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第三章

BBQ1

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「梅雨明け十日」とはよく言ったものだ。
 梅雨明け宣言とともにギラギラと存在感を主張する太陽。暑いことは暑いが、どこかノスタルジックな雰囲気がほんの少しだけ暑さをごまかしているように感じるのは、島特有の空気の流れのせいだろうか。
 そんな中、朗報がふたつあった。
 ひとつは、先日負った怪我が完治したこと。俺はめでたく左手首と左腕、そして額を覆っていた湿布や被覆材などを取ってもらえ、この件に関しての主治医である香織さんから、やっとカメラを持つことを許可された。
 カメラの持てない期間は一週間ほどだったが、スマホのカメラアプリだけの生活は想像以上にきつかった。俺にとって、カメラがいかに必要なものかを再確認することのできた数日間でもあった。
 そしてもうひとつは、仁美さんの離婚が晴れて成立したこと。それにともない、仁美さんは山本さんから平井さんに復姓した。とはいってもあの事件をきっかけにクリニックのスタッフも仁美さんと呼び出したので、表面上は変わりなかった。苗字が何であっても仁美さんは仁美さん、俺たちはそう思っていた。だが仁美さんにとっては違ったのだろう、復姓してからは、前よりもさらに生き生きとした表情を見せるようになった。
 七月最終の日曜日。休診にもかかわらず、敷地内にはクリニックのスタッフが勢ぞろいしている。いや、スタッフだけではない。
 悟先生とその家族である、奥さんのあかりさんと娘の梨沙りさちゃんと息子の詩音しおんくん。ふたりは小学四年生と三年生の年子のきょうだいだ。クリニックからは晴美さん、ゲンキくん、芽衣さん、仁美さん。
 そして、何と三好美香さん。ウェブデザイナーの仕事が軌道に乗り始めたことが張り合いになったのか、体調もよくなりつつあった美香さんは、めでたくここに来ることができた。
 それに俺たち夫婦を足して、総勢十一名の大所帯だ。
『増井出張写真館』と『ますいペインクリニック』の広々とした敷地が狭く見えるほど大きなタープテントにアウトドアテーブル、そしてバーベキューコンロ。いずれも悟先生が用意してくれたものだ。
 暑気払い。日頃世話になっているスタッフとその家族、ウェブサイトを通じてクリニックと写真館を支えてくれる功労者をもてなす懇親会。仁美さんの離婚祝い。そして俺の快気祝い。
 要するに、今日はいろんなことにかこつけてみんなで楽しもうと計画されたバーベキューの会だ。
「梨沙ちゃん、詩音くん。お肉焼けたよ!」
 ゲンキくんが声をかけると、紙皿を持った子どもたちが嬉しそうに駆け寄る。俺はカメラを構え、紙皿に肉をのせてもらって喜ぶ子どもたちの表情を切り撮った。
 タープテントの下に設置してもらったアウトドアテーブルのセットに腰をかけて談笑しているのは、仁美さんとあかりさんと美香さん。ピッチャーいっぱいに作ったノンアルコールのサングリアを飲んでいる。
 ほとんどのメンバーが車で来ているため、ノンアルコールだが何とか気分だけでもアルコールを楽しんでもらえないだろうかと、俺が知恵を絞って作ったものだ。ぶどうジュースに、切ったオレンジとキウイ、そして島本祥子さんの直売所で買ったブルーベリーを漬け込んだ。これはアルコール気分を味わえると、なかなか好評だった。
「真也さん。これ、あとでレシピ教えてね」
「わたしも知りたいです。アルコールは好きだったんですけど、病気になってからは控えなければならなくて……」
 あかりさんと美香さんに言われる。気に入ってもらえたことが嬉しかった俺は、得意になって作り方を説明した。
「果物を適当に切って、ぶどうジュースに漬けるだけですよ」
「そんな大雑把な説明でいいんですか?」
 仁美さんに突っ込まれた俺は、苦笑しつつカメラを構えた。
「あっ、ジュースは果汁百パーセントので。ってか、乾杯している手元の写真、撮らせてください」
 手元の写真と言ったのは、美香さんも仁美さんも写真には写りたくないだろうと思っての提案だった。だが……。
「私ならもう離婚も成立しましたし、写真に写っても大丈夫です。美香さんも大丈夫ですよね?」
「はい。わたしも真也さんの撮影限定なら、大丈夫」
「ほら、女子三人、思いっ切り映える写真撮って」
 どうやらいつの間にか、女性三人で意気投合していたらしい。そしてサングリアを注いだ透明カップを構えてポーズまで取ってくれる。
