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第一章 葉月瑠衣

Episode06

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(16.)
 周囲の注目を浴びながら、僕は普段から座っている席に腰を降ろしていた。
 チャイムと同時に入ることになったため、結局雪見先生と一緒に教室に入ることになってしまった。
 そのおかげで、大まかな説明を雪見先生がみんなに伝えてくれた。
 それを聞いて唖然とするクラスメート一同のなか、隣の席に座る宮下みやしただけオーバーリアクションかと言いたくなる勢いで席から立ち上がった。

「嘘だろおまえ!? こんなチンチクリンなのが、あの杉井だぁ!? おまっ、名前に合わせて性転換するなよ! 身体に合わせて名前変えるだろ普通」

 あれ、まえにもおんなじ問答があった気がする。

「これからは杉井じゃなく“豊花ちゃん”って呼ぶからな?」
「いや、杉井のままでいいから。ちゃんも付けんでいい。だいたい、名前に合わせて性転換するなんて普通ありえないからね?」
「おまえがやりやがったんだろ」

 僕の一番仲の良いといえる友人が、この“宮下賢司みやしたけんじ”だという時点でわかると思う。
 友達と呼べる絶対数が極端に少ないことが。

「はいはい、宮下くん、静かにしましょうね~」

 雪見先生が叱ると、宮下は渋々と声のトーンを落とし椅子に着いた。
 最初こそ、誰だ誰だといった好奇な視線に曝されたものの、僕が豊花だとわかると、それは別種のものに……驚きといった表情に皆変わっていく。

「そ、それにしたってよ。おい杉井、いや、豊花ちゃんか。本当に異能力者になったのか?」
「宮下の耳や眼が正常なら、雪見先生の言ったとおりかな」
「ちっ……せっかくいろいろと考えていたのに」
「え、考えてた?」

 いろいろ考えていたって?
 なんだろう、女になったらパァになる考えとは……。
 雪見先生が教室から出るのを見計らい、宮下は会話をつづけた。

「まさか女になっちまうなんて思わねーだろ普通」
「ちょっと待って、なにを考えていたの?」

 宮下は声を小さくして返事をしてきた。

「いや、その。ほら、おまえ赤羽(あかばね)のこと好きなのに、赤羽のやつ唐突に彼氏つくっただろ?」

 うぐっ……裕璃関係の話だった……やぶ蛇だ。

「そうだけど、べつにもういいよ」
「よかねーだろ? アイツの付き合ってる彼氏、単にヤりたいだけのヤリチン野郎で普段から何股もかけてるって話だぜ?」
「えーーそれ本当?」

 薄々気づいていたけど、やっぱりろくでもない人間じゃないか、金沢先輩ってひと。

「だから、とっとと略奪しちまえーーって言うつもりだったのにこれだよ」
「略奪……」

 なんだろう?
 もしも今、裕璃の気持ちが変わってくれたとしても、それはなんだか違う気がする。
 もう僕が好きだった裕璃じゃなく、別の存在に生まれ変わってしまったような……そういう謎の気持ちに押しやられていく。

「まあ、もう過ぎた話だよ。それに今朝、ケンカみたいになっちゃったから、どちらにしても遅いかな」
「あーあー、こーんな女々しい姿に変貌しやがって。うーん……」
「な、なに?」

 まさか宮下に身体を凝視されるとは思わず、ついついテンパってしまう。

「いやーーやっぱり杉井じゃなくて豊花ちゃんだよな? その見た目だと、どうしたって年下にしか映らないし、いくら中身が男だからって、女の身体には目がいっちまうしな」
「え……ちょっ、僕は豊花だよ? いや、杉井って言ったほうがいいかな? とりあえず、せめて宮下だけは変な目で見ないでほしいんだけど」

 そう。
 さっきから妙に視線を買ってしまっているのだ。
 それも、男女問わず……。
 男子が向けてくる視線は、おそらく奇異なものを見たいといった好奇心か、ロリコンからの熱い眼差しくらいだろう。
 しかし、それに反して女子は、なにやらみんな複雑な表情を浮かべているのだ。
 なんだろう……もしかして、女体化ではなく異能力者に対する感情なんかが渦巻いているのかもしれない。





(17.)
 ようやく午前の授業が終わり、自分のせいで摩訶不思議な空気が漂ってしまった教室から抜け出すことができる。
 昼休みーーそういえば、普段なら裕璃が来て一緒に昼食をとろうと誘ってくるタイミングだ。

