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4話 作業標準書

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 俺はやっと手に入れた固有スキル【作業標準書】で何を作ろうか悩んでいた。
 作業標準書とは標準作業が書いてある書類のことだ。
 標準作業とは決められた作業の事であり、この作業以外を異常作業と定義している。
 異常作業は本来やってはいけない作業であり、作業者は作業標準書に書いてある標準作業のみを行うとされているのだ。
 それをパソコンが普及する前は全て手書きで作成していた。
 図解や写真もあるのだが、昔は実際の写真を貼っていたのだ。

 工場であれば、材料を機械にセットするやり方だったり、部品の組付け方法だったりという内容になるのだが、残念ながらここはファンタジー世界だ。
 冒険者ギルドらしく、剣での戦い方や、斧の使い方、槍の使い方っていうのもよいが、魔法の使い方も捨てがたい。
 だが、そんな物を作ったとして、誰が使うというのだ。
 適性があればそんなものはいらないだろう。
 適性の無いものが魔法を使えるわけもない。
 剣士のジョブがある冒険者に、弓の作業標準書は必要なのだろうか?
 俺をこの世界に転生させた神は、何をさせたいというのだろう。

「ヘルプ機能も見つからないし、とにかく使ってみるしかないか」

 異世界転生にありがちな、ヘルプ機能も見当たらないので諦めた。
 俺は作業標準書を作るべく、まずはギルド長のところに向かった。
 彼は若いころは迷宮に潜っていた冒険者なのだ。
 ジョブは剣士だったと聞いている。
 剣士の作業標準書を作るところからはじめよう。

「おや、アルトどうかしたかい?」

 俺が執務室に入ると、ギルド長は自分の机に座って、書類に目を通していた。
 冒険者の引退後、彼はギルドの職員として働き始めたが、その事務能力がみとめられ、ついにはギルド長まで出世したのだ。
 役職に依存しないその卓越した能力は、誰もが認めるところであった。
 そんな彼は、俺が部屋に入るとそう聞いてきたのだ。

「実は自分のスキルの事でお願いがありまして」
「なんだい?」
「固有スキルを取得できたのですが、そのスキルは作業を誰でもできるようにする能力だと思うのです」
?」

 ギルド長が首を捻る。
 俺だって自分のスキルを使ったことがないので、これが初めてなのだ。
 そのことを伝えて、ギルド長の剣士の経験を教えて欲しいと頼んだ。

「そんなスキルがあったとはね。いいだろう。それが本当に可能であれば、レベルに依存しない冒険ができるようになるからね。ギルドが買い取る素材も大幅に増えるだろう」

 手始めにショートソードの使い方の説明をお願いした。
 そして、ギルド長の説明は実にわかりやすかった。
 上段からの振り下ろし、刺突に横薙ぎ等様々な状況に応じたショートソードの使い方を、初心者でもわかるように話してくれる。
 さらに、作業標準書を作るうえで重要な、品質の急所と急所の理由をこちらがお願いしなくても、きちんと説明してくれるのだ。
 俺の【作業標準書】スキルは、発動するとギルド長の説明を自動で白紙に記入してく。
 白紙というのは語弊があるな。
 作業標準書のフォーマットが出来ており、そこに自動筆記されていくのだ。
 しかも、写真を貼り付ける場所には、ギルド長が見せてくれた動きが絵として描かれる。
 こんな便利なスキルは、前世でほしかったぞ。
 ちょっと気になるのは、言語が日本語であるということだな。
 流石に1ページに全て記述するわけにはいかず、作業標準書が膨大な枚数に膨れ上がる。
 これを全部読み込むのは骨が折れるな。
 だが、これこそが剣士としてのノウハウの固まりであり、これを全て覚えることで画一的な動きができる様になるのだ。
 取り敢えず今日のところはショートソードだけにしておこう。

「ありがとうございました」

 俺は頭を下げた。

「お役に立てたかい?」

「はい。おかげさまでとても良いものが出来上がりました」

 お礼を言って部屋から出た。
 早速この作業標準書を使用してみたいところだが、今は仕事中なので諦めよう。
 まあ、俺の仕事なんて、誰かが失敗しなければ発生しないので、それまで暇を持て余してはいるんだけどね。
 その日はそわそわしながら終業時間を待った。

