよ。
「わかった。気をつけてくれ」
遠征の本部をかねた天幕は、ひどいことになっていた。
二人の教官と学生がひとり、そして一人の見知らぬ男が倒れている。そして、見知らぬ男がもうひとり、サンドラさんに斬りかかっている。彼女は自分の剣でそれを防ぐが、大きく弾かれる。これはヤバい。ぼくはカマイタチを発動させようとした。
「姉さん!」
ぼくの横をつむじ風のように小さな人影が駆け抜けた。そして次の瞬間、サンドラさんに斬りかかろうとした男の脇腹に、きれいに剣が突き立った。剣を振り上げたまま硬直した男の首を、ローリエがその一瞬で拾い上げた、そこに落ちていた剣で斬り上げた。男の首がはね飛び、斬り痕から血が噴き出し、ローリエを真っ赤に染めた。
「ローリエ!」
サンドラさんがローリエに駆け寄って抱きつく。
「大丈夫だった、姉さん?」
ローリエが彼女を抱きしめ返し、髪をなでた。ただ、血だらけの手でなでたので、髪の毛にべったり血がついてしまっている。
そのままぼくは外に出た。そこにはフェリペ兄様とイネスがいた。
「こっちは片付いた。そこはどうなった?」
「死んでるかどうかはわからないけど、教官二人と学生ひとりが倒れてる。襲ってきたやつらは二人とも死んだと思う。ごめん、ぼく次第だって言われたのに、こんなことになっちゃって。結局、なにもできなかったよ」
フェリペ兄様は深くため息をついた。
「気にするな。おまえはじゅうぶんやれることをやったよ」
「でも……」
言いかけるぼくの頭をイネスがポンッと叩いた。そして天幕の方へ二人は歩き出す。すこしローリエのいる天幕のほうを見て、そしてぼくは二人の後を追った。
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