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第二章 陽だまり
6-3 別れ
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うーん、「きいてもいいかな?」ではなく「きいてもいいよね?」だったところが、ローリエの断固とした意思を物語ってるな。武器屋の主人はおもしろいオヤジではあったが、何とも余計なことを言ってくれた。いまぼくは、完全に詰んでいる。
もちろん、今後ローリエといっさい関わりを持たないこととひきかえに、いい加減な話でお茶を濁す、という選択肢もないわけではない。だが、二年越しでこれだけまっすぐな気持ちで向き合ってくれているローリエに対して、それはあまりに侮辱的であり、失礼だ。ぼくの目指す「クズ」は、そういう「クズ」ではない。
そして、ぼくはローリエになにもまだ返していない。これをそのままにすることは、それこそぼくが目指す生き方にそぐわない。彼女のしてくれたことに対して、それに匹敵するものを返さなければならない。そしていま彼女は、ぼくの打ち明け話以外をお返しとして受けとる気は全くないだろう。
ぼくは大きく息を吸いこんだ。
「一度だけ話すよ。でも、きみに話す必要があるとぼくが思う、ぼくにとっての真実だけだ。それをきみが信じても信じなくても気にしない。信じてもらうために言葉を足すようなこともしない。理解してほしくて話すわけでもないから、きみがなにか質問してきても、ひょっとしたらまともに答えないかもしれない」
ローリエもぼくの微妙な変化を感じとったようだ。茶化すことなくうなずいて、先をうながしてくる。
「話したあとのぼくらの関係がどうなるかわからない。変わらないかもしれないし、疎遠になるかもしれない。それでよければ、聞いてくれ」
「わかったよ。だいじなことを曖昧にしたままでいるよりいい」
ぼくは、世界がいくつも存在していること、世界ごとに「観察者」がいること、ぼくがここ以外の世界からの転生者であること、そのことを「観察者」から説明されたことを順を追って説明した。
ローリエは黙っている。無言で先をうながしているのか、単に言葉を失っているのか、ちょっと判断に迷う。固まっちゃってるようにも見えるからな。
「『観察者』がそのほかにぼく自身について説明してくれたことがある。ぼくが入りこんだこのアンリという子がもともとは英雄となるべき存在で、それにふさわしい素質と能力を持って生まれてきていたこと、それをぼくのせいで台無しにしてしまったこと、そして、素質と能力が台無しにされても英雄となる運命には変わりがないことをね」
「ごめん、ひとつだけ。最後の意味がよくわからない」
「ぼくのせいで、この身体は英雄にふさわしい力を発揮できない。でも、英雄召喚の儀が行われれば、そんなことはおかまいなしに、ぼくは英雄として特定される。そういうこと」
ローリエはうなずいて見せた。理解したように見えるが、どうなんだろう? まあいいや。それは気にしないと決めたんだ。
「力の足りないぼくが英雄にされてしまったら、ぼくにとっても、ぼくのまわりにとっても、それからたぶん世界にとっても不幸なことだ。だからぼくは、英雄召喚の儀が行われないようにしよう、と決めた。歴史の流れを止めて、英雄が必要になる時期を先のばしにできれば、英雄にならなくてすむからね」
「二年前のことも、そういうことなの?」
「ローリエは直接巻きこんじゃったからその質問には答えるよ。あの件が女王国の責任ということになってギエルダニアとドルニエの関係が深まれば、女王国やアッピアとの均衡が崩れるかもしれない。それは、歴史が進むってことだ。ぼくは、それを止めようとしたんだ」
ローリエは考えこんでいる。そうだろうな。自分のしたことの意味を初めて知ってしまったんだから。
「アンリ、とりあえずここまではわかったよ。それで……」
「うそ、わかったの!?」
「もしかしてきみ、わかるように説明するつもりなかったの!?」
「いや、わからないか、信用しないかのどっちかだと……」
「それ無責任じゃないかなっ!?」
「つまりアンリは、英雄に指名されて自分のまわりの世界がメチャメチャになるのがイヤなんだね?」
「いや、みょうにカッコよくまとめてくれたのは嬉しいんだけど、ぼくは自分が英雄になってあっさり死ぬのがいちばん怖いんだよ。でなきゃ、自分を消滅させて終わりにするさ」
ぼくのやろうとしていることを美しく表現しちゃダメだ。ぼくはクズなんだから。