「あ、あのさ、一緒に食べない? ゆたーー」
「杉井、一緒にどう?」

 まさしく裕璃が後ろから話しかけてきたーーと思ったら、真横から颯爽と葉月が現れ、裕璃の言葉を遮った。

「は、葉月さん?」
「だから葉月でいいって。というか、ごめん、すぐに新しい呼び方に変えてもらうことになっちゃう。うん。まあ、そんなことより一緒にお昼食べよう。べつにいいでしょ?」

 葉月は裕璃を気にせず声をかけてくる。

「え、あ、いや、うん。一緒していいなら、ぜひ」

 元から友人が少ないのが祟り、クラスメートからは未だになにも声をかけられていなかった。
 これじゃ、裕璃以外の女子と仲良くなるという目標が遠ざかっているじゃないかーーそう思っていたタイミングだったため、裕璃以外の女子に当てはまる葉月からの誘いは、むしろありがたかった。
 というより、なんだか嬉しいと思える。

「じゃあ、ちょっとだけ付き合ってくれない? 一年の教室で食べるからさ」
「……え、一年の教室?」
「そう、妹がいるって教えたでしょ?」

 そういえば、そんなことも言っていたような気がする。
 だからといって、一年生に混じって違和感はないだろうか?
 ……いや、むしろ今の姿じゃ、まだ一年のほうが違和感は少ない気がしてきた。

「わかった、行くよ。で、何組なの?」

 弁当を持ちながら席を立つ。

「1年B組よ。さっ、はやく行きましょ」

 ふと、葉月の視線が裕璃へと移った気がした。
 裕璃を見ながら、口角をほんの少し上げたーーような錯覚がした。
 教室から出るとき、振り返って裕璃の様子を見てみた。

 ……なんだよ、その顔。
 裕璃にはもう、彼氏がいるだろう?
 裕璃は、なにか大切な物を取り上げられてしまったような表情で葉月のことをジッと見ていた。





(18.)
 葉月は一年の教室の中に、なにも躊躇わずに足を踏み入れる。

「はいはい、今日もお邪魔するわよ」

 本当にいつも来ているらしい。
 葉月は言いながら、教室の中へ平然とした態度で入っていく。
 そんな葉月に対して周りも慣れているらしく、だれも動じていない。

「し、失礼します」

 葉月につづき、僕もぼそぼそっと呟きながら教室に入った。 
 しかし、やはり私服だからか、幼いのがいけないのかーー何人かは僕を見ながらひそひそ話をはじめている。

「杉井、こっち」

 手招きされた席には、机の上に手を伸ばし、うつ伏せのまま寝ている女子生徒の姿がある。
 葉月はその頭を手のひらで叩いた。

「いたいっ? ……あれ、姉さん?」
「あれ、姉さんーーじゃないでしょ、もう昼休みなのよ、わかってるの? まさか授業中ずっと寝てたわけじゃないでしょうね? ほら、お弁当持ってきたからさっさと食べましょ?」

 ーー凄い。非常に似ている。
 見た目だけなら葉月とそっくりの存在が、そこには座っていた。
 座っている妹らしき人物は、右の揉み上げだけリボンを巻いるから見分けることはできる。
 しかし、それすらも取ってしまったら、おそらく外見では判断できない。
 双子なのかと言いたくなるほど似ているのだ。  

「そいつ、だれ?」

 こっちを指差すと、妹さんは眠そうな顔で言う。

「その他人に対する口の悪さ、いい加減どうにかしなさい。ほら、たとえばそのお方だとか、せめてそのひとくらいに」
「姉さんも、だよ。で、だれ?」
「……あんたと同じよ。ようやく仲間ができたんだから喜びなさい。名前は杉井豊花、私と同級生。つまり、あなたの先輩にあたるんだからね」

 ……瓜二つなのはどうやら見た目だけらしい。
 外見以外は、似ているどころか真逆とさえいえるかもしれない。
 葉月は明るくハキハキものを言うタイプだけど、妹のほうは常に怠そうな雰囲気を醸し出し、喋るのすら億劫だとでも言いたげだ。

