89 / 218
第八十八話
両親や極めて問題のある兄、そしてアルフォンスのような、子供の頃のそれこそ自分が覚えていないことまで知っている人びとがいる場所では、さすがに奈々実と同衾はできない。しかしあのぷにぷにした身体を抱き枕にして眠る心地よさに慣れてきている昨今では、一人寝はなんだか寂しい。
十歳になる前にはもうアルヴィーン留学に旅立ったセヴランは、生家や自分の部屋にさして執着が無い。旅の寝袋や留学先の寄宿舎、軍の官舎。そういう寝床に慣れた身体は、生家の自分の部屋よりも奈々実そのものが、安眠の必須アイテムになってしまったらしい。
疲れているはずなのに、昨夜はなんだか眠りが浅くて、それに今朝はなにか、家の外に大勢の人の気配がする。まだ暗いというのに目が覚めてしまったセヴランのことをまるで見ていたかのように、ドアが控えめにノックされた。
「セヴラン様、起きておられますか?」
アルフォンスの声だ。返事をすると静かにドアが開いて、小さな手燭を持ったアルフォンスが音もさせずに入ってきた。
「外が騒がしいようだが」
「はい。夜が明ける前から、門前に人が並んでおります」
「並んでいる・・・とは?」
アルフォンスも戸惑っているようだった。群衆が無秩序に押し寄せてきた、という状況なら、当主であるフェザンディエ伯爵やエルネストに報告するのだが、そういった緊急性や異常性は感じられず、伯爵もエルネストも目覚めた様子が無い。外の気配も、近所に迷惑にならないように極力静かに、しかしなにか高揚するものを抑えきれないといった雰囲気で、例えていうならマルシェで何かめずらしい物が売り出される情報があったので、早く手に入れたい人々がオープン前から並んで待っているような、そんな感じだ。
「何故にこんな早朝から大勢並んでいるのかと、問い質してまいりましょうか?」
セヴランはすばやく考える。下働きの男を行かせるか、アルフォンスを行かせるか・・・、下働きの男では、用件を聞いた後の判断ができなくて、結局、セヴランかアルフォンスが再度判断や指示を出さねばならないだろう。
「すまないが、頼む」
「かしこまりました」
東の空は白みかけているが、起床にはまだ、早い。セヴランはアルフォンスが戻って来るのを待った。
アルフォンスはすぐに戻って来た。手燭に浮かぶ顔の表情が、緊急事態ではないが珍妙な事態であることを雄弁に物語っている。
「どうした?」
「セヴラン様・・・、昨日、エルネスト様が何か・・・、人々の耳目を集めるようなことをされましたか?」
「・・・あれか」
間違いない。昨日の夕方以降、街はその話題でもちきりになったはずだ。
「列の先頭にいたのは、子供たちでした。リシャール殿下、エルネスト様の次、三番目に空を飛ぶんだと、興奮しきりで・・・、ただ、セヴラン様にだったら三番目をお譲りしますと、たいへん礼儀正しく・・・」
ジョスラン達だな、とすぐにわかった。エルネストのフライング・ソーサーに乗せてもらいたい、空を飛んでみたい。それで人々が殺到しているというわけか。
「空を飛ぶ、とは、いったいなんですか?」
「お前自身で体験してみればいいだろう。兄上を叩き起こして、行列に対応しろと言ってやれ。俺はナナミの様子を見に行く」
そう言って部屋を出ようとしたセヴランを、アルフォンスは身体で遮る。
「アルフォンス?」
「苟もフェザンディエ伯爵家の御子息ともあろうお方がこのような朝まだきに年端もゆかぬ少女の部屋に忍び入るなどという不埒な真似を許すほど、このアルフォンスは衰えてはおりませんぞ。セヴラン様」
かつてはあのレオポルドと鎬を削り、豪傑と呼ばれたアルフォンスである。セヴランは苦笑して、すっかり冷えてしまった寝床に戻った。
十歳になる前にはもうアルヴィーン留学に旅立ったセヴランは、生家や自分の部屋にさして執着が無い。旅の寝袋や留学先の寄宿舎、軍の官舎。そういう寝床に慣れた身体は、生家の自分の部屋よりも奈々実そのものが、安眠の必須アイテムになってしまったらしい。
疲れているはずなのに、昨夜はなんだか眠りが浅くて、それに今朝はなにか、家の外に大勢の人の気配がする。まだ暗いというのに目が覚めてしまったセヴランのことをまるで見ていたかのように、ドアが控えめにノックされた。
「セヴラン様、起きておられますか?」
アルフォンスの声だ。返事をすると静かにドアが開いて、小さな手燭を持ったアルフォンスが音もさせずに入ってきた。
「外が騒がしいようだが」
「はい。夜が明ける前から、門前に人が並んでおります」
「並んでいる・・・とは?」
アルフォンスも戸惑っているようだった。群衆が無秩序に押し寄せてきた、という状況なら、当主であるフェザンディエ伯爵やエルネストに報告するのだが、そういった緊急性や異常性は感じられず、伯爵もエルネストも目覚めた様子が無い。外の気配も、近所に迷惑にならないように極力静かに、しかしなにか高揚するものを抑えきれないといった雰囲気で、例えていうならマルシェで何かめずらしい物が売り出される情報があったので、早く手に入れたい人々がオープン前から並んで待っているような、そんな感じだ。
「何故にこんな早朝から大勢並んでいるのかと、問い質してまいりましょうか?」