「以上で、説明終わり。信用してほしくて話すのでも、理解してもらうために話すのでもないって最初に言ったよね? ぼくはローリエに大きな借りがある。だから兄様や姉様も知らないこの話をきみにしたんだ」
「そう……だったね。でも、もうひとつだけ聞かせてくれないかい? リエラさんは、二年前にアンリが話してくれるのを待て、ってぼくに言ったんだ。リエラさん自身のこともね。彼女はその、きみの家族にも知らせていない話を知ってるってこと? もちろん、アメリさんも知ってるんだよね?」
ほんとうは、ローリエにはこれ以上この話を続けてほしくない。でないと、思わずわかってほしくなってしまうかもしれない。でも、自分ではじめた話はちゃんと終わらせないと。
「知ってる。リエラさんは、ぼくと行動をともにするために知る必要があったから。アメリは、ぼくがさっき話したことを決めたときに相談してた師匠同然の人の……弟子なんだ。その人が、カルターノではアメリを頼れ、と紹介してくれた。当然事情は知ってる」
ビットーリオの話はしなくていいよな? ローリエも面識ないし、話したくないし。
「ほんとうにここまでにしようよ、ローリエ。こんな話で借りが返せたとは思わないけど、これ以上は枝葉の部分できみが知らなくてもいいことだし、たぶん知らない方がいいんだと思う」
「どうしてそう思うの?」
「ぼくは他人を利用しながら、自分と自分のまわりの小さな世界を守るために、これからも身勝手にあちこちで同じようなことをしていくんだよ。そんなのに巻きこまれちゃダメだ。きみは王道を歩いて行くべき人間だよ」
「勝手に決めないでよ! ぼくの生き方はぼくが決めるよ!」
ああ、まずい。ローリエがどんどん女の子に見えてくる。
「でも、ローリエはもうすでにたくさんのものを背負っちゃってるじゃないか。これから先に巻きこまれるってことは、そういうものを捨てればいいってだけじゃない。場合によっては泥をかけたり、なにかの囮にしたりしなきゃいけないかもしれないんだよ」
「それは……」
「しかも、ぼくの守る世界の中は特別あつかいだ。伯爵領や兄様たちに迷惑をかけるつもりは一切ない。ひどい話だよね」
さすがにローリエも黙り込んでしまった。
「ぼくはさ、生き方を決めたときに人間のクズになることをいとわない、って決めたんだ。いまはまだためらいもあったりするけど、そのうちそれもなくなる。こんな人間に関わっちゃダメだよ」
「わかったよ、アンリ。もうここまでにする。でも、今日はつきあってくれるんだろ? パフェだって、改めておごってくれるはずだよね?」
ローリエはニッコリと笑ってそう言った。これだけ乱暴に心のドアを閉めて見せたのに、まだぼくを気遣ってくれている。くそっ……!
「もちろん。約束だしね」
「じゃ、そろそろ出ようか? もうお昼の時間だよ。なにをごちそうになろうかな」
「昼もぼく?」
「当然!」
ぼくたちはなにもなかったように店を出た。そして、なにもなかったように昼食を食べ、なにもなかったように午後を過ごした。もちろんパフェもおごったよ? そして、夕方になってなにもなかったように握手して別れた。
アウグスト様の屋敷の前でローリエと別れたあと、フラフラと街を歩いていたぼくを、リュミエラが呼び止めた。
「あ、リュミエラ、どうしてここに?」
「アウグスト様の屋敷の前でお見かけしたので」
たぶんウソだ。その前から見ていたに違いない。ぼくが普通の状態なら気づかないはずはないから、ぼくになにがあったかもうすうすわかっているに違いない。二年前に、ローリエに「話を聞け」と言ったのはリュミエラなのだから。
「ローリエと話をしたんだ」
「そうでしたか」
やはり驚かない。なら結果もわかっているだろう。
「彼女を傷つけちゃった。あんな言い方しなくてもよかったのに」
リュミエラは無言でぼくの横に立った。
「でもさ、そのあともずっと笑ってくれたんだ。握手して別れるまで笑ってた。そんなローリエを傷つけちゃったよ」
それでもリュミエラはなにも言わなかったが、ぼくの頭をそっとなでてくれた。ほんの一度か二度、カトリーヌ姉様に甘えたとき、やはり姉様はこんなふうに、黙って頭をなでてくれたっけ。
突然、涙があふれてきた。実質三十過ぎの自分に、泣くような繊細さが残っていたことに驚いたが、涙はまったく止まらずに流れ続けた。リュミエラはやはりなにも言わず、手布を出して涙をときおりぬぐってくれた。
ぼくは、自分自身から剥がして取り去ってしまったものが、自分で思っていたよりもずっと重かったことに今さらながら気づいた。
