上 下
48 / 55
第三章

不審者のち2

しおりを挟む

 必死に車椅子を漕ぐ。
 生田さんがここに到着するまでの三分間、俺が山本さんを守らなければ。ふたりの間に入ることができれば、何とかなるだろう。そう思い、俺はハンドリムを回した。
 全速力で移動する車椅子はけっこう速い。男性もまさか俺が全速力で近づいてくるとは思わず、ビビったのだろう。一瞬力をゆるめたのか、山本さんがつかまれていた手首を振りほどいた。そして後ずさる。
 よし、今だ。俺はハンドリムを握る手に力をこめる。
「真也さん、やめて! 危ない!」
 山本さんが俺に向かって叫んだ。ポケットに手を入れた男性が取り出した光るものを見たのはその直後だ。
 男性がナイフを両手で持ち、刃先を俺に向けている。
「来るな!」
 自分にダイレクトに向けられる悪意、山本さんの悲鳴。そして騒ぎを聞きつけてクリニックの出入り口から姿を現した香織さん。
 その時、俺の視界に赤色灯をともしたパトカーが飛び込んできた。もう大丈夫、生田さんが来てくれた。
「通報してたんだよ! ちゃんと証拠写真も撮った!」
 強気になった俺は男性に向かって車椅子を漕ぐ。一方男性は、俺にナイフを向けたままがたがたと震え出した。
 男性との目線の高低差なのかアドレナリンのせいなのか、またはパトカーから下りて駆け寄る生田さんを目にしたからなのか、不思議と恐怖は感じなかった。
 もう大丈夫、そう思って俺は車椅子のブレーキをかける。だがふいに傾く視界。あぁそうだ、俺はスピードを出し過ぎた上、下半身の感覚がないので踏ん張れない。
 俺は車椅子から投げ出されて、アスファルトの地面に転がった。
 横転した視界がとらえていたのは、男性が持っているナイフを手刀で振り落として、そのあと華麗に背負い投げを披露した生田さんの姿だった。
「銃刀法違反の容疑で現行犯逮捕します」
 男性を確保しながら無線でどこかに連絡を取っている生田さんの頼もしい姿を、俺は倒れたまま眺めていた。
 それにしても俺は何とぶざまなんだろう。ふっと自虐的な笑いが込み上げる。俺だって山本さんを一生懸命助けたつもりだったのにな。しかも車椅子がけっこう遠くにある。ここから這って移動するのは恥ずかしいな。
 そんなことをぼんやり考えていたら、ふいに抱き起こされた。涙目をした香織さんが、俺をまっすぐに見つめていた。
「あたしのせいで危険な目に合わせて、ごめんなさい」
しおりを挟む

処理中です...