セヴランはすばやく考える。下働きの男を行かせるか、アルフォンスを行かせるか・・・、下働きの男では、用件を聞いた後の判断ができなくて、結局、セヴランかアルフォンスが再度判断や指示を出さねばならないだろう。
「すまないが、頼む」
「かしこまりました」
東の空は白みかけているが、起床にはまだ、早い。セヴランはアルフォンスが戻って来るのを待った。
アルフォンスはすぐに戻って来た。手燭に浮かぶ顔の表情が、緊急事態ではないが珍妙な事態であることを雄弁に物語っている。
「どうした?」
「セヴラン様・・・、昨日、エルネスト様が何か・・・、人々の耳目を集めるようなことをされましたか?」
「・・・あれか」
間違いない。昨日の夕方以降、街はその話題でもちきりになったはずだ。
「列の先頭にいたのは、子供たちでした。リシャール殿下、エルネスト様の次、三番目に空を飛ぶんだと、興奮しきりで・・・、ただ、セヴラン様にだったら三番目をお譲りしますと、たいへん礼儀正しく・・・」
ジョスラン達だな、とすぐにわかった。エルネストのフライング・ソーサーに乗せてもらいたい、空を飛んでみたい。それで人々が殺到しているというわけか。
「空を飛ぶ、とは、いったいなんですか?」
「お前自身で体験してみればいいだろう。兄上を叩き起こして、行列に対応しろと言ってやれ。俺はナナミの様子を見に行く」
そう言って部屋を出ようとしたセヴランを、アルフォンスは身体で遮る。
「アルフォンス?」
「苟もフェザンディエ伯爵家の御子息ともあろうお方がこのような朝まだきに年端もゆかぬ少女の部屋に忍び入るなどという不埒な真似を許すほど、このアルフォンスは衰えてはおりませんぞ。セヴラン様」
かつてはあのレオポルドと鎬を削り、豪傑と呼ばれたアルフォンスである。セヴランは苦笑して、すっかり冷えてしまった寝床に戻った。
あなたにおすすめの小説
生徒会の期間限定雑用係 ~庶民の私が王子に囮役としてスカウトされたら、学園の事件に巻き込まれました~
piyo
恋愛
平凡な庶民の少女クィアシーナは、フォボロス学園への転校初日、いきなりこの国の第二王子にして生徒会長ダンテに目をつけられる。
彼が求めたのは、生徒会での“囮役”。
学園で起きているある事件のためだった。
褒美につられて引き受けたものの、
小さないやがらせから王位継承問題まで巻き込まれていき――。
鋭すぎるツッコミを武器に、美形の生徒会の仲間たちと奮闘する庶民女子。
これは、無自覚な恋を抱えながら学園の事件に首を突っ込んでいく少女の物語。
※全128話
前半ラブコメ、後半第二章以降シリアスの三部構成です。
※「私にキスしたのは誰ですか?」と同じ世界感ですが、単品で読めます。
※アルファポリス先行で他サイトにも掲載中
想定外の異世界トリップ。希望先とは違いますが…
宵森みなと
恋愛
異世界へと導かれた美咲は、運命に翻弄されながらも、力強く自分の道を歩き始める。
いつか、異世界にと想像していた世界とはジャンル違いで、美咲にとっては苦手なファンタジー系。
しかも、女性が少なく、結婚相手は5人以上と恋愛初心者にはハードな世界。
だが、偶然のようでいて、どこか必然のような出会いから、ともに過ごす日々のなかで芽生える絆と、ゆっくりと積み重ねられていく感情。
不器用に愛し、愛する人に理解されず、傷ついた時、女神の神殿で見つけた、もう一つの居場所。
差し出された優しさと、新たな想いに触れながら、
彼女は“自分のための人生”を選び初める。
これは、一人の女性が異世界で出逢い、傷つき、そして強くなって“本当の愛”を重ねていく物語です。
召喚聖女に嫌われた召喚娘
ざっく
恋愛
闇に引きずり込まれてやってきた異世界。しかし、一緒に来た見覚えのない女の子が聖女だと言われ、亜優は放置される。それに文句を言えば、聖女に悲しげにされて、その場の全員に嫌われてしまう。
どうにか、仕事を探し出したものの、聖女に嫌われた娘として、亜優は魔物が闊歩するという森に捨てられてしまった。そこで出会った人に助けられて、亜優は安全な場所に帰る。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
落ちて拾われて売られて買われた私
ざっく
恋愛
この世界に来た日のことは、もうあまり覚えていない。ある日突然、知らない場所にいて、拾われて売られて遊女になった。そんな私を望んでくれた人がいた。勇者だと讃えられている彼が、私の特殊能力を見初め、身請けしてくれることになった。
最終的には溺愛になる予定です。
気がつけば異世界
蝋梅
恋愛
芹沢 ゆら(27)は、いつものように事務仕事を終え帰宅してみれば、母に小さい段ボールの箱を渡される。
それは、つい最近亡くなった骨董屋を営んでいた叔父からの品だった。
その段ボールから最後に取り出した小さなオルゴールの箱の中には指輪が1つ。やっと合う小指にはめてみたら、部屋にいたはずが円柱のてっぺんにいた。
これは現実なのだろうか?
私は、まだ事の重大さに気づいていなかった。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!