明日からはまたちゃんとしなきゃいけない。いつまでもメソメソしているヒマなんかぼくにはない。すべて吹っ切るために、今日だけはリュミエラに甘えさせてもらおう。
もちろん、今後ローリエといっさい関わりを持たないこととひきかえに、いい加減な話でお茶を濁す、という選択肢もないわけではない。だが、二年越しでこれだけまっすぐな気持ちで向き合ってくれているローリエに対して、それはあまりに侮辱的であり、失礼だ。ぼくの目指す「クズ」は、そういう「クズ」ではない。
そして、ぼくはローリエになにもまだ返していない。これをそのままにすることは、それこそぼくが目指す生き方にそぐわない。彼女のしてくれたことに対して、それに匹敵するものを返さなければならない。そしていま彼女は、ぼくの打ち明け話以外をお返しとして受けとる気は全くないだろう。
ぼくは大きく息を吸いこんだ。
「一度だけ話すよ。でも、きみに話す必要があるとぼくが思う、ぼくにとっての真実だけだ。それをきみが信じても信じなくても気にしない。信じてもらうために言葉を足すようなこともしない。理解してほしくて話すわけでもないから、きみがなにか質問してきても、ひょっとしたらまともに答えないかもしれない」
ローリエもぼくの微妙な変化を感じとったようだ。茶化すことなくうなずいて、先をうながしてくる。
「話したあとのぼくらの関係がどうなるかわからない。変わらないかもしれないし、疎遠になるかもしれない。それでよければ、聞いてくれ」
「わかったよ。だいじなことを曖昧にしたままでいるよりいい」
ぼくは、世界がいくつも存在していること、世界ごとに「観察者」がいること、ぼくがここ以外の世界からの転生者であること、そのことを「観察者」から説明されたことを順を追って説明した。
ローリエは黙っている。無言で先をうながしているのか、単に言葉を失っているのか、ちょっと判断に迷う。固まっちゃってるようにも見えるからな。
「『観察者』がそのほかにぼく自身について説明してくれたことがある。ぼくが入りこんだこのアンリという子がもともとは英雄となるべき存在で、それにふさわしい素質と能力を持って生まれてきていたこと、それをぼくのせいで台無しにしてしまったこと、そして、素質と能力が台無しにされても英雄となる運命には変わりがないことをね」
「ごめん、ひとつだけ。最後の意味がよくわからない」
「ぼくのせいで、この身体は英雄にふさわしい力を発揮できない。でも、英雄召喚の儀が行われれば、そんなことはおかまいなしに、ぼくは英雄として特定される。そういうこと」
ローリエはうなずいて見せた。理解したように見えるが、どうなんだろう? まあいいや。それは気にしないと決めたんだ。
「力の足りないぼくが英雄にされてしまったら、ぼくにとっても、ぼくのまわりにとっても、それからたぶん世界にとっても不幸なことだ。だからぼくは、英雄召喚の儀が行われないようにしよう、と決めた。歴史の流れを止めて、英雄が必要になる時期を先のばしにできれば、英雄にならなくてすむからね」
「二年前のことも、そういうことなの?」
「ローリエは直接巻きこんじゃったからその質問には答えるよ。あの件が女王国の責任ということになってギエルダニアとドルニエの関係が深まれば、女王国やアッピアとの均衡が崩れるかもしれない。それは、歴史が進むってことだ。ぼくは、それを止めようとしたんだ」
ローリエは考えこんでいる。そうだろうな。自分のしたことの意味を初めて知ってしまったんだから。
「アンリ、とりあえずここまではわかったよ。それで……」
「うそ、わかったの!?」
「もしかしてきみ、わかるように説明するつもりなかったの!?」
「いや、わからないか、信用しないかのどっちかだと……」
「それ無責任じゃないかなっ!?」
「つまりアンリは、英雄に指名されて自分のまわりの世界がメチャメチャになるのがイヤなんだね?」
「いや、みょうにカッコよくまとめてくれたのは嬉しいんだけど、ぼくは自分が英雄になってあっさり死ぬのがいちばん怖いんだよ。でなきゃ、自分を消滅させて終わりにするさ」
ぼくのやろうとしていることを美しく表現しちゃダメだ。ぼくはクズなんだから。
「以上で、説明終わり。信用してほしくて話すのでも、理解してもらうために話すのでもないって最初に言ったよね? ぼくはローリエに大きな借りがある。だから兄様や姉様も知らないこの話をきみにしたんだ」
