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第百九話
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「わたし、アンリ様と一緒にアルヴィーンに行きます!」
アンリが遣アルヴィーン使に任命される件を聞いて、唐突に江里香が言い出した。突然の江里香の申し出に、誰よりも驚いたのはもちろん奈々実だ。
「え、江里香ちゃん?」
あくまで噂にしかすぎないけれど、アルヴィーンのイングリッド王女は死にかけていた黒髪の異世界人の女性を保護していて、その存在に強い執着があるのだという。黒髪の女性というのが日本人なのか他のアジア系なのかラテン系なのか黒人なのか、或いは奈々実達とは全く違う『異世界』から来た人なのか、わからない。それでも自分が行って黒髪の自分の姿を見てもらって、もう一人黒髪の奈々実って子がいることも説明する、と江里香は言うのである。
「リュドミラさんの話だと、イングリッド王女様は黒髪の異世界人を大切にしてらっしゃるんでしょう? わたしと奈々実ちゃんもそうですって、わたし達がいるベルチノアをシエストレムから守ってくださいって、わたしがイングリッド王女様に言いに行きます」
江里香がその決意をするに至った経緯を、奈々実は知らない。江里香も、奈々実には言えない。膨大な魔力があるのにちょっとしか使えない奈々実を見ていると苛々するから、奈々実の側にいると奈々実のことを妬んだり僻んだりしてしまいそうだから、奈々実を憎んでしまうかもしれないから、奈々実の側にいたくない、なんて、イネスにもクロエにも、誰にも言えない。リゼットにだったら、言えるかもしれないし、わかってもらえるかもしれないけれど。
魔力がある女性は、奴隷商人などに捕まって売られたりする危険が高いので、旅をするのは難しい。大切に保護するから自国のために魔力を有効活用してほしい、という国家の在り方は、見方を変えればシエストレムのやり方と大差無いんじゃないかと、江里香は思った。ほとんどの国は魔力がある女性には出国自体を許さない。ベルチノアも例外ではないので、奈々実がアルヴィーンに行くことはできない。
魔力が無くても江里香のように容貌が整っていれば、不埒な輩に目を付けられる可能性はゼロではない。そうした可能性に言及する時、誰もが奥歯に物が挟まったようになってしまうのは不可抗力だ。奈々実もハラハラした。継父による性的虐待のトラウマを抱える江里香は、そうした危険性をはっきり指摘しても傷つくかもしれないし、それとなく仄めかしても傷つくかもしれなくて、そしてイネスやセヴラン達は、江里香のそういう事情を知らない。案の定、体力が無いから無理だとかこの世界についてまだ知らないことが多いから無理だとか、遠回しな言い方での制止に、江里香は次第に苛立ちの様相を見せ、どんどんとそれを顕わにしていった。道中は男の恰好をして、少年従者のふりをして行けばいい、自分の痩せて丸みの無い身体、絶壁の胸なら、少年に化けるのは可能だとむきになって言い張る。それでも渋るアンリやイネスに、業を煮やした江里香は厨房へ駆け込み、包丁をひっつかんだ。
「きゃあっ!」
「エリカ、やめろ!」
「男に見えればいいんでしょっ!」
言うなり江里香は自分の長い三つ編みを根本から包丁で無理矢理に切り落とした。包丁の先端が首に少し当たり、出血した。奈々実は肝が冷えたが、江里香はそんなことはどうでもよかった。包丁なのでバラバラに切れ、落ち武者のようになった髪の中で涙をぼろぼろと零しながら、江里香は叫ぶ。
「女でいたって、いいことなんかないの! 酷いことされて、恥ずかしいことされて、情けなくて、死にたくても死ねなかった! 女の身体なんか、いらない!」
継父から性的虐待をされていたのだと苦しげにうちあけた、あの夜の江里香を、奈々実は思い出す。鶏ガラのように痩せた身体は、そのつらさのあまり、女として成熟することを拒絶していたからだった。自分のようにのんべんだらりと『デブ活』していた人生からは想像もつかない。
アンリが遣アルヴィーン使に任命される件を聞いて、唐突に江里香が言い出した。突然の江里香の申し出に、誰よりも驚いたのはもちろん奈々実だ。
「え、江里香ちゃん?」
あくまで噂にしかすぎないけれど、アルヴィーンのイングリッド王女は死にかけていた黒髪の異世界人の女性を保護していて、その存在に強い執着があるのだという。黒髪の女性というのが日本人なのか他のアジア系なのかラテン系なのか黒人なのか、或いは奈々実達とは全く違う『異世界』から来た人なのか、わからない。それでも自分が行って黒髪の自分の姿を見てもらって、もう一人黒髪の奈々実って子がいることも説明する、と江里香は言うのである。
「リュドミラさんの話だと、イングリッド王女様は黒髪の異世界人を大切にしてらっしゃるんでしょう? わたしと奈々実ちゃんもそうですって、わたし達がいるベルチノアをシエストレムから守ってくださいって、わたしがイングリッド王女様に言いに行きます」
江里香がその決意をするに至った経緯を、奈々実は知らない。江里香も、奈々実には言えない。膨大な魔力があるのにちょっとしか使えない奈々実を見ていると苛々するから、奈々実の側にいると奈々実のことを妬んだり僻んだりしてしまいそうだから、奈々実を憎んでしまうかもしれないから、奈々実の側にいたくない、なんて、イネスにもクロエにも、誰にも言えない。リゼットにだったら、言えるかもしれないし、わかってもらえるかもしれないけれど。
魔力がある女性は、奴隷商人などに捕まって売られたりする危険が高いので、旅をするのは難しい。大切に保護するから自国のために魔力を有効活用してほしい、という国家の在り方は、見方を変えればシエストレムのやり方と大差無いんじゃないかと、江里香は思った。ほとんどの国は魔力がある女性には出国自体を許さない。ベルチノアも例外ではないので、奈々実がアルヴィーンに行くことはできない。
魔力が無くても江里香のように容貌が整っていれば、不埒な輩に目を付けられる可能性はゼロではない。そうした可能性に言及する時、誰もが奥歯に物が挟まったようになってしまうのは不可抗力だ。奈々実もハラハラした。継父による性的虐待のトラウマを抱える江里香は、そうした危険性をはっきり指摘しても傷つくかもしれないし、それとなく仄めかしても傷つくかもしれなくて、そしてイネスやセヴラン達は、江里香のそういう事情を知らない。案の定、体力が無いから無理だとかこの世界についてまだ知らないことが多いから無理だとか、遠回しな言い方での制止に、江里香は次第に苛立ちの様相を見せ、どんどんとそれを顕わにしていった。道中は男の恰好をして、少年従者のふりをして行けばいい、自分の痩せて丸みの無い身体、絶壁の胸なら、少年に化けるのは可能だとむきになって言い張る。それでも渋るアンリやイネスに、業を煮やした江里香は厨房へ駆け込み、包丁をひっつかんだ。
「きゃあっ!」
「エリカ、やめろ!」
「男に見えればいいんでしょっ!」
言うなり江里香は自分の長い三つ編みを根本から包丁で無理矢理に切り落とした。包丁の先端が首に少し当たり、出血した。奈々実は肝が冷えたが、江里香はそんなことはどうでもよかった。包丁なのでバラバラに切れ、落ち武者のようになった髪の中で涙をぼろぼろと零しながら、江里香は叫ぶ。
「女でいたって、いいことなんかないの! 酷いことされて、恥ずかしいことされて、情けなくて、死にたくても死ねなかった! 女の身体なんか、いらない!」
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