「ちょっといい? 葉月……」
「うん?」「ん……?」

 まさかのダブル葉月。
 そうだった。どっちも葉月じゃん。

「そうそうこれよこれ。こうなるから、杉井には呼び方を変えてもらうって言ったのよ。これからは私のことは瑠璃って呼んで。これは瑠衣るいね?」

 瑠璃は『これ』と言いながら妹の襟首を掴み上げる。
 妹ーー瑠衣は特に逆らわず、されるがままだ。

「ええっと、呼んでもいいなら、そうするけど……」

 いきなりファーストネームで呼ぶのって、なんだか気恥ずかしい。
 僕の場合、裕璃ぐらいしか呼んだ試しがないし……。

「べつになにも気にならないから呼んじゃって。なんならこれからは豊花って呼ぶことにするから、よろしくね。瑠衣もそう呼びなさいよ? 豊花先輩、みたいに」

 瑠璃はそう言いながら、瑠衣の座る机の周りに椅子を二つ引き摺り寄せた。
 その片方に腰かけると、僕にも座るように促してくる。
 なんだか、瑠璃に豊花と呼ばれるとムズムズする。なんでだろう。

「で、さっき言いかけてたのはなに?」
「え」
「なんか聞きたかったんじゃないの?」

 そういえばそうだった。
 ある点が気になって声をかけたのに、ダブル葉月のせいで頭からいったん吹っ飛んでしまったようだ。

「いや、さっき瑠衣に向かって“あんたと同じ”とかって言ってたけど、あれってどういう意味なのかなって」
「ああ、言ってなかったっけ? それはね、この子、あなたと同じなのよ。異能力者」
「え!? 僕と同じ異能力者!?」

 この学校にもひとりだけいると聞かされていたけど、瑠璃の妹が異能力者だったの!?

「えっと、僕みたいな能力?」
「いや、さすがにそれはないから。そんな能力、私、担当したことも見たこともないから。豊花は身体干渉の異能力者でしょ? 瑠衣は物質干渉に属される異能力者でーー」
「ねえ、豊花、って名前のヤツ、聞いてもいい?」

 瑠璃の言葉をいきなり瑠衣が遮り、ワンピースの袖を引っ張った。

「な、なにかな?」

 ていうか呼び捨て……先輩どころか『ヤツ』扱いとは。

「どうして、僕? 僕っ娘、目指すの? 見てて痛い、恥ずかしいよ? はやく、やめたほうがいい」
「……へ?」

 いきなり瑠衣に、『僕』という自称が否定されてしまった。

「瑠衣、あのね、豊花はこれでも男でーー」
「うそ、女にもいないくらい、女の子の顔してる。でも、しゃべり方、変。僕っ娘に、なろうって、必死にキャラづくりしてるみたいで、みてると、いたいたしく、なるよ?」

 瑠衣から地味にチクチクする突っ込みが入った。
 あれ、意外に痛いぞ、これ?
 案外、心は痛みやすいんだよ?
 それに第一、しゃべり方が変なのはそっちだろう。

「いや、本当に元は男なんだ。能力が、女の子に変身して元に戻らない、ってものだからこの姿なんだよ」
「瑠衣? 豊花は私が異能力特殊捜査官としての立場からしっかりチェックしてるのよ? オーラ視でオーラの有無はもちろん見たし霊視つかって幽体の姿だってちゃんと見た。一通り、神経・精神・身体・人格なんかも異変がないか確認したの、わかる? あんた、私の実力が信じられないっていうつもり?」
「信じる信じる、姉さんサイコ、こわい」

 さ、サイコ?

「サイコなのはあんたでしょーが! あんたがあんなことをしなければ、私だって毎日見張りのようなことするために来ていないの、わかる?」

 え、あんなことをしなければ?
 おそらく異能力関係だろうけど……そういえば。

「はづーー瑠璃、ちょっと聞いていい?」
「だいたいあんたはねぇーーん、なに?」
「気になったんだけど、瑠衣……ちゃん? の異能力がなんなのか、聞いてもいいかな?」

 なんだか直接聞くのは気まずい気がした。
 しかし、異能力の内容を聞けば、瑠衣がなにをしたのか、なんで毎日のように瑠璃は瑠衣の教室まできてるのかーーそれらの予想がつくと思えた。

「えっとね、瑠衣は」
「見せる?」瑠衣はカッターを取り出した。「……ひひっ……ひひひッ」

 ーーえ?

