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12、秘めた想い――後悔
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研次と春香が連れ立って病院を出た丁度その頃、葉菜は透の病室の前に立っていた。
この病院の面会終了時間は八時。まだ少し時間がある。
葉菜は腕時計を一瞥し、目の前のドアをノックして開けた。
「こんにちは、透さん!」
「やぁ、葉菜ちゃん。」
透はベッドの上でボーッとしていたようだ。
葉菜を見るとベッド脇のボタンを押して、ベッドごと起き上がった。
「ちょっと近くまで来たんですよ。これチーズケーキです。冷蔵庫入れますね。」
「あぁ、ありがとう。いつも悪いね。」
「いえ。」
照れくさそうに笑い、傍にあった椅子に腰かける。
そっと透の顔を覗き見ると、透は窓の外を見ていた。
こちらを見ていない事をいい事に、葉菜は思う存分盗み見した。
高校の頃から、いや厳密に言うと幼稚園の頃にはもう透の事が好きだった。初恋というやつだ。
それでも透にとって自分は、妹の友達としてしか思われていないとわかっていた。
歳も離れているし、何より透はこんな姿になってしまった事できっと色んな事を諦めているのだろう。
恋愛も結婚も仕事も……
十年前に大怪我をして入院した当初は、会社の方も決まっていた課長のポストを空けて待っていたようだったが、治る見込みが難しいと知ると早々に依願退職の催促にやってきた。
表面上は丁寧な言葉の羅列だったが、透の胸には一生忘れる事の出来ない思いが刻まれただろう。
「本当は春香も誘おうと思ったんですけど、携帯繋がらなくて。あの子、今日は早番だって言ってたのに…」
「そうか。まぁ、あいつも色々と忙しいんだろう。」
窓から視線を外し、苦笑気味にそう言う。
葉菜は悪戯っぽい目で透を見返した。
「最近ツレないんですよ。メールの返事も遅いし。彼氏でもできたんじゃないですか?」
「え!」
思わず葉菜の顔を凝視する。
その途端、葉菜のニヤリとした顔に直面し、『しまった…』と思ったがもう遅かった。
「やっぱり心配なんだ。可愛いですもんね、春香。」
「いや…俺は別に……」
「またまたぁ~、いいですよ。隠さなくても。春香はいいなぁ、ちっちゃくて可愛くてこんな素敵なお兄さんまでいて。」
「葉菜ちゃんの方が可愛いと思うよ。春香はガキっぽいだけだ。」
透の口から『可愛い』と言われ、思わず赤面する。
『妹の友達』としての顔が剥がれそうになって、慌てていつも通りの対応をした。
「やだなぁ、透さんってば!本当の事言わないでよ、もう!」
透の肩をバシッと叩く。
思いの外強かったみたいで、透は『いてて…』と呟いた。
一方透はといえば、少なからず『妹の友達』以上の感情を葉菜に対して抱いていた。
しかしこんな姿になった自分に一体何ができるのだろう。
リハビリは一生懸命やっているが、怪我して十年。一向に良くならない。
その上子どもの頃から弱かった肺の方も最近思わしくない。その為、リハビリも無理できないのだ。
こんな男と一緒になったって葉菜が幸せになれるはずがない。ずっとそう思ってきたから、敢えて自分の感情は葉菜には見せまいとブレーキをかけている。
早く好きな人を見つけ、幸せになって欲しい。妹の春香以上に葉菜の幸せを願っているのだ。
何より自分の気持ちに嘘はつきたくないから叶わないと知りつつも想い続ける葉菜と、誰よりも愛する人の幸せを願うあまり自分の想いを隠す透。
二人の秘めた想いは夏の夕暮れ時の淡い蜃気楼のように、切なく煌めいていたのだった……
―――
「はぁ~……」
春香は一人暮らしの部屋に帰り着くと、着替えもせずにベッドに寝転がった。
スプリングの効いたベッドが弾んで、それと一緒に自分の心も一瞬弾んだ。
「福島さん…困ってたなぁ…」
天井をぼんやり見上げながら呟いた。
あの時の研次の顔を思い出すと、自然に涙が出てくる。
春香はもう一度ため息を吐くと起き上がった。
「今日の事は全部酔ったからって事にして忘れちゃおうかな……」
自嘲気味にそう言うと、クローゼットを開けて部屋着に着替え始めた。
―――
公園の中は夜という事もあり、人気はなくしんと静まり返っていた。
研次は春香と別れた後、当てもなくブラブラと歩き、この公園に辿り着いた。
公園の中をぐるりと見回し、手近にあったブランコに座った。
「はぁ~……」
先程の事を思い出してはついため息が出てしまう。
ポケットを探ってついさっきコンビニで買ったばかりの煙草を取り出した。
一緒に買ったライターで火を点け、肺いっぱいに吸い込んだ。
実はこの十年、煙草は一切吸わなかった。しかし今夜は何故か久しぶりに吸いたい気分になったのだ。
研次は煙草をくわえながら空を見上げた。
月の光も星の輝きも、何もない夜だった。
ふと東京での出来事を闇の中に思い浮かべてしまい、研次は思わず立ち上がっていた。しかしその幻はすぐに消え、辺りはまた元の静寂に戻った。
気を取り直してブランコに座るが、手元の煙草をもう一度吸う気にはなれずに足元に投げ捨てて勢いよく踏んだ。
「戻りたくない、あそこには……」
小さな声でそう呟くと、両手で頭を抱え蹲った。
腕の隙間からは泣き声とも呻き声ともつかない声が、闇夜を震わせていた……
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