悲隠島の真実

りん

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エピソード2:吊るされた男

毒の行方

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 陽子は小さい頃から可愛くて、叔母としてそれはそれはもう目に入れても痛くない程に可愛がっていた。結婚する前は毎日のようにプレゼントを持って家に訪ねたし、結婚後も新居に招待してはパーティーをしてあげた。夫も陽子を気に入って良く面倒を見てくれた。しかしそれも陽子が高校生になるまでの事だった。

 元々可愛かった陽子は綺麗な美少女に成長した。艶々のロングな髪の毛、整った眉毛、大きな瞳、すっと通った鼻筋、ピンク色の小さな唇。小さい顔にすらりとした体型。おまけに性格も良く、明るく笑顔が似合う女の子だった。そんな陽子に夫がふらりと心を奪われるのは時間の問題だった。

 夫は元から女好きで、会社の女性社員やキャバクラの女達に手を出しては別れてを繰り返していた。私達夫婦には子どもが出来なかったのに人妻を身籠らせた挙げ句、裁判になった事もあった。自分が醜いから、不妊なのは自分が悪いから、そう言い聞かせて我慢していたのに陽子にまで手を出そうとした事を知った時、心の底から憎悪が込み上げてきた。

『高校生の分際でキャバクラで働いてるくせに人の旦那にまで手を出すなんて!』

 そう言い放った私の顔は、陽子の目にどう映っていただろう。秘密にしてと頼まれていた事を大声で夫の前で言ったからか大きな目を更に大きくさせて、そして次の瞬間には涙が溜まっていった。

 そう、私は全て知っていた。陽子が占いのサイトにハマって多額の請求をされている事、そのお金を払う為にキャバクラで年齢を偽って働いている事。
 もちろんすぐにキャバクラは辞めるように言った。お金はなんとかするからと。でも陽子は首を振り、迷惑はかけられないからと泣いた。私はただ、声を押し殺して泣く陽子の肩を抱く事しか出来なかった……

 あの人……陽子の母親に知られたら陽子だけじゃなく知ってて黙っていた自分にまで火の粉がかかる。私はそれが怖かった。だから陽子を心配するフリをして、内心はほっと胸を撫で下ろしていたのだ。

 だけどあの日、夫が陽子に手を出そうとしたと知った時、私の中に燻っていた何かが爆発した。

『この……泥棒猫!!』

 そう言って手を振りかざした瞬間、取り返しのつかない事をしたと後悔した……



―――

「紅茶とチョコやビスケットに毒が仕込まれていたなら他の食べ物にも仕込まれているかも知れない!俺はもう何も食べないぞ!」
「でもあと6日もここにいなきゃいけないのよ?飲まず食わずで殺される前に餓死しちゃうかもよ?」
「だけどさ……」
 新谷さんが白藤さんに言われて言葉に詰まる。

「大丈夫です。紅茶やお菓子は元々この屋敷に置いてあったものでしたが、食材は私が持ってきたものです。まさか私が皆さんを皆殺しにするとでも?」
「誰もそう思っていませんよ、諏訪さん。もし貴女が犯人なら最初の夜の晩餐で事を済ませていたはず。それに早乙女さんが毒殺されてしまった以上、皆さんが口にする物に敏感になるのも当然。そうなれば食事を管理している諏訪さんがまず疑われる。そんな馬鹿な事はしませんよね。」
 坂井さんがそう言うと星見さんがホッと息をついた。新谷さんが渋々と言った感じで頷く。
「まぁ、確かにそうだな。」
「じゃあ少し遅くなりましたが昼食の準備をするのでお待ち下さい。」
 星美さんがエプロンを翻しながら厨房に入ると、途端に静けさがその場を支配した。

 それぞれ自分の席に座りながら他の人達の事を窺っている。この中に犯人がいるのか、それともどこかに隠れているのか。共犯者がいるんじゃないか。次は誰がどうやって殺されるのか……

『皆さん、早乙女さんが殺されてしまいましたね。毒殺という事でさぞ苦しかった事でしょう。さて、この場にいる人達が全員同じ物を食べたにも関わらず彼女だけが死んだ事について、先程みたいに皆さんで推理し合って下さい。』

 天井の声が無情に響く。僕達は溜め息をつきながら顔を見合わせた。

「仕方がない。今回もわしが進行するとするか。さぁ、意見がある人は自由に発言してくれ。」
 相原さんが面倒くさそうに言う。それに対して坂井さんが咳払いを一つして背もたれから体を離した。

「あの……一つ仮説があるんですけど。」
「何ですかな?」
「早乙女さんだけがチョコレートを食べませんでしたよね?もしかしたら毒は全員が飲んでいたんじゃないでしょうか。」
「何ですって!?」
 白藤さんが飛び上がる。僕もつられて飛び上がりそうになった。全員が飲んだって……?まさか紅茶に毒が?

「全員の紅茶に毒が入っていたんですよ。」
「で、でも誰も何ともないですよ?」
「ええ。ですからチョコレートだったんです。」
「どういう事ですか?」
 僕が聞き返すと坂井さんは僕の目を見ながら言った。
「チョコに解毒剤が混ざっていたんです。あの時全員がチョコを食べた。早乙女さん以外はね。」
「だから毒を飲んでも大丈夫だったという事か。犯人も大胆な事をする。」
 植本さんが呆れたように頭を振る。すると新谷さんが突然ぶるぶると体を震わせた。

「じゃ、じゃあもしチョコを食べなかったら死んでいたって事か?」
「そうなっていたでしょうな。でもいかにもセットという風に紅茶の脇にチョコレートが置かれていれば自然と手を伸ばす。人間とはそういうものだ。だから犯人はわかっていたんだ。チョコレートが苦手な早乙女さん以外の人はちゃんと解毒剤を口にすると。」
「相原さんはいつも冷静ですね。僕でさえまかり間違えば死んでいたかも知れないと内心怯えているのに。」
 冷静な相原さんを揶揄するようにそう発言する服部さん。相原さんは服部さんをちらっと見るとすぐに目を逸らした。

「私も自分で考えた時、寒気がしました。知らずに毒を飲まされていた事もそうだし、チョコをもし食べていなかったらと思うと本当にゾッとする。でもこれしか考えられないのも事実です。」
「星美さんが言っていましたね。紅茶は元々この屋敷にあったと。犯人が前もって混入させていたって事ですね?」
「そうなりますね。」
 僕が聞くと坂井さんは頷いた。僕は深い溜め息を一つつくと、椅子の背もたれに体重を預けた。

 本当に一歩間違えていたら早乙女さんのように死んでいた。その事実が今更ながら押し寄せてきて、手が震えてきているのを感じていた。
 犯人は僕達の趣味嗜好を知っている。知っていてそれを利用して殺人を犯しているのだ。一人目は焼死、もしくは撲殺か刺殺。二人目は毒殺。次はどんな手でくるのだろう?そして本当に順番通りに殺されていくのだろうか?どんどん震えが止まらなくなる手をギュッと握った。

「ところで植本さん。さっき言いかけてましたよね?この中に知っている人がいるって。」
「あぁ。いますよ。しかしこの中にはいない。」
 大和刑事が植本さんを見ながら言うと、植本さんは首を振った。『え?』と何人かの口から声が漏れる。植本さんは骨ばった拳をテーブルに置きながら言い放った。

「今回来られなかった、皇勇雄さんです。」


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