「じゃあ、お言葉に甘えて。サングリアのようにまぶしい三人に乾杯!」
 俺が作ったサングリアどころか、太陽よりもまぶしい三人の笑顔を切り撮った。 
 敷地の最奥に位置する住居から、香織さんと芽衣さんがやって来るのが見えた。香織さんは俺が今朝のうちに用意しておいたサラダが入ったボウルを、芽衣さんはカッティングボードに多種多様のチーズをのせたものを、それぞれ手にしている。
 それらをふたりがアウトドアテーブルに置くと、さらにテーブル上は華やかになった。
 もとからあった、ゲンキくんのばあちゃん特製のおむすびといろいろな野菜のぬか漬け、俺が作ったサングリア、そしてサラダにチーズ盛り合わせ。
 特にぬか漬けは多種多様だ。定番のきゅうりとなすをはじめとして、ズッキーニにおくら、アボカドまであったからばあちゃんのアイディアには驚きだ。
 そこへ、両手にミトンをはめた晴美さんができたてのアヒージョを運んで来た。両手にひとつずつアヒージョ鍋を持つ晴美さんはとても器用だ。見ると、ひとつにはタコとじゃがいも、もうひとつにはエビとブロッコリー。まだぐつぐつ煮えている。これらはバーベキューコンロで作っていたものだ。
 晴美さんが並べられた料理を見て顔をほころばせる。
「いつの間にか美味しそうなの、増えてるし。わたしも女子会、混じります!」
「うんうん。晴美さんと芽衣さんも、食べましょう」
「はい! わたし、おばあちゃんのぬか漬けいただきます!」
「芽衣さん、意外と渋いのね」
 延々と続きそうな女子トーク。俺は少し離れて、引きの画を切り撮った。それにしても美味しいものを食べている女性陣は、本当に幸せそうだ。
 そんな女性陣から離れて、コンロの方に回る。俺は、汗だくになって肉を焼いている悟先生とゲンキくんをねぎらう。コンロには牛肉のほか、焼き鳥も並べられている。
「すみません、何か大変な思いばかりさせてしまって」
「いやぁ、僕たちけっこう肉食べてますよ」
「そうだね。焼きながら食べてるんで」
 確かに、悟先生とゲンキくんの紙皿には肉が盛られている。
「ゲンキくん、お肉入れて!」
「おぅ。詩音くんはよく食べるな」
 詩音くんに催促されて、ゲンキくんは肉を皿に入れた。
 もしかしてまだ何も食べていないのは俺だけなのか……? そう思った時、思わぬ救世主が現れた。梨沙ちゃんが新しい紙皿に肉とおむすび、アヒージョ、そしてサラダにチーズといったひと通りの料理をきれいに盛りつけて持ってきてくれたのだ。
「真也さん、はい」
 にっこりと笑った梨沙ちゃんと俺の目線はそう変わらない。俺は紙皿を受け取った。
「嬉しい。俺、すっかり食べるのを忘れてたから」
「だって真也さん、いっぱい写真撮ってたもん。あたしちゃんと見てたよ」
 何とかわいく、また健気なのだろう。それに、十歳にしては気が利きすぎる。生まれながらに気が利いているのか、はたまた長内家の教育水準が高すぎるのか。
「ありがとう。梨沙ちゃんは本当に優しいんだな」
「うん! また食べたいやつあったら持ってくるから、言ってね」
「ありがとう」
 ぱあっと笑顔をほころばせた梨沙ちゃん。俺はそんな梨沙ちゃんの表情を切り撮りたかったが、紙皿を手にしていたため、かなわなかった。
 俺もいったんカメラを置き、料理を味わう。
 島で生産された牛肉は驚くほどやわらかい。一方で、あとを引く旨味。続いて晴美さんのアヒージョ。にんにくのしっかりときいたタコはいくらでも食べられそうだ。またばあちゃんのおむすびはシンプルな塩むすびだが、塩気が絶妙。しかも、しっかりと握られているようで口に入れるとほろほろとほどける。
 俺の横に来て肉を頬張るゲンキくんが得意そうに言った。
「どうです? ばあちゃんのむすび」
「美味い。ってか、美味すぎる」
「前に、僕の弁当箱見て、物欲しそうな顔してたじゃないですか、真也さん」
 そういえばそんなこともあった。仁美さんの騒動が起きる少し前だ。
「だって、美味そうだったもん。ゲンキくんの弁当」
「だから、真也さんにも食べてもらいたくて」
「ありがと。じゃあ、もうふたつくらい取ってきて」
 俺はゲンキくんに向かって紙皿を差し出した。
「えー。自分で取りにいかないと、リハビリになんないでしょ……」
 そうぶつぶつ言いながらも、嬉しそうに取りにいってくれるゲンキくんだった。
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