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混乱の尾張
龍と虎の激突 後編
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武田軍、海津城
「信玄様、まだ動かないのですか?」
「うむ。やはり相手があの越後の龍だからな。慎重過ぎる程慎重になってしまっているのかも知れん。そうだ、勘助。お前がよい案を考えてくれ。」
「え?わたしがですか?」
突然話を振られた武田家の家臣、山本勘助は驚いて目を丸くした。
「あぁ。よろしく頼む。」
「わ、わかりました。他の者とも相談して決めます。」
「よし。」
信玄は軽く頷くと、さっさと自分の部屋に戻っていった。
「信玄様も緊張しておられるのだな。甲斐の虎も怯む程、上杉謙信という人は大物だという事か……」
勘助は信玄の後ろ姿を見つめながらそう呟いた。
―――
上杉軍、妻女山
「殿。まだ夜明け前ですが、今動く意味はあるのでしょうか?」
甘粕景持は前を歩く謙信に向かって小声で言った。
「武田軍はきっとこの妻女山に別働隊を向けてくる。もしかしたら今にも後ろの夜闇から襲い掛かってくるかも知れない。」
「え……?」
「まぁ、それは冗談だが。しかし間違いなくこちらに向けて進軍してきているはずだ。奴らの計画ではまず、別働隊に我々を麓の八幡原に追いやらせ、そこで本隊が待ち伏せするという、いわゆる『キツツキ戦法』を実行するつもりだ。」
「キツツキ戦法……」
景持はそう呟いて後ろを振り返った。
謙信は川から戻ると僅かな仮眠をとっただけですぐに身仕度をして、まだ眠っている家臣達を叩き起こした。そして全員に山を下りる事を伝えたのだった。
あの時『残留思念の分析』という力を使って謙信が視たもの。
それが先程謙信が言った、山本勘助ら武田家臣が考えた『キツツキ戦法』の全容だったという訳だった。
「下りて八幡原に着く頃には朝日が昇るだろう。そこに陣取っている武田の本隊はさぞ驚く事だろうし、山を登ってきた別働隊ももぬけの殻の頂上の様子に肝を冷やすだろうな。」
「なるほど。さすが謙信様ですね!」
「喜んでいる場合ではないぞ、景持。お前にはこの辺りに残ってもらって別働隊が下りてきた時の為に備えて欲しい。」
「殿を務めよ、という事ですね。」
「あぁ。頼めるか?」
「もちろんです!絶対に食い止めてみせます!」
景持はそう言って深く頭を下げた。
「わたしもすぐに片をつけて駆けつけますので。どうかご無事でいて下さい。」
「わかっている。」
謙信は微笑むと、景持軍を残して山を下りていった。
―――
武田軍本隊、八幡原
「ど、どういう事だ!これは……」
信玄は目の前の光景に唖然とした。
夜明け前に八幡原に布陣した武田の本隊は朝日が昇って漂っていた霧が晴れた瞬間、目の前に上杉軍が立っていたのを見て慌てた。そして家来の一人が信玄に事の次第を報せに来た、という事だった。
しかも鉢合わせたからには仕方がないとばかりに既に戦は始まっていて、それを見た信玄はいつもの冷静さを欠いていた。
「……いいか。絶対に退くな、一人でも多くの首を取れ。そう伝えよ。」
「はい!」
信玄はそう言うと陣の中に戻って行った。
「謙信が能力者だという噂は聞いた事があったが、きっとその力でわしらの作戦を知ったのだな。まったく……やってくれるわ。」
吐き捨てるように言うと、どっかりと座って脇に置いてあった軍配を手に取った。
「でも妻女山にやった別働隊がこの騒ぎに気づいて下りてくるだろうし、そうなれば俄然こちらが優勢になるだろう。別に慌てる事はない。」
そう自分に言い聞かせていた時、先程の家来が戻ってきた。いやに取り乱している。信玄は立ち上がった。
「どうした?」
「馬に乗って頭に白手拭を巻いた者がこちらに向かってきます!早くお逃げ下さい、ここは私が……」