 ゴーン、ゴーン、ゴーン

 時の鐘が迷宮都市に鳴り響く。
 これで今日の仕事は終わりだ。
 俺は急いでデボネアさんの鍛冶屋へと走った。
 店に入るなり、俺は大きな声で、

「デボネアさん、ショートソードを売って下さい」

 と、閉店準備をしていたデボネアさんに話しかける。

「はぁ?」

 俺の言ったことにデボネアさんが目を丸くした。
 彼も俺のジョブが品質管理であることを知っている。
 俺がショートソードを買う意味がわからないのだ。

「そうか、わかった」

「わかってくれましたか」

 デボネアさんはうんうんと頷いて、ショートソードをいくつか持ってきてくれた。
 それをカウンターの上に並べる。

「どれがいい」

「うーん、買ったことが無いので、どういう基準で選べばいいのかがわかりませんね」

「そうか、こいつなんかどうじゃ」

 そういってショートソードの中でもやや大きめの物を差し出してきた。

「他のよりもちょっと大きいですね」

「ショートソードからロングソードに変更するか迷っている冒険者向けだのう」

「扱えますかね」

「女の子でも問題はないじゃろ」

 女の子でも問題ないとは、男女共同参画社会に対する敵対的な発言だな。
 この文明レベルにジェンダーフリーとか通じなさそうなので、今はその話は置いておこう。

「じゃあこれにします。おいくらでしょうか」

「そうじゃな、この前仕事を紹介してくれたから、特別に銀貨5枚でええわい」

「ありがとうございます、じゃあこれで」

 俺はカウンターに銀貨を置いた。
 デボネアさんがニヤリと笑う。

「告白が上手くいく事を祈っとるぞ」

 俺はその言葉は理解できずに固まった。
 告白?
 何を言っているのだろうか。

「デボネアさん、告白ってなんですか?」

「はぁ?お前さん、そのショートソードをスターレットの嬢ちゃんにプレゼントするんじゃないのか」

「何でそうなるんですか!」

 デボネアさんの勘違いにも程がある。
 どうして俺がショートソードを買いに来たのが、スターレットへのプレゼントとなるのだ。

「お前さんはショートソードを使いこなせるスキルはないじゃろ。てっきり相談に乗ってやったスターレットへ告白するんじゃと思っとったわい」

「話が飛躍しすぎですよ」

「なに、スターレットの嬢ちゃんがいつもここに来る度に、お前さんの事を褒めていたので、満更でもないのかと思っていたわ」

 なんとそんな事があったのか。
 褒めるなら俺本人を褒めてくれ。
 恥ずかしいけど……

 こうして俺はショートソードを手に入れて、自室で作業標準書を見ながらそれを振るうのであった。
 中々様になていると自分では思うのだが、どうだろうか?
 翌日、相談者も来ないので、冒険者ギルドの訓練場で引き続きショートソードの標準作業を行う。
 相手がいないのが残念だな。
 どれくらい強くなったのかが全くわからない。
 いきなり迷宮に潜って死ぬのもいやだし、街で誰かに喧嘩を売るというのもDQNみたいなので却下だ。
 どうしたものかと考えていたら、そこにスターレットがやってきた。

「丁度いいかな」

 まったく適性のない俺が、スターレットと模擬戦をやってどこまで通用するのかを試してみようと思った。
 スターレットも自主トレのため、ここに来たというので、模擬戦を承諾してくれる。
 本物の剣を持って戦うと危ないので、木剣での模擬戦だ。
 木剣でも当たり所が悪ければ死ぬって宮本さんが言ってたけどね。

「手加減できなかったらごめんね」

 スターレットが剣を構えてそういう。
 視線はまっすぐにこちらを見ていた。
 そうか、こんな感じか。
 対人戦初体験でちょっと興奮してきた。

「死んでも、恨んだりしませんから大丈夫ですよ。スタートの合図はそちらで出してください」

 俺も構える。
 彼我の距離は5メートルくらい。
 結構近くに感じる。

「わかったわ。じゃあはじめるわよ」

 スターレットが踏み込んでくる。
 だが、それが目で追えるくらいには俺は強くなっていた。
 ここからは作業標準書どおりに動くだけだ。
 足を動かすと土埃が舞った。
 次の瞬間、俺の木剣がスターレットの喉元に触れる寸前で止められていた。

「っ!!」

 そこで動きを止めるスターレット。
 すごく悔しそうな顔をしているのは、適性のない俺に負けたからだろうか。

「もう一回いい?」

「いいよ」

 その後も何度か模擬戦を繰り返したが、結果は全て俺の圧勝だった。
 涙目のスターレットが俺の顔の前にずいっと顔を寄せる。
 鼻と鼻がぶつかりそうだ。

「どうしてよ」

「何が?」

「アルトは適性が無いはずなのに、どうしてあんなに素早く正確に動けるのよ」

 【作業標準書】の事は隠すほどでもないか。
 俺は作業標準書をスターレットにも見えるように出現させた。

「これは作業標準書といって、標準作業……」

 とここまで言って説明に困る。
 標準作業をどうやって伝えたらいいだろうか。

「んー、ベテランの体の動きを書いた説明書なんだ。この通りに動けば、誰でもベテランと同じ事ができるんだよ」

「随分と絵が精巧に描かれているのね。それに書いてある文字が読めないわ。どこの国の言葉なの?」

 スターレットは写真を知らないし、日本語も読めなかった。
 なんか前世の外国人労働者を思い出すな。
 流石に写真は知っているけど。
 問題は日本語だ。
 簡単な会話程度しか出来ない外国人労働者による不良はかなりの発生率を占めていた。
 対策書では母国語の作業標準書の作成となるのだが、会社内の帳票に水平展開となると、それはもう事実上不可能である。
 そんな経験を思い出させてくれるな。
 あれ、そうすると、このスキルって日本語が読めないと効果を発揮しないのかな?