「そう……だったね。でも、もうひとつだけ聞かせてくれないかい? リエラさんは、二年前にアンリが話してくれるのを待て、ってぼくに言ったんだ。リエラさん自身のこともね。彼女はその、きみの家族にも知らせていない話を知ってるってこと? もちろん、アメリさんも知ってるんだよね?」
ほんとうは、ローリエにはこれ以上この話を続けてほしくない。でないと、思わずわかってほしくなってしまうかもしれない。でも、自分ではじめた話はちゃんと終わらせないと。
「知ってる。リエラさんは、ぼくと行動をともにするために知る必要があったから。アメリは、ぼくがさっき話したことを決めたときに相談してた師匠同然の人の……弟子なんだ。その人が、カルターノではアメリを頼れ、と紹介してくれた。当然事情は知ってる」
ビットーリオの話はしなくていいよな? ローリエも面識ないし、話したくないし。
「ほんとうにここまでにしようよ、ローリエ。こんな話で借りが返せたとは思わないけど、これ以上は枝葉の部分できみが知らなくてもいいことだし、たぶん知らない方がいいんだと思う」
「どうしてそう思うの?」
「ぼくは他人を利用しながら、自分と自分のまわりの小さな世界を守るために、これからも身勝手にあちこちで同じようなことをしていくんだよ。そんなのに巻きこまれちゃダメだ。きみは王道を歩いて行くべき人間だよ」
「勝手に決めないでよ! ぼくの生き方はぼくが決めるよ!」
ああ、まずい。ローリエがどんどん女の子に見えてくる。
「でも、ローリエはもうすでにたくさんのものを背負っちゃってるじゃないか。これから先に巻きこまれるってことは、そういうものを捨てればいいってだけじゃない。場合によっては泥をかけたり、なにかの囮にしたりしなきゃいけないかもしれないんだよ」
「それは……」
「しかも、ぼくの守る世界の中は特別あつかいだ。伯爵領や兄様たちに迷惑をかけるつもりは一切ない。ひどい話だよね」
さすがにローリエも黙り込んでしまった。
「ぼくはさ、生き方を決めたときに人間のクズになることをいとわない、って決めたんだ。いまはまだためらいもあったりするけど、そのうちそれもなくなる。こんな人間に関わっちゃダメだよ」
「わかったよ、アンリ。もうここまでにする。でも、今日はつきあってくれるんだろ? パフェだって、改めておごってくれるはずだよね?」
ローリエはニッコリと笑ってそう言った。これだけ乱暴に心のドアを閉めて見せたのに、まだぼくを気遣ってくれている。くそっ……!
「もちろん。約束だしね」
「じゃ、そろそろ出ようか? もうお昼の時間だよ。なにをごちそうになろうかな」
「昼もぼく?」
「当然!」
ぼくたちはなにもなかったように店を出た。そして、なにもなかったように昼食を食べ、なにもなかったように午後を過ごした。もちろんパフェもおごったよ? そして、夕方になってなにもなかったように握手して別れた。
アウグスト様の屋敷の前でローリエと別れたあと、フラフラと街を歩いていたぼくを、リュミエラが呼び止めた。
「あ、リュミエラ、どうしてここに?」
「アウグスト様の屋敷の前でお見かけしたので」
たぶんウソだ。その前から見ていたに違いない。ぼくが普通の状態なら気づかないはずはないから、ぼくになにがあったかもうすうすわかっているに違いない。二年前に、ローリエに「話を聞け」と言ったのはリュミエラなのだから。
「ローリエと話をしたんだ」
「そうでしたか」
やはり驚かない。なら結果もわかっているだろう。
「彼女を傷つけちゃった。あんな言い方しなくてもよかったのに」
リュミエラは無言でぼくの横に立った。
「でもさ、そのあともずっと笑ってくれたんだ。握手して別れるまで笑ってた。そんなローリエを傷つけちゃったよ」
それでもリュミエラはなにも言わなかったが、ぼくの頭をそっとなでてくれた。ほんの一度か二度、カトリーヌ姉様に甘えたとき、やはり姉様はこんなふうに、黙って頭をなでてくれたっけ。
突然、涙があふれてきた。実質三十過ぎの自分に、泣くような繊細さが残っていたことに驚いたが、涙はまったく止まらずに流れ続けた。リュミエラはやはりなにも言わず、手布を出して涙をときおりぬぐってくれた。
ぼくは、自分自身から剥がして取り去ってしまったものが、自分で思っていたよりもずっと重かったことに今さらながら気づいた。
明日からはまたちゃんとしなきゃいけない。いつまでもメソメソしているヒマなんかぼくにはない。すべて吹っ切るために、今日だけはリュミエラに甘えさせてもらおう。
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