「……ふん、そうか。そういう事か。」
「え?」
「お前は戻れ。その者とはわしが相手する。」
「えっ!?で、でも……」
「長年に渡る戦いの決着は我々だけの舞台で、と言われても納得はいかんだろうがな。いいか?絶対にここへは誰も近づけるな。わかったら早く行け!」
「は、はい!」
鬼の形相で睨まれたその家来は青くなりながら戦場へと戻った。
「待っておるぞ、越後の龍。」
一方、謙信は馬に乗って武田の本陣を目指して走っていた。
「待ってろよ、甲斐の虎よ。」
かなりの距離を走ってきたにも関わらず一つも息を乱していない謙信は、見えてきた武田の本陣を確認するとにやりと笑う。そしてそのままの勢いで陣の中に突進した。
「やっと来たか。待ちくたびれたぞ。」
そこには軍配を扇子代わりにして扇いでいる信玄がいた。
「ここで会ったが百年目。とはよく言ったものだな。そなたが武田信玄か。」
「貴様が上杉謙信だな。何年も戦をしていてお互いこれが初対面とは笑える話よの。しかし初めて会った気がせんのは不思議だがな。」
「確かに。」
「それにしても軍神と名高い謙信公が、まさか卑怯な真似をするとはな。」
「力の事か。それはすまない事をしたと思っている。しかしこちらも黙って攻められる訳にもいかないのでな。」
「まぁ、それもそうだな。」
信玄が苦笑すると、謙信も口端を上げて笑う。しかしすぐに真顔に戻ると馬に乗ったまま腰に差していた剣を抜いた。
「無駄話はここで終わりだ。武田信玄!いざ、勝負!」
謙信が大きく腕を振り上げたその瞬間だった。軍配が信玄の手から離れてその剣を止めた。
「なっ……!今のは『念力』か!?」
「左様。自分だけ能力を隠しているのは不公平だからな。」
信玄はそう言いながら軍配を自分の手に引き戻した。それはまるで磁石が付いているかの様で、謙信は目をしばたたかせた。
「それはそうと、謙信公。物は相談だがな。ここは一つ、取り引きをせぬか。」
「取り引き……?」
「今川を破った憎き織田信長。そなたも気になっておるのだろう?」
「まぁ……しかし…」
「決着をつけたい気持ちは痛いほどわかる。わしとて同じ思いだからな。だが逆に言ってしまえばいつでも勝負しようと思えば出来る、とも言えるのではないかと思うのだ。」
「言っている意味が……わからぬ。」
「つまりここは手を組んで信長を倒そうという事だ。他の武将にも報せて尾張を周りから攻める。そうだな、名付けて『信長包囲網』。」
「信長包囲網……」
謙信は力なくそう呟くと、そっと馬の首に凭れかかった。
「だが今すぐには攻めない。まだ若輩の者を袋叩きにして喜ぶ趣味はないからな。もっと成長して我々の相手に相応しい武将になったら、その時は全力で潰してみせよう。どうだ?協力してくれる気になったか?」
信玄が振り向くと、既に意識が朦朧としている謙信がいた。
「おっと!これは力をかけ過ぎた。失礼。」
信玄はおもむろに謙信に近づくと額に手を当てた。
「楽になったか?」
「あぁ……今のも『念力』の仕業か。」
「人間の心をも操る。天がわしに与えた素晴らしい力さ。」
「なるほど。その力でここまでのしあがってきたという訳か。」
謙信は苦笑しながら背筋を伸ばした。
「その話、しばし考えさせてくれ。」
「わかった。但し、そう猶予はないぞ。」
「あぁ。」
「話が長くなり過ぎたな。家来達が不信に思う前にそなたは逃げよ。わしが上手く言っておく。」
「かたじけない。では失礼する。」
馬に強く鞭を打つと、謙信はすばやく陣を去っていった。
「これでよし。信長には徳川がついておるし、美濃くらいはくれてやる。……面白くなってきたの。」
そう言うと、信玄はくつくつと気味の悪い笑い声を上げた。
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