「もう一回だけ勝負してもらえるかな?」

 今度は俺からスターレットにお願いした。
 仮説が正しければ、スターレットは今回も俺に勝てないはずだ。
 結果は――

「スキルの効果はスターレットには無かったか」

「ううっ、そんな便利なスキルがあったら冒険も楽になったのに」

 片膝をつくスターレット。

「こんなところで仕事中にデートとはいい身分ね」

 そこにシルビアがやってきた。
 相変わらず嫌味を言われる。
 すると、いままで項垂れていたスターレットが、すっと立ち上がってシルビアを睨み付ける。

「ここでアルトに訓練をつけてもらっていたんです」

 それを聞いてシルビアが鼻で笑う。

「はんっ、そんな適性が無い奴に訓練を受けるなんてどうかしているんじゃないの?それなら素振りしていたほうがまだましだわ」

「そんな事ない!アルトはあんたなんかよりも強いんだから」

「こいつが?」

「そうよ。あんたなんて逆立ちしたって勝てっこないんだから」

 その言葉でシルビアの目がすっと細くなった。
 これは完全に切れてますね。
 怖い……

「そこまで言うなら勝負よ。アルトが勝ったらなんでもいう事を聞いてあげるわ。だけど、負けたら冒険者ギルドから出ていきなさいよね」

 え、俺そんなリスキーな勝負受けなきゃならないの?

「大丈夫よ。さっきの動きならこんな女あっという間に倒せるから。万が一負けたらずっと私が養うから」

 スターレットさんからのまさかのヒモにしてあげる発言。
 これなら負けてもいいかも。
 寧ろ、負けたらヒモ生活だ。
 いや、わざと負けるような事はしたくないけど。

 そんな流れでシルビアと向かい合って立っている。
 彼我の距離は3メートル。
 こんなに近いと一瞬で勝負が決まる。

「そっちが先に動いていいわよ。それが開始の合図。流石にそれくらいのハンデはくれてあげる」

 既にシルビアは構えていた。
 先に動いていいと言われたが、それってハンデなのか?
 シルビアは元銀等級の剣士だぞ。
 どう考えても勝てる要素がない気がする。
 そんな時、ギルド長が教えてくれた動作を思い出した。

『いいかい、これはフェイントといってね。ある程度の実力を持った相手は、こちらの筋肉の動きで次の動作を予測するんだが、それを逆手に取るやり方だよ』

 そう、フェイントである。
 相手は俺を嘗め切っているから、フェイントはかなり有効だろうな。
 多分素直な動きしかしないと高を括っているんだろうから。
 囮の動作をシルビアに見せつける。
 案の定のってきた。
 左胴を庇う動作に入ったので、右側ががら空きだ。
 そこに狙いすまして一撃を決める。
 シルビアに当たると鈍い音がして、木剣の動きがとまった。
 一瞬の事で、シルビアは事態が飲み込めずに呆然としている。

「あ、当たった!?」

 スターレットの声ではっと我に返る。

「そんな、あんなフェイントに引っ掛かるなんて……」

 木剣の当たった場所を擦りながら、こちらを睨む。

「どうしてあんたにあんな事ができるのよ!!」

「標準作業だから」

「意味がわからないわ」

 一気に間合いを詰められ、胸倉をつかまれる。
 暴力反対……

「だから言ったでしょ。アルトはあんたなんかよりも強いんだから」

「納得いかないわ」

「そんな我儘だめよ。約束通りいう事を聞いてもらおうじゃない。ねえアルト」

 そうか、そんな約束あったな。

「これから一週間語尾に『にゃん』をつけてもらおうか」

 そう言ったら、更に締めあげられる。
 そこでスターレットが止めに入ってくれて、やっとシルビアが離れた。
 俺はシルビアを馬鹿にしたような目で見た。

「さて、返事は?」

「わ、わかったわよ」

「にゃんが付いてない!」

「わかったにゃん」

 シルビアは顔を真っ赤にして下を向いた。
 その後一週間語尾ににゃんをつけて喋るシルビアを見た人達は、変わった趣味の彼氏が出来たのだと噂をしていた。
 その噂が耳に入るたびに、心が痛かったです。
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