「ちょっ、どうしたの、瑠衣ちゃん?」

 尋ねた瞬間、瑠衣は急に口角を上げたかと思うと不気味な笑い声を漏らす。

「ちょっとちょっと瑠衣! あんたそんな危ない物どうして持っているのよ!? そんなこと聞かれたくらいで侵食があがることーー」
「いいよ、いい。見たいなら、今から実演するよ、きひひっ!」

 瑠衣は嗤いながら手を空へと掲げる。
 その手にはカッターナイフが握られていた。
 瞳孔が開いており、口角がつり上がっているせいで嫌な狂気を感じてしまう。
 だが、掲げた手にあるのはカッターといっても、百均にありそうな安っぽいカッターでしかない。

「瑠衣! やめなさい!」
「え、いったいなにをするつもなのーー?」

 瑠衣はカッターの刃をチキチキ出すと、切っ先を真下に向けて机を突く。刃が折れて飛ぶんじゃないかと身構えたが、そうはならなかった。普通なら刃が折れるだけだろう。

 でも、瑠衣は机に突き刺していた。突き立てた、ではなく、突き刺した、が正しい。実際に突き刺せているのだから、突き刺しているとしか表現できない。
 机の中心にカッターの柄が生えてきているように見えなくもない。
 硬いはずの机に、サクッと容易く刺さり、出していただけの刃がすべて机を貫きはまっていた。
 おそらく机の中まで刃が真っ直ぐ届いているだろう。 

「これ、これが私の能力、ひひっ!」

 さらに瑠衣は、机に突き刺さったカッターを握り直すと、机の横へ払うように薙いだ。
 まるでカッターの刃が当たったところが勝手に消えていくかのような、そんな貫通の仕方をしていき、深い傷跡がそこに残る。
 普通ならあり得ない。

 あんな柔そうな刃が、豆腐に包丁を入れるよりも軽やかに机に深い溝を掘ってしまうなんて……常識では考えられない。
 つまり、これは非常識。
 普通とは“異”なる“能力”を操る“者”、異能力者だという証明であった。

「こんのっーー大バカッ!」
「いっ!」 

 瑠璃は瑠衣の頭をグーで殴るなり怒鳴った。
 瑠衣の奇妙な狂気きょうきに当てられていたからか、変な気持ちになっていたけど……瑠璃のおかげで意識が正常に戻った。

「瑠衣、あんたねぇ!? いま自分が何をしたのかわかっているの? 法律違反! 犯罪行為よ!? 許可のない異能力は使うなって、あれほど口を酸っぱくして言ったでしょ!? 法律でも最初に指摘される部分なの、わかる? 私はあんたの姉だけど、異能力捜査官でもあるのよ! 普通は見逃しちゃダメな立場の人間なの、理解してるの!?」

 瑠璃ってあまり怒らないと思っていたけど、意外と激情家だ。
 そんな感想を抱くほどの勢いで、瑠璃は瑠衣を叱責していた。
 うーん、別に他人を害さなければ、勝手に使ってもいい気がするけど……。今の異能力の法律って、ちゃんと調べたら理不尽なものが多そう。

「姉さん、うるさい。こんなの、バレない。姉さん、頭固すぎるだけ。異能力使った犯罪、お金を稼ぐ集団、聞いたことあるけど? 私を、捕まえる暇があるなら、その労力、そっちを捕まえるために、使わなきゃ」 

 瑠衣も瑠衣で、故意なのか不作為なのかは判別できないが、結果として瑠璃を煽ってしまっている。

「あ、あんたって本ッ当にわがままよね。一回くらい刑務所入って頭冷やしたほうがいいんじゃない? いつか人を殺すんじゃないかって心配で心配でしょうがないの。ちょっとは私の気持ちもわかってよ」

 気のせいだろうか?
 人を殺す、と聞いたとき、瑠衣の視線が游いだ気がする。
 まあ、そんなことは置いておいて……。
 なんだか僕が能力を聞いたせいでケンカが始まったような感じがして、なかなかにまずい。

 ふと、カッターに切られた対象に目をやった。
 中心から歪曲を描いて横へと伸び出た、長くて細い、深い溝。
 あんなにサクッと刺さるものじゃないし、やっぱり、これが瑠衣の異能力と関係するのだろう。
 となると、カッターの刃を鋭利にするような力? 
 そう考えると、少し怖くなる。

