好きな人の好きな人を好きな人

村井なお

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第四章

42. こちらこそよろしくね、環くん

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 翌金曜日。
 僕は、とある覚悟を決めて文芸部の部室へと向かった。

「ひぇ」

 ドアを開けた瞬間、せっかくの気合いは雲散霧消した。

 目の前で、いつかの光景が再演されている。
 二度と見たくなかった凄惨な事件現場。

 西町さんが、学ランを羽織り、袖を口許に当てている。

「西町さん、二度目はレッド、退場だよ。いや一回目でもダメだけど」

「大丈夫。女子高生がやったら純愛だよ」

 部室に先輩たちはいない。当たり前だけど。
 ただ、机の上にはノートと筆記用具が広げられている。
 二人とも席を外しているだけのようだ。

「今日のわたしは一味違うよ。環くん、見てて。わたしの不退転の決意を」

 おまけとばかりに学ランを羽織ったまま自分を抱きしめ、西町さんは「よし」と力強く頷いた。

「よくない。退いてよ。何てもの見せるの」

「ヒロインは冒険するものだから」

 そそくさと学ランを脱ぐ西町さん。

「あ、二人とも来てたんだ!」

 ちょうどそこに、くらら先輩が戻ってきた。

「英梨ちゃん、その学ランって怜ちゃんの?」

「はい。椅子から落ちちゃってて。ちょっと埃が付いていたので払ってました」

 しれっとそう言ってのける西町さん。
 そそくさと椅子に学ランを掛け直す。

 危うすぎる。
 タッチの差で助かったけど、部室が本当に凄惨な事件現場になるところだった。

「留守にしててごめんね。ちょっと図書室に行ってて」

「怜先輩は一緒じゃなかったんですか?」

 西町さんの質問に、くらら先輩は一瞬だけピクリと動きを止めた。

「……うん。いまはお手洗い。すぐ戻ってくるよ」

 うわ。
 たったこれだけのやり取りで、空気が凍る。

「お、久しぶりに部員全員揃ったな」

 と、帰ってきたお父さん、いや怜先輩が嬉しそうに微笑む。

 しかし空気は元に戻らない。
 それは無理。

 なぜならば。

「怜先輩」

 もう、西町さんは仕掛ける体勢に入っているからだ。

 くらら先輩が目を見開き、口をぽかんと開ける。
 西町さんは先手を取った。

 もう止められない。
 普通の手段では、止められない。

「わたし、」

「西町さん、好きです。僕と付き合ってください!」

 声を張り上げる。

 僕の方へと振り向いた西町さんが、パクパクと口を動かす。
 声にならない声。
 でも、何と言っているかはわかる。

 なんで?

 だってもう西町さんは、普通の手段では止められないから。
 こうするしかないんだよ。

 僕には選択肢が三つあった。

 まず一つ目。何もしない。
 これはダメだ。
 西町さんは怜先輩にフラれ、文芸部に来なくなる。
 今のままではいられない。

 二つ目。くらら先輩に告白する。
 当然ダメ。
 僕はフラれるし、その後西町さんも怜先輩にフラれておしまい。
 僕も西町さんも文芸部にはもういられない。

 三つ目。西町さんに告白する。
 これしかない。
 我ながら何がどうしてこうなったかわからないけれど、これしかない。

 この場合、西町さんの選択肢は二つ。

 その一。『他に好きな人がいるので』と断る。
 これを選ばれると困る。
 その後西町さんが怜先輩に告白する流れになるから。

 何が恐ろしいかといえば、この選択肢を選ばれる可能性が非常に高いことだ。
 以前イオンのミスドで、西町さんは『わたしに告白して』と言った。
 そうしたら『他に好きな人がいるので』と、怜先輩の前で断ると。

 今のシチュエーションは、あのときの冗談そのままだ。
 そして僕が冗談だと思っていても、西町さんがそうは思っていない可能性がある。
 強すぎる。

 兎にも角にも、西町さんには選択肢その二を選んでもらわないといけない。

「こないだ言ってたよね。『しばらくは誰とも付き合う気がない』って。今もそうかも知れないけど、考えてみてほしいんだ」

 これしかない。
 西町さんにはそう言ってもらうしかない。

「東京が懐かしいってよく言ってるけど、文芸部は西町さんにとってもう居場所じゃないの? 浜松にいるのは高校の三年間だけっていうけど、三年は短くないよ。もっと、今居る場所を大事にしてほしいんだ」

 だから、言って!
 『誰とも付き合う気がない』って、言ってくれ!

 僕は主人公じゃない。
 現状をよしとせず、調和を乱すのを恐れない、そんな主人公にはなれない。

 僕は、今を、今の居場所を大事にしたい。
 調和を大事にしたい。

 西町さん。

 ヒロインじゃなくていいじゃない。
 ヒロインにならなくたっていいじゃない。

 孤高なんてやめよう。
 高嶺の花なんてやめよう。

 ヒロインみたいではあっても、普通の人でいいじゃないか。

「……どうかな?」

 西町さんは、じっと僕を見ている。
 最初は口をパクパクとさせていただけれと、途中からはまんじりともせず僕を見据えている。

 ぎゅっと唇を結ぶ、その顔に浮かぶ感情を敢えて言い表すなら。
 それは、怒りだった。

 数秒か、数十秒か。
 しばらくの沈黙の後、西町さんは目を閉じ、溜め込んでいた息を吐いた。

 そして満面の笑みを浮かべた。

「喜んで。こちらこそよろしくね、環くん」

「はい?」

 どうして、こうなった。

 突然、僕たちは拍手に包まれた。
 くらら先輩が、怜先輩が、満面の笑顔で僕たちを祝福する。

「おめでとー! よかったね。前から二人は仲よしだなあと思ってたんだ!」

「やったな、環。格好よかったぞ」

「いやー、いいもの見させてもらったら。ひゅーひゅー」

「たまきちー、何だよ、いつの間にそんなことになってたんだ。言えよ、水臭いなあ」

 何だ今の声。
 二人分多くない?

 振り返ると、部室の外、開けっ放しのドアの向こうに麻利衣と満がいた。

「何でいるの!」

「やー、怜先輩に会いたくて来てみたら、これだもんで。たまきち、やるじゃん。早速皆に言いふらさんと」

「明日の壁新聞、今から記事差し替えないと。僕、もう行くね!」

 そう言い残し、麻利衣と満は走り去っていった。

 ドアの脇に立っていた怜先輩が、「まさかだったなあ」と笑いながら自分の席に着く。

「あのね、怜ちゃん」

 くらら先輩が、隣の席から怜先輩に呼びかける。

 ん?
 この流れ、まずくない?

 ちょっと待って。
 文芸部四人のうち二人がくっついたら、残り二人もくっつくに決まってる!

 しかも今なんかおめでたい雰囲気できあがってるし。
 告白するなら今かな、なんてくらら先輩の背中押しちゃってるじゃん!
 どうしてくれんの、西町さん!

「くらら」

 怜先輩が、静かな声で彼女を呼ぶ。

「かたちから始まる物語もあれば、かたちのない物語もある。僕らの物語は、このままでも続いていく。焦ることはないさ」

 語りかけられたくらら先輩の、引きつっていた表情が綻んでいく。

「……そうだよね」

 朗らかな笑みを浮かべ、くらら先輩が幸福な声で応える。

 怜先輩は頷いて応じた後、僕の方に顔を向けた。
 そして優しい笑みとともにウインクをくれた。

 もしかして。
 もしかしてだけど。
 怜先輩はすべてお見通し、なんですか?

 僕らがドタバタしていても、いつも一人のほほんとしている怜先輩。
 世俗の諍いなど我関せず、ずっと何も気づいていないのかと思っていたけれど。

 実は、何もかもわかった上で、僕たちを踊らせていたのかもしれない。
 何のためか。

 それは、人間観察のため。
 人生経験のため。
 小説に書くために。

 そんな恐ろしい想像を働かせているところ、不意に肩を叩かれた。
 思わずビクリと反応し、振り返る。

 そこには、人工的な笑顔を貼り付けた西町さんの顔があった。

「この後、みずべね」

 僕だけに聞こえる抑えた声で、西町さんはそう告げた。
 音量は抑えられていたけれど、感情は抑えられていない声だった。

 『ヤキを入れてやるから首を洗って来い』。
 言外に、西町さんはそう言っていた。

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