 あんなちゃちなカッターを冗談混じりにでも向けられて、軽い気持ちでつついてきただけで、こんな服なんか簡単に通過して、皮膚や骨をスッと空けながら通り抜け、簡単に心臓まで届いてしまうかもしれない。
 僕の異能力には他人を害する要素なんて微塵もない。だけど、瑠衣みたいな殺傷性を内包している能力のほうが、むしろ一般的な異能力者なのかもしれない。
 だとしたら、知らず知らずのところに危険は潜んでいるのかも。

「る、瑠璃? あのさ、とりあえず怒るのはやめて昼飯食べない? ほら、もう休み時間半分過ぎてるし」

 いつまでも終わらなさそうだったため仲裁に入った。

「いいこと、言う。豊花、正しい。姉さん、サイコ」

 いやいや、どう考えてもサイコは瑠衣、きみだよ。サイコはきみだ。

「あんたねぇ……はぁ、わかったわ。お昼にしましょ。だけど、もう二度と異能力は使わないって約束しなさい、OK?」
「じぇーけー、姉さんは2」
「……」
「うそうそ、わかった、約束する。姉さん冗談、通じない」

 今さっきまであんなに狂った表情を浮かべていたのに、瑠衣からはもう、その狂気は消え去っていた。
 さっきまでの雰囲気が全く感じられない。
 まるで他人みたいに……。

「でも、豊花はやっぱ、女の子らしくしたほうが、いい。そのほうが、いいと思う」
「え、そんなに変? 僕って言い慣れてるから、今から変えるのは結構無理があるんだけど……」
「あと、その服じゃ、胸チラ。上から見ると、乳首がバッチリ」
「うっそぉ!?」

 慌てて下を向き胸元を確かめてみる。
 サイズが少しだけ大きかったのか、たしかに上から覗くように見ると、さくらんぼが『こんにちは』と言ってくるようになっていた。

「ブラジャー、着けない、の?」
「そうね、いくら元は男だからって、ちょっとは周りの目を考えたほうがいいわよ。きっと、ずぼらがレベルマックスになったら露出狂で捕まりかねないし」

 葉月姉妹の挟撃がはじまる。
 いや、まあ、それに関しては……。

「胸になにか着けることなんて今まで一度もなかったから、多分違和感ありそうだし、ちょっとなぁ……」
「AだかBだか知らないけどさ、ブラしないと垂れるの早いわよ? ちっちゃくても垂れるものなんだし、一生女で暮らすつもりなら、着けたほうがいいんじゃない?」
「た、垂れるの!?」

 こんなサイズで!?
 小さなみかんが2つぶらさがっているような軽い重さしかない、そのわりには違和感は拭えない、コイツらが垂れると仰るのか?
 と、瑠衣がとんとんと肩を叩いてきた。

「豊花、これからはこう。まず腕を、なよなよ振って、登校する。話すとき、自分のこと、『わたくし』って言う。地べたに座るとき、女の子座り。トイレに行くなら、『お花を摘みに』、語尾は『ですわますわ』で統一」 
「そんな女の子一度も見たことないんだけど?」

 厳しすぎる『女らしさ』だった。というか本人からしてできていない。
 大和撫子でさえそこまでしないんじゃないかな?

「あっ、あと、化粧するの?」
「へ? い、いや、そんな、化粧なんてするわけないじゃないか」
「それ、凄腕のナチュラルメイク、じゃなくて? 本当に、すっぴん? スキンケアとかは?」
「いやいやいやいや、わからんって。だから、つい先日まで僕は男だったんだって。いきなり化粧なんてできるわけないし、する必要性も感じない」

 着飾らなくてもかわいいのだから、肌を痛める必要はないはずだ。
 自分贔屓な目線があるかもしれないけど、わざわざメイクの仕方を覚える気にはなれない。

「たしかに豊花なら化粧要らずよね、その顔。というより、瑠衣? そもそもあんただって他人に言えるほど化粧していないでしょうが。欲しいって言うから化粧水やら乳液やら買い、欲しいと言うからマスカラファンデアイシャドーその他色々プレゼントしてあげたのに……あんた、すぐに使うのやめたでしょ?」
「いや、怠いし、面倒。姉さん、知ってる? 学生が、化粧するの、肌の老化、早めてしまう。ほら?」
「なんで要らんもんおねだりしたのよあんたってやつは!」

 どうやら、化粧しているのかと聞いてきた本人が化粧していないらしい。
 なんじゃらほい。

「一応、朝晩、洗顔してる」
「そのくらい普通誰でもするわよ……私が言いたいのは、使わないなら化粧品なんてねだるなってこと」
「でも、社会人の化粧、マナー。すっぴんは、マナー違反。働いてる、姉さんは、化粧してるの?」

 ーーえ、そうなの?
 瑠衣が言うとおりだとすれば、社会人は化粧しなくちゃいけないみたいだ。
 化粧しないとマナー違反……なにその謎ルール。
 自分が知らないだけで、実は男にも隠しルールとかあったのかな?

「化粧くらいするわよ、失礼ね。そりゃあ、学校にまではしてこないけど。保護団体に行くときくらいしてるわよ」
「姉さん、学生手帳、見たことない? 校則に、しっかり、本校生徒は、化粧したらダメ、って書いてある、よ? 校則違反だ」
「いや……別に学校来るときにしなきゃいいだけでしょ?」
「学生は、化粧ダメ。でも、社会人は、化粧マナー。変」

 たしかに、学校では化粧してはいけないと煩く言われるのに、社会に出た瞬間、今度は化粧しなければ非常識扱いを受けるなんて、どうすればいいんだろう?
 そもそも、みんな誰に教えてもらって化粧をはじめるのだか、僕には見当もつかない。
 僕がこのまま成長して社会人になったとして、化粧ができなかったら非常識人間というレッテルが貼られてしまうのだろうか。
 内心ちょっと焦ってきた。まさかそういった常識があるだなんて、全然知らなかった。

「そろそろお昼終わりね。行きましょ、豊花」
「え、あ、うん」

 瑠璃が手を差し出してきたから、思わず握ってしまった。
 立ったあとに慌て、すぐに放してしまったけど。

「それじゃ瑠衣? 問題起こさないようにしなさいよね?」
「はーい……ぐぅ……」

 ーーもう寝るんかーいっ!
 授業が始まるまえから既に入眠体勢に移る瑠衣を見て、ついつい頭で突っ込んでしまった。

「い、いいの?」
「本当ならダメだけど……いいのよ、問題さえ起こさなければそれでいい」
「え?」
「豊花には、瑠衣と仲良くなってほしいの。あの子、異能力者なうえに、侵食されかけてるからたまにおかしくなるの。だから皆怖がって、誰も話しかけてくれなくて……ひとりも友達いないのよ。だからーー」

 ーー同じ異能力者であるあなたには、瑠衣の友達になってほしい。
 瑠璃はそう続けた。
 わざわざ昼休みに僕を誘って一年のクラスまで連れてきた理由はこれか。元からあり得ない可能性だけど、もしかして僕に好意があるんじゃないかという期待が、ものの見事に裏切られてしまった。

 いや、まあ、そもそも女の子になっている僕に、同じ女である瑠璃が好意を向けるなんてこと、普通は考えられないか。

 2年B組の前までたどり着くと、裕璃もどこからか教室に帰ってきていて、鉢合わせしそうになる。
 それを見ていた瑠璃は、いきなり僕の肩や背中をフレンドリーにタッチしてきた。

「また明日もおねがいね?」と、裕璃にまで聞こえるような声で言うとーー。「またね、“豊花”」

 そう言って自分の教室に戻っていった。
 ……なんだろう?
 裕璃を見た瞬間、急に僕に対して親しみをアピールするかのようにボディタッチを始めるし、なんだか“豊花”の部分だけ強調していた気がする。

 それを見ていただろう裕璃の様子を窺いみてみた。
 なにか戸惑っているかのような、そんな雰囲気でチラチラ見てきていた。
 僕に視線を向けてはいるものの、なにかを言おうとして、やっぱりやめる、その繰り返しの動作をする。

 裕璃のことが、瑠璃や瑠衣と話していたからか、段々どうでもよくなってきていた僕は、もう気にしないようにと教室に入った。
 椅子に座り、ふとした拍子に気づいた当たり前のことを思案する。

 ……今さら気づいた。当たり前の問題。
 今の自分は単なる“14歳の女の子”なのだ。
 ーーそれはつまり、いくら女の子と親しくなっても、友達までだという事実。
 もしも将来結婚するとしても、僕が女の子なかぎり、相手は女性ではなく男性になるという事実。それら忘れていた現実。

 今さらになって、バカでもわかるこんな“当然”に気づき、少しだけ、ほんの少しだけ、僕は女になれたことを後悔してしまった。 
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